第20話 一日マネージャー
何故かついて来る彼女を引き連れて、俺は集合時間ギリギリに最初の撮影現場に到着した。
俺が現場に入ると、榊さんが目敏く俺を見つけ、早足に近づいてくる。
「本日はありがとうございます、如月さん」
「いえ、約束ですから」
出会い頭にぺこりと頭を下げてお礼を言ってくる榊さん。俺はできればやりたくなかったけどという本心を隠しながら返す。
「それにしても、時間ギリギリですね。あ、いえ、別に責めるつもりはありませんよ? ただ、何かあったのか心配になっただけですので。何事も無かったようなら、良かったです」
そう言ってほっと息を吐く榊さん。しまった。ギリギリ間に合うかもしれなかったから、事前に連絡を入れるのを忘れてた。榊さんも、まだ集合時間ギリギリだったから連絡をしてこなかったのだろう。次回からは……いや、次回なんて無いけど、次にこういう機会があったら、連絡だけはきちんとしておかないとな。
それはそうとして、遅れそうになった理由を大まかに話しておかないとな。痴漢のことは伏せてだけど。
「すみません、ちょっとアクシデントがありまして」
「アクシデント、ですか?」
「はい。あ、でも、大したことは無かったので――」
「はあ? 大したことが無かったですって? そんなわけないじゃない」
心配はいりませんよ。そう続けようとしたところで、今まで黙って隣に立っていた彼女が口を挟む。
「あなたは?」
「通りすがりよ。アタシのことはどうでもいいでしょ。それよりも、あなたこの子のマネージャー?」
「いいえ。如月さんは一般採用なので、マネージャーはいません」
「だとしても、車で送迎するとか、迎えの人を寄越すとか、もう少し気を使いなさいよ。この子、電車で痴漢されたんだからね?」
「ち、痴漢ですか!?」
彼女の言葉に、いつも澄ました顔をしている榊さんが驚愕に目を見開き、大きな声をあげる。
珍しく驚いてるなと呑気に思っていると、榊さんは俺の両肩をガシッと掴んできた。
「だ、大丈夫でしたか? ああ……心なしか顔色も悪いですね。今日の撮影は中止しましょう。如月さんも弱った姿を写真にはおさめられたくは無いですよね」
「え、ええ!? いや、大丈夫ですよ!? 痴漢って言ってもおじさんにお尻を触られただけですから!」
「お尻を触られたのなら大事件です! だけでは決してありません! 大事を取って今日の撮影は中止します!」
「でも、それじゃあスケジュールがずれるんじゃあ……」
「大丈夫です! 他の日にずらして我々が
「え、ええっ……」
ど、どうしよう! 俺が痴漢されたせいで榊さん達の残業地獄が半ば決まってしまった!
正直、俺自身特に身体に不調は無いし精神的にも何ともない。ていうか、痴漢にすら気付いてなかったのだ。知らないおじさんにお尻を触られたくらいでどうこうなるようなデリケートな精神はしていない。世のか弱い女性達と違い、こちらはれっきとした男の子なのだ。同性にお尻を触られるくらいちょっと気持ち悪いくらいだ。
というわけで俺は全然平気だ。全然平気なのに撮影を中断させてしまうのはかなり申し訳が無い。
……え、ええい! こうなったらやけだ! 嘘八百、口八丁手八丁! あることないこと言って撮影を続行させるしかない!
「さ、榊さん! 大丈夫です! 俺撮影できます!」
「無理しなくても良いんです! ああ、心なしか如月さんが小さく見えます。こんなに縮こまってしまって……私が送迎をしていれば、こんなことには……」
「ち、小さいのは元々です!」
うぅ、結構気にしてるのに……って、それどころじゃない!
「お、俺、今日の撮影楽しみにしてたんです! で、ですから、今日! 是非とも今日撮影をさせてください!」
事実無根です。俺はこの日が来なければいいなと思ってました。できれば撮影もしたくありません。
本音を笑顔の裏に隠して、俺は撮影を続行できるように何とか言葉を尽くす。
「今日のために、お肌とかにも気を使ったんです! ほら、見てくださいよこのもちもち肌!」
嘘です。あまり気を使っていません。華蓮がお風呂上がりに乳液とかを塗ってくれただけです。
「そ、それに、髪型もちょっときめてみたりなんてして!」
嘘です。華蓮がちょっと
「だから、大丈夫です! 撮影、やらせてください!」
そういって精一杯頭を下げる。
嘘八百ばかりの大丈夫。ダメだこれ、何も大丈夫じゃない。
しかして、俺が精一杯大丈夫だと言わなければ今日の撮影は中止だ。そんなことになれば、今日のためにスケジュール調整をした皆さんに申し訳ないし、何より撮影をするという覚悟を後日また決めなくてはならないのが嫌だ。嫌なことは後回しではなく早めにするに限る。
まあ、一番はやっぱり、俺のせいで皆さんに迷惑をかけたくないっていうのが大きい。俺は何とも無いのに、そんな俺に気を使って撮影が延期にでもなったとあれば俺が気にしてしまう。俺は誰かが苦労をしていると知っていてそれを気にしないでいられるほど無神経じゃない。つまり、俺の胃のために撮影よ今日で終わってくれぇ!!
