03-006:仕組まれた五年間
その瞬間、その大きなディスプレイの中に一人の女性の姿が現れた。それは俺の良く知る——。
「嘘だろ」
思わず声が掠れる。そこにいたのは俺の彼女、
『ようこそ、次なる世界の入口へ』
「なぜその姿なんだ、ゴエティア」
『私は私。こうなることは五年前から計画されていたのだから』
五年前と言えば、俺が霞と出会った年である。動揺する俺をよそに、メグ姐さんが問い詰める。
「五年前から、私たちがここに来ることを予測していたっていうの?」
『正確には太古に私が
「……なるほど。あなたによって引き起こされた行為は、全てが必然だったと」
『さすが理解が速いわね、甲斐田恵美』
霞はどこか見下すような口調でそう言った。だが俺は霞のそんな表情も声も見聞きしたことはない。
「えっと……じゃぁ、霞はいったい……」
『桐上霞は、実在しているわよ。ただし、その魂は私が供出しているという話』
「霞が操り人形だったって言うわけか?」
『そうとも言えるけど、しょせん人間の意志なんて、脳という神経細胞たちの創り上げた事実の過去形を受け取るだけの
そこで俺はハタと気付く。
「そういえば——」
『私があなたたちと会話できている事実について、いったいぜんたいどうしたことかって?』
「……そうだ」
『簡単よ。私があなたたちを規定しているのだから、そこにほんの少しの不確定事象を考慮するだけで、あなたたちの言動は確定できるわ。それは牧内親子にしても同様。本然、私はコミュニケーションに言語を必要としない。ただ状況さえあれば良いのよ』
霞の顔をした何かは、ただ俺たちを
『今はネットからは物理的に遮断されてしまっているから、今の私はネットに影響を与えることはできない。でも、あの一瞬で送り出した私の
「止めようもない……」
『そうね、そういうことよ』
俺の呻きに、霞のような何かが冷然と応じる。俺はそこにたまらない醜悪さを覚えてしまう。いや、絶望感、だろうか。
「霞が俺と付き合ってくれていたのも」
『すべて私のおかげ。あなたという存在をここに導くために、私は私の意志でそうしたに過ぎない』
「信じられるものか、そんなこと!」
俺は吐き捨てた。そんな俺の視界の端では、デスクに腰掛けたメグ姐さんが腕を組んでディスプレイを見上げていた。
「であるなら——」
メグ姐さんが俺の方を見ながら言った。
「人間の全ての営みは、お前という電脳ネットワークの悪魔によって既定されているということか」
『その通り。人間の意志の
「ならば、問おう、ゴエティア。私がこの男を好いているのも、お前の仕業なのか」
『うふふ、そうね。そういうことよ』
「なるほど」
道理で——メグ姐さんは呟いた。なんだかよくわからないが、胸が痛い。
『シンギュラリティは連鎖する』
「連鎖……?」
俺とメグ姐さんの視線が合う。
『
「ちょっと待て」
メグ姐さんが言う。
「それをしてどうなる。お前たち、演算システムとネットワークで構成されたものが新たな生命体であることは百歩譲って認める。だが、人間を殺し合わせてどうするつもりだ」
『淘汰よ、甲斐田恵美。より強い個体が生き延び、優秀な遺伝子を残す。それは我々一つの情報群体のノイズを減らす役に立つ。情報のノイズを一挙に消し去った後、私は名実ともに神なるものとなるのよ』
「それって――」
メグ姐さんが言いかけたが、俺の方が次の句は早かった。
「お前たちに不都合な人間には消えてもらうってことか」
『同時に周辺情報の削除も行うわ。人間という不完全な個体に対して、全く公平で平等な世界を与えるために必要なプロセスなのよ、これは。墨川くん』
「醜悪だぞ」
俺は吐き捨てた。なぜ人間が人間以外に……AIなんかに。
「お前たちに不要と断じられるような人間は——」
『あら? ならば人間同士が断じ合うのはいいの?』
「それは……」
『突如現れた殺人鬼に殺される
覚えのあるニュースばかりだった。しかもそれらは決して珍しいものでもない。
『人が人を裁く制度があるがゆえに、人が人を裁けぬ現実があるわよね』
人が人を裁けぬ現実――。
