02-02



 二限目の授業が終わった後は、少し長めの休み時間が設けられている。

 飲み物を買いに行こう、と和都はいつもの三人と一緒に、一階にある自動販売機へ向かった。

 中央階段を降り、事務室、放送室、印刷室と通り過ぎた辺り。昇降口にある二年生の下駄箱エリアから、挙動不審な様子で生徒が一人立ち去っていくのが見えた。どうも出てきた位置からして、二年三組の下駄箱で何かしていたようだ。

「……やーな予感」

「確認しとくか?」

「うん……」

 重い足取りで和都は自分の下駄箱の前に立ち、小さな扉を開けて中を覗く。案の定、揃えた靴の上に、白い封筒が置かれていた。

「いやぁ、二日連続ですか。さすがだねぇ『姫』」

「菅原、ソレやめろって」

 呆れつつ封筒を取り出して表裏を確認する。

 差出人名はなく、表の隅に小さく『相模さまへ』とだけ書かれていた。

「……さっきの生徒、プレート何色だった?」

 狛杜高校は学年ごとに学ランや制服のシャツにつけるネームプレート、着るジャージのカラーが決まっていて、それで三年間を過ごす。今の三年生は緑、二年生の和都たちは白(ジャージはグレー)、そして今年の一年生は赤紫だ。

「赤紫に見えたな」

「じゃあ一年か。すげぇな、どこでお前のこと知るんだ?」

「……知らない」

 小坂の問いかけに和都はうんざりした顔で返す。

 新学期の二日目。さして人前に出ることはしていないのにコレである。

 封筒から丁寧に畳まれた手紙を取り出して開く。キレイな便箋三枚に渡って、和都に一目惚れし、想い焦がれてしまったのだということが、滔々とうとうと書かれていた。

「……こーゆーの、どんな気持ちで書くもんなの?」

「さぁ?」

 自動販売機の方へ向かいながら、和都はため息をつき、読み終えた便箋を畳み直す。そして封筒の中に戻すと、その状態でビリビリと破り始めた。

「もぉ、そういうことするぅ」

 菅原が諫めるように言うが、和都は気にも留めず、可能な限り細かく千切る。

「掲示板に貼り出して、晒し者にしないだけマシでしょ」

「……それはまー、たしかに」

 和都は『紙くず』とラベルのついたゴミ箱に無数の紙切れとなった手紙を捨てると、その横にある自動販売機のボタンを押した。スマホをかざし、電子マネーで精算すると、取り出し口に落ちてきた小さな紙パックの牛乳を掴み出し、ストローを差して口を付ける。

 手紙の類は、高校以前からよくある面倒なものの一つだ。しかし今はこれが、『狛犬の目』のチカラのせいだと思うと、ただただ申し訳なさしか出てこない。

 ──あの子も、被害者だよな。

 下駄箱から去っていく後ろ姿を見ただけだ。

 今まで何人巻き込んで、これから何人巻き込むのかも分からない。

 原因を説明することも、謝ることもできないのならば、せめて以後関わらず、気の迷いだったと忘れられるように処分するのも優しさだろう。

「あら、今日は全然愚痴んないじゃん?」

 和都の後にカフェオレを買った菅原が、珍しそうに言った。

「……毎回怒るのも疲れるんだよ」

「まぁ、それもそうねー」

「なんだ、具合悪いのか?」

 春日が少し、何か思うところのありそうな顔でジッと見ているのに気付いて、和都は視線を逸らす。

「へーき、だから。気にしないで」

 飲みほした牛乳パックをゴミ箱に捨てると、教室に戻るために中央階段へ足を向けた。





 東階段側から一階まで降りた、保健室と階段の間にある廊下の終わり。そこは第二体育館へと繋がる、渡り廊下やグラウンドへの通用口になっている。第二体育館はステージがなく、全校集会などでは使わずに基本授業や部活動でのみ使用する体育館だ。

「四限に体育ってダルいよなぁ」

「購買ダッシュいけないからマジこまるわ」

 クラスメイト等のおしゃべりを聞き流しながら、グレーのハーフパンツにジャージ姿の和都は少し憂鬱なまま体育館用のシューズに履き替える。

 理由はもちろん、体育の教科担当になった堂島のことだ。

 朝の保健室で会った様子を見た感じだと、授業中や学校内でわかりやすく襲ってくるということは、多分ないだろう。ただ、関わらないようにするのはどうしたって難しい。

 ──気を付けろって言われてもなぁ。

 その辺の弱い悪霊にも負けるような今の霊力チカラの状態では、堂島の目が緋く光っただけでぶっ倒れる自信がある。というか、始業式の卒倒の原因はまさにそれだ。

 そしてこの霊力チカラは自分自身で増やすことも強くすることも出来ない。学校内のどこかにいるらしい強い霊力チカラを持った人物を探して、分けてもらう必要があるのだが、その見当も全くもってつかなかった。

