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第47話 敵無き旅路

 初めに向ったのは妖精界だった。

 『そう、なの』

以前とは見違えるほど凛とした姿で女王の椅子に腰を下ろしていたキャムルは天を仰ぐ。

ほんの数秒間だけ、彼女は瞳を閉じたまま動かなかった。

フィルオーヌの手にしていた精環槍に似た槍を左手に持ち、大きすぎる女王の椅子で、ただ静かだった。

…やがて。

 『ご報告、感謝致します』

微かに濡れた瞳をリューンに向けて感謝を口にした。

 『前代の女王であり、信仰の対象ともなったラ・フィルオーヌ様はかつての使命を全うし、その偉大な生を終えました。この事実は我らエルフ全ての末代までの誇りであります。同時に、共に使命に殉じた戦姫、巫女、蟲人魔王界の戦士、そして担い手・リューンにも心よりの感謝を申し上げます』

立ち上がり、一歩前に出たキャムルは視線を送り続けるばかりのリューンに、右手の指二本で心の臓を示す。

 『本当に、有難う』

妖精界の女王より賜ったのは最大限の感謝。

他に聞く者がコルリィカしかいなくとも、この事実は永劫消える事は無い。

 『……ここまでが女王としての言葉です。リューンくん』

そうして最大級の感謝を伝えた後、キャムルは口調を柔らかくして右手を下ろす。

 『私と、婚姻を結んでくれますか?』

……何処か、諦めた表情だった。

はにかんだ笑みの端には悟った事実が宿り、僅かに上擦った声には落胆に期待が乗せられている。

 『……悪い』

リューンはそれを、多くを語らずに断った。

ただ、一言だけで。

 『…そっか』

微笑みを強くし、[受け入れた]と分かる声色で応え、キャムルは右手をリューンへと伸ばす。

 『誰、とは問いません。貴方が選んだのであれば、例えそれが理解し難い相手であっても受け入れます』

『ですが』と彼女は続ける。

僅かに震える唇で紡ぐ。

 『ですから、一度だけ手を添えてはくれませんか?』

右の掌を上向きにし、キャムルは儚い願いを伝える。

どうか、一度だけでいいから触れさせてほしい。と。

 『………ああ』

彼女の願いを彼は断らなかった。

 『嬉しい』

左手を差し出し、白く細くしなやかなに伸びた腕の先にあるキャムルの右手の上に乗せる。

彼女の手は仄かに温かかった。見た目通りすべやかな心地があり、同時に力強さも感じられ。

何より、強張っていた。

 『ふふ、硬かったんだ。武器の握り過ぎ?』

言いながら目元を細めて視線を流したキャムルの笑みが崩れる。

そうして彼女は滑らかに左手首をリューンの手と共に回して掌同士を合わせると、彼の指の隙間に自分の指を沈めた。

 『…キャムル』

 『このくらいの我儘はいいですよね?リューンさん』

柔らかに固められたキャムルの指と、力無く曲がるだけのリューンの指。

お互いの指から感じる脈拍はどちらも落ち着いていて、熱が、流れ合っていた。

 『…ありがとうございます、リューンさん』

およそ十秒の間、そうして手を結んだキャムルはお礼と共にリューンの手を放す。

 『…さて今晩はどうなさいますか?もしゆっくりされる時間があるのならばお部屋は直ぐにご用意致しますよ』

踵を返し、女王の椅子へと戻ったキャムルの言葉は硬かった。

数言前のキャムルとしての様子はもうない。

彼女は今……いや、これから。

リューンの前で、かつてのような姿を見せる事は無い。

一世界の長として、今後接し続ける。

伴侶として共に在れないのであれば、威厳を損なうような姿を民に見せるわけにはいかないからと。

 『いや、俺達は直ぐに行く。まずは、巫女の近しかった奴らに会わなきゃならないんだ』

 『…では、いずれ戻ってくる。と?』

 『そうだな。全部の世界でやる事がある。一週間やそこらじゃ終わんないような長い長い旅だ』

 『そういう事でしたら、訪れた際は再び我らが妖精城へと脚をお運びください。可能な限りのご支援をお約束します』

 『………いいのか?』

