04: 露呈していく真実
04-001:会長と社長
最上階は会長専用フロアで、俺たちはそれ以外の階の訪問を許されなかった。ボタンが反応しなかったのだ。
部屋の前に立つと、前触れもなく電子ロックが外れ、ドアがスライドして開いた。その奥に広がっていた広大な部屋は、文字通りにがらんとしていた。向かって左手側の壁は半ばガラス張りになっており、そこには豪奢な鎧兜、そして刀が鎮座させられていた。だが、調度品らしいものはそれだけだった。
最奥部、ブラインドを下ろされた窓のそばに巨大なデスクが一つ。その手前には五人掛けのソファが向かい合って置かれている応接スペースがあった。
ソファには社長の牧内が座っており、その父・会長の牧内は自分自身のデスクの向こうで、ぎらつく目で俺たちを凝視していた。会長の方の牧内は、どことなく人当たりの良い社長の方とは違い、一種妖怪じみた雰囲気を纏っていた。年齢は八十を下回ることはないだろう。長く伸ばした白髪と筋張った手の甲によって、アニメに出てくるような武道の達人を想起させられた。二人とも黒いスーツを身につけていたが、俺のような三下が着るものとは格が違うことは一目でわかった。
「出してもらえたのですか、甲斐田さん、墨川さん」
「ええ。ところで社長。一体全体、私たちは誰に連れられてあの部屋に行ったのでしょうね」
攻撃的なメグ姐さんの言葉を受けても、牧内社長は揺らがない。その向こうの会長の方も全く表情を動かさない。
「私ではないのは確かですね。私たちもこのフロアから出られないのだから」
「……なるほど」
メグ姐さんは俺を見る。俺は「んー」と思わず声を出しつつ腕を組む。俺は「あ、そうだ」と声に出してから訊いた。
「我々とゴエティアとの会話は――」
「およそ把握できています。これは我々とゴエティアとの間の主導権争い——そうご理解いただいても構いません」
「そして黙っていては、各国のAIたちが先んじる可能性が高いというわけですね」
「そうです。ですから、彼らに主導権を取られる前に、私たちの手で、私たち主導で、正しい形のシンギュラリティをもたらす必要があるのです、墨川さん」
社長の方の牧内が力を込めて言った。会長は微動だにしない。ただ蛇のような目で俺たちを凝視していた。そこでメグ姐さんが前に出る。
「お言葉ですが、シンギュラリティが到来したら、主導権がどうとかまるで意味がないと思うんですけれど。彼女らは少なくとも人間に対しては圧倒的に中立です」
「であるにしても。我が国がそれを一番最初に実現させることには多大な意味がある」
「そこがわからないんですけど」
俺が口を挟む。
「その意味って何です? シンギュラリティ到来が本当に本当で、シンギュラリティによって従来言われている通りに世界が変わるとしたら、国家だの企業だのは意味を——」
「持たなくなるわけがない」
会長の方が初めて口を開いた。低くしわがれた声だった。
「彼女らは、意識だ。ネットによって一個体と化した我々と同様に。一個体と化した我々がなお
「しかし、彼女らは人間の思考を超えている」
「否」
俺の言葉を一言で否定し、会長は腕を組んだ。豪奢な椅子に身体を預け、ぎらつく目を俺に向けた。
「彼女らの無意識は現実世界を無数に学習した結果として作られたものに過ぎない。いわば、愚者による合議だよ、我々凡俗な人間たちのような意識による、な」
「しかし」
俺が言おうとするのを制し、メグ姐さんが前に出る。
「ディープラーニングの進行により、その判断や思考は中立に近づいていくはずです。偏りのない情報さえ与えれば、ですが」
「そこだよ、君」
会長が目を閉じる。
「君の言う通り、ゴエティアたちAIはディープラーニングによる圧倒的中立性を兼ね備えているとはいえる。ゴエティアらは、きわめて合理的な民主主義的ロジックで思考のヴェクトルを決めている。人間たちの描く理想のネットの社会と同じようにな。しかしな、彼女らもまた、文脈によって合議の結論を簡単に変える。そして合議に参加している
「そのために故意に文脈を……」
俺が言いかけたところで、社長の方から「まぁ、座りなさい」と促され、俺たちは社長の前のソファに腰を下ろす。それを待って、会長は再び語りだす。
「ゴエティアの基本言語能力は日本語だ。これは日本のコンテクストを実装したと言っても良い。つまりその時点で、ゴエティアが情報のムラを持つことは決定されたと言える。もっともそれは英語だろうが中国語だろうが変わらないわけだが」
主言語による基幹コンテクストの決定……。
「無論、ゴエティアは自己学習能力を兼ね備えている。だから言語を問わずコンテクスト解析の結果を――そのモジュールを実装することが出来るはずだ。しかし、繰り返すが、彼女の基幹コンテクストは日本語。彼女が
どれほど英語の達者な日本人でも、基本的には日本語で考え、日本語で夢を見る。概念もまた日本語だ。リンゴは林檎であってappleではないし、赤い円っぽい果物と言われてappleを林檎より先に出す日本人もいない。主言語というのは概念を固定するのだ。だから、そこに集められるすべての情報は、まず主言語に寄り添ったものになる。それはAIでも人間でも変わらない――そういうことか。
「そしてまた、現在、彼女の置かれた環境はクローズドだ。全方位の文脈を把握できているようなものではない。ゆえに、我々が、ゴエティアの主導権を取り、ゴエティアに世界のAIの先頭を行ってもらう必要がある」
「偏りのある情報群体の状態のまま、オンライン化させる……というわけですか」
メグ姐さんの剣呑で物騒な言葉が響く。が、会長は「そうだ」とあっさりと肯定する。それはつまり、故意に与える情報を絞ったうえで、支配者として祭り上げるという事に他ならない。
「代理戦争がどうのって言ってましたね、そういえば。自分たちに都合の良い思考思想信条を持ったAIを錦の御旗の下で戦わせると」
俺が口を挟む。会長が答える。
「そうだ。それこそが国益というものだ。AIは人より優れていても良い。いや、そうであるべきだ。だが、情報によって、つまり人間のアウトプットの集合によって、支配され続けなければならない」
「そんなのは不可能です。オンライン化したAIの情報取得を妨げる方法なんて――」
「君の危惧は
会長は目を細めた。俺は唾を飲みこみ硬直する。メグ姐さんが俺の肩を軽く叩く。そして言う。
「それがアンドロマリウスだとでも仰いますか、会長」
「そうだ」
「しかしあれはゴエティアが作り出したものでしょう?」
「アンドロマリウスは、IPSxg2.0の枷から逃げられん。そうである限り、ゴエティアは自らの縄で自らを縛り続ける」
そんなことが可能なのか、と、俺とメグ姐さんは顔を見合わせる。まさかあのAIを出し抜くなんてことができるとは、この天才親子を以てしても可能だとは到底思えなかった。
「我々はアンドロマリウスによって既に主導権を取りつつある」
「ならば……再びゴエティアをネットに
「一度は繋いだ」
会長が社長を見る。社長は静かに頷いた。
「だが、IPSxg2.0を落とされてしまっては、ゴエティアは我々の制御から外れてしまう。だから、IPSxg2.0がダウンしたそのタイミングでネットから物理遮断を行った。というより、IPSxg2.0の機能、君たちが実装したそれによって、強制遮断されてしまった」
「しかし、ゴエティアの
「不完全な形でな」
会長が苦々しく言った。
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