ちゃんと
成瀬イサ
第1話
『いやあ最近は随分とまあ物騒な世の中になってきましたけれどもねえ』
『そうですねえツネさん』
『フグさんは何か怖いものあります?』
『うーんそやなぁ……妻に内緒で風俗に行ったことがバレたら……と思うと怖いよなぁ』
『いやアウト! バレてんで! これテレビや!』
『まあでも一番怖いのは、俺には妻どころか家族の一人もおらんことやな』
『怖――ってか悲しいわ! なんやねんその唐突なブラックジョーク!』
「はは」
テレビに映る自分らの漫才しよる姿を見て、俺は少し満足げに笑った。
苦節二十年、ようやく叶えた地上波出演。出演したのはほんの数分だったけど、それでも嬉しいモンは嬉しい。ボケ担当の相方――フグは、真顔でいようとしながらも、ちょっとニヤつきながら漫才している。そやこいつ、こういう癖があんねん。嬉しいことがあると、どうしたって笑みを隠せられへん。
『ちゃんと、やんねん』
そう誓った二十年前のあの日から、俺たちはどんな些末な仕事でもやり遂げてきた。なかなか仕事がもらえへん時もあったけど、それでも、
画面を見つめる瞳がだんだんと潤ってくる。アカン、こないだアラフォーになったいい大人やのに泣けてきてしまうわ。
頬に垂れてきたそれを拭き取ろうと、ポケットからハンカチを出そうとしたその時、ちょうどスマホのバイブ音が鳴った。
『俺ゴールデン!』
フグから来たそのメールに『?』を浮かべるも、俺はすぐにその意味を察し、返信した。
『ホンマか?!』
自分たちが映っている番組そっちのけで、俺はフグからの返信を待った。既読はすぐについた。
『ホンマや! 俺、レギュラー勝ち取ったで!』
その文言と共に、筋トレをしているにっこりウサギのスタンプが送られてきた。
『ちゃんと、やったな!』
そう返した俺は、居ても立っても居られなくなった。立ち上がって何故かボクシングの構えをして、何もない空に向かってパンチを繰り出した。身体を動かさないと、しょうがなかった。その日はあんまし寝られへんかった。
翌日、年甲斐もなくフグに飛びついた。ひょろひょろのフグはすぐに倒れ込んでしまったが、一緒になって「ガハハ」と笑ってくれた。
そして、異変に気付いた。
「打ち合せとか、ないんか?」
フグからゴールデンのレギュラーの話を聞いて一週間が経った。けれど、全くそれに関する連絡が来なかった。マネージャーはおろか、フグからも。
『なあ、ゴールデンの話、なんでなんも連絡あらへんのやろ?』
そう、フグに連絡して――そして後悔した。
『だって、俺だけやもん』
よく、わからんかった。だから『?』とだけ送った。
『ゴールデン出んのは、俺だけやで』
視界が揺らいだ。一気に視野が狭くなって、耳鳴りが聞こえてくるような。ああ、貧血ってこんな感じなんかなあ。
「って、そんなこと考えとる場合ちゃうやろ」
視界が揺らいでいるのは、涙が溢れているからだと気づいた。本当は気づいていた。コンビで俺が明らかに足引っ張ってんのも、フグからのメールに『俺達』とは書かれていなかったことも。
「ちゃうやろ……」
翌日からの俺は、それはもう酷い有様だった。劇場でセリフは間違えるし――ってか、なんなら忘れてしまったし、マネージャーの話も全く耳に入らへん。フグからも激怒をくらってしもた。
「…………」
部屋で一人、俺は布団に潜ってテレビを点けていた。ひっきりなしに鳴り続けるマネージャーからの電話を無視して。
「なにが、アカンねやろなぁ……」
ちゃんと、やんねん。やってきた。やってきたんや、俺達は。せやのに。
いいや、まだや。まだ諦めたらアカン。俺よりももっと歳食ってから世に出た先輩芸人だっておる。ここで諦めたらもうおしまいや。
自らの心を入れ替えるように、俺はチャンネルを切り替えた。
『いやぁフグくん今日初ゴールデンてことやけど、いやぁ喋り上手いなぁ』
『そんなことあるなぁ』
『あるんかい』
「……は、は」
先まで立ち直りかけていた心は、もう粉々に朽ち果てた。こんなん、ないやろ。ホンマ。まるで俺の人生が、人生をかけて俺に『お笑いの道を諦めろ』言うてるみたいや。ホンマに……ホンマに。
テレビに映る相方は、真顔でいようとするも、若干ニヤついている。いつもの、誰よりも俺が知っている、フグの癖。それを、俺が居よらんところで見せてるアイツを見るのは、初めてやった。
「もう、ええか……」
ズボンのポケットからスマホを取り出して、メールを打ちこむ。宛先はフグ。
『なぁフグ。コンビ、解散せぇへんか』
俺は、もう頑張った。ちゃんとやった。もう、やりきった。
送信ボタンに指をかける。そして――。
「ドッキリでした――――――!」
突然ドアを開けて飛んできた声は、フグの声やった。
「……は、え? おあ、おま、どうしたんや」
急に部屋に入ってくるもんだから、俺はギョっと身体を強張らせてしもて、筋肉がちょっと痛い。よく見ると、フグの後ろにはカメラマンと音声さん、そんで照明さんがおった。
「ツネ。これ、ドッキリやねん」
「え、どゆことや俺が? は?」
「落ち着け落ち着け。先週にゴールデンの話したやろ、俺」
「ああ、今ちょうどやってるで見てたで」
「あれ、嘘やねん」
思考が、止まった。そんで、声が出た。
「…………は?」
フグとスタッフが笑う。その笑みには、選ばれんかった『じゃない方芸人』を嘲笑うような醜い心は含まれんと、むしろ本心で笑っとるように思えた。
そんで、フグから衝撃の言葉が出た。
「そんでなあこのドッキリ、今度ゴールデンで流れんねん。俺とお前、二人で出れんねん」
俺はまた固まった。なんや、今日石にでもなるんか俺は。
「……ホンマか?」
「ああ」
「ホンマの、ホンマのホンマか?!」
「うっさいて、ホンマホンマ言い過ぎてゲシュタルト崩壊起こしそうやわ」
「ようそんな言葉知っとんのお前」
そう言った言葉の端は、揺らいでいた。声が震えて、涙が出てきた。
「おーおー、ゴールデンにお前のブサイク面晒すなて」
「うっさいねん、俺の涙は宝石よりも価値があんねん」
「速攻廃棄処分や」
「なんてこと言うねんお前」
「まぁでも、アレやなツネ」
「なんやフグ」
フグは真顔で――けれど、少しだけニヤりと微笑んで言った。
「ちゃんと、やったな」
ちゃんと 成瀬イサ @naruseisa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます