第2話 坂下力

 沈黙が僕達を襲う。

 機関車はトンネルを超えると、フワッと車体を浮かせ空に走り出す。銀河星が広がる夜空。天の川の線路に車輪が嵌り、何事もなく天空の旅が始まった。


『右手に見えますのは真珠星スピカ』


 軽い車掌の声がおぞましく思えた。

 一等星で南の空で白く輝く星。乙女座のスピカ。そこからかぐわしい草花の香りがした。ひらひらと花弁はなびらが機関車の横を儚くすり抜けていく。


 坂下りき15歳はどうにも我慢できず、苛々し、貧乏揺すりを始めた。


「くだらねぇ」

『どうされましたか?』


 力は鋭い目をアナウンスに向けた。


「車掌ごときがでしゃばるな」

『でしゃばるとは?』

「ふざけるな、なにが審判だ。車掌ごときが決めるんじゃねーよ。だいたい、お前に俺の何がわかるってんだ」


 ざざざざっとノイズが響いた。


『……そうですね。例えば憂さ晴らしに、理由もなくクラスメイトを殴り、カツアゲなどをするとかですかねぇ』

「なんだと」


 力は大きく目を見開き、ぎょっとする。いきなり車掌に性格を言い当てられ驚いた。


『なにかとすぐ手をあげるのがあなたです。違いますか』

「なんだとてめぇ」


 今日、会った、それも姿も見せない車掌が、なぜ力のことを知っているのだろうか。

 機関車に乗る前に調べてあげられているとでも言うのどろうか。


 力は得体の知れない車掌に不気味さを感じた。


『ふふ、ほらすぐに怒る。どうです。いつものように私も殴りますか?』


 挑発され、力は怒りから手が震え、握り拳をする。


 力はケニア人と日本人のハーフだ。横暴者で気に入らないとすぐに手をあげた。悪意に満ち、高飛車で自分を見てはコソコソする奴に憤怒し、追い回しては殴る。それが日常だった。


「ああ、殴ってやる。出て来い、どこに居やがる」

『いけませんね。実にいけない。身体的暴力はれっきとした犯罪ですよ』


「うっせぇ。わかったような口を利くんじゃねぇよ」

『それにカツアゲは恐喝罪きょうかつざい になります。知ってますよね。あぁ、残念です。罪深き者は、この機関車の乗客に相応しくない』

「知るか!」


 とその時。

 どん。と急に機関車が大きく揺れた。


『どうやらヒドラが、あなたの傲慢さに気がつき、狙いに来たようですよ』

「くだら……」


 ギロリと大きなまなこが車窓の外から光った。


「ひぃ」

 

 力は怖さで竦み上がる。


 そこには、9つの首を持つ大きな水蛇がぬらぬらと西から東へと泳いでいた。

 シャアっと毒気を放ち、ヒドラは力を見据えた。


 食われる。

 力は思い戦慄いた。


「……っ。あいつらが俺の悪口を言いやがったんだ」


『だから殴ったと』

「そうだ」


 力が殴った相手は障害を持つほどの大怪我をした者もいる。

 しかし力はそれには目を瞑り、自分を正当化し暴力を振るった。


『お金を奪ったのもその理由ですか』

「そうだ」


 学生には到底払えないほどの金額をカツアゲし、相手の子供を自殺に追いやった。


「俺は悪くない、悪くないんだ。──だって俺の母さんは怒ると俺に煙草の火を俺の背に押し付けるんだ。だから暴力は悪いことじゃない」


 水蛇が機関車の中に、水のように、するりと入ってきた。

 力は恐怖で口をハクハクとさせる。チロチロと舌なめずりをする水蛇。口がガッとゆっくりと開く。


『苛ついたからと言って、何をしても良いわけではありません。残念です』

「あっあっ……あいつらが俺を見た目で差別するから許せなかったんだ」


『そうですか。でも罪は罪。あなたは乗客として相応しくない。──さぁお客サマ。最後に言い残すことはありますか』

「俺は悪くない。俺が普通じゃないからってあいつらが悪く言ったんだぁ」


 きゃあっと乗客から悲鳴があがる。力は絶叫した。ガブリっと水蛇に丸呑みされた。ぼこん。水蛇の胴体が膨らみ、必死で暴れるように水蛇の腹が動いた。しばらくするとシーンっと静けさに包まれる。


『そうですか、あなたの最後の願いは、この世に差別のない世界を作りたいですね』


 車掌が言うと水蛇は満足したように機関車から出ていった。

 恐怖が皆を襲う。


 僕達はいったいなんて機関車に乗ってしまったのだろうか。

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