そんな、結局自分本意な思いを込めながら頭を下げる。
「あんた……」
そんな俺に、榊さんではなく、隣の彼女が感心したような声を出す。
やめてくれい。そんな感心したような声を出さないで。いたたまれないから。
「顔を上げてください」
ぽんと肩を軽く叩かれる。
俺は榊さんの言葉のままに頭を上げる。
榊さんは呆れたような、それでいてとても優しい微笑みを浮かべていた。
「分かりました。そこまで言われしまえば中止なんてできません。撮影をしましょう」
榊さんの言葉に、俺は思わずぱぁっと満面の笑みを浮かべてしまう。
やった、これで後回しにならなくて済む!
「ですが、少しでも不調を感じたら言ってくださいね? 撮影ももちろん大事ですが、それ以上に如月さんの身体の方が大事なんですから」
「分かりました」
「じゃあ、アタシが今日一日この子のマネージャーするわ」
撮影続行と話しがまとまったところで、彼女が唐突にそんなことを言い始める。
「あなたが、ですか?」
「そう。不満?」
榊さんが値踏みするような視線を向けるも、彼女程の美少女には慣れたものなのか、ポケットに手を突っ込んで余裕の態度である。
そんな不遜ともとれる彼女の態度を榊さんは気にすることも無く一つ頷く。
「なるほど、そういうことでしたか」
「合格かしら?」
榊さんの言葉に、彼女はふふんと得意げに微笑みながらたずねる。
「ええ、文句のつけようが無いくらいです。あなたさえよろしければ、是非お願いします」
「アタシから言いだしたんだもの。よろしいもなにも無いわ」
「そういうことでしたら、よろしくお願いいたします」
「ええ」
「それでは私は撮影の準備に入ります。如月さんとあなた……ええっと……」
「普通に呼んでくれてかまわないわよ」
「でしたら、星空さん。お二人は、あのトレーラーに入って準備をお願いします。中に衣装とスタイリストがいますので」
「分かったわ。それじゃあ行きましょう」
「う、うん」
俺を置いてきぼりにしてとんとん拍子に話しが進んで行き、何故か彼女ーー星空さんが一日だけ俺のマネージャーをすることになった。
どうやら、俺に拒否権は無いようで、二人の間で話しは完結してしまった。
「マネージャーなんて初めてだわ。ちょっと楽しみね。ねぇ、あなた……えっと、そういえば、名前聞いてなかったわね。あなた、名前は?」
「き、如月黒奈です」
「そう、それじゃあ、黒奈って呼ぶわね」
「う、うん」
なんだか、距離感が近い子だな。別に不快なわけじゃないけど、ちょっと戸惑ってしまう。
「それじゃあ黒奈、今日一日、よろしくね」
「よ、よろしく」
俺が戸惑いながらも返事を返せば、彼女はサングラス越しでも分かるくらいの満面の笑みを浮かべた。
「ふふっ、感謝しなさい。このアタシが直々にマネージャーをするなんて、そうあることじゃないわよ?」
「は、はぁ……」
そのあなたが何者か全く持ってわかっていないわけですが……。
全く分かっていない俺の反応を見た彼女は、気分を害するわけでも無く、ただ可笑しそうに笑う。
「さあ、取り合えずあなたの着替えを済ませながら今日のスケジュールを確認するわ。そういえばワタシ、今日のスケジュール知らないのよね」
「あ、俺の携帯にスケジュール入ってます」
そういって俺は携帯を取り出して榊さんから送られてきたメールを見せる。
星空さんは俺の携帯を覗き込むとふむふむと頷く。
「ふむ、なるほどね。撮影場所は三箇所。どこも広い場所だからその範囲内で場所を変えての撮影ね。うん? 他の撮影班と合流? 最後の場所は他のモデルと一緒に撮影するみたいね」
「みたいですね。誰だか書かれていないですけど……大丈夫かな? 俺、へましちゃいそう……」
「大丈夫よ。素人とブッキングさせるんだもの。プロを使うはずよ。まぁ、最悪他の手があるしね。あまり使っていい手じゃないけど」
「?」
使っていい手じゃない? もしかして、悪いことするのか?
