第59話 「呆れて物が言えない、の方が近い」

「シマちゃんじゃねえか……」


 赤瀬川あかせがわ志麻しま――元は無名の子役だったが、日本で撮影されたハリウッド映画に参加したことで、大きく運命が変わった少女。

 台詞もないチョイ役だったが、撮影現場で監督の目に留まり、出番が大幅に増えて重要キャラへと格上げ。

 そこでの演技が絶賛され、十歳にしてアカデミー助演女優賞にノミネート。

 受賞こそ逃したものの、彼女は天才子役として一躍スターの座に躍り出た。


『あー、こう? こんな感じ……んぷぁっ、ぇほっ!』


 白い粉末を鼻から吸ってむせている様子は、二十代半ばであろう現在より少し若く見える。

 その後も順調にキャリアを重ねて子役のイメージから脱し、国内ではアート映画からトレンディドラマまで幅広く出演、英語もマスターして海外作品への起用も増えてきた。

 その一方でアホみたいな民放のバラエティ番組のゲストも断らず、コントやゲームやクイズにしょっちゅう登場するので、『シマちゃん』と綽名あだなされた彼女の世間的な認知度は100%に近い。


『おーぅ、グッと行ったねぇ、グッドだよシマちゃーん!』


 この髭メガネは、人気バラエティ番組の名物プロデューサーだかディレクターだか、そんな立場の人間だったハズだ。

 一時期やたらと多かった、番組スタッフにキャラ付けして表に出してくる、あのウザい風潮でよく見るようになった連中の一人。

 守らなきゃならんタレントに、何やらせてんだこのクソボケは……とイラついている俺の頭上から、乾いた笑い声が降って来る。


「ハッハッハ……驚いて声も出ないか」

「呆れて物が言えない、の方が近い」


 振り返って見れば、二メートルほどの高さの桟敷さじきのような場所で、ソファに腰かけている力生りきおの姿があった。

 暗い場内で、そこだけ薄明りに照らされている。

 ソファの左右に立っているのは、どちらも見覚えのある顔だ。

 和装の弓使いと、制服の桐子晶きりこあきら

 何故ここに桐子が――と訊きそうになるが、憂愁ゆうしゅうが漂いまくった表情からして、強制的に連れて来られたのだろう。


不世出ふせいしゅつの天才、百年に一人の逸材いつざい、歴史に残る傑物けつぶつ……綺羅星きらぼしの如く称えられた者がちる様には、えも言われぬ美しさがあると思わんか」

「思わねぇよ。そりゃ単なる悪趣味だ」


 間髪かんはつれずに切り捨てるが、力生は気分を害した様子もなく鼻で笑って話を続ける。


「美は飾って眺めるのではなく、壊れて失われることで完成するのだ。絵画はせる、宝石は曇る、人間は老いる……劣化を避けるには、現実から解き放たねばならん」

「素人の芸術論とか、昨日見た夢の話くらい興味ないが」


 再び切り捨ててやるが、力生の語りはまだ続く。


気侭きままに壊すのもいいが、いつでも壊せるように握っておくのも、また違うおもむきがある……あらゆる可能性が、わしの力加減だけで失われるのだ」


 力生の声に、陶然とうぜんの色合いが混ざってくる。

 今の日本で最も人気があると言っていい、若手女優の生殺与奪の権を握っている、という事実が力生を酔わせているのだろうか。

 そして、この場に桐子がいる理由もやはり、似たような致命的情報を押さえられているから、なのかもしれない。


 だとすると、大輔だいすけのグループで下っ端をやらされてたのも、俺がその状況を解決するのを拒絶したのも、納得できなくもない。

 芸能界から消えるハメになった数々のやらかしも、力生に脅迫されて命じられていたのならば、意味不明な奇行ではなくなる。

 真意を読み取ろうと桐子の表情を窺うが、苦々しくスクリーンをにらむ姿からは、濃厚な苛立ちが伝わってくるばかりだ。


「……下種ゲスが」


 言わずもがなの言葉が口をくが、誰からも反応はなかった。

 弓女はコチラに一応の注意を払っているが、臨戦態勢の気配でもない。

 そこで不意に腰を上げた力生が、桐子の髪を雑に掻き回しながら言う。


「これを観るのは何年ぶりだね? 榛井はるいしょう

「いや、覚えてない……です」

「フン、忘れるわけがなかろう。この映像を世に出さぬため、お前は全部を捨てたのだろうに。過去の栄光も、現在の成功も、未来の可能性も」

 

