若年性パーキンソン病の私
@takitan
第1話 誕生
1980年代8月某日北海道A 市
午前3時を過ぎた頃、私滝沢ひかりは産声をあげた。後に両親から聞いた話によると凄く暑い猛暑日だったと聞いた。
母方の祖母西野たよは私が生まれた時「こんな可愛い子がこの世にいるのか?」と初孫を溺愛していたのであろう。小さい頃沢山の親戚に可愛がられ、部屋中ぬいぐるみだらけだった記憶がある。私は当時その中でも某TV番組の3つのぬいぐるみを大切にしていた。にこにこぽんの特にボロリが大好きだった。
甘えん坊で人見知り、いつも母親の滝沢光子の服の裾を後ろから掴み、迷子になる事は皆無だった。
父親滝沢光夫はタクシー運転手で昼から朝方まで働き、家にいる時の父親はずっとお腹出して寝ている印象が強く残っている。父親との嫌な思い出の1つに母が入院中、きっと父にとって初めてに近い調理だったのだろう…朝食にお味噌汁を作ってくれた事があった。塩ワカメを塩抜きなども、包丁でワカメを切ることもなく、そのままお味噌汁の具にしたので、凄く塩辛いお味噌汁が出来上がった。私が大泣きして祖母が手伝いに来たらしい。
私が4歳の時慢性中耳炎で耳鼻科に通院するようになり、またイビキも酷く局所麻酔でアデノイド手術をする事になった。4歳の子供が局所麻酔で喉の手術…大泣きの大暴れで、沢山の看護師さんに押さえつけられ恐怖心だけが残り治療は全く出来なかった。
手術室から出てきた私を見て、祖母が当時欲しかった手鏡のおもちゃを買ってくれた。あの時の執刀医の事は今だに鮮明に覚えている。4歳の時の将来の夢は手術後、ケーキ屋さんからお医者さんに変わった。理由は病気の人を助けたいとか立派な物ではなく、あの時の執刀医に仕返しがしたいというとんでもない理由だった。
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