第20話 最低な人間
「オタク~、ちょっと良い?」
僕はすぐさま立ち上がり、ルナさんとは一切目を合わせる事なく教室を後にする。
「ちょっと、オタク!!」
どれだけ呼び止められても、腕を掴まれようとも、すぐに振り払って。
そんなのを休み時間の間、ずっと続けた。
お昼もそう。
バン、とルナさんは机を叩き、僕の視線を集めようとする。
「ちょっと、オタク!! 無視は酷くない!?」
「…………」
僕は立ち上がり、教室を出ようとする。
しかし、すぐに腕を掴まれる。いつもよりも強い力で。
でも、僕はそれをすぐさま振り払う。
決して振り向く事なく、僕は教室から去る。
「……?」
「ルナ、どうしたんだ?」
「…………アンタ、何かした?」
「? 何の話かな?」
後ろから東郷くんとルナさんが話をする声が聞こえた。
でも、僕はすぐに教室を出て、廊下を進む。
行く宛なんてない。ただただ、僕は何処かに向かう訳でもなく足を進める。
ふと、窓を見た。空は僕の心を現すようなどんより曇り空。
否、僕の心。というのは語弊がある。
だって、本当に傷付いているのはルナさんの心のはずだから。
昨日、僕はルナさんと恋人になったのに。
人が変わったように無視をして。
昨日までの自分が全部、嘘のようだって思うに決まってる。
何なら、もう僕に失望だってしてるはずだ。昨日の話もなかった事になるだろう。
でも、それで良いんじゃないかな。
僕にはやっぱり、過ぎた感情だったんだ。
僕にはやっぱり、過ぎた人だったんだ。
決して釣り合う事のない遠い世界の人。
僕は立ち止まり、一つ息を吐く。
僕はどこまでも自分勝手だ。
勝手に自分が傷ついてる。お前が勝手に承諾した事なのに。
あの時、僕がルナさんの恋人だってちゃんと胸を張って言って、あんな圧力にだって屈する事がなかったら、ルナさんだって無視する必要なくて。
ルナさんが傷つく事だってなかった。
ただただ、僕の我が身可愛さで。
僕は理解する。
僕自身が間違っていた事を。僕が過ぎた夢を見たが故にルナさんを傷ついた事、そして、僕自身が傷ついた事を。
これからはやっぱりつつましく生きていこう。
いつもどおり、僕だけの理想の世界に閉じこもって、誰とも関わらず。
前と同じ、路傍の石のように生きていこう。
そうすれば、もう誰も傷つかなくてすむから。
そう僕は決意し、教室に戻る。
ルナさんはどうやら居ないらしい。僕はそのままイヤホンを付けて、ライトノベルを開く。
そうだ、これがいつもの僕の世界。僕の居場所。僕の……理想。
昨日までの僕とは全然違う。うん、これで良い。
そう言い聞かせて、僕は一日を過ごした。
昼休み後もルナさんは僕に声を掛けてくる。
「オタク!! いい加減に無視しないでよ!! ちょっと!! ねぇってば!!」
ルナさんがどれだけ声を掛けても、何も聞こえていない顔をして。
うん、今は辛いと思う。でも大丈夫、いつしかそれが当たり前になるから。
ルナさんだって、いつか必ず僕に失望して、居なくなる。
そうすれば、また僕は独り。うん、独りが良い。
「ルナ、あんな奴はほっといて、俺たちとカラオケでも行こうぜ」
「オタク……何で……アンタ!!」
僕が教室を去ろうとした時、ルナさんの怒号が聞こえた。
僕は一瞬、足を止めそうになるけれど、それでも進む。
「絶対、絶対に……こっち見させてやるんだから!! 覚悟しろよ、バカオタク!!」
もう放っておいて欲しい。
君は僕よりも凄い人、キラキラ輝いている人が居るじゃないか。
僕を好きになる必要なんてない、好きになっちゃいけないんだ。
僕みたいな自己保身に走り続ける最低な男を。
僕は逃げるように家に帰った。
もう何も考えたくなくて、ただ、目の前の現実から逃げ出したくて。
僕は勢い良く玄関を開ける。
「あ、おにぃちゃん、おかえりー」
「茜……ただいま」
玄関を開けると、その音でトコトコと茜がやってくる。
僕が靴を脱いで、家に上がると、茜が足にしがみつく。
「おにぃちゃん、元気ない?」
「……そんな事ないよ」
上目遣いで心配そうに見つめてくる茜の頭を僕は優しく撫でる。
茜に心配かけちゃったかな。
僕は茜を抱っこし、口を開く。
「よし、じゃあ、今日はおにいちゃんが少しだけ遊んであげよう」
「ほんと? あたし、とらんぷやりたい」
「トランプね」
僕は茜を抱っこしたまま、リビングへと向かう。
リビングではお母さんは寝転がり、口の端にタバコを咥えている。
僕が帰ってきた事に気付いたのか、母さんは顔だけをこっちに向ける。
「おう、おかえり。今日はデートじゃないのか?」
「そういうのはなくなったから……」
「ん? 何かあったか?」
「別に」
「そか。なら、良いけど。茜~」
母さんが茜を呼ぶと、茜は寝転がる母さんの上によじ登る。
「なにぃ~、おかーさん」
「タクはちょいとテンション低いらしいから、母さんと遊ぼうな」
「えぇ~……おにぃちゃんと遊びたい~」
「何ぃ~、おかーさんよりも、タクの方が好きなのか~、このこのぉ~」
「きゃ~」
いきなり、母さんが起き上がり、茜を追いまわし始める。
それに茜は嬉しそうな悲鳴を上げて、駆け回っている。
……やっぱり、お母さんには分かるんだね。
僕がリビングを去ろうとすると、母さんの声が聞こえた。
「心には休息も必要だ。しっかり休みな」
「……うん、ありがと」
僕は階段を上がり、部屋に戻る。
それからカバンを放り投げ、ベッドの上に横たわる。
何だか、今日は疲れたな。
心の疲れか、それとも朝から殴られたからなのか、分からないけれど。
僕は瞼が重たくなって、ゆっくりと目を閉じた――。
☆
何だか――懐かしい気がする。
ここは……教室?