 淡々と重ねられる力生の言葉に、桐子は何も答えずにただうつむく。

 すると力生は、桐子の髪を掴んで顔を上げさせ、目線をスクリーンへと強制的に戻す。


「あの瞬間の、あの選択! 二つの運命を提示されて、迷いに迷った末の決断! いつ思い返しても、震えるほどに感動的だ……」


 熱の入った力生の語りと反比例し、桐子はいつもと同じように冷えている。

 学校で常に演じている、無気力で気弱そうな雰囲気の、ボンヤリとした存在感。

 そんな状態なのを知ってか知らずか、力生は桐子の肩を揺さぶりながら話を続ける。


「お前も間違いなく、いずれは役者として大成しただろう……その才能は誰もが認めていた。だがお前は、榛井肖は……赤瀬川志麻を守るため、自分が犠牲となるのを望んだ」


 桐子は自身が脅迫されていたのではなく、シマちゃんを人質にとられたのか……

 桐子との関係性はよくわからないが、年齢差からして恋人ってことはないだろうし、それ以外の特別な間柄だったとも考え難い。

 憧れの存在だった、とかそういう理由があるにしても、身代わりで破滅するのを選べるものなのか。


「皆に愛された天才子役が、あっという間に生意気なクソガキになり、調子に乗りすぎてる厄介者になり、存在そのものが禁忌タブーとなっていく様は……どんなサスペンスよりも緊迫感があって、どんなコメディよりも愉快だったぞ」


 本当にもう、どうにもならないレベルで趣味が悪くて胸糞悪い。

 唐突に失踪するアイドルとか、ありえない事件を起こすミュージシャンとか、とんでもないスキャンダルで消えるスポーツ選手とかが時々いるが、結構な数にコイツが関わってるんじゃなかろうか。

 もしかすると、貞包さだかねの所にあった怪しげなビデオも、雪枩の下請けで作られてたりしたのかも。


「全部、言われた通りにしただけ、です」

「そうだな。そろそろ、次の指示を与えるつもりだったんだが……お前は儂に逆らった」

「僕は――」


 反論しかけた桐子の顔に手を伸ばし、アイアンクローのような動きで口を塞ぐ力生。

 空いている方の左手でパキンと指を鳴らせば、場内の照明がパパッと点灯する。

 スクリーンの下には、それなりの広さがありそうなステージ。

 そちらに向いて並んだ二十ほどの客席は、座り心地の良さそうな椅子がしつらえてある。

 そして七割方が埋まった席には、雪枩家の暴力担当らしい皆さんが集合しており、中には大輔だいすけ百軒もものきの姿も。


「お前には、大輔の下について何があろうと絶対服従、と命じてあったはずだ……なのに何故、あのガキを呼び込んだ」


 力生が手を離して訊くと、桐子は緊張の面持おももちで応じる。


「や、薮上やぶがみ君は、関係ない」

「関係ないことがあるか。トラブルの発端ほったんがお前なら、全ての責任はお前にある。どんな償いがあろうと、雪枩に手を出した罪とは釣り合わんが……とりあえずは、先程の映像を世に出すとしよう」

「そんなっ、約束が違う!」

「だから、先に約束をたがえたのはお前だ、と言っている」


 冷たく突き放され、桐子の表情から生気が失せていく。

 対する力生は、険しい顔でありながらどこか楽しげだ。

 何となく大輔の方を見れば、ったような嫌な笑みを浮かべている。

 他の連中は進行中の寸劇に興味がないらしく、俺の方を警戒したり欠伸あくびを噛み殺したり武器を素振りしたりと、バラバラな行動を見せていた。


「あー……片付け、終わりましたが」


 ヒヨコのおっさん――沼端ぬまはたが重いドアを開けて現れ、呑気のんきな感じに報告する。

 声は気が抜けているが、表情にはいわく言い難い張り詰めた気配が漂う。

 これから起きることを予感しているのか、俺に向けてくる視線の湿度が高い。


「追加でもう一件。そのガキだ」

「子供を相手にすんの、イヤなんですがねぇ……」

「儂は『はい』以外の返事を求めておらん」

「……ハイ」

「殺すなよっ! そいつぁオレが、オレが殺すんだからよぉ!」

「ハイハイ」


 雪枩親子に雑に答えながら、沼端は俺の方に近付いてくる。

 そして、ステージの方を指差しながら言った。


「そういうワケで、あそこに上がれ。気は進まんが、半殺しだ」

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