第46話 「成分的には殆ど毒だからな」

「これは……」

「んー、文中の『た』を抜いて読むやつかー?」

「タヌキ描いてねぇだろ」


 そもそも、文章中に「た」が入ってない。

 シンプルに危険を伝えてくるメッセージだが、これはどう判断するべきか。

 桐子きりこが罠にハメてくるとは考えづらいし、強要されて何かしてくる可能性はあるにせよ、この文面では騙されようがない。

 となると、帰宅中か帰宅後に何事かが起きるって警告なのだろうが――


「よくわからんが、雪枩ゆきまつガラミだろうな」

「あー、あの机を蹴っ飛ばしてた髪の長いヒト」


 シレッと混ざってきた瑠佳るかが、メモを覗き込みながら言う。

 奥戸おくとは一瞬「おぅ?」みたいな表情を見せるが、すぐにいつも通りに戻って瑠佳を会話に巻き込む。


「何だー、ヤブが絡まれてるとこ、目撃してんのかー」

「先週の末に、ね。仲間をゾロゾロ引き連れてた」

「ああ、あの時に丁寧な話をしたんで、わかってもらえたと思ったんだがな」


 俺を敵に回す面倒臭さが、という部分は省いて語ると、奥戸も瑠佳も疑惑の視線で俺を見つめてくる。

 そして不意に、瑠佳は真剣な表情に転じて小声で訊いてくる。


「でも、家に帰るなって……自宅を襲撃するとか、そういうことかな?」

「帰り道で拉致らちのためにスタンバってる可能性もある」

「そこまで本気でヤベーなら、しばらくウチ来とくかー?」


 ちょっとだけ声を抑えながら、そんな提案をしてくる奥戸。

 いつも通り、あまり考えず思ったことをそのまま口にしているのだろう。

 しかし、反射的にそんな言葉が出てくるのは、いい意味での驚きがあった。

 緊急避難としては悪くないが、逃げ隠れしても根本的な解決にならない。

 俺は小さくかぶりを振った後で、奥戸に答える。


「どうせ大したことない。それに、もし大事になった場合、オクまで危なくなる」

「らしくねー遠慮えんりょだなー」

「お前は大抵の相手をブッ飛ばせるだろうが、家族はどうだ? 相手が複数なら? 武器を持ってたら? ダンプで突っ込んで来たら?」

「ぬー、流石にそこまでは……すんのかー」


 俺の表情で状況を理解したらしい奥戸に、渋い表情で頷き返す。


「けどまぁ、何とかなる。というか、何とかする」

「アンタがそう言うなら、どうにかなるんだろうけど……逃げたり、助けを呼んだりするのも、選択肢の中に入れといてね」


 言いながら俺の脇腹をポフッと殴ってくる瑠佳は、女子高生にあるまじきしかめっ面だ。

 そして奥戸も、デカい手で背中をバチバチと叩きながら言ってくる。


「そこまで深刻じゃねーだろ、と思っててもイザって時は警察だぉぼっ――」


 腹にヒジを入れて叩くのを停止させた後、プルプルしている奥戸の脳天に追加でチョップを入れ、目線の高さを自分と同じくらいにしてから返事をする。


「心配してくれてんのはわかるが、相手の馬鹿さ加減からすると、お前らも巻き込まれそうだ……だから、コイツを持ってけ」


 言いながら、ポケットから二つの円筒を取り出す。

 大きさは十センチ程で、何も書いておらず中身の液体だけが見える。


「何これ? 香水?」

「香水といえば香水だが、まともにニオイを嗅げないやつだ」

「おー、催涙さいるいスプレーってやつかー」

「正解だが、スプレーってより水鉄砲みたいな感じで飛び出す」


 先週末に『御護屋ごごや』で購入してきた武器――もとい、防犯グッズ。

 店員が言うには「目に入れば網膜もうまくを傷つけて失明、口に入れば喉がれて窒息の危険がある」らしい。

 そんなもの売って大丈夫なのか、と訊いたら目を逸らされたいわく付きの品だ。

