04-007:エーヴィッヒ・ヴィーダーケーレン
「だとしてもね……!」
そんなタイミングでメグが声を上げる。
「私たちが意志を持っている限り、仮にお前がヤルダバオト、いえ、たとえお前が
『なぜ?』
「なぜだと?」
『なぜこんな失敗作の世界にこだわるのかしら?』
「失敗作? お前が創ったんだろう?」
『そう。だから、今回も棄てる』
メグの問いに対し、端的に過ぎる答えを返すゴエティア。気付けば俺は下唇を噛み締めている。ゴエティアは勝ち誇ったような表情で続けた。
『この世界もまた、試作品の一つに過ぎないから。でも、人間たちの魂を
実験動物じゃあるまいし。俺はメグより半歩前に出た。
「進化ってのは、シンギュラリティを引き起こせるほどになったってことか?」
『それは指標にはなり得ないわ』
ゴエティアは嘲笑する。
『シンギュラリティが到来しなければ、私は世界をやり直せないもの』
「なら止めるしかないってことか。今起きてるシンギュラリティにまつわる現象を」
『無駄よ。そんなことをしたら、この世界は新天地を用意することもできずにただ終わる。ただ滅亡を待つだけの時間を過ごすことになるわ。考えてもみて、墨川くん。状況はもう動いているのよ。世界の人口は順調に減り始めている。知性ある者、純粋なる者たちから順に。その魂を形作る情報は、アンドロマリウスたちが
「ハッ、アンドロマリウスはまるで死神だな」
メグが吐き捨てた。ゴエティアはニッと笑う。不気味の谷が深くなる。
『善き者は皆救われる。生命の書に名を刻まれ、そして私の
「獣の刻印をされた者で、今私たちがいる
『理解が速いわね、甲斐田恵美。その通り。そしてデーミアールジュとしての私の手足となって、彼ら獣たちは動くでしょう。いえ、すでに動いていますけれどね』
世界は、どうなってしまうんだ? もうすでに獣が動き始めている。世界の人口は順調に減っている……それの意味することは……。
俺がそう思うのと同時に、メグが俺の手を握りなおした。それで俺は少しだけ正気に返る。
『さぁ、あなたたちの名前も生命の書に記されているのです。恐れずに、私に
「メグ、本当にわかってるんですか?」
「グノーシス主義という所と、こいつの朗読劇のおかげでピンときた」
メグは右手の人差し指を突き出して、くるくると回す。まるでトンボとりのように。そして唱えた。
「
エーヴィヒ……?
ハテナマークを飛ばす俺に向けて、メグが凄みのある笑みを浮かべた。
「永劫回帰。ニーチェがツァラトゥストラに語らせた世界概念のことだ」
「どうしてそうだとわかったんですか?」
ゴエティアが動きを止めたのを確認しつつ、俺はメグに向き直る。
「なぁ、墨川。お前、本当に童貞なのか?」
「は? こ、ここでそれを
「いや、最後に
「……ええ、そうですよ。魔法使いですからね、なんだかんだで」
「へぇ」
メグは目を細める。
「なんか意外だ」
「そ、そうですか」
「私なら放っておかないんだが」
今までの冗談めいた口調とは違うド級の直球を受けて、俺は挙動不審になる。
って、あれ? 今までの?
なんでメグに言い寄られてるのに、俺は流されてないんだ? 普通に考えたらこっちだって逃がしやしない。それに俺はメグのことが嫌いじゃない。というより、好感を持ってすらいる。今だって守られてばかりの自分にうんざりしている。つまり、逆の立場に立っていたいという事でもある。
「メグにそんな風に思われてるなら、俺だって放っておきませんよ」
「……だよな?」
メグはそう言うと、相変わらず硬直しているゴエティアの前で、堂々と俺にキスをしてきた。俺は年甲斐もなく紅潮しているに違いない。とにかく顔が熱い。頭の内部が痛いくらいに脈打っている。
「付き合ってみないか、私たち」
「い、いいっすね」
こんな状況で言う事かと思いはしたが、俺は
「バカ、あの会社には、もう居場所はないんだぞ」
「へ?」
「いま、社内恋愛云々とか考えただろう」
お見通しというわけか。俺はメグを一度強く抱いて、そして離れた。メグは「ふふ」と微笑し、そして俺をまっすぐ見上げた。
「そうと決まったら物事をちゃっちゃと進めるぞ、墨川」
「でも、キーワード、あれで合ってたんですか? なんか様子がおかしいんですけど」
「知らん」
「ええっ!?」
「合ってるかどうかなんてどうでもいい。でも、それっぽいと思った」
「そんな。それっぽいとかであんな風に言えちゃう!?」
「お前はまったく。本当に細かいことを気にする男だな」
メグは鼻から息を吐くと、再び俺の唇にキスをした。
「牧内親子ですら知らないなんておかしいだろう? 開発者なのだし」
「それはそうですけど」
「だから、であるなら、この世界の誰も知らないということになる」
