2 後宮の嫌われ白蛇妃


 とはいえ、ここはやはり後宮。

 推しのさらなる繁栄を望む女官たちは、おすまし顔で悪意をこめた嫌みを他の妃嬪へぶつける。


 苺苺のような市井風と後宮風を取り入れた独自の推し活をしている者は、特異な存在なのだ。


「でも、あの〝白蛇はくじゃ〟が指名されるよりはまだましね。あやかしのような真っ赤な目が本当に不気味。ほら、見て。木蘭様から視線を離さないあの様子……」


「まあ、なにあれ。薄気味悪いし恐ろしいわ。白い大蛇がとぐろを巻いて睨みつけているみたい。白蛇妃って、いつも木蘭様を熱心にじっと睨みつけているわよね」


「呪詛でもかけているのかしら? 〝灰かぶり離宮〟の最下級妃のくせに、身のほど知らずでおこがましい振る舞いだわ」


 女官たちは歪んだ口元を円扇で隠す。


「〝呪われ白家〟の出身ですもの、教育が行き届いていないのよ。ああ、あんな白蛇と同じ空気を吸っているのも嫌になる」


「ちょっと、あんまり大きな声で言ったら聞こえるわよ」


「聞こえたって構いやしないわ。後宮の嫌われ者の白蛇妃が、私たちを咎められるはずがないもの」


「もし皇太子殿下に進言されたとしても、お妃様の信頼が厚い私たちの方が勝つに決まっているんだから」


 クスクスと蔑み笑う女官たちの話し声が、彼女たちにほど近い末席に座す苺苺に聞こえていないはずがない。

 だが、しかし。


(推しである木蘭様の一挙手一投足、いいえ! 衣のはためきまでも見逃しはしません!)


 と両手に力を入れ、ごうごうと燃える瞳で木蘭を見つめる燃える苺苺の耳には、女官たちの悪意のこもった話し声などまったく入っていなかった。


 元宵節げんしょうせつに皇太子宮の封が解かれ、八華八姫の慣例に従って〝選妃姫シェンフェイジェン〟――皇太子妃としての位を決め、次期皇后候補を選出するために三ヶ月に一度開かれる試験に臨むことになった苺苺だが、実のところ次期皇帝にもその妃という地位にも興味がない。


 彼女はただ、出会った瞬間に胸を撃ち抜かれた〝朱木蘭〟を、後宮内ならばと聞いてやって来たのである。


 苺苺は美しい刺繍、美味しいお茶菓子、そして特別可愛いらしいものに目がないのだ。


「木蘭様は、きっとおねむなのですね。まだ六歳であらせられるのに、あんなに素敵な舞をご披露されたのですもの。ご立派です……っ!」


 木蘭は幼くても〝妃〟らしくぴんと背筋を伸ばしていたが、春の陽気に照らされて眠たくなってしまったようだ。空席の上座に最も近い〝貴姫(きき)〟の席に着いた途端、こくりこくりと船を漕ぎ始める。


「ふわぁぁ……癒しのすべてがここに……!」


 苺苺は見事な木蓮の刺繍が入った絹の円扇を、胸元でぎゅうっと握る。

 これは推し活の一貫で、苺苺が木蘭を想って自分で刺したものだ。


 燐華国の三大刺繍と讃えられる白州刺繍の技法で刺された紫木蓮の図案は緻密で、花や葉が朝露に濡れているかのように瑞々しく見える。

 両面刺繍と呼ばれているその技法は、白州特産の絹糸を使うことでさらに昇華されており、色鮮やかな絵画のごとく芸術的で美しかった。


 本当はこの円扇を両手に一本ずつ持ち、ぶんぶん振り回したいくらいの気持ちなのだが、最下級といえど妃は妃。礼儀作法を重んじ、『応援しています』という意気込みを示す珠玉の一本を胸元に掲げるに留めている。


 その時、ふと青黒いもやが漂い始めた。

 煙りのようなそれは、四方八方からもくもくとやってきて、ひたすら幼い姫君へ向かっていく。


「……あら? あらあら? 木蘭様の周囲に、よくないものが」


 苺苺は目を見開き眉根を寄せる。

 あれは人々の胸に宿る悪意や口から放たれた悪意が力を持った姿だ。

 その名を〝呪靄じゅあい〟という。


 皇太子妃たちや女官たちから向けられた悪意が木蘭に集まり、靄の形をとっている。

 これが酷くなれば木蘭は大病にかかり、床に伏せるようになるだろう。


 呪われ白家と呼ばれる白家出身の苺苺には、生まれつき悪意を視ることができる眼と、それを祓うための強力な異能の才が備わっていた。


「呪靄でしたら、まだここからでも祓えますわね!」



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