第12話 猫の隠れ家にて①
演奏会の開始時刻にはまだ早かったが、コリアード家の広間にはもうずいぶんと人が集まっていた。
さすが、由緒正しき伯爵家の催しだけあって、訪れる人たちの装いも豪華だ。派手な色のドレスに、レースや襞飾りがふんだんにあしらわれた衣装、光り輝く宝石の数々には、目も眩みそうになる。
これだけたくさんの貴族がいれば知った顔もいくらかあるだろうと思ったが、そうでもない。
これからは侯爵家長男の夫人として、こうした貴族の集まりもそつなくこなしていかなければならないのだ。王宮庭園や荘園の管理にかまけて、苦手な社交界の付き合いを避けて通ってきたことを、そろそろ顧みなくては。
「エレイナは、コリアード伯爵がどんな方かご存知?」
半歩前を歩くアデルが、顔を前に向けたまま尋ねた。
エレイナは他の客と擦れあうドレスのスカートに四苦八苦していたが、アデルはそんなそぶりも見せずに、客でごった返す大理石の床を、顎をつんと上げて進んでいく。
「父からは、ご夫妻ともに楽器の名手だと伺っております。夫人は鍵盤楽器の先生だとか」
「今はね。でも、伯爵はただ道楽を楽しんでいるだけの田舎貴族というわけではないわ。かつて彼が、あなたのお父君と一緒に宮廷にいらした頃の話は?」
そう尋ねられて、エレイナは罰が悪そうに首を振る。
「いいえ。それに、ここ最近は父が忙しくしているために、ゆっくりと話ができていないのです」
エレイナの弁解に、アデルが目を見開いてこちらへ顔を向けた。そう、と返して、ふたたび前を向き直る。
「では、今教えて差し上げるわ。こちらへ来て」
アデルが急に進路を変えた。広間を突っ切って部屋の隅まで行き、柱の陰に回る。
俗に言う、“猫の隠れ家”――すなわち、舞踏会などの人が大勢集まる場で、道ならぬ恋人同士がちょっとした逢引を楽しむための場所だ。その壁には透かし彫りの衝立が立てかけてあって、それで遮ると、ちょうど大人ふたりがすっぽりと身を隠せるようなスペースができるのだ。
エレイナを猫の隠れ家に押し込めて、アデルは衝立を置いた。
ここは基本的に男女がふたりで入る場所のため、女性同士だとドレスのスカートがぶつかって非常に狭い。アデルはエレイナに覆いかぶさるようにして壁に肩をつく。
「で、さっきの話なのだけど」
「え、ええ」
エレイナはごくりと唾をのんだ。
「あなたのお父君が宰相を務めていた頃、コリアード伯爵は元老院の中心人物だったの。彼がサロンを訪れる時には大抵、同時期に元老院にいたムゼ侯爵と連れ立っていたんだけど、そのムゼ侯爵があなたのお父君と懇意にしていたのよ」
「そうなのですか?」
エレイナはアデルの顔を見上げた。
ムゼ侯爵の名前は父の口から聞いてはいたが、特別親しく付き合っていたことまでは知らない。
国の情勢について、父はたびたび話して聞かせてくれた。しかし、個人的な話やどろどろした人間関係については、娘の耳に入れまいとしているようでもあったのだ。
アデルは海の色をした瞳をきらきらと輝かせ、さらに頬を近づけてくる。
「あなたのお父様、最近元老院の空席に入ることになったでしょう。今、王宮内では密かにある計画が進行しつつあるわ。クロナージュ伯爵、ムゼ侯爵、コリアード伯爵――この三人が中心となって、王宮内における権力の構図をひっくり返そうとしているの」
「ええっ!?」
「しいっ」
アデルの指がエレイナの唇を押さえた。いつの間にか腰に彼女の手が回され、エレイナは抱きしめられるような格好になっている。
しかし却って好都合だ。不穏な話に震えあがったエレイナは、誰かに支えられていないとまっすぐに立っていられそうもない。
アデルは一度後ろを振り返って、ふたたびエレイナの目をじっと覗き込んで続ける。
「今、国内は正教会が支持する枢機卿の権力が席捲しているわ。先王の宰相をしていた枢機卿と、現国王の宰相であるロンデル伯とのあいだで確執があるのは知っているわね?」
「は、はい……まあ」
「では、ロンデル伯が現国王を即位させるために、先王を亡き者にしたという話は?」
エレイナは鋭く息をのんだ。思わず彼女から視線を外して、誰か聞き耳を立てていた者はいなかったかと、周りを確かめる。
彼女は一体なんてことを言うのだろう。そのことは、当時散々噂になったせいで貴族のほとんどが知るところではあるが、それを口に上らせる者は滅多にいない。
「あ、あの……それについてはわかりません。まだ子供でしたから」
エレイナは唇を噛んで俯いた。尊敬するアデルがこんなことを言うなんて信じられない。彼女は何を望んでいるのだろう。これが本当に知っておかなければならないことなの?
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