第6話

     ○


 今から二日前。

 つまり1879年六月七日からこの事件は始まっていた。

 ネルコ・シャルケの首都、ナルン。その郊外にある古城は三百年前まで王家が住んでおり、今も彼らが管理している。

 異国、特に隣国のイガヌ帝国からの城攻めを考慮して周囲を高い城壁に囲んだその古城は兵器の発達に伴いその意味をなくし、今は文化財としての価値の方が高かった。

 美しい外観を見るために多くの観光客が訪れ、特に朝方に発生する霧によっては浮いているように見えるため、市民からは『魔城』の愛称で呼ばれている。

 その日、古城は普段より厳重に警備されていた。周囲を見回る兵は通常の三倍。内密に各隊から呼ばれ、客人を守るため職務を全うしていた。

 彼らが知っているのは今夜現れる人達はこの国にとって重要な者だということだけだ。

 昼から夕方にかけて王家の紋章を付けた高級車が古城の中に六台入っていった。

 彼らは車と同じ王家の紋章が飾られた招待状を持参しており、兵士達が受付でそれを入念にチェックする。

 全員今夜この城の最上階である三階の部屋で泊まり、翌日王に謁見する手はずとなっていた。

 夕食時、二階にある豪華な食堂で一同が介した。大きなテーブルを囲み、市民が一ヶ月かけて働いても食べられないような高級料理に舌鼓を打つ。

 右から青いドレスに身を包んだ黒髪の美女、ヴィクトリア・ベイカー。常に青い薔薇の髪飾りを付けていることから『青薔薇』とも呼ばれていた。

 髪をオールバックにして、高級スーツを着たスタイルの良い男は『魔機構』サイラス・ヤング。いち早く魔法関連の工場経営を始め、それによって財を成した。

 ロバート・ジョンソンは魔法使いでありながら医師でもある。いつも優しげに笑っている『ドクター』は背の高い天然パーマの男だ。

 人一倍夢中になって料理を食べている太った男はアーサー・スコット。『美食家』である彼は料理についてあれこれと饒舌に語っていた。

 イヴリン・ウッドはこの中で最も年下の女性だ。黄色いパーティードレスを着た眼鏡の彼女は周囲を見ては緊張している。巷では『新奇』の二つ名で親しまれていた。

 そして『奇術師』シモン・マグヌス。初老の紳士は古いスーツを着こなして静かに紅茶を飲んでいた。白髪で恰幅が良く、顔に見える皺は多くの歴史と経験を物語っている。

 以上六名。彼らが今宵の主役である。

「それにしてもすごい面子だな」ワイングラスを持った『魔機構』サイラスは周囲を見ながら笑いを浮かべた。「どれもこれも聞いたことのある名ばかりだ」

「そうですよねえ」と『新奇』のイブリンは苦笑した。「有名人ばかりで緊張しちゃいます……」

「あはは」と『美食家』アーサーが口をナプキンで拭きながら笑う。「たしかにこの面子が集まるのはこれが最初で最後だろうねえ。だからこそ彼女には会いたかったよ」

「彼女?」と『ドクター』ロバートは聞き返した。

「呼ばれてたみたいだよ。あの『不老不死』も。断ったらしいけどね」

 アーサーは答えるとまた料理を食べ出した。

 すると『青薔薇』のヴィクトリアは煙草を取りだして一服する。

「どうせ嘘なんだよ。不老不死なんて。そんな魔法が何十年も前に完成しているわけがない。嘘がバレるのが怖いから来なかったんだろうね」

 イブリンは「そうなんでしょうか?」と言って困り笑いを浮かべた。

 ヴィクトリアはもう一度煙草を吸うとそれを灰皿に押しつけながら煙を吐き、奥で黙々と料理を食べる初老の男を好奇の目で見つめた。

「だけどもう一つのビッグネームはちゃんと来たみたいだね。お目にかかれて光栄だよ。『奇術師』シモン・マグヌス。名前は聞いていたけど姿を見るのは初めてだね」

「騒がしいのは好かんのでね。外に出るのは十年ぶりだよ」

 シモンは目も合わせずにそう答えた。アーサー曰く市場には出ないような素晴らしい品質の肉をナイフで切り、それをフォークで刺して食べ、微笑んだ。

「これほどおいしいものを食べられるならたまには出るべきだったかな」

「普段はどこに住んでるんだい?」

「誰も知らんような田舎町だ。そこに工房があってね。とは言っても周りの人はわしのことを魔法使いではなく、変なものばかり作る変わった老人だと思っているが」

「ただ発明するだけで表舞台には一切出てこなかったあんたがどうして来る気になったんだい?」

 シモンは小さく嘆息した。

「こう言うと身も蓋もないが、言ってしまえばカネだ。普段はそれほどカネがかかる研究はしていないんだが、今回ばかりはどうもそうはいかなくてな。銀行は田舎の老いぼれに貸してはくれん。そこに国から使者がやってきて誘われたんだ。あんたらもそうだろう?」

