第2話 転生

 すっかり暗くなった街を歩く。街はまだまだ明るいが、これから徐々に光は失われていくだろう。


 ひび割れたアスファルトは焦げたような匂いがする気がして、俺は上を向いて歩く。


 元は田舎の出身だ。海も山も川もある地方に生まれ育ち、大学で初めてとある政令指定都市の中心地近くで一人暮らしをした。


 中型免許だがバイクの免許をとって、都会での暮らしを楽しんだ。


 大学の求人には故郷の仕事もあったが、なんとなくそのまま都会暮らしを選んだ。


 だが、数年も経つ頃には無性に故郷が懐かしくて堪らなくなった。仕事では真面目さを評価され、任される仕事も増えたが、その分会社にいる時間が増えた。


 起きて仕事に行き、夜まで働いたら帰って寝る。そんな毎日だ。気が付けば体重も減っていた。


 都会暮らしで最も楽しいことは夜の街をバイクで走ることだ。でも、疲れてそんな暇も無い。


 それが続いたある日、夜十時に家に帰って荷物を置き、バイクに乗ることにした。久しぶりだったが、バイクのメンテナンスはしていたからすぐに乗ることが出来た。


 軽く流してから高速に乗り、夜景が楽しめるルートをドライブする。降りたら海に面した飲食店街に移動して、夜の海の夜景を眺めつつ、コーヒーを飲む。


 そこそこ有名な観光地であり、ライトアップされた建物や船も賑やかで楽しい。ガラス工房などは閉まっている時間だが、テラス席のある飲食店などは殆ど開店している。


 そこで一休みしてのんびりしていると、気が付けばもう閉店時間となっていた。


 そこからの帰り道は、殆ど覚えていない。


 ただ、海の上を通るように作られた長い橋の上を運転していた瞬間だけは、一枚の写真を見るように思い出せた。












 気が付けば、僕はベッドに横になっていた。


 さっきまでバイクに乗っていた筈なのに、いつのまにか自宅に戻っていたのだろうか。天井が高く、ふかふかのベッドは子供用とは思えない大きさだった。


 間違いない。ここはフェルティオ侯爵家の小城の二階の角部屋だ。つまり、僕の部屋である。見慣れた石壁と等間隔に並ぶ木の柱。そして魔水晶の灯り。


 空はまだ暗く、見たこともないほど美しい星空が広がっていた。思わず上半身を起こして、畳二枚分ほどの大きな窓を見る。


 何故だろう。変な感覚だ。


 窓の外にはいつも見ている緑豊かな庭園と、石壁の塀が見える。その奥には南側の街並みが広がっている。中心には大通りが真っ直ぐ伸び、向こうの方に高い城壁と城門があった。


 ベッドの上に立ち窓辺に手を置いて背伸びをして外を眺めていると、後ろから声が掛けられた。


「あ、ヴァン様! そちらは危ないですよ!」


 少し気の抜けた声が聞こえて振り向くと、そこには長い茶色の髪を結った垂れ目の少女がいた。黒を基調としたメイド服にフリルの付いた白いエプロンをしている。


 僕の専属メイドの一人、ティルだ。食べたい時に食べたいものを食べたくなる希少な太め女子だ。


 気の抜けた声なのに、ティルがかなり焦っていると見て分かる。本人的には必死に僕を止めようとしているのだろう


「うん、ごめんね。あ、おはよう、ティル」


 僕がそう言って謝り、ベッドに座ると、ティルはその場で足をとめて固まった。


「え、あ、い、いえ! 聞いていただき、ありがとうございます! と、ところでヴァン様? 今、そちらで何を……」


 恐る恐る聞いてくるティルに、僕は首を傾げて窓を指差す。


「窓から景色を見ていただけだよ」


 そう答えると、ティルは目を見開いて瞬きをし、驚愕した。


「ヴァン様、そのような難しい言葉を、何処で覚えられたのです? そんな、まだ二歳を過ぎたくらいなのに……」


 二歳? 僕はもう三十歳に近いのに、ティルは何を……?


 三十歳?


 いや、僕はどうやってここに来たんだったか。確か、大学に行って働き出してからは忙しくてそんな暇は無かった気がする。


 じゃあ、仕事を辞めて?


