船上で不思議なものを見る


「うわっ、蒸し暑っ」


 バスを降りた伊吹は、先ほどまでのクーラーで冷えた体から冷気が失われ、一気にベタついた肌の感触にげんなりした。難波から舞鶴フェリーターミナルまで高速バスで約2時間半。

 車でフェリー旅なら、今後の工程も楽しいだろうに、と横に置いた存在感抜群の袋を見やる。いやいや、とかぶりを振り、俺は自転車で食材を知り、料理をして見聞を広めるんだ。それには試練はつきものと思い直す。


 思い返せば、日本縦断ロードバイクの旅を決めてから今日まであっという間だった。長旅に向け用意するものやフェリーのチケットの手配、周りの下調べ。抜け殻のように過ごしてた日々が嘘のように伊吹は精力的に動いた。

 とうとうこの日がやってきたと思うと、感慨深い。俯いて鼻をすすり、すぐ顔を上げて暗がりに浮かぶフェリーを見つめる。


「よし!」


 これから始まる旅に向け気合いを入れた伊吹は、自転車の入っている鞄を肩に掛け、舞鶴フェリーターミナルへ向かった。


「せまっ」


 大部屋の中に二段ベッドが複数あり、その中の一つ下段に腰を下ろす。寝転んでみたが、寝返りうつのも壁にぶつけてしまいそうだ。まぁ、1日だけだし寝たらすぐ北海道だ。とりあえず寝るかと、横になってみたが落ち着かない。

あまり揺れないと聞いていたが、ベッドに寝ていると頭がふわふわする。それでも無理に目を閉じて時間が過ぎるのを待つ。

 初めて船に乗ったが自分が船酔いすると思わなかった。こんな繊細な面もあったのか、と苦笑いをする。どうにか朝まで持ち堪えた伊吹は、ベッドを降りて気分転換に外に出ようと思い立ち上がった。

 甲板に出るドアを開けた。


「うわぁー。すげぇ!」


 真っ青な空と青い海。絵に描いたような絶景に思わず声が出てしまう。


(まぁ、これが見れただけでも昨日の辛さが帳消しだな)


 気分が良くなった伊吹は、ゆっくりと周りを見渡しながら歩いていると、視線の先に映った男に息をのむ。


(うわ、光に反射してキラキラ輝いているとんでもないイケメンだな。外国人か?)


 細身のジーンズに白いシャツ、金色に輝いた髪の毛が海風で舞い上がる。それを手櫛で掻き上げている。目を外せないでいると、男の周りに白いもやあらわれた。


(どういうことだ?)


 目を細め、今まで見たことのない白いモヤを検分する。黒はあっても白は初めてだ。なんで何にもないところから、この原因はなんだ? 考えているうちに男を包み全く見えなくなってしまった。


(やばい。なんかわかんないけど、ヤバいよなコレ。ここ海だし見晴らしが悪くて落ちたらもともこもない)


 助けようと伊吹が一歩足を踏み込んだ途端、もやが晴れた。

 足を止め、まっすぐ前を見ると、真っ白な長い髪の毛が風に吹かれなびいている。つい先程見た時は、短かったはずだ。魔法使いとかかな、いやいや今の現実世界でありえないでしょ、と一人心の中で突っ込み苦笑いをした伊吹。すると、男が髪の毛を掻き上げた時に、頭の横から突起物が見える。


 「はぁ?」


 つい大きな声が出てしまって口を塞ぎ、視線を床へと向ける。

 いやいや、そんなはずはない。人間にツノが生えてるはずがないし、人工的なツノが生やしても大丈夫なイベントは節分だけで、今は時期はずれだし。とりあえず、自分の目がおかしくなったのかもしれないと、伊吹は目を擦り先ほどの男を再び見た。

 髪の毛も短く、ツノは生えてない。


「はは……、そんな鬼みたいなことあるはずねぇわな」


 乾いた笑いをしていると、男と目が合った。

 ニコッと人なつっこい笑みを浮かべられ、後ろめたいような気持ちでポリポリと頬を掻きながら、軽く会釈する。

 男は、伊吹のそばまで近づくと「こんにちわ。風強いですね」と、声を掛けてきた。


「こ、こんにちわ。さっき、風に髪の毛やられてましたね」

「見られてたんですか」

「気ぃ悪くしたらすんません。すごい色素が薄くてキラキラ輝いて…、なんか白いものが包んでツノ…」


 驚いたように男は目を見開く。


「す、すみません。多分、蜃気楼的なものだと思います。ほら、海で水蒸気もすごいし」

「海風で、髪の毛とかパリパリしますね」

「本当に。髪の毛キシキシしますもん。まぁ、俺の髪の毛は短いんでお兄さんのように綺麗な髪だともっと大変だと思いますけど」

「お一人ですか?」

「はい。俺、小料理屋で修行してたんすけど、店がなくなって、日本一周して現地のうまいもの食べたり、料理したりしたいな、って。まぁ、ロードバイクで貧乏旅なんすけどね」


「うわぁ〜、すごい! 僕も、日本全国津々浦々のラーメンを愛してるんです。日本って美味しいものいっぱいですよね」

「外国の方ですか?」

「いいえ、日本人ですけど?」

「え? 日本って美味しいものいっぱいって言うからてっきり」

「紛らわしい答えをしてしまってごめんなさい」


 海外旅行のバックパッカーか何かかと思っていた自分が恥ずかしい。そういえば、先程から流暢な日本語を話してたじゃないな。俺のバカ!! 真っ赤になった顔を手で覆い俯く。

 面白そうにクククク……と、笑い声が頭上から聞こえてきた。

 顔を上げると、白檀の匂いがほんのり薫ってきた。先ほどの白いもやが男を包む。いつもは黒いもやなのに、なぜこの人は白いもやがかかっているんだろうか。


「あ、あの!」

「はい?」


 しまった。気になって声をかけたものの、次の言葉を考えてなかった。眉尻を下げ、困り顔を浮かべ、なにか言わなければ、と気持ちが焦る。


「えっと、悪いこと・・・いや、黒じゃないから、いいことなのか? あ、えー、なんかありました?」


 うわ、初対面でそれはない。初めて会話した相手になにかありました? なんて聞かれても答えるはずもないし、むしろないかもしれない。

 焦ってたとはいえ、もっと言い方というものがあったはずで。


「なにかとは?」

「いや、すんません。多分、俺の気のせいです。ちょっと白いのが見えたもので」

「白いの?」


 男は訝しむように伊吹の顔を見てきたと。


(だよなぁー。普通そうなるわ)


 苦笑いを浮かべながら頭を掻く。


「あー、霧が出てたのかも。海の上だし。急に変なことを言ってすみません。あー、そろそろ俺、船ん中入ります。じゃあ、また」


 逃げるようにその場を後にした。

 部屋に逃げ込むように向かい、ベッドに腰掛ける。手に持ってたペットボトルのキャップを開け、水を飲む。


 やっちまった、と思いながら、伊吹は頭を掻いた。

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