ああ、僕は目の前に映る光景を見て、思い出す。
これは小学生の頃だ。
小学生の頃、僕がずっと見ていた景色。
周りから浮いていて、誰とも友達が出来なかった時の記憶。
何だか懐かしい。
ぼうっとする意識の中で僕はぷかぷかと浮かぶ感覚に身を任せる。
何かが見えてくる。あれは……。
「おい、取れるもんなら取ってみろよ」
「やめてよ……ねぇ、返して……」
ああ、こんな事、あったな。
ウチのクラスにはガキ大将が居て、良く女子を苛めていたんだっけ。
そのイジメになるターゲットはいつも同じだった気がする。他のクラスの女の子。
クラスの中に居た凄く地味で、何処に居るかも分からない、今の僕のような女の子。
いつも、いつも僕は遠くからこの景色を見ていたんだ。
でも、ある時だったかな。
「あれ……私の筆箱がない……」
そうだ。苛めが何だかエスカレートしていて、彼女の物がなくなるなんて事が起きていた。
流石にやりすぎだと思って……。
「僕も一緒に探すよ?」
「え……あ、ありがとう」
僕も一緒に探して、見つけたんだ。
「あ、ありがとう!!」
「どういたしまして、そ、それじゃあね」
僕は相変わらずコミュニケーションが苦手で、彼女から逃げるように帰ったんだ。
それからも苛めは何か続いていて――。
周りの子は皆、見て見ぬふりをしていた。だって、もしもチクったら次のイジメのターゲットにされるから。
でも、僕はこの頃から路傍の石だったし。仲の良い先生も居た。
「あ、あの、先生……」
「ん? タクトか? 先生、最近は特撮にはまっていてな。タクトの見ているものの良さがだいぶ……」
「い、イジメがあるんですけど……」
「……何? それは本当か? タクト」
「うん」
「よし。タクトが言うなら、本当だな。先生に任せておけ!!」
それから親も呼び出して、あのガキ大将がめっちゃくちゃに怒られたんだっけ。
あの時の先生は物凄くかっこよかったな。
今、元気にしてるかな。それからイジメが無くなって、後日、女の子にお礼を言われたんだっけ。
でも、すぐに引っ越しちゃって。良く覚えてない。
名前――なんだったかな……。
確か――如月……ルナ。
☆
僕の意識が覚醒する。
凄く懐かしい夢を見ていた気がした。
それと同時に懐かしい名前も思い出した気がする。
「如月……ルナ?」
え? ルナさん?
いや、ありえない。ありえないと思う。
だって、今のルナさんはギャルで。
あ、僕は思い出す。
昔は地味で、中学生になった時にイメチェンをしたって。
僕は身体を起こす。サーっという雨音が聞こえてきた。
僕は外の様子を窓から覗く。
「凄い雨……」
いや。今はそんな事を考えている時じゃない。
だとしたら、僕とルナさんは昔会った事があるって事?
いや、そんな訳……。
ピンポーン。
インターホンの音が聞こえた。
誰だろう。僕は動こうとするが、多分お母さんか茜が出るだろう。
そう思い、ゲームの電源でも付けようかと動く。
こういう時はゲームでもやって、一旦、心の整理を……。
ドタドタ、とあわただしく駆けてくる足音が聞こえる。
バタン、と扉を勢い良く開かれると、そこには茜がいた。
「おにぃちゃん!! おきゃくさん!!」
「え? 僕に?」
「うん。あのね、おかーさんがだれかはいっちゃだめっていってたからね、いえないけどね、おきゃくさん!!」
言えないお客さん?
いったい誰だろう……僕は部屋を出ようとした時に気付く。
母さんが分かってるって事は、ルナさん?
僕は部屋から出るのをやめ、茜に言う。
「茜、帰ってもらって」
「だめ!! こないとおかーさん、おこるって。ぐーでなぐるっていってた」
「…………」
まだ年端もいかない少女に何を言っているのか。
でも、やっぱりお母さんには全部筒抜けなのか。
僕は震える足を動かして、階段を下りていく。
ゆっくりと階段を下りていくと、徐々に足元からルナさんの姿が露になる。
足元は水に濡れていて、身に纏う制服も雨で透けてる。
ルナさんが髪を掻き分けた時、僕と視線が交わる。
「……オタク」
「……っ」
「ここなら、逃げられないっしょ。さあ、聞かせて? 何があったの?」
その時、見たルナさんの笑顔は修羅と見間違えるくらいに怖くて、頼もしく見えた――。
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