21 皇太子の胸中


「にゃーん?」

猫魈ねこしょう様、隠れていてくださってありがとうございます。ご無事でなによりです」


「にゃおん」

「はい。どうやら披帛と……薬壺のようです」


 頭から被せられていたのは、紗織りで作られた上質な薄絹の披帛ストールだった。

 白木蓮に反射する月光と灯篭の光を帯びて、まるで天女の羽衣のごとくきらめいている。


 人々が忌避し喪服としてしか纏わぬ純白は、白家にとって尊ぶべき色だ。

 この状況からして、死装束として与えられたのではなく、白家出身の苺苺をおもんぱかってこの色を贈ってくれたのだろう。


(もしかして夜の肌寒さを心配してくれたのでしょうか? お礼も、皇太子殿下に代わって伝えてくださったのでしょうし、お気遣いがとっても細やかなお方です)


 苺苺は手のひらに握らされていた小さな薬壺に視線を落とす。

 紫水晶を思わせる硝子ガラス製の遮光壷しゃこうつぼには白木蓮が描かれていて、精緻を極めた細工が凝らされていた。


 硝子製というだけでも相当な価値がある高級品だと分かるが、見るからに腕利きの匠によって製作、絵付けを施された特注の工芸品だ。


(これでどれ程の刺繍糸が購入できるでしょうか……。考えただけでも目眩がします)


 蓋を開けてみると、中身は数種類の生薬を混ぜ込んだ匂いのする軟膏なんこうが入っていた。

 まだ新しい。精製された色味からして宮廷医による調薬だろう。


(わあ、軟膏の傷薬をいただけるなんて。とってもありがたいです)


 なにせ白蛇妃が直接宮廷医に会いに行っても、正しく診察して薬を処方してくれるのかは疑問である。


『お持ちだという異能で治されては?』

と放置されてもおかしくないし、最悪の場合、薬と偽って毒を盛られる可能性も否定できない。


 ――【後宮には人の顔をした魑魅魍魎が跋扈している】


 とは、数代前の『白蛇の娘』の書き残した言葉だ。

〝悪意〟は異能を使って封じられるが、正真正銘の〝毒〟となると避けるのは難しいのである。


(悪鬼武官様は皇太子殿下直属ですし、事件のあらましを聞いて『もしも怪我があれば』とご用意してくださったのかもしれませんね。それにしてもこの意匠は)


 苺苺は悪鬼武官から受け取った薬壷を観察する。



「――間違いありません」



 キラリと苺苺の紅珊瑚の双眸が光る。


「この紫水晶のようなお色は、絶対に木蘭ムーラン様の瞳を想像して製作されたもの。そしてこの美しい木蓮の意匠。薬壷にも木蓮をあしらうだなんて、悪鬼武官様も実は木蘭様推しだったのですね……!」


(それでお礼のお言葉やお品と、安全な傷薬をわざわざわたくしに……!)


「にゃ?」

「木蘭様推しの方とはつゆ知らず、楽しいお喋りの機会を逃してしまいましたっ! せっかくの機会でしたのにっ」


 もったいなかったです、と苺苺は手にしていた純白の披帛を見つめる。


「お礼もお伝えできずに終わってしまいましたし……。次こそはお茶にお誘いして、ぜひともお友達になれたらよいのですが」

「にゃおん」


「ええ。恐ろしい女官の方の脅威から木蘭様をお守りするためにも、木蘭様をお慕いする者同士の情報交換が必要だと思うのです。次こそ、頑張りましょう!」


「にゃーん!」

「にゃーんなのです!」


 木蘭様推しの友人候補を見つけて、今日一日の疲労をすっかり忘れてしまった苺苺は、木蘭を思わせる素敵な薬壷をぎゅうぎゅうと胸に抱きしめ、


「白苺苺、湧き上がる嬉しさを『喜びの舞』で表現いたしますっ」


と誰もいない舞台上で宣言するやいなや、くるくると踊りながら猫魈と大いに戯れたのだった。



 ◇◇◇



 そんな白蛇妃の様子を、銀花亭ぎんかていがよく見える位置にある楼閣から見守る者たちがふたり。


「どうやら上手くいったみたいですね、紫淵シエン様。すごく喜んでおられるようです。紫淵様が銀花亭に仮初めの妃を招くと聞いた時には心底驚きましたが、急いで準備させた甲斐がありましたね」


「ああ、そうだな……」


「『白蛇の娘』も、やはり年頃の女人ということでしょうか。贈り物であんな風に喜ぶとは、想像もしていませんでした。彼女が少しでも贈り物を雑に扱えば、僕が回収してこようと思っていたのに残念です」


「ああ、そうだな……」


「おや。僕が回収しても良かったのですか?」


「………………………」


 仙界と見まごうほど幻想的な銀花亭で、楽しげに舞い踊っている白蛇妃の、真珠色の真っ白な長髪が灯籠の明かりを受けてきらめいている。


 月花の光をまとう披帛がひらひらと空を駆け、白く輝く世界を彩りはためく。

 やわらかな襦裙スカートの裾は、彼女がくるくると舞うたびに大輪の花のごとく開いた。


 まるで清廉な月宮殿の仙女が人間に隠れて戯れているかのようだ。


 三尾の猫のあやかしがぴょんと円卓から跳び上がり、上機嫌で彼女の肩に乗って、風に舞う羽衣を追いかけながら彼女の腕を移動する。

 それがより一層、非現実的な風景を作り上げていて、紫淵はただただ見事だと思った。


(あの猫のあやかしが持つ本来の気性を知れたのは、白家の姫君の判断力の賜物だろう)


 そのお陰で、紫淵もこれが単なるあやかし侵入事件の末の事故ではなく、木蘭を暗殺しようとしている何者かが背後で糸を引いている可能性に気がつけた。


 ……それにしても。



(あんなに純粋無垢な笑みを、かつて向けられたことがあっただろうか)

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