第17話 「当たらなければ、どうということは――」

 巨体に似合わず芦名あしなの動きは機敏きびんで、足捌あしさばきも素早い。

 いや、イメージでトロいと決めつけがちだが、人並外れて筋肉のあるデブならばスピードは十分にある。

 立ち合いから猛攻をかける力士の姿を見れば、その瞬発力と爆発力は疑いようがない。

 壁際まで詰められたら危険か――そう判断した俺は、前に出て芦名をむかつ。


「フッ! フッ! ハッ! フンンッ!」

「無駄に、動く、ブタゴリラ――だなっ!」


 右、左、右と続くジャブの後、左のフックを放ってくる芦名。

 ジャブをガードしても、鉄パイプで殴られるレベルの衝撃が来そうだ。

 なので、受けるのではなくかわすことを選ぶ。


 腰を落としてフックをやり過ごしてから、蛙飛かえるとびアッパーのような掌打しょうだをお返しする。

 絶妙なタイミングだったハズだが、かすっただけの手応えしか戻って来ない。

 これを避けてくるとは、反射神経も中々のようだ。


「一発当たりゃあ終わりだ! 遊んでないでサッサとやれ!」


 貞包さだかねの怒鳴り声をシカトし、芦名はブンブンと拳を振り回してくる。

 さっき聞かされた通り、コンビネーションには蹴りも時々混ざる。

 とは言え、あまり得意ではないようで、威力はともかく鋭さがない。

 ボクシング経験を感じるパンチに比べ、危険性は低いと見ていいだろう。


「当たらなければ、どうということは――」


 モーションの大きい前蹴りをかしながらつぶやけば、「最後までは言わせねぇぞ」とばかりに距離を詰められる。

 攻撃が当たらないのにイラついた芦名は、つかんでから締めるなり折るなりする戦法へと変更したようだ。


「うぁっ、とぉ!」

「ぐっ、ふぅ……」


 咄嗟とっさに芦名の側頭部に左ヒジを入れ、その反動で自分の体を右に流して急接近から離脱。

 予期せぬ切り替えの早さに驚きつつ、してやられた己の油断を反省する。

 間合いが近すぎたのもあって、こちらのヒジ打ちは殆どダメージになっていない。


「フーッ、フーッ、ンフーッ、フーッ」


 しかし、先制攻撃を決めたことで変なスイッチを入れてしまったのか、芦名の興奮状態にターボが掛かっている様子だ。

 今の自分の筋力では、芦名との体格差を跳ね退けるのは難しい。

 もし寝技や締め技に持ち込まれたら、そこで試合終了となってしまう。


 それはニアイコールで人生終了を意味するし、俺が負ければ瑠佳るか汐璃しおりも終わる。

 横目で瑠佳を確認すると、俺の言葉に従って律儀りちぎにカメラを回していた。

 こちらの動きに注目していれば、マズい流れになった時に逃げやすくなるかと思って提案したのだが、何だか俺が負けても最後まで撮影してそうな気配だ。

 次の一手をどうするか――忙しく頭を回転させていると、芦名が先に動いた。


「ふぉおおおおおおおおおっ!」

「おいおいっ!」


 ダガッ、と大きな音を立ててテーブルに飛び乗った芦名が、自分の体重を忘れたかのような跳躍ちょうやくを披露し、わがままボディに俺を巻き込もうとしてくる。

 何かしらのスイッチが入って、キレた状態でデタラメな攻撃を繰り返しているのかと思いきや、要所要所に計算の痕跡こんせきうかがえる。


 殴られても掴まれてもまずい、とバックステップで着地点から離れたものの、壁際かべぎわまで追い込まれてしまった。

 スピードもパワーもあるクレバーな巨漢、とかちょっと厄介すぎやしないか。


 見た目はともかく、スペックはチート主人公みたいな相手をどう潰すか。

 観察して、考察して、推察して、洞察して――正解へと辿り着かなければ。

 震度3くらいの揺れを起こして着地した芦名は、間髪かんぱつを入れずに前方へとね、固く握った拳を俺に届けるべく振りかぶった。


「くぉるぁああああああああああああっ!」


 音量のバグった芦名の咆哮ほうこうで、耳の奥がしびれるようだ。

 ジャンプしての攻撃は、速度と重量がプラスされるので威力は高まる。

 上から叩き潰す軌道きどうを描き、大型の右拳が猛然もうぜんと降ってきた。

 芦名ぐらいの速さがあれば、普通の反射神経なら回避不能だろう。

 だが、生憎あいにくと俺は普通じゃない。


「あああぁああああああぁあああああっ!」

「うるっ――せぇっ!」


 床に伏せて芦名の狙いを外し、低い姿勢で転がるように移動して背後に回る。