 『異な事を申さないでください。大恩あるリューンさんをご支援しないなどとあっては歴代の女王達に笑われてしまいます』

 『そうか…。助かるよ、キャムル』

 『滅相もありません。我ら妖精界の者は皆、貴方の協力者です』

 『……有難う。ごめん』

頭を深々と下げ、リューンはキャムルに背を向ける。

少し遅れ、コルリィカも同様に礼儀を示すと、歩きだしたリューンの後に続いた。

 『エルフィム達にはまた来るって言っておいてくれ。シャクリーにはいつ頃俺の首が取れるかそん時に伝えるよ』

立ち止まる事無く口にしたリューン。

彼の言葉に少しだけ思う所は有るものの何も言わないコルリィカ。

そして彼らの耳に届く、キャムルの声。

 『そんな貴方を愛していました。どうか、心変わり無いよう』

彼女のその言葉に、リューンは振り返りはしなかった。


                         ーーーー


 次に彼らは火氷界の地に立っていた。

狂った光景、気候、気温に大きく面食らったコルリィカと共に少しの間進んだリューンは異形の人影を見つける。

 『そろそろ来る頃だと思ったよ、リューンさん、コルリィカさん』

名を呼んだのはヴァヴァル。ブラフの父親だ。

 『ヴァヴァル…。俺はあんたに……』

 『積もる話はまだいいさ。行こう、因果の観測で視えた時、この辺りに小屋を用意したから』

 『けど!俺は…!』

 『君が良くても隣のお嬢さんはダメだろう?それにバルデルもいる。顔を見せてやってくれ』

微笑むヴァヴァルの視線の先にいるコルリィカはかなり虚ろな状態だった。

温度調整をリューンに施してもらったものの、そもそもの寒暖差に適応できないらしいコルリィカは[熱い]も[寒い]も極端に苦手のようだ。

 ーー……このままじゃマズいか。

ヴァヴァルの言葉を聞き入れ、足早にコルリィカの下へと向かって彼女を背負ったリューン。

背に負ったコルリィカは怯える子供のようにリューンに抱き着いて……いいや、しがみ付いてくる。

 『…案内を、頼む』

 『うん、じゃあついて来て』

可能な限りコルリィカを安心させられるように己の手を彼女に触れさせながらヴァヴァルについて行くリューン。

……と言っても、ヴァヴァルの言った通り先ほどの場所からはそれほど大きく離れてはおらず、単に吹雪で隠れていただけで十メートル程度の場所に在った。

 『さ』

前に立ち、開く扉と共に扇状に外へと移動するヴァヴァル。

結果として先に屋内に入る位置になってしまったリューンは『有難う』と言いながら中に入っていく。

短い廊下を少し行って右にある扉。それを開けると、中には四人用の長卓と同人数分の椅子。

そして、そのうちの一つに座る、バルデル。

 『担い手様……いえ、リューン様』

ガタリと。裏腿で椅子を押しながら名を呼んで立ち上がるバルデル。

その瞬間まで無かったはずの涙は、瞬く間に目元を覆うと溢れ出し、嗚咽を伴って駆け出す力となった。

 『ねぇさんは…ねぇさんは……!』

 『……ああ。ごめん、ごめんな。今、ここに、あいつを連れてこれなくて、ごめん……』

無垢な涙声がリューンの耳をどんな音よりも鋭利に傷付ける。

いっそ鼓膜が裂けた方が楽なんだと思うくらいにズタズタに切り付けられる。

 『いいえ、いいえ、怒ってなんて、いないんです…。だってねぇさんは、ねぇさんは……!』

ひとしきり泣き喚き、顔をリューンの胸元にうずめたまま少しずつ落ち着きだしたバルデルは過呼吸気味の息を徐々に従えながら言葉を続ける。

 『幸福のままに眠れたのです……!』 

未だ肩で行われる呼吸で、それでもはっきりと、叫ぶようにしてバルデルが発っし、続ける。

 『家事は下手、噓も下手、素直になるのだって下手だったんです。なのに、リューン様の前では素直になれていた』

 『…そうだったのかもな』

 『そうだったんです!アタシは知ってました。装丁を誤魔化して小説を読むねぇさんの姿を。いつだって、御伽噺のような恋を持ち出す物語を好むねぇさんの姿を』

リューンの否定的な返答を拒むようにして続けられたバルデルの言葉は彼の記憶を刺す。

