デモクラティック•ロマンス

霜月夜空

第1話 願わくは花の下にて春死なむ

肌を刺すような寒さが過ぎ去り、春の訪れを感じさせるのは満開の桜だろうか。普段は特段意識することなく通る道も、この淡いピンク色が咲くだけで随分と風情が出る。古代より数多くの和歌で題材とされてきた桜こそ、春の代名詞と言っていいのかもしれない。



だが俺-杉崎春希(すぎさきはるき)はそうは思わない。多くの人にとって「新生活の幕開け」こそが春の代名詞にふさわしくないだろうか。



学生なら進級してクラス替え、もしくはこの前卒業した人なら新たな学校へ入学。社会人なら…まあ部署異動的なものがあったりするだろう。ともかく、世間は新たな環境への準備に忙しなくしながらもどこか浮き足立つような、ふわふわとした雰囲気に包まれている。



かくいう俺も、明日に迫った高校の入学式に思いを馳せる一人だ。はっきり言ってかなり緊張している。


そしてこの緊張の理由は単なる新生活への不安からではない。自らが決意した「あること」が心臓を締めつけるような緊張を俺にもたらしていた。


その「あること」を世間でよく使われている言葉に翻訳すると、「高校デビュー」となる。


そう。俺、杉崎春希は高校デビューを目論んでいるのだ。しかしここで注意点がある。「高校デビュー」という単語を聞いて多くの人が思い浮かべるのは、イメチェンしてカッコよくなったり、イケてる友達や可愛い彼女を作って「リア充」を満喫することだろう。


だが俺の目論む「高校デビュー」はそれとは違う。では、一体なんなのか。


A.「強くなること」だ。もっと正確に言うならば、A.「過去の弱かった自分と決別すること」だ。


おそらく多くの人の頭に「?」が浮かんでいることが予想出来るが、詳しくは後ほど教えよう。なぜなら、既に時刻は日付を過ぎようとしている。


明日の入学式に向けて眠りにつかなければ。


*******



翌朝。七時に起きて朝食を済ませて身支度をする。今日から通うことになる高校の制服に袖を通し、普段はしない厚化粧に忙しむ母さんに声を掛ける。


「おーい、そろそろ出ないと遅れるぜ」


「張り切ってるわね春希。今日から高校生だものね。緊張してない?」


「緊張は…してないことはないかな」


俺は嘘を吐いた。本当は今にも心臓が爆発しそうなくらいだった。


テレビに映る天気予報を確認しつつ、リュックの中に筆箱と上靴の入った袋を放り込む。四月十日、快晴。ちなみに俺の地域の桜は軒並み満開である。



「準備出来たわよー。忘れ物は何もない?」


高貴なマダムに変身した母さんが声をかけてくる。


「ない。というか、今日は入学式で終わりだから特に持っていく物はないだろ」


「そ。じゃあもう出るわよ」


リュックを背負い、テレビを消して玄関へ向かう。


ドアを開けると、ポカポカと暖かい春の陽気が俺に笑いかける。


俺と母さんは車に乗り込んだ。エンジンをかけ、いざ発進。



*******



私立洛陽学園。今日から俺が高校生活を送ることになる、我が県一の進学校。母さんと俺で二人暮らしのうちは当然裕福ではない。私立に通うことはかなりの経済的負担をかけてしまうため、ここを受験するかかなり悩んだ。結局は全国的にもトップレベルの進学実績、そして何よりも俺と同中だった奴らで洛陽を受験する者がいないことが決め手となったのだが。


ちなみに同中だった奴らで俺のことを覚えてるのは数人程度だ。俺はとある事件によってみんなの前から姿を消したから、当然のことなのだが。


車窓から景色を眺める。セーラー服を着て歩く女子がちらほら。みんな洛陽の生徒だ。俺は久しぶりに見る女子の制服姿に口元を緩めた。


「あんた、なに一人でニヤニヤしてんのよ」


「なんでもこざいません」


母さんの鋭いツッコミをなんとか躱す。


「結講車入ってるわねえ。止めるとこあるかしら」


母さんが周りを見渡して言った。気づけば学園の駐車場に着いていた。


運良く空いている場所を見つけて車を停められた。既に駐車場は車でギチギチだ。この分だと俺はかなり遅い方だろうな。スマホで時刻を見る。八時四十分。開式は九時からなので、余裕はある。


俺と母さんは適当に談笑しながら正面玄関まで歩いた。玄関に着くと、持ってきた上靴に履き替える。


俺達は入学式が行われる体育館に向かった。前後には俺と同じく保護者と並んで歩く新入生の姿。そして、体育館に近づくにつれてざわざわと人の気配が多くなる。俺は額に汗が滲む感覚を覚えた。


