6 お兄様と苺苺
◇◇◇
白州にある実家に、ひとりの従者と共に美幼女がやってきたのは、昨年の暮れ。
九華家のみしか使えぬ特別な装飾が施された木簡と印章を使って【お忍びで】との前触れがあったため、白家側は「異能絡みだろう」と考え、裏口から彼女たちを邸へ通すことにした。
異能がらみの場合、当主である父ではなく次期当主の兄が出る。
邸の応接間ではなく兄の私室に呼ばれた客人たちは、時に不服そうな顔をするものだが、木蘭たちは違った。
「この度は
鬼の角を思わせる濡羽色の結い髪に、大きな菫色の瞳。
まろい頬を緊張で強張らせて、背筋をぴんと伸ばし、幼い少女は舌ったらずな口調で堅苦しい挨拶を
まだ五歳という、両親に手を引かれる年頃の木蘭が白家次期当主である兄への挨拶を完璧に終えて小さな頭を下げた時、苺苺は感動のあまり拍手せずにはいられなかった。
(な、な、な、なんてお可愛らしいお姫様なのでしょう!)
ら行で噛んだ瞬間に見せた不覚そうな、ハッと慌てた木蘭の様子にめろめろに緩んでしまって治らない頬を、苺苺は両手で押さえる。
「お上手ですわ、木蘭様っ」
「せ、世辞はいい」
木蘭は顔を真っ赤に染めて照れながら、挨拶などできて当然、というようなお澄まし顔をする。
恥ずかしがりながらも精一杯頑張っている、一生懸命過ぎる仕草。
その堪らない愛らしさに、思わず庇護欲を掻き立てられずにはいられない。
(はあぁぁっ。かわゆいです、かわゆいですっ。なぜでしょう……なんだか動悸がして、胸が熱いですっ! ああ、この胸の高鳴り……これが、きっと『尊い』という気持ちですわね!!)
苺苺はずきゅんと胸を矢で射抜かれた気持ちがした。
珠のように可愛らしい見目と、幼な子には不釣り合いな言葉遣い。教養深い挨拶。
極秘の旅路だからか金糸の装飾や刺繍もない落ち着いた衣装を纏っているが、絹生地を見慣れた
こんなものを砂埃舞う旅路で纏えるのは、この国の公主くらいだ。
しかも、その予想を裏付けるかのごとく、彼女が白家当主へ送った密書には
(燐家は代々皇族のお血筋。その家紋が施された印章をお持ちなのは、この国でふたりきり。皇帝陛下と皇太子殿下のみです)
燐家の印章を借りるためには、どちらかに直接話を通さなくてはいけない。
(もしかしたら……出自に深い理由を持つ、朱皇后陛下の公主様なのかもしれませんわ)
苺苺はそっと、木蘭と――彼女の奥に立つ護衛の青年をうかがう。
質素な旅装束を纏っているが、腰に佩いた剣は立派だ。名のある名刀の類だろう。
(彼の纏う気配からも、それが見掛け倒しではないのがわかります。随分鍛え上げていらっしゃるのやも)
年齢は十代後半くらいだろうか。
青みを帯びた長い黒髪をひとつの三つ編みに束ねた精悍な顔つきの青年は、一見すると垂れ目が柔和で優しそうな印象を受ける。
だがよくよく見ていると、彼の亜麻色の鋭い双眸は温度もなく冷淡に苺苺を射貫いていた。
(ぴゃっ)
まるで今にも『主を気安く見るなこの無礼者が』とでも噛み付いてきそうな視線に、苺苺は疾風のごとく顔を逸らした。
(なんて怖いお顔なのでしょうかっ。まるで般若ですっ)
よく幼い木蘭が泣きださないものだ。
(こ、腰に付けていた
幼姫の護衛役は彼ひとりしか任命されていない様子から、相当腕が立つのかもしれない。
苺苺はぷるぷると震えながら、青年から向けられている突き刺すような視線から逃れる。
背後の般若に気づいていない木蘭は、ひとり百面相を繰り広げる苺苺に不思議そうに首を傾げ、それから苺苺の兄を真剣な視線で見上げた。
「その、
「
兄の静嘉は、いかにも育ちがよさげな美貌を持つ青年である。
瞳の色は青色で、襟足の長い灰色の髪を首の左右に細く垂らしている。白家には時々、この兄のような容姿の人間も生まれるらしい。
しかし青色の目は異国では珍しくないこと、そして『白家白蛇伝』の大蛇のように白髪紅瞳ではないことから、王都や宮廷に出向いてもあまり警戒されていないようだった。
『灰色の髪のせいで
『お兄様はお兄様ですよ、お変わりないです。今年も貴族のご令嬢方から縁談がたくさん来そうなお顔です』
『げえっ、縁談かぁ……。それは勘弁してほしい』
げんなりする兄はとうに成人しているが、浮いた話がない。縁談も嫌いだ。
しかし爺爺には見られたくないという我儘な矛盾を抱える、二十四歳である。
そんな掴みどころのない性格をしている兄だが、来客の前ではただ人当たりの良さそうな顔をして、まだ内容も聞かぬうちから快く頷く。
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