第20話
最後の容疑者、『新奇』ことイヴリン・ウッドの部屋を訪ねると明るい声が返ってきた。
「はーい! 今開けまーす!」
イヴリンは笑顔でドアを開け、私達を中へと案内した。私とローレンスにまで椅子を勧めてくれたのはこの子が初めてだ。
イヴリンはベッドに座ってシャロンを見つめた。眼鏡の奥にある瞳はプレゼントを見ると少女のようにキラキラと輝いていた。
「あ、あの、この人ってまさか……」
私は頷いた。
「知っているかもしれませんが、ミスシャロン・レドクロス様です」
「やっぱりー! そうじゃないかと思ったんですよ! こんなちっちゃいのにすごいエーテルを感じますもん!」
イヴリンはシャロンに近づき勢い良くお辞儀した。
「初めまして! イヴリン・ウッドです!」
「ご丁寧にどうも。シャロンよ」
シャロンは面倒そうだったが、イヴリンは興奮して顔を近づけている。
「うっはあー! すごい! 本物だあ! 肌きれーい。髪もつやつや。おててもちっちゃくてかわいい~」
シャロンはご機嫌そうにイヴリンを指さして私を見た。
「この子は犯人じゃないわね」
おいおい。
呆れる私をよそにイヴリンは腰をくねらせる。
「噂には聞いていたんですよ。でも『魔女っ子シャロン』と本当に会えるなんて光栄です」
「いい子ね。わたしに会えた幸せを噛み締めなさい。だけど今言ったふざけた二つ名では二度と呼ばないで。すり潰すわよ」
「ではなんとお呼びしたらいいでしょう?」
「そうね。『絶世の美少女』とか『ピチピチシャロン』とかかしら」
美少女はともかくピチピチは死語だ。
「ピチピチってどういう意味ですか? それにそんな二つ名ありましたっけ?」
シャロンは眉をひそめて首を傾げるイヴリンを指さした。
「この子が犯人ね」
待て待て。
私とローレンスが呆れて溜息をつく中、イヴリンは涙目で否定した。
「わたし人殺しなんてしてませんよお」
「どうでしょうね。若い女なんてその場の感情で動くことも多いからちょっとしたことで憤慨してもおかしくないわ。今日はメイクが上手くいかないから人を殺そうとか」
「偏見ですよ。わたしはそんな性格じゃないですって。平和と研究を愛するただの根暗な魔法使いです。才能だって全然ないし、使える魔法もひどく少ないんですから」
「だからこそ魔法を使わないで人を殺す方法に長けているのかもしれないわ」
「そんなあ……。ちがいますってえ……。ああ……。やっぱりお母さんの言う通り都会は怖いところでしたぁ……」
イヴリンはしょんぼりしながら眼鏡を眼鏡拭きで拭いた。
私から見れば彼女も人殺しには見えないが、だからこそカモフラージュになっているのかもしれない。
なにせ相手は魔法使いだ。姿形では判断できない。それこそシャロンを見れば一目瞭然だ。これだけ小さな体に底知れぬ力を蓄えているのだから。
油断してはいけない。それは分かっているのだが、目の前で涙ぐむ眼鏡をかけた地味な女を見るとあったはずの覚悟が揺らいでしまった。
シャロンは足を組んでイヴリンを見下ろした。
「容疑を晴らしたいなら質問に答えなさい。もしわたしを騙そうとしたらその眼鏡を叩き割るから」
イヴリンはゴクリとつばを飲み込み、冷や汗をかきながらコクコクと頷いた。
「出身と経歴は?」
「しゅ、出身は西のヨコクーンです。今もそこにある実家に住んでて、友達の魔法使いとガレージで研究中です。主な研究は日用品の改良で、こんなのほしいなあって思った物を作ってます。まあ、平たく言えば発明家ですね。大した物は作ってないですけど……」
「ここに来た目的は?」
「えっと、できればもっと大きな研究がしたいなあと思ってました。役人の人にもしかしたら研究所が与えられるかもしれないよって言われてて。でも一番はすごい人達に会いたかったんです。わたしって田舎で生まれて田舎で育ってるんでそういう人達と会う機会がほとんどないですから。有名な人って本当に憧れで。だから皆さんに会えてとても嬉しかったんですけど、まさかあんなことになるとは……」
「それで、会ってみた感想は?」
イヴリンは目を輝かせて身を乗り出した。
「思ってた通り、皆さんすごい人ばかりでした。わたしと違って知識も経験も豊富だし、会社の経営をしている人も多くて大人だなあって。わたしなんて本業は実家がやってる雑貨店の手伝いですから、まさしく天と地ほどの差がありますよ」
「そう。わたしからすればあなたも彼らも大差ないけど」
「そ、そうですかね?」
「ええ。どちらも三下よ」