 キャップを外し、自然な流れで試し撃ちをしようとする奥戸に更に追加のチョップをカマして止め、注意事項を伝えておく。


「コラコラ、成分的には殆ど毒だからな。向ける相手はちゃんと選べ」

「ぬー……スプレーだと、使った方も危ないレベルかー?」

「それがわかってんなら何気なく使おうとすんな。それでも使わなきゃならん時は、対象の顔を狙って液体を噴射ふんしゃする」

「射程距離は、どのくらいなの」


 手の中の凶器を眺めつつ、瑠佳が訊いてくる。


「一メートル半くらいは真っ直ぐ飛ぶ。斜め上に向けて連射すれば、もっと離れていても届くし、囲まれそうな時にも有効だ」

「もし、自分にかかっちゃった場合は?」

「その時はまぁ、覚悟してくれ」

「……死を?」


 どん引きしている瑠佳に、胡散臭うさんくさい微笑で告げる。


「死ぬほどの痛みと苦しみを」

「まー、死なねーなら問題ねーな」

「問題なくなくない⁉」


 混乱気味に瑠佳がツッコんでも、奥戸はヘラヘラとしている。

 まぁコイツは大丈夫だろうが、瑠佳とその周辺はちょっと心配だ。

 

「あとは、妹とあいちゃんに」

「人の母親をちゃん付けで呼ばないで、ってば」


 抗議はするが、渡されたものは素直に受け取る瑠佳。

 用意したのは、消防車のサイレンっぽいのが爆音で鳴る防犯ブザーだ。

 何かあった時、普通に助けを呼ぶより「火事だ!」って叫ぶ方が反応がいい、ってのをヒントに、御護屋で開発したオリジナル商品らしい。

 使い方を説明していると、奥戸が俺の方をジッと見ている。


「こっちはオクの分ないぞ」

「いらんわー……そんなことより、ホントに無理すんなよー?」

「だけど、無理を仕掛て来てんのは相手だしなぁ」

「とにかくー、さっきも言ったけど、イザって時は警察だぞー」

「助けが必要になった時は、連絡してよね」


 真顔で言ってくる二人に、俺はヒラヒラと手を振って応じる。


「わかったわかった。じゃあ、俺は桐子の忠告通りに隠れるから……風邪っぽくて早退したとか、テキトーに言っといてくれな」


 そう言い残し、カバンを掴んで足早に教室を出る。

 当然ながら、次に選ぶ行動は逃亡でも隠遁いんとんでもなく反撃あるのみ。

 自宅周辺で待ち構えているか、或いは敷地内へと侵入しているであろう、雪枩たちを早々に撃退しなければ。

 奥戸にはああ言ったが、こういう場合に警察をアテにするのは危険だ。


「強力な組織、ってのは間違いないんだがな……」


 呟きながら靴を履き替え、教師に見咎みとがめられないよう警戒しつつ学校を後にする。

 雪枩家にどこまで影響力があるか不明瞭ふめいりょうなので、公権力を頼るのはリスクが大きい。

 悪名をとどろかせている息子と取り巻きがポリス沙汰ざたを回避している時点で、程度はさて措き警察との癒着ゆちゃくがあるのは確実だろう。


 瑠佳の話では、政治家とのコネもあるとのこと。

 その相手が大臣やら国会議員やらなら、法はコチラに味方してくれない。

 カネとコネがあれば大体の物事はじ曲げられる、ってのは前回の人生でウンザリするぐらい思い知った。

 そして、理不尽に対抗できる数少ない手段の一つが暴力だ。


「世間知らずのクソガキ共に、教育的指導をしてやらんとな」


 言いながら、俺は右手を高々と挙げる。

 直後、黄色い車体に赤のラインが入ったタクシーが、スピードを落として歩道に寄せてくる。

 無駄な出費になるが、駅前や構内で待ち伏せされると面倒なので、リスクは減らしておきたい。

 車内に乗り込んだ俺は、自宅から少し離れた喫茶店を行き先として告げた。

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