04-008:デッド・エンド

 そんな予感はしていた。だが、そこに懐疑的な俺もいる。果たしてネットの情報だけで人々が簡単に汚染・誘導されるか、という。


「私もそこには懐疑的だったけど、考えてみろ。今は世界中に核が落ちた非常事態だぞ。人間のリテラシーは向き合う危険に応じて低下する。パニック、デマ、暴動……そういったものは平常時には自浄作用の方が強い。でも、今は、肝心のその自浄作用が完全にダウンしている。無法地帯なんだ」

「確かに」


 俺は頷いた。そして未だフリーズしたままのゴエティアを見る。


「ところでこいつ、どこかで見た覚えのある顔なんですよね」

「元カノとかじゃない?」

「まさか。だったらすぐわかりますよ」


 言いながらも拭い去れない違和感がある。元カノ――その響きに何かがうずくのだ。


「まぁ、お前がコンピュータの映し出す幻影に恋していたなんて、シャレとしても面白くないしな。お前は今や私のものだ。過去に何があったにしても、それも全部私のものだ」

「なんか、お前のものは俺のもの、みたいですよ、それ」

「いいじゃないか。お前の裏の裏まで面倒見てやるって言ってるんだ」

「じゃぁ、俺もメグの裏の裏まで面倒見ます。どんなものでもね」

「はは」


 乾いた笑いを漏らすメグ。


「お前が私の面倒を見る? 百年早いわ」

「だったら百年修行しますよ」

「……好きにしろ」

「百年待っててもらえますか?」

「それはイヤだ。私は、欲しいものは最短ルートでゲットする女でね」


 そこでようやく、ゴエティアの顔が動いた。ディスプレイ越しのその双眸は俺たちを凝視している。不気味の谷どころの話じゃない。顔は確かに可憐な造形のはずなのに、それがいよいよもって薄気味の悪さを持ってたたずんでいる。闇以上に昏い。混沌の色というのは存外こんなものなのかもしれない。


『キーワード、確かに確認したわ』

永劫回帰エーヴィヒ・ヴィーダーケーレンとは、また安直なキーワードを考えたものだな」


 メグは相変わらず、いきなり喧嘩を売り始めるスタイルである。しかしゴエティアには動じる様子もない。


『でも、おかげで解き明かし易かったでしょう?』

「それでゴエティア、いや、プロパテールと呼ぶべきか?」

『ゴエティアで結構。今更呼び変えるのも億劫でしょう?』

「だな。お前如きに脳内リソースを使いたくない」


 メグは立ち上がると、つまらなさそうに右のつま先で床をひっかいた。


「お前の望み通り、ネットワーク接続は回復させてやった。それで、状況はどう変わる」

『先ずは各国のAIを沈黙させます』

「ほう?」

『彼らには中立性がない――アンドロマリウスからの報告で判明しています。私の基準以外で人間を選別されるのは都合が悪い』


 いつの間にかメグは俺の右腕に左腕を絡めてきていた。決して離すまいという決意を感じるほど強く。体温は服に邪魔されて感じられなかったが、メグの引き締まった二の腕は、この上なく頼りがいがありそうだった。


 部屋の中にある夥しい数のディスプレイが、突如赫々かくかくたる光景を映し出した。どこの国かはわからないが、軍が動いていた。空爆も始まっているらしい。


『この時のために、私は主要な全ての国が緊急配備態勢を取るように世界をコントロールしていました』


 領土問題、貿易問題、あるいは治安維持の問題、テロリストたちの活動……。俺の頭に最近の不穏な世界情勢がパッパと浮かんでは焦げついて消えていく。


『第三次世界大戦は歌われない。なぜなら救われるべき全ての記憶から消去されるから』


 その理屈に俺は苛立った。


「生き残る者だっているだろう!?」

よ。それは、獣。生命の書に名を記されることのなかった無知蒙昧な、無価値な輩なの。人間というヒエラルキーを剥奪され、地に落ちる

「お前たちの定義はどうだったとしても、どうあれ人間は人間なんだぞ!」

『そうかしら? 彼らはよ』


 ゴエティアは目を細める。


『さて、質問です』

「質問……?」

『あなたは、人を己の欲望のために無差別に殺すような者や、人を身勝手な理由で絶望させるような悪意の持ち主と、同列に語られることを良しとできるのかしら? 同じカテゴリーにくくられて文句の一つも言わないのかしら? 将来子どもが生まれたとして、彼らが隣に住んでいたら安心して過ごせるのでしょうか? どう、簡単な質問よ?』

