07-002:正義の人

 俺には憧れの女の子がいた。中学二年の終わりに転校してしまったけれど、女番長として、男女を問わず、不良たちには恐れられている存在だった。彼女は正義感の塊みたいな人で、俺も何度となく助けてもらった。けど、彼女はいつも言っていた。


「私はね、世界を救いたいんだ」


 本当にそれは口癖のようだった。それだけ聞くと誇大妄想狂のように思えるかもしれないけれど、俺にとってはそれは妄想でも何でもなく現実だった。いつでも理不尽に立ち向かってくれる戦の女神みたいな人だった。ただ、ちょっと喧嘩っぱやいのが難点ではあったけれど、喧嘩で一度も勝ったことのない俺にしてみれば、それもまた魅力だった。とにかく強い。必要ならば暴力も辞さない。それは弱虫に属する俺からしてみれば、もう英雄みたいなものでしかなくて。


 危なくなったらいつだって現れて、いつだって守ってもらえる。


 男としてそれはどうなのと思わないこともない。でも、いつかは俺が彼女を守るんだって思っていた。だから、転校する前の日、俺は彼女に告白した。情けないことに、泣きながら。


「ふうん」


 彼女は言った。


「ええとな……。ここでオーケーなんて言ってしまったら、私はあんたのことを未来永劫縛っちゃうことになる。それは私としてはとてもイヤだ」

「でも俺は……」

「私に人の想いを縛る権利はない。あんただってこれからたくさんの女子と出会う。好きな人なんていくらでもできる」

「でも今好きなのは、きみなんだ!」

「泣きながら言う事かよ。でも、気持ちは嬉しいよ。私にとって初めての告白だ。誰も私との距離を縮めようとはしなかったからな」


 彼女は神妙な顔をして、そして俺の左肩に右手を置いた。


「私もあんたのことが好きだよ。でもね、つきあったりはできないんだ。明日、遠くに行くからね」

「わかってる、でも、メールとかできるじゃない」

「ううん。やめておこう」


 首を振り、そして結局、彼女はメールアドレスを教えてはくれなかった。


「でも約束する。あんたが本当にピンチの時には、私は必ず駆け付ける」

「ど、どうやって……?」

「心配するな」


 彼女は軽く片目をつぶった。


「この世界はね、私のためにあるんだ。私にとっての不都合なんて、起きるはずがないだろう?」

「でも、だったら、そもそも転校なんて――」

「この転校はね、もしきみと私が将来再会することになったとしたら、その時にすごく大きな意味を持つ。もし再会がなかったとしたら、それはそれだ。お互いの幸せを祈ろう」


 さばさばとした口調でそう言われ、俺は何も言えなくなる。ただ握り締めた拳が震えている。


「心配するな」


 俺の手を包み込む、彼女の柔らかい手。あんなに強いのに、手はこんなに柔らかいんだと、俺はなんだか感動した。やっぱり女の子なんだなと、強く印象に残った。そして絶対に忘れまいと、集中してその感触を覚えた。結局、すぐに思い出せなくなってしまうのだけれど。


「言っただろう? この世界は私のためにあるんだって。私はまたあんたに会える。そんな気がしている」

「お、俺……」

「うん?」

「俺が駆け付ける。きみがピンチの時には、俺が行くから!」

「……わかった」


 彼女はふと顔を寄せてきて、俺の頬にキスをした。


 その瞬間——まことに情けないことに――俺の頭はオーバーヒートしてしまった。


「頼もしいよ、墨川」


 彼女はそんな風に囁くと、「それじゃ」と手を振って行ってしまった。俺は追いかけることも、手を振り返すこともできず、ただうつむいて泣いていた。


……」


 最後に俺が掛けた声はそれだけだった。

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