第二章 04 振られました

 セレーネが考え込んでいるうちに、レオネルは解体を終えたようだ。かわいらしい小さな巾着きんちゃく袋をセレーネに手渡す。


「これに一角ハクビの角と皮が入ってますから、ギルドで精算してもらって。残念ながら魔核は全滅でした」


 見た目に反してこの巾着にはずいぶんな量が入るようだ。

 魔核にはセレーネの雷が直撃したのだろう。仕方がない。


「それから、この残骸なんだけど……火魔法で灰にできますか?」

「え? ええ……」


 それくらいならお安い御用だ。黒扇子を振りかざし、灰すら残らないようすべてを焼いた。


「おお、すげぇ……」


 貴族らしからぬ物言いに、セレーネの鼓動が高鳴る。まるで怜央がしゃべっているかのように聞こえた。声も言語も、外見もまったく違う人なのに。

 ドキドキしているセレーネを気にも止めず、レオネルは埃を払い優雅に礼をとる。


「それではシリウス公爵令嬢殿、ごきげんよう」

「――はい?」


 噂に聞くレグルス辺境伯令息は恋多き男で、何人もの女性と逢瀬おうせを楽しんでいるのではなかったのか。そんなにあっさり立ち去るとは、女たらしの風上にも置けない。

 このまま行かせたら、きっともうチャンスは巡ってこない――そんな気がした。


「まっ、待って!!」


 レオネルのマントをつかみ、それから次に何を言おうかと考える。至近距離で見たレオネルの瞳は、わずかに緑がかった金色だった。


(きれい……、じゃなくて! 何か、ええと)

 顔を伏せたセレーネの懐から依頼書が三枚のぞいている。


「お、お願い! あと二件こなさないといけないの、手伝ってもらえないかしら?」


 レオネルはあきれた顔を見せながらも、眉尻を下げてクスリと笑った。


「しょうがないな」


 その言い方が怜央と重なる。言語は違っても、音の持つ響きがとても懐かしく感じられた。面倒見のよかった彼も、よく月衣の我儘を笑って受け入れてくれたものだ。


(怜央、あなたなのね……)


 心臓が先ほどとは違う動きをしはじめる。狂おしいほどにギュッと締めつけられ、セレーネの痛覚を刺激した。涙腺はすぐに弾けてあふれ出す。

 ギョッとしたレオネルは何を思ったのか、勢いよくひれ伏した。


「すっ、すみませんでした!! 打ち首はご勘弁を!」

「――へ?」


 何を言い出すのかと思いきや、セレーネの涙はあっけなく止まり、心臓も通常運転に戻った。こちらの世界では初めて見る土下座に、いろんな思いが吹き飛ばされる。


「ふ、ふふ……変な人。打ち首になんてしないわよ」

「本当に⁉」


 ガバッと顔を上げたレオネルの顔が青白い。本気で覚悟していたようだ。


「ええ。それよりあなた、魔力が高いのに魔法は使わないの?」

「うちは剣術と体術ばかりで、魔法は授業で習う簡単なものしか……」

「もったいないわね。じゃあ、手伝ってくれるお礼に魔法を教えるわ」

「それは、願ってもないことです!」


 こうしてレオネルに魔法を教えつつ、セレーネは予想をはるかに超えた金額を手にすることとなる。というのも、ウサギ型の魔獣を追いかけていたら、ここにいるはずのないグランリザードに遭遇したからだ。全長は五メートル、高さは二メートルを超えている。翼はなく、前世でいうところの恐竜だ。

 レオネルが息を飲んだ。


「コイツはひとりじゃキツいな……」

「あら、ひとりではなくってよ?」


 巨大な魔獣を前にして、普通の令嬢ならまともではいられないだろう。けれど、セレーネにはつちかってきた経験がある。ストイックに自身を追い込んだ過去が、背中を押してくれる。

 不敵に笑うセレーネを見て、レオネルはぶるりと震えた。こわいとかおそろしいという感情ではない。気持ちが奮い立ち、おかしな高揚感がある。命の危険を感じているというのに、口もとが緩んでしょうがない。


