第2章

第41話 vsサキュバスライム

 先輩の顔を見た瞬間、ああこれは夢だなと思った。なにしろこの女、前世で俺が死ぬ五年も前には死んでいる。殺しても死ななそうな女だったが、最期は交通事故であっさり逝った。


 先輩が笑う。妙に男前な口調と笑いが似合う女だった。


「ジン? 良い名前じゃないか、うん、アタシはこれからアンタのことはジンって呼ぼう」

「勘弁してくださいよ。自分の名前はあまり好きじゃないんです」


 なるほど、これは先輩が俺のことをジンと呼び始めた頃の記憶か。この女、何年もの付き合いなのに俺の下の名前を知らなかったのである。やっぱりユララにジンと呼ばせるべきでは無かった。おかげで先輩のことを思い出してしまった。


「俺のじいさんがつけた名前なんすよ。よりにもよってジンですよ、仁。人に対する愛情とか優しさってもんが込められた名前らしい。いくらなんでも俺とはほど遠いにも限度がある」

「フウン? アタシはよく似合ってる名前だと思うがね」


 嫌味かてめえ、と言いかけたが、本当に嫌味である可能性が高いのでやめておいた。人の名前も知らないぐらいに他人に興味が無いくせに、よく俺の嫌がる顔を見たがる女だった。


「俺はまだ世間ではガキに分類される年なのかもしれませんがね、それでもそれなりに生きていたら自分の性質ってものは分かってくる。仁ってほど愛とか優しさなんてもんは俺の中には無いんですよ、ゼロとは言いませんけどね」

「フハハッ、自分を理解するのに年齢は関係ないよ、ジン。結局のところ、キミを定義するのはキミの周りにいる人間だからね。ある日に自分の周りの人たちを見てなんだ仁って名前もそんなに悪くはないじゃないかって思うもんさ」

「……」


 ……。


 なんかだんだん腹立ってきたな。見透かしたようなことを言ってるけど、俺はこのあと周りに裏切られて会社を追放、失意のうちに女神に殺されるんだが? 適当なことを言いやがって、ちょっとそこになおれ、と言おうとしたところで目が覚めた。




「ユツドーさん、大丈夫ですか? なんだか顔色が悪いですけど」

「ああ、ちょっと嫌な夢を見てな。気にしないでくれ」


 街道を歩きながらカプーヤが心配そうにこちらを見るが、本当に夢見が悪かっただけで体調は問題ない。トテトテは平常運転でこちらに擦り寄りながら歩いている。俺はカプーヤに話の続きを促した。


「それでなんだっけ、この先に魔物が出るんだっけ?」

「ええ、サキュバスライムが出ます」

「サキュバスライム」


 サキュバスなのかスライムなのかはっきりしろ。


「男性の心を読み取って、理想の女性の姿に変身して現れるスライムなんです」

「へえ。そのあとはどうなんの?」

「油断して近づいたら捕食されますよ。スライムですからね」

「こわ‥‥」


 匂いで虫をおびき寄せる食虫植物みたいなものか。スライムに食われて消化される自分を想像して俺は慄いた。そんな死に方するのは嫌すぎる。


「要するに美人に気をつけろってことか。まあ、俺が引っかかることはないだろうな」

「分かりませんよー? 異性の誘惑ってのは耐え難いものですからね」

「はっ、俺からすれば、よくもまあそこまで生態と生息地が知れ渡っていて全滅しねえもんだな、と思うがね」

「それぐらい引っかかる人間が多いってことでしょうね。ところでユツドーさん、カプちゃんに告白するなら今のうちですよ?」

「……んん?」


 何言ってるんだこいつ、と俺はカプーヤを見る。カプーヤのピンク色の猫耳がひくひく動いた。


「やれやれ察しが悪いですねユツドーさん、この超絶猫耳美少女と一緒に旅をしていて、そこでサキュバスライムと遭遇するんですよ。もうそれって絶対サキュバスライムはカプちゃんの姿をして現れるじゃないですか。そんな気まずい事態に陥る前に、先にカプちゃんに告白しちゃったほうが良いですよ? まあカプちゃんには重大な任務があるのでお断りしますがね」

「寝言は寝て言え」

「ひどっ!?」


 あー、しかしなるほど、理想の女性ってのは知り合いの姿をして現れることもあるのか。俺は今朝の夢を思い出して顔をしかめた。あの女が出てくる可能性はあるかもしれない。まあそうなったら憂うことなく討伐するだけだが。そんな俺の様子を見てカプーヤがにやにやと笑う。


「おっとユツドーさん、好きな女性の心当たりがあるって表情ですね。いやーやっぱりユツドーさんも人の子ですねー、大丈夫、どんな女性が出てきてもカプちゃん引きませんから安心してください」




「ええ……」


 カプーヤがドン引きしていた。


 街道のど真ん中に温泉が現れていた。そう、温泉である。明らかに不自然な配置であった。よく見ると、そのお湯は虹色に輝いている。


「あれ、虹色亭の温泉ですよね? ユースラを出てから二日も経つのに未練たらたらじゃないですか。そもそもサキュバスライムが人間以外に擬態するなんて聞いたことありませんよ。本当に人の子ですか?」

「まさかこんなところにも温泉があるとはな」

「ちょっと入る気ですかっ!? アホなんですか! ほら、岩場のところなんか擬態できてなくてスライムのままじゃないですか! サキュバスライムも初めての人間以外への変身に明らかに戸惑ってますよ!」


 カプーヤの言葉で正気に戻る。危ないところだった。なんて巧妙な擬態をしやがる。


「でももしかしたら本当の温泉の可能性もあるよな?」

「なんで食い下がるんですか? ありませんよ! 万に一つの可能性もありませんよ! いいですか、絶対入らないでくださいね!?」

「了解!」


 俺は元気よく返事すると、温泉まで走り、服を脱いで飛び込んだ。その瞬間、危機察知魔法が危険を知らせる。思慮深い人間が騙されても不思議ではないほどに巧妙な擬態していたサキュバスライムが変身を解いて襲いかかってきた。


「ぐわああああああっっ!」

「アホー!」「キュポー!」


 あっ、これは死んだかもしれん。


 そのままサキュバスライムに飲み込まれそうになったところで、遠くから骨の弓矢のようなものが飛んできた。骨の矢はサキュバスライムに突き刺さり、どこか弱点を突いたのか一撃でサキュバスライムを倒す。俺はサキュバスライムの粘液にまみれながらもどうにか生還した。


「大丈夫でござるか?」

「ああ、助かった」


 骨の弓矢を投げてきたと思われる冒険者に話しかけられる。俺は冒険者のほうを見て一瞬身構えた。ホワイトウルフかと思ったのだ。


 尖った耳に鋭い目つきと牙。俺よりもはるかに大きく逞しい巨躯。その冒険者は、二足歩行で歩く白狼のような姿をした獣人だった。

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