20 皇太子の贈り物


「わたくし絵姿でしか皇太子殿下をお見かけしたことはございませんが、重厚な素材感、色彩など、どれをとっても圧倒されます! そして年代を経てついた細かな傷への心遣い、ひとつひとつへの深い解釈の滲む再現……尊敬いたします!!」


「は、はあ……。ありがとう、ございます?」


「わたくしも推し活をする者として、より一層励まなくてはいけませんね」

木蘭ムーラン様……今頃何をなさっているでしょうか。健やかにお過ごしであればよいのですが)


 苺苺メイメイは頬に手を当て、ほうっと感嘆のため息を吐く。


「なにを言っているのか少しもわからないが、とりあえず良かった」


 悪鬼武官は苺苺が自己解釈で勝手に疑問の答えを導いてくれたことに、こっそりと安堵した。

 彼は苺苺が頬に当てていた手へに吸い寄せられるように己の手を伸ばすと、そっと優しくすくい取る。


 心ここにあらずの状態だった苺苺は「ひゃっ」と驚きの声を出し、蛇に睨まれたかのごとくかちこちに固まった。


 白蛇はそちらだろうに。

 そう心の中で思いつつ、悪鬼武官は艶やかな口元をふっと緩める。

 だが、その唇はすぐに閉じられた。


 手巾ハンカチで簡易に包帯が施されたていた苺苺の左手のひらは、赤黒い血が付着していた。

 今もなお出血が止まっていないのか、赤い鮮血も滲んでいる。


「……やはり怪我を」

「これはその、しょ、諸事情で、自分で切ったのです」


(あやかしさんに対抗するために異能の血が必要だったので、とは言えませんっ)


「痛くはないのですか」

「へ? そうですね、そう問われると少し痛いのですが」

「……そうですか」


 悪鬼武官の声が心なしか沈んでいる。


(なぜこの方がこのように意気消沈されているのでしょう?)


 苺苺ははて?と首を傾げて、「ですが」と続ける。


「大切な方をお守りできた、名誉の傷ですので」


 道術を操る恐ろしい女官の毒牙から木蘭を助けることができたのは、この傷を負ったからだ。

 戸惑いもなく全力ではさみの刃を立てたので、ズキズキした痛みは時間が経つに連れ増している気もするが、それよりも木蘭を助けられた幸福感で胸がいっぱいというのが今の気持ちだった。


 苺苺は尊すぎる木蘭のかわゆいお顔を思い浮かべて、大輪の花がほころぶような微笑みを浮かべる。


「――――っ」


 悪鬼武官はその笑みを真正面から受けて、小さく息を呑んだ。


 彼は『なにか見てはいけないものを見てしまった』と言わんばかりに唇を真一文字に引き結ぶと、懐から咄嗟に取り出したものを開いて、ふわりと、苺苺の表情を隠すように頭上から被せた。


「わわっ!」


「っ、外さないでくれ」

「ええっ?」


「それからこれは、謝罪の品として受け取っておいてください。背中の打撲傷にも良く効きます」


 視界不良になった中、苺苺の手のひらに冷たい感触の硬質ななにかが握らせられる。


「えええっ!?」


「なんと言えばいいのか。その、……礼を言う。――ありがとう」

「あっ、お、お待ちください――!」


 苺苺はわたわたと慌てながら頭上から被せられた広い布を引っ張り、悪鬼武官に問いかけようと顔をあげる。


「背中の打身をなぜご存知で……って、いらっしゃいません」


 拓けた視界には、もう誰もいなかった。

 きょろきょろと辺りを見回すも、人影すら見当たらない。



 静けさを取り戻した銀花亭には、木蓮もくれんの香りが先ほどより濃く香っていた。


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