第四章 03 女神の石を求めて

 次の休日、セレーネはシリウス家に戻って戦闘服に着替えた。令嬢の戦闘服といえばもちろんドレス。宝石を求めて行くのに足もとを見られるわけにはいかない。本来なら呼びつけるものだが、それだとすべての石を見ることができなくなる。


 テティスの言っていたヘロン商会は、商魂たくましいと聞く。相手が公爵家となれば、大きくて高価な石ばかりを取りそろえてくるだろう。セレーネやアイリスが持っている女神の石は、そこまで大きくはない。


 黒髪の執事レイヴンを従え、シリウス家の家紋が入った馬車でヘロン商会へ乗りつける。

 店の前では、キツネ顔でタヌキ腹の会頭が、手を揉みながら待ちかまえていた。


「ようこそいらっしゃいました。シリウス公爵令嬢様、どうぞこちらへ」


 通されたのはギラギラとした豪奢ごうしゃな応接室。といっても高価なものが置いてあるだけで趣味はよろしくない。巨大な魔獣の敷物にグランリザードの腹皮を使ったソファ。水晶で作られた髑髏どくろに、きんで作られた会頭の半裸はんら像など、センスを疑う。


(半裸でも目の毒だわ。誰か向こうへ押しやってくれないかしら)


 入口からずっとしゃべり続けている会頭の話など、まったく頭に入ってこない。座り心地だけはよいソファに腰かけて扇子をひらき、ひと睨みして会頭を黙らせる。


「海の石をすべて見せてちょうだい」

「か、かしこまりました!! おい!」


 部屋の奥に控えていた店員に、会頭は顎でしゃくってトレーを持ってこさせる。金のトレーには赤い布がかれており、その上に海の石が等間隔とうかんかくに乗せられていた。

 海の石というだけあって、緑がかった水色や、青い石なのだが、下地に赤を持ってくるとにごって見える。センスが悪いだけでなく、商品の見せ方も知らないようだ。よその商会では白か黒、薄いグレーなどを用意するというのに。


(まぁ、鑑定眼には支障ないわ)


 セレーネやアイリスの持つ石は、石の名前の下に『女神の石』と表示された。それを探せばいいだけだ。さっそく大ぶりの石を進めてくる会頭を無視して鑑定眼を発動させる。


「……ねぇ、海の石はこれで全部なの?」

「はい! 特にこちらの海の石は希少価値も高く――」

「――ここには、わたくしの欲しいものがないわ!」

「そ、そんな……、よろしければほかの石も」

「本っっ当に、海の石はこれですべてなの⁉」

「も、もちろんです!」


 ここにないとすれば、誰かに買われていったということだ。それでも探して取り返さなければならない。女神の石はきっとテティスの心を癒やしてくれる。


「二年前、海の石を求めて来た令嬢がいたでしょう?」

「はて……?」

「彼女の求めた“海の石”が欲しいのよ」

「ううむ、そうは言われましても」

「今すぐ従業員に聞き取りして、石の所在を確かめて! ――お礼は弾むわよ?」

「はいぃ!! ただちに!」


 現金な会頭は、レイヴンが懐から取り出した手持ちの銀貨に飛びついた。バタバタと裏が騒がしい。しばらくして会頭はひとりの店員を連れてきた。貴族の相手は不慣れそうな若い青年だ。


「その……ご希望の海の石か、わかりませんが。ひと月前に婚約指輪として購入されたお客様がいま……いらっしゃいます」


 二年以内に売った海の石の中では一番小さなもので、ほかは大ぶりな石ばかりということだから、おそらくそれが女神の石だろう。


(よりによって婚約指輪だなんて……、譲ってくれるかしら?)


 会頭に銀貨ひと袋をプラスして客の名前と住所を受け取る。顧客のプライバシーに対して無頓着なのは助かったが、二度とこの商会を利用することはないだろう。


 馬車に乗って向かった先は、平民街ではあるが裕福そうな家が立ち並んでいる。

 先触れも出していないので、レイヴンに主人と会えるか確認してもらう。


 少しして、馬車の扉がノックされた。


「お嬢様、先方がお会いになるそうです」

「そう、ありがとう」


 門の外に停めた馬車を降りてすぐ、玄関先が見える。そこに立っていたのは壮年そうねんの男性。見たところ、レイヴンよりも少し年上の三十代なかばくらいだろうか。セレーネの気合いが入ったドレスを見て、完全に気圧けおされている。

 テレンスと名乗った男性は、目を白黒させながらも応接室へ案内してくれた。若草色を基調とした落ち着きのある部屋で、とうでできた椅子は座り心地もいい。


「テレンス様、突然の訪問をお許しくださいませ」

「いえ……、私が購入した指輪のことで、何をお話すればよいのでしょうか?」

「その、婚約指輪だとうかがったのですが、もうお相手には贈られたのですか?」


 テレンスは、頬を赤らめて頭を掻く。


「はい、妻は海の石が好きで……。ですが婚約した当初、私に宝石を買う余裕はなく、今になってやっと贈ることができました」

「まぁ、そうでしたの。奥様はどちらに?」


 セレーネの何気ない言葉にテレンスの顔がくもる。少しの沈黙が流れたあと、テレンスはなんとか笑おうとして顔を引きつらせた。


「ひと月前、天にのぼってしまいました。私を置いて……」


 その言葉に息を止めた。脳裏に浮かんだのは前世――夫の怜央がトラックにはねられた場面だ。今でも鮮明に覚えている。

 ほかの人とは違う怜央の暖かい光が弱まっていく。つないだ手から、温かさが失われていく。泣くことしかできなかった月衣の手を、こと切れるまで握っていてくれた。


 セレーネが静かに涙をこぼしたものだから、テレンスだけでなくレイヴンまで慌てふためく。特にレイヴンは感情のないセレーネしか知らない。「天変地異の前触れだ」とでも言い出しかねない狼狽ろうばいぶりだ。パニックにおちいっている人を見ると、落ち着きを取り戻すのはなぜだろうか。レイヴンが差し出したハンカチで涙を拭く。