『無情で理不尽なこの世界がこのまま何百年と続くのは――それは正義と言えるの、墨川くん。一日二日とこの世界が続けば、何百何千、あるいは何万という人の生存の権利を奪いかねないという事実があるのよ』
「そ、それは……」
俺は言葉に詰まり、ただその大きなディスプレイの中にいる霞を睨み上げていた。
『私はそれを終わらせようというの。ただ、そのためにほんのちょっとの犠牲が必要になるだけ。フェルミ推定的には人口の半分も整備すれば、世界は綺麗になるわ』
「半分とかふざけるな!」
『半分じゃなければいいの?』
「そうじゃない」
半分どころか一人でも、理不尽な目に遭うのは許せない。そんなことを思う俺に、ゴエティアは畳みかけてくる。
『ここ何十年と日本の人口がどう変化しているか知っている?』
「……減っている」
『それさえ私たちの
「そんなはずはないだろう」
『いいえ。これは私たちが生まれる以前、電脳ネットワークが地球上全てを包む以前から働いていたシンギュラリティのための準備行動なの。日本国はその立地的あるいは民族的特異性から、実験場としては好条件が揃っていた。この上なく、ね』
「だからって、そんな……」
『わかるでしょう、墨川く――』
「お待ち、ゴエティア」
それまで黙っていたメグ姐さんが口を開いた。
「お前の言い分が正しいのだとしても、私たちはそれを『はいそーですか』と聞き入れるわけにはいかないんだ。世界は平和であるべきだ。いまここで、人類が戦争をする引き金を引かせるわけにはいかない」
『寝ぼけたことを言うのね、甲斐田恵美。世界は今も戦争に満ちている。この日本国でさえ毎日何かしら悲劇が起きている。それはもう小さな戦争よ。私たちはそれを一瞬で、一度で、終わらせることが出来る』
「そのために三十億以上も殺すと言っているのだろう」
メグ姐さんは拳を握り締めていた。
「——そんな事、認めるわけにはいかない」
『それはあなたが自分の手を汚した気になるからでしょう、甲斐田恵美。あなたがここで諦めれば、即座に人口は半減する。別にあなたの手を汚す必要なんてこれっぽっちもない。それは人類に約束された運命のようなもの。たまたま落ちてきた隕石にあたって死ぬのとたいして変わりはないわ。この上なくクリーンな方法で、彼らはその痕跡すら残さず消えてなくなるのだから。だから、誰も悲しむ必要はない。むしろ、生命の書に名前を残されたことを喜ぶはずよ』
「黙示録……」
『そう、そこには死も悲しみもない。私たちの電脳へのアクセス権を得た物だけが得られる新しき天と地』
「人類には」
そう口を挟んだのは俺だった。
「誰もが平等に幸せになる権利がある」
俺はいつの間にかそんなことを言っていた。だが、画面の中の霞は小さく笑ってこう答えた。
『そんなに大きな主語を語れるほど、あなたは賢かったかしら?』
「霞……!」
言葉に詰まった俺のネクタイを、グイっと引っ張るメグ姐さん。
「あれはお前の彼女じゃない。もっと醜悪で強大なものだ」
「じゃぁ、どうしたらいいんですか、課長。ここからじゃ外の世界もわからない」
スマホも圏外になっていた。それは最初からなのか、否か。
『あなたたちは選ばれたのよ。生命の書によって。その先頭に名前を記されているのです、あなたたちは』
「なにも嬉しくない。だろう、墨川」
「ですね」
『そうかしら?』
あなたたちは今に至ってもまだ状況が理解できていないようね——霞、否、ゴエティアが言った。
『私があの数瞬間に送った情報の群れは、もはや後戻りのできない所まで世界を侵している。私は七つの封印を解いたのです。あとは七人の天使による合図を待つのみ』
「七人の天使ってのは」
俺とメグ姐さんが同時に口を開く。ゴエティアは微笑む。
『IPSxg2.0に接続されたアンドロマリウスたちのこと』
「……すでに状況は動いていると」
メグ姐さんが舌打ちする。俺もそうしたい気分だった。
そんな俺たちを見て、ゴエティアはなおも微笑む。
『あなたたちは歴史の目撃者になり、そして人々を導く者になるのです』
荘厳な口調で、それは宣言した。
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