ニート家業まっただ中

 大将は、あの日二人で酒を交わしたテーブルの上で息絶えていた。

 走り書きの遺書と、伊吹に対しても『独り立ちを見届けることが出来ず、すまない』と一言だけ書かれていた。


 なんで言ってくれなかったんだという気持ちや他に手段があったのではと、思うことはあるけれど、きっと自分じゃ役には立てなかっただろう。それに、あの客足じゃ遅かれ早かれ閉店は免れなかったはずだ。でも、予期せぬ形で職を失い、大将の死も受け止めきれぬままの伊吹は転職活動にどこか本気になれずにいた。

 そして、あのもやの理由がわかれば、手を差しのばしたり、止めることが出来たのではないかという後悔が胸の奥底で燻っている。


「あぁ~。全然いい条件ねぇなぁー」


 いつものように布団に寝そべりながらスマホ片手に転職先を物色していた伊吹は、深い溜め息を吐いた。筋肉質な大きな体を重そうにゴロンと寝返りをうって、テレビのリモコンに手を伸ばす。映ったテレビはお昼のワイドショー。芸能人のゴシップネタに、世界情勢。チャンネルを変えながら代わり映えのないネタの数々にうんざりしながらボーッと画面を眺める。


「くそあちぃし、つまんねぇな。よくも毎日毎日飽きもせず……。まぁ、俺も人のこと言えねぇか」

 自嘲気味に薄笑いを浮かべる。


 あの日から24日が経った。コンビニで貰うバイト情報誌やネット検索をしても伊吹が求めている仕事は見つからなかった。

 出来れば、以前のように大将から色々なことを教わりたい。そしていつかは自分の店を持てるくらい実力をつけたいし、あわよくば開店資金を貯められるくらいの少しだけ余裕のある給料が貰えるとなお良い。


「そんな好条件ねぇよなー。弟子募集も殆ど無いし。また丁寧な仕事をする人の弟子になりてぇな」


 見た目も厳つく目つきが悪い伊吹は、警察官とか自衛隊の方が合ってるんじゃないかと親から言われたが、自分が作ったうまい料理をじいさんやばあさんが生きているうちに食わせてやりたいと、言って家族の反対を押し切った。

 見た目だけじゃない。思ったことをすぐ口にしてしまう性格も友好な人間関係の構築の邪魔をしてしまう。良かれと思って指摘したことで相手を不快にさせてしまうのだ。


『もう少しオブラートに包んで話をしろ! 日本人なら本音と建て前を使い分けて、笑顔で接客しねぇと、客商売上手くいかねぇって、わかってんのか?!』


 これは、こないだまで働いていた大将の言葉だ。大将も無愛想だったくせに、その人に言われるなんてよっぽどだ。


「って、思っても無いこと言うのはなぁー。嘘つくってことだろ? 嘘つかれて嬉しいもんかねー?」

 呆れ混じりの溜め息を吐きながら、ぼーっと天井を見上げる。


「俺の料理が好きで、求める人に飯を作りたい。俺の腕に惚れ込むような……。本音と建て前なんかくそ食らえ‼」

 天井に向かって拳を掲げる。上げた腕から汗が伝い、伊吹の目に落ちる。


「つぅ、イッてぇー!」

 側にあったタオルで乱暴に目を拭く。


「クソ、クソ、クソッ‼」


 エアコンの効きが悪く、むわっとした湿気を含んだ重苦しい暑さにイライラが募る。しかたがなく扇風機の風量を強にするも、蝉の声が暑さに拍車をかけていく。


「チッ。まったく涼しくなんねぇし!」


 ぼやいていると、テレビから『夏休み初日、大学三年生の藤原くんが宗谷岬よりロードバイクで日本縦断の旅に出発します!』と、テンション高めのリポーターの声が聞こえてきた。


「ふじわ……ら?」


 自分と同じ苗字の藤原という名前につられるようにテレビ画面を凝視する。

『日本、最北端』と書かれたオブジェの前で真っ黒に日焼けしたレポーターが、緊張気味の肌が白い……むしろ真っ青になっている藤原青年にぐいぐいと迫っていく。


「白とクロのコントラストすげぇな」


 2人並ぶとまるでオセロのようだった。


『このロードバイク、もともと使ってたの?』

『あっ、このために購入したんです』

『えっ?! これから日本縦断するんだよ? 日本縦断って、2,600キロ以上だよ?』

『知ってます。でも大丈夫です、自転車には乗ってました』

『自転車って、どういう?』

『カゴついてる……一般的にママチャリ? って呼ばれてるのを少々』


 レポーターが口をぽかんと開けているのと同じく、伊吹も目を見開き「はぁ?」と気の抜けた声を出す。


「……絶対無理だろ」


 このテレビを見ている人、全員が同じ感想を持ったに違いない。

 サラサラした黒髪で、黒のセルフレームのメガネ。少し猫背のテレビに映る青年は、ずっと勉強ばかりしてきましたっていう風貌だ。下調べだけではどうにもならないことがある。しかもロードバイクの運転が初めてで、自転車にはママチャリしか乗ったことがないらしい。


「今からでも辞めた方がいいんじゃね?」

『始めてのロードバイクで、無謀な挑戦じゃない?』


 伊吹の声を代弁するようにレポーターが藤原青年に質問を投げかける。なんて答えるのか興味津々にテレビを見つめる。


『無謀かもしれないですけど、やらないよりやって「やっぱ無理だった。やらなきゃ良かった」って後悔する方がいいなって。それに、達成出来るかもしれないじゃないですか』

「そうだけど、確かにそうだけど……」


 平坦な道だけじゃなく峠とか坂道もある。それに晴れや曇りの日だけではなく、雨や豪雨の日だってあるだろう。大学生の夏休みは長いんだし、そのままバイトでもしてぬくぬくと過ごしていた方が断然いいはずだ。社会人になると夏休みといっても長くて1週間程で終わってしまうのだから。

 社会人で学生の夏休みのごとくダラダラしていた自分を棚に上げ独りごちる。

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