第98話 ディア・バーバー

 学校が終われば、俺達はさっそく理容室ディア・バーバーに向かう事に。


 深紅に今日は一緒に帰れない事を伝え、意気揚々と理容室へと向かう。


 スマホの地図で確認しながらだったので、迷う事無くたどり着く事が出来た……のは、良いのだけれど。


「止めましょう。やっぱり無理よ。ええ、帰りましょう」


「ダメだよ、戦さん。せっかく予約したんだから、入ろうよ」


「ダメよ。何言ってるの。私なんかがこんなおしゃれな場所に入っていいわけ無いわ。入った瞬間店員に鼻で笑われてタピオカジュースぶっかけられるんだわ」


「何言ってるの戦さん?」


 ディア・バーバーにたどり着いたは良いものの、戦さんが直前で尻込みをしてしまい、電信柱に引っ付いて離れようとしない。


 腕を引っ張って店内に入れようとしているけれど、かたくなに電信柱から手を離さない。


「もう! ここまで来たんだから、後はお店に入るだけでしょ?」


「その入るのがハードル高いのよ! あんなおしゃれな外装してると思わなかったわ!」


「理容室なんてどこもおしゃれでしょ! 戦さんは普段どこで髪切ってるのさ!」


「千円プラス消費税で切ってくれる理容室よ!」


「あぁ、俺と同じなのね」


 俺も、戦さんと同じく千円プラス消費税という大変リーズナブルなお店で髪の毛を切ってもらっている。


 確かに、あのお店に比べたら、今目の前にあるお店は入りにくいかもしれない。


 理容室特有の外から見える大きな窓硝子がらすに、その窓硝子から見えるおしゃれな内装。更に、待合席に座るこれまたおしゃれなレディ達。うん、戦さんが尻込みしてしまうのも分かる。俺だって、ちょっと入りづらい。


 けど、ここで尻込みしていては前に進めない。


「深紅に告白するんでしょ? ここで止まってたら告白なんて夢のまた夢だよ?」


「うぎぎっ……でもぉ……」


「じゃあ諦める? 告白も、深紅も。戦さんがそれでも良いなら、俺はそれでも良いよ」


 少しだけ卑怯な事を言えば、戦さんは頭を抱えて悩む。よし、今だ。


「じゃ、行こっか」


「へ、あ、ちょっと!!」


 戦さんが電信柱から手を離したので、俺は戦さんの腕を引っ張ってディア・バーバーに向かう。


「ちょっと待って! まだ心の準備が……!!」


「大丈夫、俺は出来てるから」


「私が出来てないのよぉ!!」


 喚く戦さんを引きずりながらディア・バーバーに向かえば、当然ながら周囲の人の目を引いてしまう。なんか、まるで俺が悪い事してるみたいだ。


 まぁ、店内に入ってしまえば戦さんも諦めるだろう。


 俺はディア・バーバーの自動ドアを潜り、店内に入る。


「いらっしゃ……」


 店員さんが俺達を見て声をかけようとしたけれど、俺に引きずられる戦さんを見て一瞬固まってしまう。


 しかし、気を取り直して、再度声をかけなおす。


「いらっしゃいませ。ご予約の方でしょうか?」


「はい。予約した如月です」


「如月様ですね。少々お待ちください」


 店員さんが名簿を見て予約を確認する。が、怪訝な顔をすると、俺達の方に向き直る。


「すみません。如月様でお間違い無いですか?」


「はい」


 俺が頷くと、再度店員さんは名簿を確認する。しかし、怪訝な顔は晴れない。


 あ、もしかして。


「あ、すみません。星空で予約したかもしれないです」


 俺が店員さんにそう言うと、店員さんも合点がいったように頷く。


「ああ、星空様が予約した方々かたがたですね。星空様から承っております。それでは、どうぞこちらへ」


「はい。ほら、行くよ」


「うぐぅ……」


 さすがに諦めたのか、戦さんは引きずられる事は無く自分の足で歩く。けど、逃げられても嫌なのでしっかり手は握っておく。


「では、こちらに」


「ほら、座って」


「うぶぅうぅぅぅぅぅぅ」


うめかない。覚悟を決めて」


「うぶふうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」


 乙女らしからぬ呻き声を上げながら、戦さんはバーバーチェアに座る。


「では、お客様はこちらへ」


「はい」


 戦さんが座り、逃げられなくなった事を確認してから、俺も戦さんの横のバーバーチェアに座る。


「どんな髪型がご希望ですか?」


「あ、えっと……」


 どんな髪型と言われても、咄嗟に思い浮かばない。


「えっと、じゃあ、おすすめで……」


「分かりました。お客様の髪の長さだと、ショートボブ辺りが良さそうですかね? ショートよりも気持ち長めなので、髪の毛を巻いたりとか、ちょっとしたヘアアレンジも出来るのでおすすめですよ」