こんなにもたくさんの人の輪に飛び込むのはいつ以来だろうか。高校受験当日の、俺を含めたった四十人が収容されたあの狭い教室の空間でさえキツかったことを思い出す。俺、ほんとに上手くやれんのかな…


いかん、始まる前から弱気になってどうする。俺は高校デビューしてやると決めたんだ。必ずや強い自分になってみせると決めたんだ。


…さて、ここらで答え合わせとしよう。俺が高校デビューを決意した理由は、俺自身の過去にある。



俺は自らの弱さのせいで、中学時代をほとんど学校に行くことなく過ごした。苦くて後ろめたくて思い出したくもないけど、目を逸らすわけにはいかない記憶が、ゆっくりと、しかし鮮明に脳裏に蘇る。



*******



草薙明里(くさなぎあかり)は俺の幼馴染だった。家が近所で親同士仲が良く、物心ついた頃から一緒に遊んでいた。透明感のある綺麗なダークブラウンの髪を伸ばした、すごく可愛いらしい女の子だった。元々頭が良く、成績優秀だった明里は小学五年の時に始めたバスケでもめきめきと才能を見せた。まさに学校のマドンナというか、男子なら全員一度は明里のことを好きになったことがあったと思う。性格も明るく、誰とでも分け隔てなく接する彼女が、特に仲良くしていた異性とは、他の誰でもない俺だった。


明里が俺に向ける態度は中学に上がっても変わらなかった。むしろ、小学校の時よりも一緒に過ごす時間は増えた気さえした。おそらく、俺も明里と同じくバスケ部に入部したのが一番の原因だろう。もちろん男バスと女バスで練習も試合も別ではあったが、お互いがバスケットボールというスポーツに日々取り組んでいることに変わりはなかった。



中学生の明里は大人の雰囲気を身に纏い始め、その魅力は日々増していくばかりだった。小学生の時はどうしても子供っぽさが抜けず、恋愛感情よりも幼馴染としての友情が上に来ていた俺も、この頃から徐々に明里に惹かれ始めていた。男子バスケ部でも、「草薙って一年可愛いな」「俺告白しちゃおっかなー」と、二年三年の先輩達にも大人気だった。


そんな明里が、練習後には決まって俺に「一緒に帰ろう」と声をかけてくれることが妬ましかったのだろう。ゲーム練習の時に先輩から、明らかに故意な体当たりをされたり、シューズを隠されるようなことが起こり出した。自分がいじめまがいのことをされている事実は俺をひどく苦しめたが、それでも明里と話している時間だけは嫌な気持ちも忘れられた。


一方明里は、二年三年の先輩を差し置いて、地区大会のレギュラーに選ばれるほどに日々練習に励んでいた。勉強面でも定期テストで学年五位以内に名前を連ねるほどで、まさに才色兼備だった。俺はともかく、順風満帆に思えた彼女の学校生活は突如終わりを告げた。


きっかけは、男バスのキャプテンが明里に告白したこと。そのキャプテンは二年生だったが、部内で一番バスケが上手く、顔つきも整っていて女子からモテるタイプだった。しかし明里はキャプテンからの告白を断った。その理由は「他に好きな人がいるから」ということだったらしい。これで話が終わればいいのだが、プライドを傷つけられたキャプテンは、女バスの奴らとグルになって明里をイジメだした。明里にレギュラーの座を奪われ、鬱憤が溜まっていた女バスの連中達と利害が一致したのだろう。


最初は俺がやられたような些細なイタズラに始まり、徐々にそれはエスカレートしていった。好きな子がイジメられる姿を見過ごすわけにもいかず、俺は同じバスケ部の友人や顧問にも相談したがまともに取り合ってくれなかった。直接キャプテン達に文句を言う勇気は…俺にはなかった。明里を守るには俺は弱すぎた。


それでも変わらず明里は毎日俺に「一緒に帰ろう」と声をかけてくれたし、俺も黙って誘いに乗った。帰り道、「今日の走り込みキツかったねー」「春希、スリーポイントすごい上手くなったね!」などと明るく話しかけてくれる明里が、俺の目には痛々しく映った。イジメられていることを悟られまいと気丈に振舞っているように見えたのだ。俺はとっくに気付いているのに。


明里は強かった。先輩達に何をされても心折れることなく、日々練習に打ち込んでいた。しかし、ついに事件が起こった。その日は地区予選の準決勝だった。この試合に勝てば県大会出場の切符を得られる、何よりも大事な一戦。男バスの方はキャプテンの活躍もあり、既に県大会出場を決めていたが、女バスはまだだった。試合出場メンバーにはもちろん明里も入っていた。下馬評では勝てる相手だと言われていたし、実際俺もそう思っていた。