「まあね。どこから聞いてきたかは知らないけど、あたしのやってる研究を御上に見せなとのお達しだよ。ものによっては今後は支援を約束するってね。御上がそう言うんだ。カネもそうだが見たくても見られない資料や貴重な素材も手に入るようになるだろう」

 ヴィクトリアは不敵な笑みを浮かべ、フォークでゆでた野菜を刺した。

 工場経営をしているサイラスは頷いてワインを飲んだ。

「魔法の研究もカネがかかる時代だ。昔のようにそこらの森で薬草を探したり、岩場で魔石を探したりすればいいわけじゃない。世界中から使えそうな物を探し集める必要がある。少し前まで科学に取って代わられた落ち目の魔法も、その科学と相性がいいと分かれば注目されたが、結局その科学にカネがかかって仕方がない。魔法を使う時に許可がいるのも面倒だ。俺は王に会ったら法改正を希望するつもりなんだがみんなにも頼めないか?」

 それに料理をおかわりしていたアーサーが笑った。

「人前で使っちゃいけないって言っても普通の人は魔法痕なんて分からないんだから実質形骸化してると思うけど?」

「個人ならそうだ。だけど組織として動くとしたらそうはいなかい。あんたが経営に携わっているレストランでもそうだろ? 魔法で新しい調理法を開拓したって聞いてるぜ」

「僕の場合は調理場でしか使わないからね。それほど困ってないさ」

「でも思ったことはないか? 料理人に出張させたいって。特に貴族は目新しさに大金を払う。屋敷に行って派手にやれば随分と喜ばれるはずだ。パーティーに呼ばれるだけでもかなりの収入になる」

「さすが『魔機構』だね。ビジネスのセンスはピカイチだ。たしかにそれはありかな」

「だろ? 医者のあんたはどうだ?」

 サイラスに聞かれ、『ドクター』ロバートはソースをナプキンに落として焦りながら答える。

「あ。ええと、まあ」

「訪問診療で魔法が使えるようになれば便利じゃないか?」

「あー。それはそうですね。でも現状は小さな診療所で手一杯なんです。ここに来たのも病院を大きくしたくてですから。それに医療の場合、魔法や魔術道具が活躍するのは手術の時が多いですし、軽傷の場合は来てもらえますから」

「おいおい。ビジネスにおいて規制なんて害でしかないんだぜ。あんたも病院を大きくしたら思うはずだ。あの時俺に乗っておけばよかったってな」

「かもしれませんが……。う~ん」ロバートは顎に手をあてて考え始めた。「魔法を自由に使えると便利ですが、危険でもありますから。私は医師として人が怪我をする可能性を増やしたくないんです」

「ご立派だな」

 サイラスは呆れて残ったイヴリンの方を向いた。

「お姉ちゃんは協力してくれるかい?」

 この中で一番若い『新奇』はずれた大きな眼鏡を直し、困った笑顔を浮かべる。

「えっと、私そういうのには疎くて……。魔法の研究も実家でやってますし、ここに呼ばれたのも手違いだと思ってるくらいですから」

「でも何かしら手土産はあるんだろ?」

「それはまあ……。でも多分ダメです。ほら。あるじゃないですか。出来上がった時は大発明だって思っても、一晩寝ると駄作に見える現象。私ここに呼ばれてからずっとそれで。本当は断ろうかと思ったんですけど、すごい人達に会えると思って頑張って来たんです。そんな感じですから、多分最下位は私ですね……」

 イヴリンはしょんぼりしつつも苦笑した。

 しかし最後の言葉を聞いて場の空気が微かに張り詰める。

 そう。予てからこの催しには噂があった。

 魔法使いを招待するために派遣された審査員達があることを言っていたのだ。

「あれって本当なのかな?」

 アーサーは疑問符を浮かべながらおかわりしたステーキを食べた。

 医者のロバートも首を傾げる。

「招待された人達の成果を見て順位をつけるという話ですか? でもそうかもしれないって話ですよね。少なくとも僕はそう聞いてます」

 サイラスはやれやれとかぶりを振った。

「残念ながら本当だろうな。今の王様は実力主義者だ。魔法使いに競わせることも厭わないだろう」

「でもどうやって順位をつけるんですか? 別の魔法使いを呼ぶとか?」

「それもあるかもしれないが、一番ありそうなのは魔法の優劣ではなく、どれだけ国に貢献できるかだろうな」

 それを聞いてイブリンは「あー。それだったらやっぱり私はダメです……」と悲しんだ。

 その会話を黙って聞いてたヴィクトリアはじっと『奇術師』を見つめる。

「かのシモン・マグヌスがこんな場所まで来たんだ。よっぽど自信があるんだろうねえ」

「どうかな。さっきも言ったがわしは世間に疎くてね。はりきって出したものの時代遅れだと一蹴されるかもしれん」

「なら流行に流されないようなものってことだね」

 ヴィクトリアはニヤリと笑うが、その目は警戒していた。

 イヴリンは「そんなものってあるんですか?」と尋ねた。

 アーサーは考えを口にする。

「料理とかだと調理法なんかは流行廃りがあるからねえ。でも新食材の開発とかならあんまり関係ないかな。この前も研究者が見向きもしなかった食材がある一人の開発によって注目を集めてたからね。そしてその食材は今じゃ市民権を得ている」