そんな疑問が頭に浮かび、俺は小首を傾げてしまう。
小首を傾げて疑問全開の俺を見て、星空さんはふふっと笑みをこぼす。
「大丈夫よ。余程のことが無い限り使わないから。それよりも、早く着替えちゃいましょう。あ、あと、今日のスケジュール表メールで送ってちょうだい。ほら、携帯出して」
「は、はい」
彼女に急かされるまま、俺はポケットから携帯を取り出す。
「貸して、やったげるから」
ほらほらと言わんばかりにこちらに向けてきた手を揺すってくる星空さんに、俺は迷わず携帯を渡す。初対面だけれど、彼女が何か悪さをするとも思えなかったからだ。
少し操作をした後、携帯同士をかざして赤外線で連絡先を交換した。
「はい、交換したよ。それじゃあメール送っておいて。後、アプリのほうも友達登録しておいて。そっちの方が連絡しやすいから」
「わ、分かりました」
今日のスケジュールを送るだけなのに、わざわざアプリの友達登録をする必要があるのだろうか?
そんな疑問を覚えてる間にも、星空さんはさっさか歩いていってしまう。
「ほら、そろそろ着替えとかお化粧しないと撮影始まっちゃうわよ?」
「あ、はい!」
俺は慌てて星空さんの後を追う。
「ところで、今日の撮影って、なんの撮影なの? 雑誌とか?」
「ポスターの撮影みたいです」
「へぇ~。なんのポスター? って、こんだけ場所変えるんだから、服かその場所が目的よね」
「今回は服の方ですね」
「服かぁ。着替えとかメイクとか大変だけど、いろんな衣装を着ていろんな場所に行けるから楽しいわよ?」
「そうなんですか? もしかして、星空さんってモデルさんだったりして?」
俺がそう言うと、星空さんはくくっと可笑しそうに笑う。
「な、なんですか?」
「いや、別に。ふふっ、そうかもね。アタシ、モデルさんかもね?」
俺の困惑をよそに星空さんは笑う。
そんな星空さんに俺はわけも分からず小首を傾げるしかない。
「ふふっ、ごめんなさいね。そだ、どこのお店の撮影だか教えてもらってもいい?」
「
「Eternity Alice!? 超有名店じゃない! 凄いわあなた!」
「そ、そうなんですか?」
「そうよ! いい? Eternity Aliceのポスターになった芸能人はその後仕事に困らないって言われてるくらいなのよ?」
「へぇ~そうなんですか~」
榊さんのお店って凄かったんだ。それじゃあ、女子高生の間でも人気なのかな? 後で花蓮に聞いてみよう。
「へぇ~って、あなた、それを分かってて撮影を楽しみにしてたんじゃないの?」
「いえ、全然知りませんでした」
それに撮影も楽しみじゃありませんでした。と、心中で付け足す。
そんな俺の心中を見透かされたわけではないのだろうけれど、星空さんはなんだか呆れたような顔をする。
「……あなた、もうちょっと女の子らしく……って、あなた男だったわね。…………ん? あなた、なんで男なのにEternity Aliceのポスターモデルなんてやるの? Eternity Aliceってレディース専門店のはずだけど?」
「ええっと……かくかくしかじかありまして……」
事細かに説明すると、面倒な上にいろいろと恥ずかしいので、俺は適当に誤魔化した。
適当なことを言う俺に、星空さんはジトーッとした目を向けてくる。
その視線に耐え切れず、俺は思わず目線を逸らしてしまう。逸らした目線を追って、星空さんが顔を覗き込んでくる。
「じー……」
わざわざ口で言いながらじーっと見てくる。
俺は、きょどきょどとしながら視線を逸らしてしまう。
「……まぁ、良いわ。それより、早く着替えましょう」
「あ、は、はい!」
いろいろ話しながら歩いている内に、どうやらトレーラーに到着したようだ。トレーラーのドアに手をかけて入ろうとしたとき、トレーラーのドアがひとりでに開く。
「あ、如月さんですか?」
「は、はい、そうです」
内側からトレーラーのドアを開けた女性が、俺の顔を見るなりそうたずねてくるので、俺は反射的に返事をする。
「榊さんから話しは聞いてます。さ、中へどうぞ」
「お、お邪魔します……」
「お願いしまーす」
中に入るように促され、俺と星空さんはトレーラーの中に入った。
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