第22話
私達はその足で見張りのいる階段を降りた。
どうやら降りる時は証明書を提示しないでいいみたいだ。
食堂へと向かった私達はローレンスの部下が用意した紅茶で一服していた。
高級紅茶の香りを楽しむシャロンと違い、ローレンスは早くサイラスに会いたそうだ。
私もそうだが同時に情報を整理したい気持ちもある。立て続けの取り調べで頭が疲れていた。色々と考えたせいで普段は食べない甘い物もおいしく感じる。
ローレンスは運ばれてきた紅茶にも手を出さず、眉をひそめた。
「いつまでこうしているのですか?」
「疲れが取れるまでよ。やっぱり綺麗なお花ね」
シャロンはそう答え、ローレンスが買ってきた花を眺めてながら言った。
「もしかして逃げられることを気にしているの? ここのセキュリティーはその程度?」
ローレンスはムッとして拳を握った。
「通常の手段ではあり得ません。しかし魔法を使われたら我々にも限界がある。もしかしたら瞬間移動なんてことも」
「可能性としてはあるわ。でもそんなことをすれば自分が犯人と言っているようなものよ。たとえサイラスが犯人だとしてもわたし達が彼の嘘を知ったことを確認しない限り逃走はしないでしょう。それにそんな高等魔法の使い手はわたしが見た限りあの中にはいないわ」
「しかし証拠を隠滅しているかもしれない」
「なら持ち物検査と部屋の調査をしっかりやるしかないわ。殺しから時間が経っているし、もしそんなことをしようとしているならとっくに終わっているはずよ。分かったら少しは落ち着きなさい。余裕がない男はモテないわよ」
シャロンの言っていることは尤もだ。証拠隠滅の時間は十分すぎるほどあった。
諭されたローレンスは不満そうにしながらも紅茶を一口飲んだ。
だがローレンスが焦るのも当然だ。シャロンは謂わば部外者で、責任を取らされるようなことはない。しかしローレンスは違う。既に警護対象を殺され、しかも未だに犯人の目星すら付けられていない。
我が王は実力主義者だ。このままでは降格はもちろん、左遷もあり得るだろう。最悪クビも覚悟しなければならない。気が気じゃないのは当然だ。
こう見えてローレンスは苦労人だ。都市部の生まれではなく、田舎から出てきている。真面目で忠誠心があり成績は学年でトップだったが、人一倍努力してきた。そうしなければ他のエリート達との戦いに勝てないのが現実だ。
実力主義とは言え、金持ちや家が軍の高官ならやはりかなり有利となる。それこそ家庭教師を付けたり高い私立学校に通って徹底的に学び、士官学校の試験を受けられるのだ。
誰よりも努力して今の立場を築いたというのに、こんな不可解な事件を解けずに処分を受けるなど悲劇でしかない。
この同期を哀れに思うが、生憎してやれることは多くなさそうだ。私にできることは精々今回の事件を解けるであろうこの小さな爆弾を爆発させないことくらいだろう。
三日以内に犯人を見つけられなければ私も然るべき処置を受けるはずだ。あの「いらない」にどんな意味が込められているかは不明だが……。
国のトップに目を付けられるのはやはり怖い。このまま行けば私もローレンスも降格して国境警備辺りに飛ばされるのがオチだろう。
私も来年で三十だ。身の振り方を考えなければならない時期なのかもしれないな。
私の横でシャロンはおいしそうにケーキを食べていた。こうやって見ると本当にただの少女にしか見えない。
しかし彼女がこの事件を解けるかどうかに多くの運命が握られているのだ。だがそれすらもシャロンにとってはどうでもいいのだろう。
考えてみれば当たり前だ。百年単位で物事を俯瞰して見てみれば降格だの左遷だのということは人生において些細な事柄にすぎない。
大切なのはそういう与えられた地位ではなく、己を研鑽し、高めることなのだろう。
そんなことを私は悠々とした態度を崩さないこの可愛らしい人から学んでいた。
私がシャロンの口についたクリームを吹き終わると彼女はローレンスに尋ねた。
「そう言えばロビーにいた軍の関係者については聞いてなかったわね? 誰がいたかくらいは分かっているの?」
「それについては調べ終わっています。三階に上がるには許可証を見せなければいけませんからね」
シャロンに「名前と人数は?」と聞かれ、ローレンスは手帳を取りだした。
「人数は四人。それぞれラブロ大佐。テオ中佐。リカルド大尉。レナード大尉の四人です。尉官の二人は左官の部下なので、実質的には二人組が二組ですね」そこまで言ってローレンスの顔が曇った。「……もしかして彼らを疑っているのですか?」
「そうだけど?」
さも当たり前のように答えるシャロンにローレンスは眉をひそめる。
「あり得ませんよ」
「なぜ? イヴリンも言ってたわよね。犯人は魔法使いでない可能性が高いと。そしてアーサーは共犯がいる可能性を示唆していた。なら軍の関係者と魔法使いが共謀したという考えが浮かぶのは当然だわ」
その通りだ。少なくとも私はあの話を聞いてそう思った。
しかし上官とは言え、同じ軍の仲間である者達を疑われて素直に受け入れられる軍人などいない。
ローレンスは微かに俯いた。
「……可能性はあるかもしれません。でも動機がありませんよ」
