02-4



 保健室の入り口から、仁科はその様子を眺めていた。

 あの突然倒れてしまう体質さえなければ、普通の高校生として過ごせるだろうに、原因が分からないのがもどかしい。医学的な面から調べた限り、これと言った不審な点はないそうなので、きっと精神的なものだろう。眠りながら涙を流して、うわごとを繰り返していたし、大きな何かを抱え込んでいるようだ。

 ──でも、話してくれそうにないしなぁ。

 ただの養護教諭としては、これ以上どうすることもできない。

「……今年も、保健室利用回数トップになっちゃいそうねぇ」

 ため息を一つ、保健室内に戻ろうとしたところ、生徒達の最後尾にいた堂島が通用口を通って校舎内へやってくるのが目に入った。教職員は普通、そのまま廊下をまっすぐ歩いて、その先の職員室に戻る。

 が、彼は東階段のほうへ近づいて立ち止まり、階段を上がっていく生徒達を何故かぼんやりとした表情でじぃっと見つめていた。不思議に思い、仁科はとりあえず声を掛ける。

「堂島お疲れ。どうした?」

「あぁ、仁科か。……相模くんは、どうした?」

 階段の上の方を見上げたまま、どこかぼんやりした様子で堂島がゆっくりと聞いてきた。

「え? ああ、よくなったから教室に返したよ」

「……そうか」

 そう言うと、堂島は廊下をまっすぐ歩いて、職員室の方へ行ってしまう。

 ──なんか、あったのかな。

 今朝は気付かなかったが、去っていく堂島からはうまく言えない妙な雰囲気を感じる。

 大学時代に仲良くやっていた友人に間違いはないが、なんだか違う何かを見ているような気分になった。

 ──ま、人は変わるしな。

 連絡していなかった期間も長いし、今日は新しい赴任先の二日目である。

 しかもそこで生徒が急に倒れたのだから、多分きっとその辺りが原因だろうと思うことにして、仁科は保健室に戻った。





〔すごいね! すごいね!〕

 学校が終わり、和都が自宅に戻って自室のベッドに寝転がっていると、ハクが嬉しそうな声をあげながら現れた。

「……何がぁ?」

〔ね、ほら見て見て! 姿がちゃんとしてきたよ!〕

 言われてハクのほうを視ると、確かに昨日よりぼやけていた輪郭がハッキリしていて、その犬らしい姿を捉えられるようになっている。

 相変わらず半透明のままではあるが、白い色も少し濃くなっており、最初に会った時の見た目に近づいていた。

「ハク、それって……」

〔カズトのチカラが増えた証拠だよ! ニシナが強い霊力チカラを持ってたんだよぉ〕

「やっぱり……」

 ホクホクと喜ぶハクに、和都は複雑な気持ちで返す。

 四限目の体育で倒れた時、仁科の手から何かが流れ込んでくるのを感じたが、やはりあれが霊力というものなのだろう。これまでも仁科の手はどこか暖かい、と感じることがあった。それがハクと出会い、注意していたのもあって、霊力というものが分かったのかもしれない。

 ハクの言う通り、仁科は強いチカラを持っているようだ。それに今日は普通に会っただけではなく、水を口移しで飲まされている。その影響も多分大きい。

 ただ、普段はそういう雰囲気を微塵も感じさせない人だったので、少しショックではあった。一年の時にあんなことをされた記憶はない。

「……先生もおれと長くいたせいで、おかしくなってきちゃったのかな」

 なんとなく、それは嫌だな、と思う。

 何度も倒れて、何度も迷惑をかけているが、嫌味を言われたことがない。

 それどころか、倒れてしまう原因を気にしてくれるような人だ。

 そしてもう一つ、仁科は人から好意を向けられることを嫌だと言っても、否定も肯定もしない。よく大人から「せっかくの好意なのに嫌がるなんて」と否定されてきた和都にとっては、実の父と同じくらいありがたい存在だ。

〔カズト、ニシナは大丈夫だよ!〕

「……え?」

〔言ったでしょう? カズトにチカラを分けられる人は『狛犬の目』の影響を受けない、波長の合う人だって!〕

「あ、そっか。じゃあ大丈夫、なのかな?」

 波長が合う基準というのはよく分からないが、自分の霊力チカラが増えたのなら、そういうことなのだろう。

 ──あれ? じゃあなんで先生あんなことしたんだろ?