「――では、援護をお願いします」

「ええ、思う存分やってちょうだい」


 レオネルに身体強化魔法をかけ、セレーネ自身には気配が薄くなる認識阻害魔法をかける。体が軽くなったレオネルは、水を得た魚のごとく魔獣の懐へ飛び込んだ。

 セレーネに習った光魔法を剣にまとわせ、グランリザードの足を狙う。レオネルが放った一閃は見事に片足をもぎ、バランスを失った巨体がレオネルに向かう。それをセレーネが土壁で支えた。


 その隙に飛びすさったレオネルは、しかし、グランリザードの口から吐き出された緑色の消化液を正面から受ける――寸前、セレーネの防御結界に守られ、事なきを得た。

 お互いに指示を出し合うこともなく、レオネルは魔獣の首をね、それでも暴れる尻尾をセレーネが凍結させた。初めてとは思えないほど息がピッタリ合っていた。


(楽しいわ……)


 戦いが終わってほしくないと思ってしまった。もっと一緒に狩りをしたい。


「セレーネ嬢のおかげで楽勝でしたね」

「あら、レオネル様がいいところを持って行ってしまったわ」


 動かなくなったグランリザードを前に、ふたりは笑い合う。何かに気づいたレオネルが、不思議そうに首をかしげた。


「笑わないご令嬢だと聞いていたのに、噂はあてにならないな」

「これは、その……婚約破棄を突きつけられたから、かっ、解禁したのよ。王妃教育では鉄の仮面を着けるよう教育されるの」

「なるほど。けど、婚約は継続なのでは?」

「そうね……でも、必ず破談にしてみせるわ!!」


 面食らったレオネルは、言葉を失ったようだ。令嬢にあるまじき声量だったせいか。それとも婚約を自ら破談にするなど、気が触れたと思われたのか。

 気まずい沈黙を破るため、セレーネもレオネルの噂話に触れる。


「そういうレオネル様こそ、恋多き貴公子だと噂ですのに」

「うっ、それは……その、誤解も多いんだけど、悔い改めたというか」

「ふぅん? どうして気が変わりましたの?」

「……好きな人がいるんだ」

「え?」

「彼女に顔向けできない行動は慎みたい。だから――」



 そこからの記憶は曖昧あいまいで、学園寮の自室にたどり着けたのは奇跡としか言いようがない。ふんわりした記憶のなかで、グランリザードの鱗だとかいろいろと分けてもらい、ギルドで買い取ってもらったら、セレーネのお小遣いを軽く超える金額だったことくらいしか覚えていない。


 夏休みだというのに、まだ寮に残っていたアイリスには「獣臭い」と言われて風呂場に連れて行かれ、あれよあれよという間にベッドに向かう。とはいえアイリスも力があるほうではない。すぐに限界が来て、セレーネと一緒にベッドへ倒れ込んだ。それでもうつ伏せのまま、セレーネは微動だにしない。


「セレーネ様⁉ 生きてらっしゃいます⁉ セレーネさまぁぁ⁉」


 耳もとで叫ばれ、やっと意識が浮上した。生気のない声を発する。


「あぃりすはま、わはふし……」

「セレーネ様、よく聞き取れませんわ」


 ベッドがセレーネの声をはばむ。体はうつ伏せのままアイリスとは反対方向に顔を向け、気道を確保した。


「アイリス様、わたくし……振られてしまったの」

「ふられ……、ええっ⁉ でもまだ、時間はありますわ!」


 アイリスが思い浮かべたのは王太子アーサーのことだろう。けれど、セレーネが振られた相手はレオネルだ。最後に言われた言葉を思い出すたびに胸がえぐられる。


『だから――セレーネ嬢と会うのも今日かぎりだ。いろいろと教えてくれてありがとう。今後の狩りは前衛を雇うといい』


 これが泣かずにいられるものか。楽しかったのはセレーネだけ。きっとレオネルにとってはお荷物でしかなかったのだ。それに好きな人がいるという。


(怜央はもう新しい人生を歩んでいるのね)


 セレーネだけが過去に囚われている。どうやっても前世の夫が忘れられそうにない。枕はみるみるうちに濡れそぼっていった。

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