「なにを寝ぼけたことを言っているの? 軍にとって魔法使いなんて自分達のテリトリーを荒らす部外者以外の何者でもないでしょう? 自分達の立場や利益を守るために一人や二人殺したって不思議じゃないわ。特に兵器を開発している者達にとっては今回の招待は一大事よ。下手をすれば今まで自分達が培ってきたものを否定され、科学でなく魔法が主導権を握るかもしれないのだから」
「だとしても国のためにはなります」
シャロンは呆れていた。
「見上げた忠誠心ね。だけどみんながみんなあなたみたいに忠義だけで生きてはいないの。そんなものより財布の中身の方が大事って人の方が多いわ」
「我が軍を馬鹿にしているのですか?」
「人間の話をしているのよ。それとも坊やには分からないかしら?」
組織を信じるローレンスと人の性を知り尽くしているシャロンの視線がぶつかり合う中、私は間に割って入る。
「まあまあ。まだなにも決まってません。それにたとえ軍の関係者が事件に関与していたとしても、それが故意かどうかは分からない。利用されていたかもしれませんよ」
二人を納得させるにはこうするしかなかった。特にシャロンが不機嫌になるのはまずい。
その可能性を提示するとローレンスは少し落ち着いた。
「つまり犯人は魔法使いで、軍の関係者が利用されたと? ふむ。それならあり得るな」
納得するローレンスを見て頬杖をついたシャロンは馬鹿にするように笑った。
「殺しをする裏切り者はいなくても利用されるような間抜けはいてもいいわけね」
ローレンスはムッとした。
「まだ可能性はあると言っているだけです。あなたは知らないかもしれないが、軍と魔法使いとの関係は長い。魔法兵器を開発するために今までも魔法使いは呼ばれてきたんです」
「語るに落ちてるわね。つまり兵器開発はずっと軍人が仕切っていたということでしょ? でも秘密裏にではなく今回のように王が直々招待した魔法使いならリーダーとして迎えられるかもしれない。そう考えた軍人が暴走しても不思議じゃないわ」
その可能性は十分あると思ってしまった。なにより魔法を使った痕跡がないのがおかしい。軍の関係者が魔法使いと結託して一番を取りそうなシモンを殺し、自分の息が掛かった人材を兵器開発のトップや特別顧問として迎え入れる。
そういった血なまぐさい政治が蠢いていているのもまた軍という集団なのだ。
その点を考慮すればやはりサイラスは怪しい。彼は政治よりビジネスに重きを置くタイプだ。軍の関係者が懐柔しやすく、サイラスも大口の契約を結べるメリットがある。
他の四人も政治色が強いとは言えない。そんなことより自分の研究を重視するタイプだ。
いや待てよ。ならシモン・マグヌスもそうじゃないか。彼はずっと田舎に籠もって研究を続けていた。そんな人間が軍の研究機関で働くだろうか?
いや、可能性としては排除できない。ならおそらくこの犯行はシモン・マグヌスがピックアップされた段階で計画されたと考えていいだろう。
偶然でない限り密室殺人となれば相当前から準備をしていなければ難しい。魔法を頼るにせよ、それが使える魔法使いと前もって結託しておかなければならない。
となれば軍の関係者が利用された可能性は低いだろう。むしろ利用されたのは魔法使い側と見るのが妥当だ。
関係者と話していたのはサイラスとイヴリン。彼らが知らない間に使われたとすればある程度納得はできる。
だとしてもあの密室を作り出す方法はまったく分からないままだが。
いや、サイラスが嘘をついているのはほとんど確実だから彼が知らない内に共犯となった可能性は低いな。
どちらにせよ視野は広げる必要がありそうだ。足りない頭でなんとか思考を展開させてみたが、私に分かったのはなにも分からないということだけだった。
しかしそれをシャロンは気に入ったようだ。私を見てニコリと微笑む。
「主義主観に頼らず、得た情報から思索する。こちらの坊やはまだ使えそうね」
私は「恐縮です」と苦笑した。
「でも情報が足りない内にあれこれと決めつけるのはよくないわ。決定的な証拠が出るまでは全ての可能性を排除せずに並べていく。そして論理的に破綻しているものから抜き去っていき、最後に残ったものを真実とする。物事を解明するにはこれしかないわ」
シャロンは紅茶を飲み干すと真剣な目つきで私達を見つめた。
「全てのあり得ないが実在する。魔法の世界では常識よ。勝手な決めつけは盲点を生むだけ。分かったらもう少しフラットな立場で考えなさい」
ローレンスは立場上納得できないようだったが、私はすんなりと受け入れられた。少なくともこの事件を解けるのは軍人ではない。そしておそらく魔法使いの側でもない。
どちらにも属さず、そしてどちらの論理も理解できる。そんな存在にしか分からない気がした。
そんな人物は私が知る限り一人しかいない。
なら私にできることはやはりシャロンを補佐することだけなのだろう。
お茶も飲み終え、ケーキも平らげたシャロンは「そろそろ二週目に行きましょうか」と言い出した。
私がシャロンを抱きかかえようとすると、奥から一人の憲兵がこちらにやってくる。見たところローレンスの部下らしい。
その青年はローレンスに耳打ちした。するとローレンスは目を見開いて驚いた。青年も困惑しているようだ。
青年が立ち去るとローレンスは小さく嘆息してこう告げた。
「……今、秘密情報部から連絡がありました。どうやら魔法使いの中にイガヌのスパイが紛れ込んでいるようです……」
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