言葉でなくとも

夢見ルカ

言葉でなくとも

 ころころと指で転がし遊んでいたガラス玉を手に取ってのぞき込む。光を集めたガラス玉はきらきらと淡く優しい輝き、瞳にその色を落とし込んだ。

 机で遊ぶガラス玉。赤、青、黄色。覗き見るガラス玉によって世界の色が変わる。まるで自分の瞳が色づいたと錯覚していまいそうなほど。

『こうしていると、君の瞳と同じになれた気がするよ。おかしいかな』

 澄み渡る青空と同じ色を通して、ガラスポットの中で薔薇の花弁を躍らせている少女に問いかける。

 手を止めることもこちらを見やることもしない少女の視線の先にあるのは、今しがた淹れたばかりの紅茶だけ。ふわふわふわりと少女のスカートが風と遊ぶように花弁は自由にポットの中をくるりと回っている。

 空っぽのティーカップに注がれる紅茶より、少女の真剣な眼差しを見守る。

 少女が問いかけに答えないのも当然のことだ。だって、彼女にはボクの声は届かない。

 だからどんなに喉を震わせても、音にもならない言葉たちは少女の耳に拾われることなくボクのなかに消えていく。

「できた! 見て、今日のお茶は上手にできたよ」

 お茶の用意ができてようやく顔を上げた少女は、蕾が綻び花開くような愛らしい笑顔と共でこちらに駆け寄った。

 なみなみと注がれたティーカップの紅茶はゆらりゆらるのに、今すぐにでも口をつけてと言いたげな少女の瞳に笑みを返した。零れることも厭わずに運ばれたティーカップに手を伸ばす。

 慌てなくとも、君が淹れたものなら喜んで口をつけるのにと。

「あのね、今朝ね、庭を見たらバラが照れたように赤い蕾を膨らませていたの。だから、今日はバラの紅茶」

 少女は期待に染めた頬を緩め、床についていない足をぷらぷらと揺らしている。

見守られながら紅茶を口に含むと同時に、客人の訪れを知らせるチャイムの音が一度、二度と響いた。ボクの嫌いな音だ。

 なぜなら、このチャイムが鳴るのは、少女が訪れたときと帰るときの二回だけ。そして、その彼女が目の前にいるということは帰る合図だということ。

「ご用事終わったみたい。帰らなくちゃ」

 机を彩っていたガラス玉の一つを手にし、赤を引き立てる深緑に思いを馳せる。キャンディを包むように小さい折り紙でくるりと巻いた。

「あれ、赤じゃないのね」

 バラが赤いから深紅のガラス玉とは限らない。ボクにとって、このローズティーはどこまでも深く落ち着いた緑なのだと、少女に渡す。

 少女は大事そうにポケットにしまうと椅子の淵に手を置いて、勢いよくぴょんと跳ねて椅子から降りた。

 また明日と手を振る少女の背を見送った。

 次の日、チャイムの音と一緒に訪れた少女が手にしていたのは小さな飾り箱。薄い色合いで塗られ、銀で装飾されたそれをそっと手渡してきた。

「開けてみて。そっとよ」

 少女の言葉に頷いて、壊れないようにゆっくりと蓋を開けていく。顔を覗かせたのは花の精を模った小さな人形だった。開ききると箱からは音が零れ、花の精はくるくると回る。

 春を思わせる音の流れに耳を傾けていると、少女は誇らしげに、そして興味津々といった様子で笑った。

「ね、素敵でしょう。昨日ね、帰るときに見つけたの。あなたにどうしても聞いてほしかったの。ねぇ、どんな音をしていて、どんな旋律なのかしら?教えてほしいわ」

 このオルゴールから流れる優しく温かな音色がどんなものなのか少女には知る術がない。ボクが声を出せないように、少女は音が聞こえなかった。

 だから、ボクは引き出しからガラス玉を取り出して、彼女に色を渡す。箱の色はピンクだけれど、音を拾って考える。芽吹きとぬくもりのオレンジ。

「まぁ、ふふっ。ありがとう。きれいな音なのね」

 日の光にあて眩しそうにガラス玉を覗く少女を横目にオルゴールを閉じる。花の精は踊りをやめて眠りについた。

『君にぴったりな、優しい音色だったよ』

 彼女が気に入って迎え入れた宝物だということが重要で、ボクの言葉は伝わらなくても構わない。少女に未来への楽しみを増やしてくれたオルゴールを返す。

「次にこれを開くときもあなたと一緒よ。あなたの聞いた音が知りたいの」

 優しく少女の手がオルゴールを包むと、チャイムが鳴った。少女はチャイムの音も聞こえない。聞こえないが、わかるらしい。少女曰く。

「いつもお迎えがくると、あなた寂しそうな顔するの。だからわかるの」

 それを聞いた日、恥ずかしさのあまり少女に色のないガラス玉を贈ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

言葉でなくとも 夢見ルカ @Calendula_28

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