違和感

 すっかり淑女らしくなったシャーリーは、この日も夜会に参加していた。

「聞きまして? フォーテスキュー男爵家のこと?」

「ええ、もちろん。ションバーグ公爵閣下の不興を買って取り潰されましたのよね」

「怖いですわよね。ですが、ションバーグ公爵家は力ある家ですので逆らえませんわね」

 周囲から聞こえる噂話により、シャーリーは貴族社会について理解するようになった。

(私がよく読んでいた小説では身分の高い令嬢が主人公に嫌がらせをするけれど、本物の貴族はそんなことせずに家の力で消し去ることが出来るのね)

 すると、シャーリーの元にヴィンセントがやって来る。シャーリーはカーテシーで礼をった。

「こんばんは、シャーリー嬢」

「こんばんは、ヴィンセント様」

「シャーリー嬢、音楽には興味ありますか? アトゥサリ王国の楽団がネンガルドでも公演するみたいなのですが、一緒に聞きに行きませんか?」

「あら、素敵ですね。是非聞いてみたいです」

 シャーリーはヴィンセントと気軽に話すようになっていた。その後、シャーリーはヴィンセントから誘われてダンスを始める。

(……ヴィンセント様って、小説に出てくる王子様とは全然違うわ。だけど、気取らず肩の力を抜いて一緒にいられるわね)

 シャーリーはヴィンセントを見ながらそう考えていた。

「シャーリー嬢? どうかしましたか?」

 ヴィンセントは不思議そうに首を傾げる。

「あ、いえ、何でもありません」

 ハッと我に返り微笑むシャーリー。その時、ステップを踏み外してバランスを崩してしまう。

「きゃっ」

「シャーリー嬢」

 シャーリーは転びそうになったが、自分よりも大きな体に包まれる。ヴィンセントがシャーリーを抱き留めたのだ。二人の体は密着している。

「……怪我はありませんか?」

「……ええ、ありがとうございます、ヴィンセント様」

 シャーリーもヴィンセントも、頬を赤く染めていた。

 その後、お互い少し口数が少なくなったものの、無事にダンスを終えた。

(……少し……ドキドキしたわ)

 シャーリーは先程ヴィンセントに抱き留められたことを思い出し、少し鼓動が速くなっている。

 その時、会場が騒めく。

 ベアトリスが鮮やかな赤いドレスを纏い、寸分の狂いもなく優雅に会場を歩いていたのだ。彼女の隣には、プラチナブロンドの髪にエメラルドのような緑の目の、見目麗しい男性がいる。

「ご覧になって。ベアトリス様よ」

「今日も優雅でございますわね、ベアトリス様は」

「流石は令嬢の鑑ですわ」

「ご婚約者のモールバラ卿ともお似合いですわね」

「コンプトン嬢が次期筆頭公爵夫人なら安心ですわ」

 周囲はベアトリスに尊敬と羨望の眼差しを向けていた。

「コンプトン嬢、今日も素敵ですね。私はあんな素敵な方にマナーなど色々と教えていただいたのですね」

 シャーリーもうっとりとした表情でベアトリスを見ている。

「そうですね」

 ヴィンセントはそんなシャーリーを見てクスッと笑った。

 しばらくすると、ベアトリス達がシャーリー達の元へとやって来た。シャーリーとヴィンセントはそれぞれカーテシー、ボウ・アンド・スクレープで礼を執る。

「ご機嫌よう、お二方」

「またお会いしましたわね、テヴァルー卿、クリフォード嬢」

 二人から声を掛けられたので、シャーリーとヴィンセントはゆっくり頭を上げる。

「ご機嫌よう、アイザック卿、コンプトン嬢」

「お声がけくださりありがとうございます」

 ヴィンセントはベアトリスの婚約者と知り合いらしく、名前で呼んでいた。シャーリーは嬉しそうにベアトリスを見つめる。

「君がクリフォード嬢だね?」

 アイザックはシャーリーに目を向ける。

「はい。クリフォード男爵家長女、シャーリー・クリフォードと申します」

 シャーリーはベアトリスに教わった言葉遣いで挨拶をした。

 ベアトリスは満足そうに微笑んでいる。

「私はアイザック・イライアス・モールバラ。モールバラ公爵家長男だよ。ベアトリスの婚約者でもある。よろしく頼む」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 シャーリーはアイザックと握手を交わした。そして、ベアトリスに目を向ける。