 確かに口移しで水を飲ませる方法は、飲み込みが出来ない時などに使われる方法の一つだ。なのに影響を受けないはずの仁科は、なぜ口移しなんてしたんだろうか、と和都ははたと考える。

〔それはちょっとボクにも分かんないかなー〕

 口に出していないのにハクが答えたので、和都はアレッと気付いた。

「……ハクには、おれの考えてることが伝わっちゃう感じ?」

〔そりゃあね! 魂、繋がってるからね!〕

「マジかぁ……」

 なんとなく恥ずかしい気もしたが、どうせ自分以外には視えない存在だしいいか、と息を吐いた。

 ──とりあえず、今日のことはユースケには黙っとかないとなぁ。

 中学の頃から、和都は誰かに何かされたら、春日に全て伝えるようにしている。相手が教師や生徒だけでなく、それこそ知らない人間でも全部、だ。

 というのも、本人が「全部、俺に言え。なんとかする」と豪語し、本当にその通りにしてきたからだ。それ以来、彼には全幅の信頼を寄せている。

 だが、だからこそ、こういった『お化けが視える』という非現実的なことは話せないままだ。

 そんな春日は、これまでも自分に手を出してきたり、暴力を振るうような教師がいたら退職に追いやってきた。もし今回のことが知られたら、仁科もどうなるか分からない。今は仁科のチカラをアテにしないといけない状況なので、春日に下手に動かれるのは困る。

〔あ、あとねぇ。カズト自身のチカラが強くなれば『狛犬の目』のチカラを抑えられるようになるよ!〕

「え、ホント?!」

〔うん! カズトは今チカラがないから『狛犬の目』の強いチカラに振り回されてる状態なんだよ。カズト自身のチカラが強くなれば、制御できるようになるから、色んなニンゲンがやたらと寄って来ちゃうのも減らせるよ!〕

「……なるほど」

 やたらと惹き寄せる不思議なチカラを制御するのに、同じく不思議なチカラが必要だというのは、なんとなく合点がいく。

 この厄介な性質が今からでも減らせるのなら、もう少し未来に絶望しなくてもいいのかもしれない。

 それにしても、と和都は思う。

「あ、ねぇハク。気になってるんだけどさ」

〔なぁに?〕

「おれは……バクは、どうして狛犬じゃなくなったの?」

 和都の質問に、それまで陽気にピンと立っていたハクの耳が、へにゃりと下がる。

〔……それはボクもよく覚えてなくて。バクは狛犬を辞める時に自分の記憶をバラバラに破いて捨てちゃったんだ。その影響があるみたいで、ボクも昔の記憶がちょっと曖昧なんだよねぇ〕

「そうだったんだ」

〔でも、ボクはバクのこと大好きだから、バクと一緒にいられるならいっかなー☆ って辞めちゃった! あはは〕

 それがどれくらい前の出来事なのか分からないけれど、ずっと一緒にいたいと思える相手がいるのは、ちょっとだけ羨ましい。

「じゃあ、頭だけなのも、理由わかんないの?」

〔あぁ、これは狛犬を辞める時にこうなっちゃったんだ!〕

「そう、なんだ……」

 狛犬を辞める時は、生首にならないといけない、なんていうルールでもあるのだろうか。神様の世界はよく分からない。

 ニコニコ笑うハクの頭を撫でようと手を伸ばすが、半透明な身体に触れることはできず、伸ばした手は空をきる。

「……やっぱ触れないのかぁ」

〔あー、まだまだチカラが足りないからねー〕

「おれのチカラが強くなれば、撫でられるようになるの?」

〔うん! チカラが強くなれば、身体も元に戻るし、実体化できるようになるからね!〕

「じゃあ、ハクを撫でられるように頑張ろっかな」

〔やったー! うれしい!〕

 ハクが嬉しそうに空中でクルクルと旋回し始めたので、和都はそれを眺めて小さく笑った。




 ──この人って、もしかしてさ。

 ──ああ、そうだよ。

 ──いいのかな?

 ──問題ないさ。


 誰かがどこかでクスクス笑う。

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