褒められると思っていたイヴリンはガクリと肩を落とした。
シャロンはイヴリンが持ってきた鞄をチラリと見た。
「あなたはなにを持ってきたの?」
「あ。見ますか? と言ってもここでは使い物にならないんですが」
イヴリンは鞄の中を漁り、そしてそれを取りだした。
「じゃーん! 猫耳カチューシャ! その名も『ニャンダフル』!」
それは女の子が頭に乗せるカチューシャに猫の耳が付いているだけの代物に見えた。今まで見てきたアイテムとは一線を画している。率直に言うとゴミに思えた。
しかし意外にもシャロンは食いついた。
「可愛らしいわね」
「でしょう? ちょっとしたパーティーとかでも使えますし、なにより機能がすごいんです。なんと! これを付けると猫ちゃんと話せるようになるんですよ!」
……すごいか?
「それはすごいわ!」
シャロンは目を丸くした。どうやらすごかったらしい。
イヴリンは自慢げに目を細めた。
「いやあ、日頃から思っていたんですよ。動物と話せたら楽しいだろうなって。それで実家で飼ってる猫のアーノルドと話すために開発したんです。研究機関は四年。何度も挫折しそうになりました」
イヴリンは懐かしそうにするがその時間をもっと他の研究に充てた方がよかったんじゃないのかと思ってしまう。
シャロンは猫耳カチューシャを手に取るとひっくり返したりしながら細部まで観察している。今までの発明品とは反応が大違いだ。
「うちでも黒猫を飼っているのよ。彼には特製の首輪を付けて話せるようにしてあるのだけど、他の猫とまで話せるアイテムは初めて見たわ。なるほど。付いている耳から猫の言葉を捕まえて、カチューシャ部分で人間の言葉に変換するわけね」
シャロンはまじまじと見つめたあと、震えだした。
「これは……大発明だわ」
そうなのか? つくづく魔法はよく分からない。
イヴリンは「よかったら差し上げます」とプレゼントした。
シャロンは嬉しそうにはにかんだ。
「そう? なら遠慮なくもらっておくわ」
シャロンはカチューシャを付けて私の方を向いた。
「どう?」
「……とても、似合っています」
「フフ♪ 早く猫ちゃんに会いたいわね」
色々思うところはあるが、この人がご機嫌ならそれが一番だ。
イヴリンに自信がないのも頷ける。こんなものがどう国に利益をもたらすのだろうか。
そしてこれで一番になるためにはシモンどころが残りの四人も殺さなければいけないだろう。そんなことは不可能だろうし、たとえできたとしても魔法使いが一人だけ生き残れば不審がられる。
なによりどう転んでもこのカチューシャじゃ人は殺せないことが私を安心させた。
それでもなにか得られる情報はあるかもしれない。ローレンスもそう思っていたか、小さくコホンと空咳をした。シャロンはイヴリンに向き直す。
「話を戻しましょう。あなたから見て誰が怪しいと思う?」
「それってあの人達を疑っているってことですか? そんなこと考えもしなかったです」
「なぜ? 言ってしまえばシモン・マグヌスは商売敵でしょう? 殺す理由はあるわ」
「あー……。そもそもそういう風に考えてませんでした。ただすごいおじいちゃんってだけで、他の人もすごい方ばかりですし、わたしはなにやったって最下位だと思ってましたから。場違いもいいところです」
「あなたはそうでも他は違うでしょ。シモンが殺されたと聞いてなにか思わなかった?」
「一つ思いました」
「それは?」
「犯人が魔法使いならすぐ捕まるだろうって」
その言葉で空気が一変した。イヴリンはそれを察して慌て出す。
「あれ? わたし変なこと言いましたか? だって魔法を使えばどうやっても魔法痕が残りますよね? 魔法痕を隠そうにも限界はあるし、そもそも質量保存の法則から消し去ることは困難だって魔法の教科書にも書いてました。わたしは魔法痕なんて見えないですけど、見る人が見えればすぐ分かるはずです。だから最初に聞いた時、きっと魔法を使わないでやったんだろうなって思ったんです。ここにいる人達なら魔法痕があるかどうかもすぐ分かるはずですから。なにより今日来たばかりのわたし達がこれほど手の込んだ殺人を犯すのは大変な気がして……」
たしかにその通りだ。魔法を使えば魔法痕が残る。しかし魔法痕はどこにもない。なら犯人は魔法を使っていないことになる。
そして魔法を使わずに密室を作り出すことはかなり困難で、来たばかりの客人にできることではない。
なら、犯人は軍の関係者ということになるのか?