(あら? そう言えば、今日はベアトリス様といつも一緒にいるご令嬢達はいないのね)

「クリフォード嬢? わたくしの顔に何か?」

 ベアトリスは不思議そうに首を傾げている。

「あ、いえ、失礼しました。ただ、今日はコンプトン嬢はいつものご令嬢の方々とご一緒ではないのですね」

「ええ、わたくしは先程アイザック様にエスコートされて会場入りいたしましたので、彼女達とはまだ合流していませんの」

 ベアトリスは淑女の笑みである。

「まあ、そうでしたか」

 シャーリーは納得した。

 その後、四人で談笑していた。

「ベアトリスはクリフォード嬢のことを褒めていたよ。貴族としてのマナーや所作が出来るようになるまで頑張っていたとね。ベアトリスは君の努力を買っている」

「っ! アイザック様、それは今関係のないお話でございますわ」

 突然そんな話をされ、ベアトリスはサファイアの目を見開き頬を赤く染める。

「まあ! コンプトン嬢にそう仰っていただけて私とても嬉しいです。そうだ、差し出がましいかもしれませんが、私、コンプトン嬢にお礼をしたいです。もしよければ、クリフォード邸にご招待したいのですがいかがでしょうか?」

 シャーリーはグレーの目を輝かせてベアトリスを誘った。

「承知いたしましたわ、クリフォード嬢。ただ、そういった場合はきちんと招待状を書いてくださいませ」

 ベアトリスはどこか嬉しそうである。

「はい! 近々招待状を送ります」

 シャーリーはグレーの目を輝かせて微笑んでいた。

 ヴィンセントはシャーリーのその様子を見て優しげに茶色の目を細めた。

「では我々はこれで。ヴィンセント卿、また話そう。クリフォード嬢も」

「クリフォード嬢、言ったからには、きちんと招待状を送ってくださいませ」

 二人はそう言い、シャーリーとヴィンセントの元を離れた。

 その時、シャーリーはある令嬢に気付く。

 アッシュブロンドの髪に、ペリドットのような緑の目で、精巧な人形のように美しい顔立ちの令嬢。彼女はベアトリスを睨んでいた。

(あの令嬢、確かコンプトン嬢とよく一緒にいる人だわ)

 シャーリーは思い出した。以前ベアトリスと話していた時、その令嬢がベアトリスの隣にいたことに。

(あの令嬢、コンプトン嬢と仲が良いはずなのに、どうしてコンプトン嬢を睨んでいるの?)

 シャーリーの中に生じた漠然とした違和感。それは小さいがモヤモヤと胸の中に残る。

「クリフォード嬢? どうかしたのですか?」

 ヴィンセントは少し心配そうにシャーリーを覗き込む。

「あ、いえ、その……。ヴィンセント様、向こうにいる緑のドレスを着た方はどなたか分かりますか?」

 シャーリーは少し悩み、ヴィンセントに先程ベアトリスを睨んでいた令嬢のことを聞くことにした。

「緑のドレス……? ああ、あの令嬢ですか。彼女は確か、チェスター伯爵家のご長女、カレン・グウィネス・チェスター嬢ですよ」

「チェスター嬢……」

「ええ。チェスター伯爵家はかなり力がある家ですね。末席の侯爵家よりも立場が上かもしれません」

「まあ……。もしかして、コンプトン侯爵家よりも……?」

 少し不安になるシャーリー。

「いえ、それはないですよ。コンプトン侯爵家は侯爵家の中でもかなり上の家格ですから」

「そうでしたか」

 ヴィンセントの答えを聞き、シャーリーは少しホッとした。そして再びシャーリーはカレンの方を見る。

 カレンはベアトリスと談笑していた。まるで最初からベアトリスを睨んでいなかったかのように。

(今のチェスター嬢は……普通にコンプトン嬢と話しているわよね。……睨んでいたのは私の気のせいだったのかしら?)

 シャーリーは漠然とした違和感を胸の中にしまい込むのであった。

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