いい気味ですね、お姉ちゃん

 俺は紗香に対して恋愛感情を持っている。そこに揺るぎはない、はずだった。


 しかし紗香に成り切ったこよりに、俺は何一つ違和感を感じとることができなかった。自分の気持ちがわからなくなる。俺は一体、誰が好きなんだ……。


「神田くん。帰りましょう」


 授業にはまるで身が入らないまま、いつの間にか放課後を迎える。

 紗香と同じショートヘアのこよりが、ヒラヒラと俺に手を振ってきた。


 ちなみに、こよりのイメチェンは大きなトピックとして校内に広がっている。

 こより自身が「彼氏の趣味に合わせたんです」と大々的に公言していることもあって、俺の注目度は再び上がっていた。


「こより。俺はお前と付き合ってるわけじゃ……」


「今朝、神田くんが私にしたことお忘れですか?」


「あれは……」


「今日どこかデートに連れてってください。私、放課後に制服デートするのが憧れなんです!」


 こよりは俺の腕に引っ付くと、甘い声でおねだりしてくる。

 周囲から軽い歓声と奇異の視線が集まってきた。もう後に引ける状況ではない。それに今朝のキスの件がある以上、俺はこよりに対して強くは出れなかった。



「ねえ……アンタどういうつもり?」



 突然、背後から棘のある声が飛んでくる。


 そこに居たのは、こよりと瓜二つの外見をした紗香だった。

 やはりそっくりだ。こうして間近で観測すると、本当に見分けがつかない。


「どうも何もないですよ?」


「その髪型でナイトくんとイチャつくのやめてくんない? あたしがナイトくんにベタベタしてるみたいに見えて気持ち悪い。あたし、こよりが髪を伸ばしたいっていうから短くしてるんだよ。お姉ちゃんだから仕方なく我慢してたの。なのに、どうしてあたしの髪型にアンタが合わせてくるわけ?」


「あれ? 知りませんか? 神田くんはお姉ちゃんが好きみたいなんです。なので、お姉ちゃんに寄せたんですよ。色々とお姉ちゃんには迷惑を掛けられましたが、結果的に神田くんとお付き合いできたのでよかったです。全部、お姉ちゃんのおかげです」


