幼なじみの第二王子(女装)に甘く迫られています♥
ととりとわ
第1話 プロローグ~私、男の人は苦手なの
王国が誇る見事な庭園は、いばらのツルで守られた城壁を越えた先にあった。
ヴィクトラス王国、東の離宮――その美しい白亜の建物に続くアプローチには、王国内外から運び込まれた色とりどりの花が、一年中咲き誇っている。
外周を取り巻く樹々には、軽やかにさえずる小鳥たちの声。
しっとりとした蜜の匂い溢れる、赤やピンクの花々。
城の前には睡蓮の池があり、遠い東の国の商人が持ち込んだという、珍しい金色の魚が泳いでいる。
まるでおとぎ話の世界だ。惜しむらくは、この幻想的な景色が、ごく一部の人の目にしか触れないということだろうか。
その庭園のはずれにある花壇の中に、今日も変わらずふたつの頭が出入りを繰り返している。この離宮の近くに屋敷を構える、クロナージュ伯爵家の長女エレイナと、ヴィクトラス王国の次男で、エレイナよりひとつ年下の王子ルシオールだ。
エレイナはドレスの裾をたくし上げて、小道にじっとしゃがみ込んでいた。目の前にある、今まさに咲こうとしている花に夢中なのだ。
橙色のその花は、大聖堂のてっぺんにある鐘そっくりの形をしている。
開花の瞬間を見ると幸運が訪れるというので、数日前に膨らんだ蕾をふたつ見つけた時には小躍りした。それなのに、昨日もおとといもこの庭園にいながら、ひとつ目が花開く瞬間を見逃してしまったのだった。
――今日こそは絶対に見る!
エレイナは朝からそう決めていた。よほどの天変地異でもなければ、ここを動く気はさらさらない。
ところが。
「見て、エレイナ」
背後からルシオールが呼びかけてくる。エレイナは軽く苛立ちを覚えた。
「待って。あとでね」
「せっかく君の好きな花を持ってきたのに」
「ありがとう。でも少しだけ待ってほしいの。ほら、『天使の鐘』がもうすぐ咲きそうよ!」
くだんの花は蕾の先が限界まで膨らんで、今にもはち切れそうになっている。あとちょっとで綻ぶはずだ。数を数えてみようと、心の中で数字を追う。
一、二、三、四、五……
しかし、十五まで頭に浮かべたところで、エレイナは突然数えるのをやめた。ルシオールが後ろに立ったまま、いつまでも隣にしゃがもうとしないので集中できないのだ。
「ルシオ? 花が咲くのを見たくないの?」
ちら、と振り返ってみる。途端に、見事な銀色をした彼の髪が目の前で揺れた。そして唇に、ちょんと冷たい何かが触れる。
花だ。大変珍しく貴重とされる、国王陛下が大切にしている大輪の白い花。
エレイナは弾かれたように立ち上がった。
「ルシオ! その花を摘んじゃだめじゃない!」
自分があげた金切り声に、耳がきんとなる。そして、次の瞬間には後悔に襲われて、はっと口を押えた。
――一体なんてことを言ってしまったんだろう。
いくら幼なじみとはいえ、王子を怒鳴りつけるなんてとんでもない話だ。本当はこうして離宮に遊びに来るのも、もうやめにしなければいけないのに。
父親であるクロナージュ伯爵も、王子との付き合いにはハラハラしているようだった。しかし、父が先王の宰相を務めていた関係で、ルシオールとはほんの小さなころからの幼なじみなのだ。いくら十二歳という大人の仲間入りをする歳になったとはいえ、そうきっぱりと気持ちを切り替えられるはずもない。
エレイナは毎日毎日、ルシオールに会うためにここへ来た。そして、庭園の花に埋もれた彼を見つけるたびに、安堵する。彼はまだ、友達でいてくれるつもりらしい、と。
立ち尽くすエレイナの元に、ルシオールが例の花を携えて歩み寄ってくる。
たった今、自分の発言にショックを受けたばかりなのに、エレイナは彼の姿にとっくりと見入っていた。
彼は本当に美しい少年だ。朝日にきらめくみごとな銀髪も、海のようなブルーの瞳も、ほっそりした素直な体つきも。みんなみんな、神様がこの世に遣わした天使なのだと思わざるを得ない。彼の姿を見て、虜にならない人はいないだろう。なんなら、母の形見であるエメラルドのペンダントを賭けたっていい。
「父さまが大切にしていらっしゃる花だということは知ってるよ。でも、あんまりきれいだったから」
そう言って、ルシオールはエレイナに向かって手を伸ばす。そしてエレイナの栗色の髪に花を挿すと、にっこりと微笑んだ。
「こうしたかったんだ。やっぱり君によく似合うよ。かわいいひと」
エレイナの心臓が、ぎゅっと掴まれたようになる。
ルシオールの背はエレイナよりも少し低い。声だってまだあどけない。それなのに、怖いくらいに青い瞳が、大人の男のように艶めかしいのだ。
「ねえ、エレイナ。この花の花言葉、知ってる?」
尋ねられて、小さく首を振る。
ルシオールの手が、エレイナの頬にそっと触れた。
「あなたとひとつになりたいって意味があるんだって。ね、エレイナ。大人になったら、僕と結婚してくれるよね?」
「えっ」
思わず絶句して、青い両目を覗き込む。
王家の子息が自分で結婚相手を選ぶなど、ありえない。それに、確か王室の法律では、王家の嫡子は伯爵以下の家の娘と結婚することを、禁じられてはいなかっただろうか。
彼は冗談で言ってみただけのはず。小さな子供がよく交わす、実現不可能な約束を……。
そう言い聞かせようとしているのに、エレイナの胸の高鳴りはどんどん激しさを増していく。言いようのない喜びと悲しみとに同時に襲われて、動揺が隠せない。
「ね? いいだろう? エレイナ」
「わっ、私、男の人は苦手なの……!」
心にもないことを言って、エレイナは吸い込まれそうな瞳から視線を外した。
ところが彼は、とても少年とは思えない妖艶な笑顔を浮かべて、さらに距離を詰めてくる。
思わず後ずさったエレイナの手を、ルシオールの手が捉えた。
「嘘ばっかり。エレイナはいつも、そうやってはぐらかすんだ」
海のように青い瞳が、目と鼻の先まで迫る。
「ほ、ホントだもん」
「嘘」
「ホントってば。だって私――」
それに続く言葉が、柔らかな感触に奪い取られた。気づいたときには、エレイナの唇は薄く瑞々しい少年の唇に塞がれていた。
目の前に、銀色の睫毛が揺れている。秀でた彼の額、あたたかな息、しっとりした唇の感触――。
その瞬間、頭が真っ白になった。胸の中にざんざと押し寄せる、まばゆい光に満ちた波。
エレイナはルシオに掴まれていた手を振りほどいた。
「ルシオのばかーーーー!!」
どん、と彼の胸を力づくで押しのけ、逆方向へと走り出す。土を踏みにじるような音がして、彼が尻もちをついたことがわかったが、振り返らなかった。それまま花びらを撒き散らしながら、庭園の小道をエレイナは走り抜けた。
ルシオールが離宮を離れると知ったのは、それから二日後のこと。王家の子息であれば、一定の年齢を迎えたら国王の近くで政治や帝王学を学ぶものと決まっている。第二王子のルシオールでも、それは避けて通れない道だった。
エレイナはその日以降庭園には行かず、ルシオールの姿を見たのはそれが最後となった。
彼を突き飛ばしてしまったことを謝りたい。その後悔の念を幼い恋心とともに、小さな胸の中の箱にしまいこんだのだった。
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