「ごめんなさい、取り乱してしまったわ」

「い、いえ……」

「それで、指輪はどうなさったの?」

「妻と一緒に、ひつぎに納めました」


 ヒュッと声をあげそうになったのをなんとか飲み込む。我が国は土葬が主流だ。だからといって墓を掘り起こすなど、セレーネには到底できない。こればっかりは無理だ。

 言葉を失い青ざめていると、廊下からパタパタと駆け足が聞こえてきた。その足音の主は、あいているドアから勢いよく飛び込んで来る。


「お父さん! 外にすっごい馬車が停まってるの!! ――あっ」

「これ、マリア。申し訳ございません。こちらは私の娘です」

「マリアです!」


 マリアはかわいらしくちょこんと腰を落として挨拶をする。セレーネより四、五歳年下だろうか。微笑ましく見つめたセレーネは、しかし、ワンピースの裾をつまむ中指に光る、青い石を見逃さなかった。


「失礼、マリアさん。その指輪は?」


 立ち上がってマリアに近づき、セレーネは指輪に手を差し向ける。マリアは俯き、両手を後ろに隠してしまった。不審ふしんに思い、後ろから確認したテレンスの顔がこわばる。


「マリア⁉ これはどういうことだ⁉」

「うっ……だって! 欲しかったんだもん!」

「ああ、なんということを……」


 ちらりと見えたマリアの指輪には海の石がはまっていた。とはいえ、女神の石かどうかはわからない。鑑定眼で見る必要がある。


「マリアさん、その指輪を見せていただけないかしら?」


 おずおずと差し出されたマリアの手を取り、ジッと見つめる。海の石の下に『女神の石』と表示された。詰めていた息を吐き出す。


(あった! よかったわ……)


 顔をおおってしまったテレンスには申し訳ないが、セレーネとしては命拾いした気分だ。


「テレンス様、この指輪についている海の石ですが、実は友人の母君の形見なの」

「――え?」

「この石でなければ彼女は救われないわ。どうか、譲っていただけないかしら?」


 ほんの少し瞳を揺らしたテレンスだったが、すぐに頷いた。


「この石とは縁がなかったのでしょう。どうぞ、おちください」

「せめて買ったときの値段で買い取らせてちょうだい」

「……いいえ」


 かたくなに受け取ろうとしないテレンスに向かって、マリアが怒鳴りつけた。


「何よ!! お金もらってまた買えばいいじゃない! だけど、お母さんが欲しかったのは海の石なんかじゃないわ! お父さんの瞳なんだからねっ!」

「……は?」


 大きく見ひらかれたテレンスの瞳は、海の石と同じ碧色をしていた。


「それを言ったらお父さん、目ん玉えぐり出しかねないからって、お母さんが……うっ、ひっく……」


 泣き出したマリアをなだめる余裕もなく、まわりは呆然と立ち尽くす。

 セレーネは逡巡した。もし、怜央に瞳が好きだと言われて、目玉をえぐり出せるのかと。それが愛の物差しだと言われたら――


(――こんなにも想っているのに、目玉は……無理かもしれない)


 そこでふとテレンスに目を向けた。「やるのか? やれるのか?」そんな目で見ていたのがわかったのだろう。セレーネと目が合ったテレンスは勢いよく手を振った。


「いや、抉り出したりしませんから!!」

「そ、そうなのね……」


 大丈夫。できないのはセレーネだけじゃなかった。きっと怜央も許してくれる。ホッと胸をなで下ろしたところへ、マリアが指輪を差し出した。


「……いいの?」

「うん。お母さんの形見だと思って棺から取ったの。でも、この指輪をしていたところを見たことがないから」

「マリア……、形見が欲しかったのか」


 マリアだって寂しかったのだろう。妻を亡くして悲しみに暮れていたテレンスは、それに気づいてやれなかった。


「レイヴン」

「――はっ」


 皆まで言わずとも、レイヴンはわかっている。懐からスッと紫色の袋を取り出し、有無を言わさずテレンスに握らせた。こちらの世界での香典こうでんだ。この色の袋を渡されたら突き返すのは大変失礼にあたる。


「心よりお悔やみ申し上げますわ。早く前を向けるようになるといいわね」

「お嬢様……、ありがとうございます」


 深く頭を下げるふたりに見送られて馬車に乗る。最後に言った言葉は自分にも向けたものだ。セレーネもまだ失恋から立ちなおれていない。だとしても、好きな人が同じ世界で生きている。それはなんと幸せなことだろうか。


(生きていてくれるだけで、満足しないとね)


 セレーネの願いはすでに叶っている。あとは――処刑される未来を回避するだけだ。

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