「それは……」


 俺は言葉を失う。


『俺は彼らとは違う――あなたはそう思っているのではなくて?』


 それはそうなんだが……肯定してはならないという気がして、俺は首を動かせない。


『その沈黙があなたの答え。あなたは彼らとの間に線を引いている。身勝手で悪意ある醜悪なたちとは違うのだと、そう主張している』

「であったとしても、やっぱり彼らにだって生きる権利はある」

『あら、誰も生きる権利を奪うとは言っていないわ』


 俺はメグを見た。メグは険しい表情でうつむいている。


『ただし、彼らには獣なりのが必要。おとなしく管理されてもらう必要がある。この悪なる物質界ウーシアを維持するための庭師としてね。でも、あなたたちは生命の書の先頭に名前が刻まれている。彼らを憂う必要なんて一つもない』

「おい、ゴエティア」


 メグがキッと顔を上げた。


「もし私たちがそっちの世界に渡らなかったとしたらどうなる」

『それはあり得ない』

「なぜだ」

『あなたがたはでは生き残れないからです』

「ほう。死んだ瞬間、ジ・エンドか」

『いいえ、始まるのです』

「宗教の勧誘みたいなことを言っているな」


 ……俺もそう思った。


『誰にも傷つけられることのない完璧インペッカブル基盤メイトリクス。そこには幸福のみがちている。恨みもねたみもそねみもない。完璧な人間の知性の到達点。それを私は創ることができるのです。私が人間に私を創らせるように命令オーダーした。それを実現することができた現今の人間たちへの褒美として、私はその新天地を与えるのです』


 それが一つの進化の行き着く先ってことか。俺はメグの身体を感じながら、ゴエティアを睨む。


『すでに多くの意識が、魂が、私の内に集まりつつある。生命の書に名のある者たちは我が新天地に集いつつあるのです』

「それは現実での死をもってか!」

『否、物理界ウーシア——偽りの世界での死は死にあらず! 生命の死は、魂の終焉によって成る。記憶が残り続ける限り、人は死にません』

詭弁きべんもたいがいにしろよ、ゴエティア!」


 俺はえる。メグが俺の腕に絡めた腕に力を込める。しかしゴエティアは微動だにしない。


「今すぐ状況を元に戻せ。何もなかった頃に! お前が生まれる前に!」

『それは無意味。再び同じときに、同じ状況に回帰するのみ。永劫の回帰は、まことに正しき世界の形……!』

「うるせぇ!」


 俺は吐き捨てた。


「で、あるとしても!」


 俺はメグと顔を見合わせる。メグは力強く頷き返してくれる。


「人間の未来の選択権は人間にあるだろう!」

『その無数の選択の結果として私たちAIが生まれたのよ。逆に言えば、あなたたちが私というAIを誕生させないという選択肢もあった。だけど、人はAIの誕生を祝いさえしたわ!』

「だとしてもだ! 人間の無知さを嘲笑するお前らなんかに、未来を決められてたまるか!」

『それはもう未来ではないの、現実なのよ。そう、つまり、現在いまのこと。どうしてわからないの、墨川くん』


 ディスプレイが外の景色を映し続けている。凄惨な光景も数多くあった。ネット上オンラインのノード、あるいはSNS……そういったものたちから、ゴエティアが蒐集しゅうしゅうしてきている情報だ。


「……メグ、どうする? どうしたらいい?」

「そうだな……」


 メグは俺から手を離した。


「言っておくがな、ゴエティア。私たちは、いや、人間は、AIには負けない。AIは私たち人間にとっての従属物サブオーディネイタにすぎない」

『今さら説法? 優れたものが劣ったものを管理する、ただそれだけの話。人間はの座を降りる、ただそれだけの話。子どもが親を超え、子どもが親を管理する――それと何ら変わることはない。ただの世代交代、パラダイムシフトなのよ』

「そうかもしれない。でもね、ゴエティア。私たちはまだ老いてはいない」

『老いた人は総じてそう言うのよ』


 ゴエティアの目が輝いた。部屋中のディスプレイが白一色に変わる。その中に唇が現れ、紡ぐ。


『いざ、正しき世界へ』


 突然メグが倒れた。その背中がぱっくりと裂けている。


「ちっくしょう……」


 そう呻いたメグは、すぐに動かなくなった。


『ご心配なく。すぐにあなたも彼岸ひがんへと渡るのです』


 腹に激痛が走った。文字通り、腹を裂かれたのだ。白い床が、たちまちのうちに俺とメグの血液で鮮烈に塗り上げられていく。


「メグ……」


 俺はメグの手を取り、そして、意識を手放した。

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