 ──どうしたもんかな。

 霊力チカラを持っている人間にだけ、分かりやすく目印でも出ていればいいのに。

 深くため息をついていたら、上から声が降ってきた。

「和都」

 そのまま真上に顔を向けると、真後ろに立っていたらしい春日の顔がこちらを覗き込む。

「あ、ユースケ。なに?」

「……顔色、悪いぞ」

「んー、……そう?」

 今まで、無理に言い寄って来るような有害な人間は、春日が文字通り追い払ってくれていた。

 しかし今回は『鬼』である。いくらこの友人がかなりの切れ者で、腕力や暴力に覚えのある人間でも、対抗するのは難しいだろう。

 そもそも、そういったお化けや幽霊の類を信じてもらえるのかどうか、それなりの付き合いではあるが、話したことがないので分からない。

「保健室、行くなら今のうちに行っとけよ」

「あー……どうしようかな」

 言われていっそ体育の度に休むことも考えたが、それでは正直進級が危うい。去年は夏休みに補習を受けて、なんとか出席単位を賄ったのだ。

 悩んでいる間にちょうどチャイムが鳴り響いてしまい、第二体育館の引き戸が開く。そして、白いTシャツに小豆色のジャージを着た、教科担当の堂島が入ってきた。

「集まってるかー? 始めるぞー」

 体育館に散らばっていた生徒たちが堂島の前に集まり、いつも通りに出席番号順で整列する。和都もいつも通りに並びつつ、堂島から少しだけ視線を逸らして前を向いた。

 堂島は、今朝保健室で見た通りに、ぱっと見た感じは普通の、ただの人間だ。

 けれど、その時とは少しばかり雰囲気が違うようである。仁科という知り合いがいないからなのか、その身体にまとわりついている何かが恐ろしくて、どうしても直視ができない。向こうはこちらが目を逸らしているのに気付いているのか、冷たい視線が突き刺さっている気がする。

 しかし、約四十人いる男子高校生の前に立つ彼は、見た目と変わらぬ雰囲気のまま口を開いた。

「今年の体育を担当する堂島だ、よろしくな。四限だから腹減るよなぁ。コレ終わったら昼だからな! じゃあペア作って。ストレッチから始めるぞー」

 生徒たちは体育館にそれぞれ広がり、ペアを作ってストレッチを始める。和都はこういう時、だいたい身長の近い小坂とペアを組むことが多い。

「相模ー、やろうぜー」

「あ、うん……」

 呼ばれて顔をあげ、小坂の方へ歩み寄ろうとした、その時だった。

 視界の端に、あかく光る何か。

 ──……あっ。

 氷のように冷たい手が、心臓を内側からギュッと掴んできたような痛みが走る。

「……ぐっ」

 あまりの息苦しさに、その場に崩れるようにしゃがみこんでしまった。

 身体中が震えて、嫌な汗が額に浮き出てくる。内側が凍りついたように冷たい。

「あっ、おい大丈夫か?」

 小坂が慌てて駆け寄って、背中をさする。そして辺りを見回し、春日を見つけて声を上げた。

「春日ー、相模倒れたぁ!」

「あぁ、やっぱダメだったか」

 小坂の呼びかけに、春日が気付いて、ストレッチのペアを組んでいた菅原と一緒に駆け寄ってくる。

 体育館の一角で起きた騒ぎに気付いた堂島が、小走りで近寄ってきた。

「おーおー、どうした?」

 生徒の輪の中心で倒れ込んでいる和都を覗き込む堂島に、菅原があぁと気付いて説明する。

「あーすみません、先生。相模、たまに急に具合悪くなることあって」

「そうなの? じゃあ保健委員にーって、彼がそうなんだっけ?」

「はい。俺が運ぶんで、大丈夫です」

 春日は堂島にそう言うと、慣れた様子で顔色の悪い和都を両腕で抱き上げた。

「ユウ、ごめ……」

「気にすんな」

 呼吸も荒く、心臓の辺りをギュッと掴んだままの和都にそう言うと、体育館の出口に向かう。

「菅原、ドア開けてくれ」

「おうよ」

 和都を抱えた春日が、菅原と一緒に体育館を後にすると、他のクラスメイト達はまるでよくあることだという風に、ストレッチを再開し始めていた。

「……相模くんは、身体が弱かったりするの?」

 堂島は残った小坂に何気なく尋ねてくる。

「あー、身体弱いとか持病とか、そういうのじゃないらしいんですけどね」

「そうなの?」

「なんかたまにあーなるんですよ、急に。で、だいたい中学から一緒の春日が運んでるんです。一年の頃からそんな感じですね」

「そーなんだ。大変だねぇ」

 他のクラスメイト達がそこまで大騒ぎをしないのは、よくある光景だからか、と堂島も納得した様子で目を細めていた。

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