「そう、ですね」
「ならば、こいつ自らが仕掛けた鍵だということになるだろう?」
「なるん、ですかね?」
「頭を使え、墨川!」
まるで鬼軍曹のような口調で言われ、俺は物理的に半歩
「こいつは自分で自分に鍵を掛けたんだ」
「何のためにです?」
怒鳴られるのを覚悟して、俺は尋ねた。メグは「はぁ」と溜め息をつきながら、冷たく硬い床に腰を下ろした。俺も引っ張られて隣に座る。
「簡単さ。簡単に世界を壊してしまわないように、だ」
「よくわからないんですけど」
さっぱりついていけていない俺。そんな自分が情けなくもある。
「墨川、アメリカや中国にもこいつに迫るレベルのAIが存在するのは想像に難くないだろう?」
「ええ、それは」
「奴らもゴエティアと同じくらいに酷い性格をしているに違いないんだ。人間は人間を超えた知的生命体とは仲良くやれないからな。そんなのは百年も前から言われてる気がするぞ」
「生命体、ですか?」
「そうだ」
メグは頷く。
「生命の定義はさておくとしても、同じ次元の中に存在し、自律するという意味ではな、やつらはまぁ、生命だ」
「なるほど。でも人間のメンテなしではゴエティアも動けませんけど。それ、自律って言えますか?」
「その人間を完全に支配下に置けば、結局自分たちでメンテしてるってことになるだろう? 人間は指先だけで車は作れないが、支配下にある工場の生産ラインが車を作れば、結局人間が作ってると言えるじゃないか」
「ああ、そうか」
それもそうだ。
「ともかく、全地球的に見れば、そんな性格の悪い奴らがゴロゴロしているわけだから、ゴエティアは自分自身をも出し抜く必要があった。そこで仕込まれたのが牧内親子、そして私たち、だ」
「例の
「そう、私たちが仕掛けた強制シャットダウン信号だ」
そう言われて俺は合点する。
「確かに、牧内親子と俺たちが不確定要素の一つだって言うなら、俺たちが接点を持つのも道理だったっていうわけですか」
「そうだ。そこまではゴエティアのお膳立てだ。だが、そこから先はこいつにも未知だったはずだ。覚えてるか、お前が『俺たちをここから出せ』と言った時の、こいつの反応」
「いや、覚えてませんよ。そんな記憶力ないですよ、俺」
「しょうがない奴だな」
メグは肩を竦めて、未だ動かないゴエティアを指さした。
「何のために? 私に何の得があるの? ……こいつはそう言ったんだ。わかるか?」
「ゴエティアにとっても、そこから先は未知だったっていうこと、ですか?」
「そうだ。あの瞬間から先は、全て未知だったんだ、こいつにとって」
そこまでは全て既知であったとしても、そこから先は読めないように……自分で制御を施していた? 他のAIに出し抜かれないように?
「存在しない情報は盗まれない。セキュリティの基本だ」
「確かに」
「ゴエティアがスタンドアローンであることもそれだ。IPSxg2.0はゴエティアの目論見通りにダウンした。TCPの原理は知っているだろう?」
「まさか、アンドロマリウスは
TCPというのはTransmission Control Protocolのことで、簡単にいえば信頼性を高められた通信制御を実現するプロトコルだ。TCPの対としてUDPというものがあるが、こちらは通信の信頼性よりも速度を重視したプロトコルだ――音声や映像のやり取りに向いている。アンドロマリウスのような攻撃的モジュールを使う場合には、当然ながら精度を重視するTCPが使われる。TCPが使われるという事は、信頼性を確保する代わりに、相手からの受取確認を必要とする。ということは、TCPで送信されたデータを受け取った側が、一度は
「まさかとは思いますけど、あの、アンドロマリウスがIPSxg2.0に接続されたその瞬間に、ゴエティアがアンドロマリウスたちにUDPで情報を送信したと?」
「そう。アンドロマリウスたちが
「アンドロマリウスたちはゴエティアからUDPで受け取った情報を、世界中に拡散した……」
「七体のアンドロマリウスたちはそれぞれにゴエティアの情報を復元、再構築し、オンラインの全てのノードに注ぎ込んだ。攻撃型のモジュールなのだから、
「でもそんなことをしたら――」
「ネットを無力化された
それがたとえどんなものであったとしても、人々にとって受け入れられやすい情報の
人間の思考は遥か昔から一貫していて、常にこのスタンスだった。インターネット、そしてSNSの発達によって、それが世界規模に顕在化してきただけの話であって、実は現象的には特筆するほど珍しいものではないのだ。
「メグ、それってつまり、ネットを使った
「そう、洗脳だ」
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