 身を起こして芦名が使ったテーブルに飛び乗った俺は、全力のパンチを空振りしてよろけている背中に向けて、高い打点で両の足裏を叩きつけた。

 無防備な芦名は衝撃を丸ごと受け止め、頭からコンクリの壁に衝突して人体から出ないタイプの重い音を発する。


「は……? ドロップキック、だと⁉」


 貞包から困惑の声が上がるが、リアクションしている余裕はない。

 今の身体能力ではバク転しての着地は失敗しそうなので、空中で体をひねってうつぶせの姿勢を取り、前受け身で落下のダメージを和らげる。


 この曲芸めいた一撃で、芦名が戦闘不能に陥って――いれば苦労はなかったが、何事もなかったように立ち上がり、グキグキと首を鳴らしている。

 デコが赤黒くれているから、まったく効いてないワケでもなさそうだが、KOまではまだまだ遠そうだ。


「ふぅ……やるじゃない」

「ハート様の外見でアインみたいなこと言うな」


 俺の返しがピンとこなかったか、芦名は少し目を細めて無言で次の動作へと移る。

 巨体に似合わぬ機動性だが、息の切れ方からしてスタミナ量はそこまでない。

 コチラとしては、まだあと数分は逃げ続けられそうだ。


 ならば、このまま芦名がガス欠になるのを待つべきか――

 ただ、今は観客となっている貞包や門崎かんざきが、自分らも当事者なのを思い出して、芦名の加勢に回ったら最悪だ。


「フンッ、ハッ! フッ、ホゥッ! ウン、フンッ!」


 左右のワンツーを繰り返す、良く言えば正攻法、悪く言えば単細胞な芦名のラッシュ。

 食らえばタダでは済まないだろうが、やはり当たらなければどうという以下略。

 これは仕掛けで、狙いはその先にある――と予測はしていたものの。


「ウラッ、ハァッ!」

「とっ――うはっ⁉」


 右のゆるいローを余裕で避けたら、続けざまに右の鋭いハイが飛んできた。

 予期せぬ速度に反応が遅れ、咄嗟とっさに左腕でガードしてどうにか受け流す。

 衝撃を逃がしきれずに左肩と左腕にダメージが残り、体勢が崩れるのを防ぐために踏ん張ったせいで、右の膝と足首に過剰な負担がかかってしまう。


 ダメな蹴りを連続してコチラに見せたのが、足技はあまり得意ではないと印象付けて、油断を誘うためのフェイクだったとは。

 何て面倒くさいヤツなんだ、とあきれと称賛しょうさんなかばの状態で構え直し、芦名からの追撃ついげきに備える。


「ふぅ、逃げ回る、のも……はぅ、限界が、はっ、近いのか……おい」

「お前の方がよっぽど限界だろ……鼻息がブヒブヒやかましいぞ」

「ケッ……言ってろ、もう……ふぅ、終わりだ」


 芦名の視線が、ススッと俺の体をスキャンするように通り過ぎる。

 何事もないとよそおっているが、左肩には力が入らず腕はれ下がったまま。

 右脚はアチコチに痛みが走るせいで、体重をかけられずに重心がズレている。


 微かに変化した芦名の表情から、勝利を確信した愉悦ゆえつが読み取れた。

 俺の怪我けがの状態を看破かんぱしたがゆえの態度、だろう。

 弱点をさらけ出した状態で、芦名みたいな超攻撃型ゴリラと対峙たいじするのは、それだけでもう自殺行為みたいなもの、だが――


「ふぅ、逃げ場は……どこにも、んふー……ねぇぞ」

「これはアレだ、戦略的撤退ってやつだ」


 ジリジリと後退あとずさる俺に、芦名は冷えた気配を送ってきた。

 やはり持久力じきゅうりょくには乏しいようで、呼吸は荒いまま整っていない。

 頭は悪くないだろうに、戦闘時のペース配分は下手、というか考えなしだ。


 これまではおそらく、一発か二発で全ての勝負を終わらせてきたのだろう。

 だから長期戦のためのスタミナ温存おんぞんなど、考える必要がなかったのではないか。

 そして芦名は、今回も早々に終わらせるべく、無遠慮に距離を詰めてくる。


「うぉ⁉ ちょ、ちょっと待てっ!」

「ふん……当たると、痛ぇぞ?」


 右脚から不意に力が抜けて、片膝をつく恰好かっこうで動きが停まる。

 大声での制止に聞く耳を持たず、芦名は態勢が低くなった俺の左側頭部を狙って、渾身こんしんのミドルキックを放つ。

 風を切る音が聴こえると同時に、俺の体は空中を強制的に横スクロールさせられていた。

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