 いや、それも違う。そもそも、ここは日本なのだろうか。まだ小城から出たことは無いが、日本人的な人種にあったことが無い。いや、背はそこまで大きくもないし華奢な人が多いのだが、顔立ちがはっきりしている人ばかりだ。


 ハーフの人ばかりの城? いや、そもそも日本にこんな石で出来た城あるのか。教会とも明らかに違うし、たまに廊下を歩いている兵士なんて鎧と剣を所持している。

 銃刀法違反も甚だしい。


「……あ、あの、ヴァン様?」


 僕が考え込んでいた為、ティルは名を呼んで様子を窺っている。


 ん? そう、名前もだ。


「……僕の名前は、ヴァン・ネイ・フェルティオ、だよね?」


「まぁ、ヴァン様。もう家名まで言えるのですか? 素晴らしいです。ヴァン様はやはり賢くて……」


 と、ティルは嬉しそうに僕を褒め出したが、僕はそれどころではない。


「……父さんはジャルパ、フェルティオ侯爵……兄さんはムルシアとヤルド、セスト……だったかな?」


 首を傾げてそう聞くと、ティルはまた目を見開いて驚く。


「そ、そうです。御当主であらせられるジャルパ・ブル・アティ・フェルティオ侯爵様。御兄弟はムルシア・エラゴ・フェルティオ様、ヤルド・ガイ・フェルティオ様、セスト・エレ・フェルティオ様です。あまり会われていないヤルド様とセスト様のお名前までご存知なのですか?」


 吃驚しているティルをそのままに、僕は腕を組んで唸った。


「ココって、ドコかな?」


 そう尋ねると、ティルは目を瞬かせたのだった。






 食事だと連れられて食堂に向かい、馬鹿みたいに広い食堂に父と二人の兄、ヤルドとセストが座る。長方形の大きなテーブルで、少々大きな声を出さないと会話にならないだろう。


 各人の席の近くにはメイドが一名ずつ付き、食事の手伝いを行う。配膳係は別におり、父の側には執事のエスパーダが静かに立っていた。


 かく言う僕の周りにはメイドが三人である。十歳のヤルドと八歳になったセストはもうメイド一人のお手伝いで静かに食事はできるということか。確かにソワソワはしているが、父が無言の圧力になっているのか大人しく食べている。


 僕は二歳だからね。柔らかく煮込まれた肉と芋のスープの具が、メイドさんの手によって更に細かく切り分けられる。火傷しないようにスープを息で冷ましてまでくれるんだ。



 うむ、よきにはからえ。


 と、冗談はさておき、僕はどうやら日本で過ごした記憶をそのままに、この世界に生まれ変わったらしかった。


 いまだ理解出来ないし、現実感も無いけど、この人参っぽい野菜の味はしっかりする。美味い。


「まぁ、ヴァン様。お野菜もしっかり食べますね」


「凄い。落ち着いてお食べになられますし、殆ど零しません」


 ティルと若いメイドさんの二人が凄い凄いと言って食べさせてくれる。ここはキャバクラか。そして僕はキャバクラの上客なのか。


 三万までなら出すぞ。


 と、そんな様子をヤルドとセストは羨ましそうに見ていた。


「……ヤルド。今日は何を学ぶ?」


 不意に、父がヤルドに尋ねた。貴族のしきたりなのか、子供の間はそうなの朝は基本的に子供は何もしない。昼から年齢に合わせた教育と剣術などを習う。


 そして食事は昼前くらいに一回と、陽が落ちた夜に一回の二回だけだ。長男のムルシアは既に十四歳であり、半分大人のような扱いで現場で実地訓練などもあり忙しい。


 とりあえず、十歳以下は皆同じようだが、父が昼食時に何をするか聞き、夜食時には一日がどうだったか聞く。それが日課のようだ。


 突然話を振られたヤルドは慌てて振り向き、口を開く。


「は、はい。今日は炎の魔術と、戦での陣形について学びます」


「そうか。セストは何をする?」


 父は頷き、セストに話を振った。セストは先日炎の魔術の適性があると鑑定されたばかりで、何処か嬉しそうに魔術の勉強をすると答える。


 すると、普段は聞かないのに父は最後に僕に同じ質問をした。


「……ヴァン。お前は今日、何をする?」


 その質問に、僕は特に何も考えないまま口を開く。


「分からないことばかりなので、まずはこの国のことを学んでみようかと思います」


 そう答えた瞬間、父を含め二人の兄、各メイド、執事のエスパーダまでが唖然として固まった。


 静寂に包まれる食堂の中で、ティルが呟いた一言が不思議とよく響いた。


「や、やっぱり……ヴァン様は天才なのですね……」

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