15 東宮補佐官・宵世

 ◇◇◇


 あやかし用の牢獄を出ると、空には満月が出ていた。

 戌の刻午後八時を告げる鐘が、月夜の後宮に響く。


(昼間はあんなに暖かかったのに、夜はとても涼しくなりました。少し肌寒いくらいです)


 苺苺は猫魈ねこしょうとぬい様が入った鳥籠を手に肩を擦りつつ、先導する宦官の後ろを歩く。


 彼の名はサク宵世ショウセ

 東宮の侍童として宮廷に入って八年。十八歳という若さで、皇太子殿下の身の回りの世話を一手に担う宦官の筆頭、〝東宮補佐官〟にまで異例の昇進を遂げた端麗な容姿の青年だ。


 木製の細やかな透し彫りが施された提燈ちょうちんを手に持って現れた彼は、「この先は僕が預かる」と告げて、牢から出た苺苺の身柄を他の宦官たちから有無を言わさず引き取った。


 墨をこぼしたような黒髪は、うなじの辺りの短さで整えられている。

 宦官ではあるが、中性的な美貌と涼しげな杏眼あんがんという組み合わせは、目の保養になると女官人気は凄まじいらしい。


 だが男性にしては細腰なその見た目と、皇帝陛下が命じたという異例の地位から、他の宦官達からは『皇帝陛下の稚児』などと邪推されてやっかまれている。

 というのは、先ほど目の前で繰り広げられた宦官達の言い争いから、苺苺も知ったことだった。


 そんな宵世の性格は厳格そのもの。

 後宮の規律や歴史を重んじるからこそ、苺苺への当たりも非常に厳しかった。

 なにしろ歴史上での白蛇妃は、妃嬪を害した犯人と記される方が多い。


(皆様とても刺繍の腕が優れた優しい方々で、まったくの濡れ衣です。『白蛇の娘』に代々伝わる書物に書き加えられている文字を見ればわかります)


 後世の『白蛇の娘』へ正しい知識を残そうと、書き連ねられた言葉は思慮深く、儚い。

 自分の二の舞にはならないでほしいと切々と願い、姉のように書物からそっと語りかけてくる彼女達が、下手人であるはずがなかった。


 しかし、それを証明できる人間はいない。

 皇帝陛下や皇太子殿下に過去の事件の再調査を依頼することすらできない。

 苺苺もまた、彼女たちと同じ――『白蛇の娘』なのだ。


(けれども、わたくしが後宮に来たのは『白蛇の娘』の冤罪を晴らすためではありません。わたくしはお慕いしている木蘭様を全力で応援し、お守りするためだけに馳せ参じたのです)


 だから、こんな扱いに怯んでいる場合ではない。

 苺苺の瞳はごうごうと熱い炎で燃えていた。




 宵世が手に持つ提燈が薄暗い夜道を照らす中、りーんりーんと春の虫の音が響く。

 高い塀に囲まれた通りを行き、知らぬ名の門を潜り、知らぬ廻廊を通ったところで、苺苺は「あのう……東宮補佐官様」と宵世の後ろからおずおずと話し掛けた。


「わたくしの住まう水星宮でしたら、こちらの門ではなく、あちらの門を通ってまっすぐ進んで北側の、鏡花泉のそばにあるのですが……?」


「ええ。もちろん場所は存じております」


「でしたら、東宮補佐官様はどちらに向かわれているのでしょうか……?」


 苺苺はあやかし用の地下牢の場所が後宮のどこに位置するのかサッパリだったため、彼の道案内に疑問を持っていなかった。

 が、見知った通りに出たことで、ようやく彼が自分をおとなしく水星宮に帰すつもりがないと気がついた。


 苺苺は冷やりとしたものを感じて、固唾を吞む。


「『白蛇妃に滋養料理を』と、皇太子殿下より命を賜りましてございます。大変遅い時刻ではありますが、御花園の四阿あずまやに特別な夕餉をご用意いたしました」


「夕餉、ですか?」

「ええ」


 皇太子殿下不在の第一回目の選妃姫シェンフェイジェンにおいて、審査員である皇后陛下と四夫人のそばに控えて進行役をしていた宵世は、苺苺を終始無視していた。


 苺苺の番になり詩歌を披露しようとすれば、一言目を発す間も無く、『もう結構です。次の方、お入り下さい』と宵世に部屋からの退出を告げられたのは記憶に新しい。


 それがどうだろう。

  今は終始丁寧な口調で対応し、優等生的な微笑みまで浮かべているではないか。


(いったい、どういった風の吹き回しなのでしょう? 今夜の夕餉は猫魈様と半分こする予定ですのに。まさか! 白蛇の刑が怪しいとバレ、て……!?)


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