その場合少なくとも協力者がいるはずだ。なにせシモンが殺された時、この階には魔法使いしかいなかったのだから。
薄々気づいていたが、これだけはっきり言われると目を瞑ることはできない。
この城の中に裏切り者がいる――
シャロンは小さく息を吐いた。
「なら魔法使いの中に犯人はいないってことね」
「魔法痕がなかったのならそうなると思うんですけど……。いやでも魔法使いが魔法を使わずにやったって可能性もあるし、はっきりとしたことは分かりません。魔法だって未知な部分が多いですから使われてないと断定するのもよくないですね」
「その通りね。でも魔法には無限の可能性が秘められている。それこそ一生掛けてもその全容に触れることすらできないほどに」
「ですけど不老不死ならその問題も解決できるんじゃないですか?」
シャロンは寂しげに微笑んだ。
「人は誰だって終わりがあるからそれまでにできることをしようとするわ。どんな問題を抱えていてもいつまでも生きられるならいくらだって先延ばしにするでしょう。人はいつだって怠惰なのよ。死があるから生きられる。その長さは人によって違うけれど、死が人を生かしている事実は変わらないわ。だから不老不死はそれほど便利なものではないのよ」
そこまで言ってシャロンはニコリと笑った。
「まあ、わたしは例外だけど」
イヴリンは気まずそうに愛想笑いを浮かべた。
「なんかすいません……。わたしみたいな者が、その……」
「そうね。あなた如きが踏み込んでいい話じゃないわ。ただ疑問を持ち、それを解消するために質問することはいいことよ。これからも臆せず精進しなさい」
「が、頑張ります!」
イヴリンは胸の前で両拳を握った。良くも悪くもこの子は素直なのだろう。
なんともほっこりとした雰囲気だが、それをローレンスは気に入らないようだ。たしかにこのままではあまりにも情報がなさすぎる。
「ミスイヴリン・ウッド。昨夜、食事のあとはどう過ごされたのですか?」
「へ? えっとロビーにいた人達と話してました。とにかく聞ける話は聞こうと思って」
「具体的な名前は分かりますか?」
ローレンスはそう言ってからシャロンを一瞥した。シャロンは肩をすくめた。
イヴリンは顎に人差し指をあてて考えている。
「え~……。たしか『魔機構』さんとアーサーさんとラブロ大佐とテオ中佐だったかなあ」
「どんなお話を?」
「基本はわたしが質問してました。気になったことを色々と……」イヴリンは恥ずかしそうに天井を仰いだ。「あー。今思えば迷惑だったかなあ? でも初めての都会で、しかもこんなステキなお城に招待されて興奮しちゃってたから」
「ラブロ大佐とテオ中佐ですね」
ローレンスは顎に手を当てて考え込んだ。二人ともかなり階級が上だ。おそらく彼らも王に呼ばれたのだろう。専門家がいなければまっとうな評価を下せない。
軍にとって使えるかどうかを決め、採用のために助言する役割。となれば彼らもこの事件に一枚噛んでいるかもしれない。
裏で特定の魔法使いと結託していて、それがシモン・マグヌス以外なら彼の存在は非常に邪魔となる。
いや、それならまだいい。最悪なのは外部と繋がっている場合だ。
もしかしたらこの事件は想像以上に根深い問題を抱えているのかもしれない。
私が勝手に緊張しているとイヴリンは思わぬ事を言い出した。
「それからシモン・マグヌスさんのお部屋にも行って、お話を伺いました」
「なっ――――」
なんだって?