「じゃあ、それで……」


「かしこまりました~」


 軽く返事をした理容師さんに、俺は全てを委ねる事にした。もう、どうとでもなるがよい。


 ちらりと隣の椅子に座る戦さんを見る。


 あの日俺を脅した人物だとは思えない程がちがちに緊張しており、なんだか少し不憫に思えてしまう。


「それじゃあ、カット始めますね~」


「おねがいしまーす」


 っと、戦さんの方は出来てからのお楽しみだ。俺は自分の行く末をしっかり見ないと。


 そう思っていたのだけれど、昨日の寝不足がたたってしまったのか、開始数分で俺は眠ってしまった。ぐぅ。





「お客様ー、カット終わりましたよー」


 微睡まどろみの中で誰かの声が聞こえてくる。


「う、んぅ……」


「やだ、可愛い……じゃなくて、お客様! カット終わりましたよー! 起きてください!」


「んぅ……?」


 カット、はて何のことやら………………あ、そうだ。俺、髪切りに来てたんだった。


 自分が眠ってしまう直前に何をしていたのかを思い出して、俺は無理矢理に意識を浮上させる。


 ゆっくりと目蓋を持ち上れば、店員さんの顔が見える。


「あ、起きました? カット終わりましたよー」


「あぅ……すみません……」


 眠ってしまったことが恥ずかしく、思わず赤面してしまう。


「いえ、大丈夫ですよー。良いもの見られましたから」


 言って、くすっと可愛らしく笑う店員さんは、俺の背後に回って大きな折り畳みの鏡を開いて俺の後頭部を映す。


「こんな感じでどうですか?」


 店員さんに言われて、俺はそこで初めて自分の髪型を確認する。


 鏡には緩くパーマのかかった、顎くらいの長さに整えられた、とても可愛らしい髪型をした自分が写っていた。


 店員さんが映してくれている鏡には緩くパーマがかかっていても、きちんと切りそろえられた後頭部が目に入る。


「あ、はい。大丈夫です」


 あまりに綺麗な出来に、咄嗟に大丈夫だと言ってしまった。


 いや、何が大丈夫なんだ? これって女性のヘアスタイルだよね? 大丈夫じゃないよね?


 今更ながらにそう思ったけれど、店員さんはもうすでに片付けを始めてしまっているし、おそらくこれがショートボブというやつなのだろう。自分からそれで良いと言っておいてやっぱり変えてくださいとは言えない。


 ……まぁ、いっか。どうせ俺の髪型なんて花蓮とかしか気にしないだろうし。


 そう自分を納得させてからバーバーチェアから降りる。


「あ、そうだ。戦さん……」


 きょろきょろと店内を見渡して戦さんを探してみる。けれど、戦さんはどこにも見当たらず、待合席には一人の少女が座っているだけだ。


 あれ、俺と同じ高校の制服だ。


 やっぱりうちの高校でも人気なのかと思いながら、俺はひとまずレジカウンターに向かいお金を払う。


「あ、お代は結構ですよ」


 けれど、店員さんからお代は結構だと言われてしまう。


「え、どうしてですか?」


「あれ、星空様から何も聞いてないんですか?」


「えっと、ここを予約してくれた事しか聞いてないです」


「あれ? 新人さんのカットの練習台になってくれる子が二人来るって窺ってたんですけど」


「え、そうなんですか?」


「はい。星空様からはそう聞いてます。ですので、お代は結構です」


「でも……」


「でしたら、学校でうちで切ったって宣伝してください。新人さんの練習も出来て、華のJKに宣伝してもらえるんだから、私達も得しかしないので」


 無料で切ってもらったので申し訳ないと思ってしまうけれど、店員さんはお金を受け取るつもりは無いみたいだし……。


「……分かりました。でも、次からはちゃんと払わせてください」


「はい。またのご利用、お待ちしております」


 言って、にっこりと微笑む店員さん。


 俺は店員さんにありがとうございましたと言ってから、お店を後にする。


 それにしても、戦さん、どこ行っちゃったんだろう……。


「ちょっと、店出るならそう言いなさいよ」


 背後から戦さんに声を掛けられる。


「あれ、戦さんどこに……」


 行ってたの。そう尋ねようとして、目の前に入ってきた光景を見て思わず黙ってしまう。


「何? どうしたのよ」


 そこには、先程お店の待合席に座っていた少女が立っていた。見た事も無い少女。けれど、その少女からは戦さんの声が聞こえてくるのだ。


 という事はつまり、目の前の見慣れぬ少女は戦さんなんだろう。


 けど、これは……。


「な、なによ……に、似合ってないのは分かってるわよ。こ、こんな、可愛い髪型……」


 恥ずかしそうに顔を赤らめながら、戦さんは緩くウェーブのかかった髪を指先で|弄(もてあそ)ぶ。


 髪を切る前は、長すぎて前髪とか隠れてたし、髪の毛が無造作に生えていたのでぼさっとした感じだったけれど、今は統一感が無くとも綺麗なウェーブがかかっており無造作とは程遠い仕上がりになっていた。


 前髪も目を完全に隠してしまう程ではなく、綺麗に分けられており目元が見えて暗い印象を与えない。


 正直に言って、さっきまでよりも、こっちの髪型のほうが断然良い。可愛い。


「い、戦さんの本気を見た気がする……」


「なっ! それってどういう意味よ! 褒めてんの!? けなしてんの!?」


「ほ、褒めてるよ! すっごく可愛い!!」


「ヴァ――――――!! 褒めんなぁ!! こっぱずかしいわ!!」


「で、でも、さっきより全然、すっごく、超可愛いよ!」


「その純な目を向けるなぁ!! い、いいい、良いから! さっさと浅見の家に行くわよ!!」


「うん!」


 顔を真っ赤にしながら先を歩く戦さんの後を追う。


 耳まで真っ赤で、本気で照れていることがまるわかりだ。


「こんなに頑張ったんだから、深紅も可愛いって言ってくれるよ」


「う、うううううるさ――――い!!」


 俺の言葉を遮るように声を上げる戦さんに、俺は思わずくすっと笑ってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る