03-007:頼むぞ、相棒
どうしたらこの状況を打破できるというのか。俺とメグ姐さんはその部屋から出て廊下で考え込んだ。廊下と言っても奴の、ゴエティアの監視下であることは疑いようもない。完全に情報を秘匿することなど不可能だという事は分かっていた。
「ここからは出られそうにないし、おそらく助けも来ないだろう」
「うちの本社が黙って無くないですか?」
「あのボンクラどものことだ。牧内自らが電話一本入れれば終わる話だ」
「それもそうか……」
あのクソ狸部長のことだ。俺たちがこうして監禁されていると気が付いたとしても、決して
「私たちがここから出るためには……ガンタンクでもあればいいのだが」
「真面目に考えてくださいよ、課長」
「こういう時だからこそのユーモアだ」
はいそうですか――俺は壁に体重を預けて、顎に手をやった。
「あのシステム自体をぶっ壊すというのは?」
「見えてるのはディスプレイばかりだっただろう? 本体は別の所にある。このフロアからは手出しはできないと思う」
確かに。ディスプレイしかなかった。キーボードもマウスもなく、ただディスプレイだけが墓石のように林立していた。つまり、物理的に手を出すことが出来ないということだ。俺は肩を竦める。
「じゃぁ、どうしたらいいんですかね」
「シンギュラリティを引き起こすために必要なことは何だ?」
「オンライン化でしょうか」
「それはもう果たしただろう? 奴にとっては狙いすました一瞬だったはずだし、あの規模の演算装置ならば永遠のような一瞬だったに違いない」
何
「じゃぁ……それになぜ牧内社長は俺たちをここへ?」
「それが理解できない」
相手の手の内が分からない。対策の立てようがない。その時――。
「まさか」
俺とメグ姐さんが同時に呟いた。視線が合う。
「あの社長、ホログラムでしたよね。いつから切り替わっていたんでしょう?」
「ホログラムだったという保証もない。いや、むしろあんな技術は未だない」
「じゃぁ、俺たちが見てた牧内社長は……」
「どこかで私たちの認識が変わったのだろうな」
「まさか、そんな電脳ハックみたいな」
俺は思わず苦笑した。ちなみに言えば、漫画やアニメのような電脳化などは技術的には未だ完成にはほど遠かったし、俺たちもそんな手術をした覚えはない。
「ありえない話だと思うか、墨川」
メグ姐さんは
「だって、ハッキングされるものを持ってないじゃないですか。スマホくらいしか」
「お前の頭の中は空っぽなのか?」
「いやいや、たぶん入ってますよ、脳ミソとか」
「それがハッキングされない保証はどこにある」
メグ姐さんは顎に手をやったまま、俺を上目遣いに見ていた。
「だって俺、生身ですよ?」
「さっきまでのゴエティアとの会話を覚えていないのか、お前」
「客体による魂の規定について?」
「それだ」
頷くメグ姐さん。俺は背筋が寒くなるのを感じていた。
「お前、今までどの程度ネットに触れてきた」
「どの程度って……ほとんどびっしりですが」
「その時間でわずかずつでもお前を規定する因子をダウンロードしていたら?」
「まさかそんな」
俺の声は、情けないことに
「人間は情報の
「情報は人間を規定する。人間は情報によって既定されている」
「そうだ、墨川。だからお前だって例外じゃない。最初からこうなるようになっていたというゴエティアの言葉が正しければ、私たちの脳ミソはすでにその作用を受けていたということだ。特にお前も私もデジタルネイティヴと言っても差し支えない年齢だ」
確かに中学に入る頃にはWindowsは十二分に普及していたし、インターネットも当たり前のようにあった。高校、大学と進むにつれて回線は高速化したし、今やクラウドでできないことは何もないほどだ。個人のPCは、もはやコンピュータというよりは単なるインターフェイスになっていると言っても良い。スマートフォンも然りだ。実用ソフトからゲームまで、何から何まで端末を離れた論理的な可処分領域にその本体を置いている。というより、そういうサービス、そういう仕様のものでなければ受け入れられないという所まで来ている。世の中のパーソナルなインターフェイスの大半は、シンクライアント端末と化していると言ってもいいかもしれない。
「もっともデジタルネイティヴに限らない」
メグ姐さんはどこかに隠し持っていたペンを右手で器用に回しながら言った。
「こと日本はハイコンテクスト文化の最たる例。しかしインターネットに於いては徹底的にローコンテクスト文化を貫いている。そのために電脳空間に於ける日本語の比重は母語人口比に於いて最も高い」
「日本国はその立地的あるいは民族的特異性から、実験場としてはこの上なく好条件が揃っていた……」
思わずゴエティアの言葉を反復する俺。メグ姐さんは頷いた。
「そう、ローコンテクストの極みと言えばSNSだ。SNSでは極めて高尚な思想と低劣な情念が入り乱れている。顔も名前も知らない人たちが混ざり合い、
「でもそんなことはないじゃないですか。ネットの向こうには人がいる」
「それは何年前の常識だ。しかもそれには根拠はない。あるのは願望だ」
「いや、でも——」
「少なくとも」
メグ姐さんは俺の言葉に躊躇なく自分の言葉を被せた。
「五年前にはゴエティアの
「……確かに薦められた一社ではありましたけど、でもそれは」
「この期に及んで偶然か?」
そう言われて俺は言葉を紡げなくなる。
「お前は転職の時に何社か受けたんだろう? その会社の面接官が皆、ゴエティアの指図を知らぬ間に受けていたのだとしたら。うちの会社の人事連中がそうだったとしたら。お前が今ここにいるのは必然以外の何物でもないということになる。違うか?」
「しかし、それは」
そんなことは信じ難い。運命のようなもの、実力で掴んだと思っていたもの、そういうモノが全て必然という言葉で片付けられるだなんて、あまりにも虚しすぎる。俺の努力や人生が、全て仕込まれていたものの結果だというのを認めるのは、あまりにもつらい。
「私も同じ気持ちだ、墨川。私の努力や苦しみが全て必然だというのなら、そんなものはF***だ」
「Fワードはやめましょうよ、課長」
「墨川も同じ気持ちだと思っていたのだがな」
「いや、同じ気持ちですよ」
「ならなぜ取り繕うんだ、私たちしかいないこの場所でまで。ここは給湯室ではないんだぞ」
「でも俺は、課長の口でそんな汚い言葉を吐いてほしくないんですよ」
俺が言うと、メグ姐さんはしばらくじっと俺を見て、「わかった。もう言わない」と言った。それはどうせ口約束で終わってしまうものだろうけど、なんだか少し嬉しかった。
「私たちは、どうやらあのいけ好かないゴエティアを説得しなければならないようだな」
「相手はスーパーコンピュータですよ。俺たちの言葉だって全て予測済みなんじゃ」
メグ姐さんは俺の言葉に何度か頷いた。
「シミュレーションの中には組み込まれているだろう。だが、だとしても時間もない。私たちは揃ってあいつの用意した舞台の上に立たなきゃならないようだ」
「封印は解いた。次は七人の天使が……アンドロマリウスが合図の音を吹き鳴らす」
俺は溜息交じりに言い、首を振った。そんな俺の左肩に、メグ姐さんの右手が乗る。驚いた俺に、メグ姐さんは一言言った。
「頼むぞ、相棒」
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