「基本的なことだろうな」とサイラスも言った。「工場で言えば作る商品は日々アップデートされていくが、それを作る機械にはずっと同じネジが使われてる。そういうのは一度使われて問題がなければずっと使用されるもんだ」

 ロバートも頷いた。

「風邪薬なども昔から使われているものが今も使われてますからね」

 話を聞いていたヴィクトリアはあざけるように忍び笑いをした。

「寝ぼけてるねえ。あるだろう? もっといつの世も必要とされているものが。今のご時世なら尚のことだ」

 サイラスはムッとしながら「なんだよそれ?」と尋ねた。

 ヴィクトリアはフォークを逆手に持ち直し、目の前のステーキに突き刺した。

「兵器だよ」

 みんなが「あ」と声を揃えて驚き、納得した。シモンだけが黙って食事を続けている。

 ヴィクトリアは続けた。

「植民地支配で最も大切なことはなにか? それは相手に反乱させないことだ。いくら支配しても反乱されたら利益なんて吹き飛ぶからねえ。だけど強力な兵器があれば抑止力になる。奴隷もそうだが、なにより隣国を制することができるからねえ」

 ヴィクトリアはシモンを探るように見て続けた。

「聞いた話じゃあんたが籠もる前、最後に言ったのが『強力な兵器さえあれば戦争は起こらずにすむ』だった。それが完成したらこの国はもう攻められないだろう。世界から戦争はなくならないが、ネルコ・シャルケが戦地になることはない。攻められたら滅びると分かっている相手には誰だって手出ししないからね」

 話を聞いてた誰もが息をのんだ。

 ドクターロバートは繰り返す。

「戦争を抑止するための新兵器……。たしかにそれがあれば国は守れる。しかしそんなものを持てば他国も黙っていないでしょう。それこそ開発競争になる」

 イヴリンは頬に人差し指をあてた。

「じゃあ全ての国がそれを持てば戦争はなくなりますね」

 それを聞いてサイラスとアーサーが呆れて笑った。

「そうなればいいけどな。戦争は勝ってる時は特需だが、負ければ国ごと企業も破産するから」

「むしろもっと恐ろしい戦争に発展しそうだけどねえ。それこそ人類が滅ぶかも」

「だが時間は稼げる」とヴィクトリアは答えた。「今の王が生きている間だけでも繁栄が続くのなら、手に入れないって選択肢はないと思うけどね。それこそ他国が手に入れる前に作り出すはずだ。バランスが崩れた間に植民地を奪うって手もある。なんにせよ世界の仕組みが変わるほどの劇薬であることはたしかさ」

 皆は同意した。そして理解する。

 もしそれが本当なのなら、今回の一番はシモンだと。

 そして考える。一番と二番の差はどれほどか。二番と三番の差は? もし一番とそれ以下で分けられた場合はどうなる?

 中には支援を充てにしている者もいた。順位が一つ変わるだけで天国と地獄かもしれない。ならやはり誰も手の内を明かそうとはしなかった。

 情報を与えて自分の開発した魔法の欠点がバレでもしたら謁見の時に言われるだろう。そうなれば当然評価は下がる。

 先ほどまでと打って変わって豪華な食堂に沈黙が流れた。

 それを破ったのはシモン・マグヌスだった。

「そう気にしすぎることはない。あれはまだ理論だけなんでね」

「おいおい」とサイラスが言った。「それは新兵器はありますって言ってるようなものだぜ? 俺が投資家ならその話を聞いた途端に躊躇なく何千万ポンドと出す」

「だといいが」

「勘弁してくれよ」

 サイラスは額に手をあてて意気消沈した。他の面々も諦めムードだ。

 サイラスは警護の為に一部始終を部屋の隅で聞いていたローレンスに意見を求めた。

「なあ。お兄さん。あんたはなにか聞いてないのか? 順位の決め方とか」

「申し訳ありませんが、自分は警備が専門なので」

 ローレンスの素っ気ない答えを聞き、再びシモンとヴィクトリア以外の一同は落ち込んだ。運ばれたデザートを前もこんな気分ではおいしくいただけないだろう。

 そんな中、ヴィクトリアだけはちがった。

「まあ、まだやりようはあるさ」

 そう呟いたのを何人かは聞こえていたが、誰もそのことについて尋ねはしなかった。

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