結果から言うと、八十六:十七の大差負け。県大会出場の切符はあっけなく姿を消した。敗因は明里だった。明里の得意とするスリーポイントシュートはチームの最大の得点源でもあったが、試合全体を通して一度も入らなかった。動きにもどこかキレがなく、いつもなら切り抜けられる局面も今日はあっけなく相手選手にボールを奪われていた。試合後、よっぽどショックだったのか明里はミーティング中ずっと顔を俯けたままだった。女バスの先輩達は全員コソコソと、「あいつのせいで負けた」「役立たず」「人からレギュラー奪っといてあのザマかよ」などと明里を罵っていた。俺は明里に声をかけようとしたが、いつもの明るさからは想像出来ないほどの落ち込みように腰が引けて、結局何も言ってやれなかった。



明里はその日から部活に来なくなった。教室で理由を尋ねると、「体調がよくなくて。すぐ復帰するから大丈夫、心配かけてごめんね」と言われたが、俺はその言葉を信じることが出来なかった。


俺の予想は的中し、大会から二週間経っても明里は練習に姿を現さなかった。誰よりも早く体育館に来て、毎日練習に打ち込んでいた明里を見ていた顧問は、さすがに事態の深刻さに気付いた。以前俺が相談した件について、バスケ部の男女全員に聞き取り調査を行った。



キャプテン達は強面の顧問を前にあっけなく白状した。ただし、「一年の杉崎春希がイジメの首謀者です」と全員口を揃えて。そう、俺は奴らにハメられたのだ。



数の論理をすっかり信じ切った顧問に俺はひどく詰められた。俺の無罪を主張する言葉には全く耳を貸してくれなかった。その頃、家庭の方でも俺はショックなことがあった。両親の離婚だった。父さんが家を出て行ってしまい、精神的に不安定になっていた俺は無実の罪を着せられたことが引き金となって、まもなく不登校となった。


それからの日々はまさに灰色。毎日部屋に引きこもり、一日中ベッドの上で過ごすだけ。俺が不登校になってから、何度も明里が家を訪ねてくれたが、すべて無視した。明里は担任からイジメの首謀者が俺であるとの嘘を知って、事実無根だと抗議してくれたと聞いたが、俺は明里に会わせる顔がなかった。一番近くにいたのに、何もしてやれなかったのは俺だから。もしかしたら俺は報いを受けたのかもな、とさえ感じた。明里はバスケ部を辞めて、しばらくしてから父親の転勤でどこか遠い学校に転校してしまった。結局明里の顔を最後に見たのは遠い過去となってしまい、俺は中学一年の冬から卒業までずっと不登校だった。



以上が、俺の過去。自分が弱いばっかりに幼馴染を守れず、最終的には自分自身も不登校のダメ人間となった。


俺は二度と同じ過ちを繰り返したくなかった。

そしてそのためには、弱い自分を卒業して強くならなければならない。


俺が高校デビューを決意するに至った経緯は、ざっとこんな感じだ。



*******



体育館に入り、保護者席に腰を下ろした母さんと別れると、俺は早速自分のクラスへと足を運ぶ。これから一年間、長いようで短い日々を過ごすことになる俺のクラスは一年四組。



やはり俺は遅く来たほうらしい。既に席はほとんど埋まっていた。中学を途中でドロップアウトしてしまったせいで、俺にはおよそ友達と呼べる友達は一人もいない。友達のいない高校生活は中々辛そうなので、強くなる事とは別で誰かと仲良くならないとな。



とりあえず列の真ん中辺りに空席を見つけた。よし、席を確保したら隣に話しかけよう。俺はそう決心して、空席へと歩みを進めた。



椅子に腰を下ろすと、ギチッと音が鳴る。椅子が古いせいだろうが、そんな些細な物音一つ立ててしまったことにさえなぜかドキッとする。

えーい、しっかりしろ杉崎春希。左隣をチラッと見ると、さらにもう左隣と話し込んでいたのでこっちは断念する。俺は代わりに右隣に話しかけるため視線を向けた。




「え……」  




俺は、衝撃のあまりすっかり言葉を失った。


右隣には一人の女子生徒が座っていた。


長くて艶やかなダークブラウンの髪。周囲の景色を透き通してしまいそうなほど色白い肌。細長く繊細なまつ毛。端正な顔立ち。洛陽のセーラーを着こなす、すらりとした体躯。




「明里……?」





春。桜の花びらが舞い落ちるこの季節は、新たな幕開けと同時に、出会いの季節でもあった。








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