「……ッ! やめて! その顔で、その髪型で、ナイトくんに近づかないでよ! あたし、頭おかしくなりそう……!」


 紗香はガシガシと髪の毛を掻くと、目尻を尖らせ頬を歪めた。


 こよりは微かに頬を緩めて、俺への密着度をさらに上げてくる。


「ほら、ナイトくん早く行こ。あたし、カラオケ行きたいな。いいでしょ?」


 紗香のモノマネを、本人を前にして行うこより。

 カオスな状況すぎて、脳がバグを起こしそうになる。


「ちょ、なんのつもり⁉︎ こより、アンタはそんな話し方しないでしょ!」


「ムカつきますか?」


「当たり前でしょ!」


「ですよね。でも私はもっとムカついてます。勝手に私に成り切って、神田くんを騙して私の邪魔をしておいて、今更文句を言える立場だと思いますか?」


 こよりは理路整然と切り返し、虚ろな光を持たない目で睨みつけた。


 紗香は下唇を強く噛み、震える手で拳を握る。


「あ、そうだ。いい機会なので全部神田くんに教えてあげます。お姉ちゃんは昔、神田くんと会ってるんですよ」


「は? な、なに勝手に話してんのよ! それは言うなって言ったでしょ!」


 紗香は動揺に目の色を変えると、こよりの胸ぐらを掴み上げる。


「うるさいですね……。性悪女が私に触らないでください」


「は、はぁ? あたし、アンタのお姉ちゃんなんだけど」


「関係ありません。お姉ちゃんのせいで私の初恋は滅茶苦茶にされたんです。お姉ちゃんには憎悪しかありません。姉だとも思いたくないです」


「そ、そんな目で見ないでよ……」


 こよりは紗香の手を振り払うと、肩を強めに押した。


「お、おい、大丈夫か?」


「あたしの心配なんてしなくていい!」


 廊下に尻餅をつく紗香を気遣うが、ツンケンした態度で一蹴される。


「そうですよ。神田くんはお姉ちゃんの心配なんかしなくていいです」


 こよりは冷たい目で俺を睨むと、「話を続けますが」と中断していた話を再び渦中に持ってきた。


「私とお姉ちゃんの両親は、小さい頃に離婚してるんです。お父さんに引き取られた私と、お母さんに引き取られたお姉ちゃん。お姉ちゃんはお母さんの仕事の関係で東京に引っ越しました。なので、お姉ちゃんは東京にある小学校に通ってたんです」


「……言わないで。言わないでってば」


「紆余曲折あって私たちの両親は再婚することになって、お母さんとお姉ちゃんは福岡に戻ることになったんです。でも、お姉ちゃんには大好きな幼馴染の男の子がいました。……神田くんです」


「お、俺?」


「はい。別れ際、”絶対に一生忘れない。どこかでまた会おう”と約束したそうです。お姉ちゃんは健気にもその約束を大事に覚えてて、高校生になり偶然神田くんと再会した時に運命を感じたそうです」


「やだ。言わないでよ。……やめてってば!」


「でも神田くんはお姉ちゃんを覚えてなかった。初対面として扱う神田くんに憤りを覚えたそうです。色々と思い出してもらうよう頑張ったけど成果は得られなくて、好きだった気持ちが嫌いな気持ちに転換したって言ってました」


 小学生の記憶はかなり抜け落ちている。

 朧げな記憶しか手元にない中で、苗字も異なる紗香と幼馴染を同一視はできなかった。


 俺は変な名前だし、紗香はすぐに気づくことが出来たのかもな……。


「とはいえ、お姉ちゃんはまだ神田くんが好きなんですよ。だから、私に取られたくないんです。ううん、お姉ちゃんと同じ顔をした私にだけは絶対に取られたくないんです。ホントくだらないですよね」


「ああ、もう最悪……。なんで全部言っちゃうのよ……」


 紗香は吐き捨てるように呟くと、自ら髪の毛をぐしゃぐしゃにする。涙目になりながら踵を返し、そのまま走り去っていった。


 こよりは満足げに笑みを漏らすと、コツンと俺の肩に頭を乗せてくる。


「こより。どうして今、その話したんだ? 敢えて話す必要はなかったと思うが」


「敢えて今、話す必要があるんです。やられてばっかじゃ気が済みません。要するに仕返ししたかったんです。ふふっ、尻尾巻いて逃げていい気味ですよね」


 口元を手で押さえながら、にひるな笑みを浮かべるこより。


 俺の知っているこの前までのこよりとは別人と呼んで差し支えがない。そう思わせるほど、彼女の言動や行動は先週までとは打って変わっていた。


「さすがに今の紗香を一人にするのは良くない気がする。だから──」


「お姉ちゃんの元には行かせませんよ。神田くんはこれから私とカラオケに行くんです。楽しい楽しい初デートなんですから、水を差す真似はしないでください」


 凝固に俺の腕に絡みながら、こよりは微笑を湛える。

 そして俺の耳元に近づき、囁きかけるように。


「それに少しはスッキリしませんでしたか? お姉ちゃんが悔しそうな顔して行き場のない怒りを蓄えてるところ。神田くんはお姉ちゃんに酷いされたんですから、こういう時は喜んでいいんですよ。同情なんてダメです」


「俺は仕返ししたいなんて思ってない……」


「自分に嘘を吐かないでください。負の感情はそう簡単に消えるものじゃありません。特に罰ゲームで告白されたのは酷すぎると思います。その時の神田くんが感じた辛い気持ちを何倍にしてお姉ちゃんに返しましょう。大丈夫です、私が全部うまくやってあげます」


 柔和な笑みを浮かべながらも、こよりの目は一切笑っていなかった。

 彼女の性格を歪めてしまった一端は間違いなく俺にある。その罪悪感がふつふつと俺の中に湧いてきた──。

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