あまりのことに私もローレンスも言葉を失った。
愕然とする私達を見て、イヴリンが慌て出す。
「あれ? 言ってませんでした? 魔法のことやこれからの進路相談のために行ったって」
「聞いてません」とローレンスはかぶりを振った。
まさかシモン・マグヌスと会っていたとは。先ほどまで微塵も疑ってなかったが、もしやこの田舎娘が犯人なのか? いや、だとしたら会ったなんて言い出すだろうか?
私は混乱していたがシャロンは想定内と言わんばかりに落ち着いていた。
「でもごく自然なことよ。魔法使いはその数自体が少ないから情報交換の場はとても貴重なの。むしろこれだけお膳立てしてくれているのになにも聞かずにいられる方が不自然だわ。わたしが生徒だった頃にこんな機会を逃したら裸にされて吊られてわね」
そういうものなのか。たしかに魔法使い達はみんな研究熱心のようだが。
「で?」とシャロンはイヴリンに尋ねた。「シモンとはなにを話したの?」
「ここにある『ニャンダフル』の感想をもらったり、これからどうしたらいいか聞いたんです。都会に出た方がいいのか悩んでて」
「彼はなんて?」
「えっと、『ニャンダフル』については面白がってくれました。上京については体験してみてもいいかもって言ってくれて。普通に優しいおじいさんでした」
「彼自身の研究についてはなにか言ってた?」
「理論は確立しているんだけど中々実用化には至ってないみたいでした。具体的なことは聞いてないですけど、自分以外の魔法使いに手伝ってもらった方がいいかもしれないって。わたしも誘われたんですけど専門外なんでやんわりお断りしました。怖いのとか苦手で。なにより魔法は人々の生活を豊かにするためのものですから」
「良い志ね。ここにいる先輩達にも聞かせてあげたいわ」
シャロンは皮肉めいた笑いを浮かべた。
「彼と会った時間は?」とローレンスが尋ねた。
「えっと、ロビーでのお話が終わってからなんで九時半くらいだったかなあ。みんな部屋に帰っちゃってどうするか悩んだんですけど、こんな機会滅多にないんで会っておこうと」
「なぜ彼を最初に選んだんですか?」
「あはは……。失礼ですけどおじいちゃんなんですぐ寝ちゃうかと思って……」
「どれくらいの間部屋にいたんですか?」
「二十分くらいですかね。あんまりいても失礼だと思ったんで」
「なら部屋から出たのは十時前後というわけですね」
イヴリンの言っていることが本当なら少なくともその時間まで彼は生きていたことになる。もちろん部屋から出る時に殺してなければだが。
私はそれを確かめるために聞いてみた。
「部屋に入った時、なにか変なものを見ませんでしたか?」
「変なもの……ですか?」
イヴリンは首を傾げた。
「たとえばメモみたいなものです」
そう言いながら私はイヴリンの反応を窺っていた。もし彼女が魔方陣を使ってなにか細工をしていたらそれを隠そうとするはずだ。
しかし見たところ本当に私がなにを言ってるか分かってないように見えた。
「メモ……。すいません……。よく分からないです。少なくともわたしがいた時にはそんなのなかったと思いますけど。遺書かなにかですか?」
それにシャロンが「魔方陣よ」と答えた。
「魔方陣? なんでそんなものが? それを使ってシモンさんは殺されたんですか?」
「いえ。魔方陣は描きかけだったわ。魔法痕もなかった」
「……えっと、じゃあなんで?」
「さあ。でもあなたがいた時になかったのなら描かれたのはその後ということになるわね」
「じゃあ、わたしの次の人が見てもらったんですかね」
「次?」
「はい」
イヴリンは頷き、そしてあっけらかんと告げた。
「わたしのあとに『魔機構』さんが来たはずですから」
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