本を読んでいた、と。目の前でではないが、『本の続きが読みてーから』と確かに言っていた。

 『ですが、物語に求めているのであればそれは諦め。現実で事足りるのなら誰も作り物に見向きもしないんです。だって、最も好ましい形で目の前に在るんですから』

じっ、と。

バルデルはリューンの目を見つめて続ける。

涙が確かに溜まってはいても、感謝が満ち足りた瞳で視線を一切動かさない。

まるでリューンが瞳を逸らさないよう監視しているかのように。

 『旅立ったあの日……。いつものように下手な嘘を演じたあの日、部屋に立ち入った私は見たんです。ねぇさんの本が寝床の上に置かれているのを』

 『………』

バルデルが何が言いたいのかーー。ここまで言葉にされれば事実から目を逸らそうとも解る。

現実を満たしたのは自分(リューン)だと言いたいんだろうと。

だから虚構の物語などは不要になったんだろうと。

だが…。

 『その満ち足りた現実から突き落としたのも俺だ』

 『……!!』

 『そうなんだろう。ブラフにしてみればきっとそうだったんだろう。けどな、そんなのはただの盲目だっただけだ』

 『お、おいリューン、それは言い過ぎだ』

 『かもな。けど、素直に喜ぶなんてのもできねぇよ。それじゃあいつが石っころに成ったのも喜んでやった事になっちまう』

 『なん…!どうしてそんな事を…言うんですか……!』

首から下げ、服の内側に隠していた巾着を取り出し、中から宝玉を一つ取り出すリューン。

色は紅と蒼ーー即ち、ブラフ。

 『そ、それって…!』

 『言われたよ。『愛してる』って。俺の居る世界のためなら命は惜しくねぇって』

輝くばかりで美しいだけの宝玉を見つめながら続ける。

輝きを映すリューンの瞳に色は無い。

 『今なら分かるさ。それがどんだけのモノなのかって事も、どれほど手放したく無いモノなのかって事も。…失った今なら分かる。確かにそいつのためなら何でもしたくなるよ』

『だけど、な』と。リューンは視線をバルデルに向けて続ける。

 『残された側は、結局苦しいだけなんだ。それも死にたくなるくらいに』

敵意も怒りも何も無いはずの彼の視線は酷く暗い。

底抜けに暗く、闇夜に覗いた井戸のよう。

それを自身の目に向けられているバルデルは、背筋がゾッとし、鱗が全て裏返るんじゃないかという錯覚に陥る。

 『命そのものに価値なんざない。他所様の事なんざ道端の石ころ一つほども気にならねぇのと同じだ。だから隣に居る命が勝手に価値を付けてく。それがかけがえの無いものだと自らに言い聞かせてる。なのに、ある日突然、一方的に消えてくんだ。俺達の時は[大切だから]って。[失いたくないから]ってさ』

宝玉をしまい入れ、首を垂れながら再び首に掛けるリューン。

そうして向けられた瞳には先程までの暗さは無く、来た時と同様の苦悩が浮かんでいる。

 『だから、礼はまだいい。バルデルとヴァヴァルにした約束が果たせるまで待っててくれ』

 『だから…って…何を言……』

言葉を繋ごうとし、何も出てこなくなってしまうバルデル。

その彼女の後ろから現れるのはヴァヴァルだ。

 『…さて、挨拶も済んだ事だし、今日はもう休もうか。分かりにくいけど、実はもう夜だしね』

彼は、バルデルを通り過ぎてリューンの肩に手を置くと視線を使って背後にある扉を示す。

それをリューンは『ああ、助かるよ』と言うと、ヴァヴァルに連れられるまま部屋を後にする。

やがて残されるバルデルとコルリィカ。

彼女達は少しの間リューン達の消えた扉を見つめていると、ゆっくりとコルリィカが口を開いた。

 『……済まない。あいつを責めないでやってくれ』

傍に在った椅子にーー無礼と分かっていてもーー腰を下ろしたコルリィカは両肘を両膝に立てながら額に手を当てる。

 『そんな事は思ってもいません…。けど……』

 『眠れていないんだ。もう三日…いや、四日か。戦いが終わり、妖精界、火氷界へと足早に進んではいるが、その間一睡もしているところを見た事が無い。うたた寝すらだ。…限界なんだ。寝床を借りたところで、横になったところで、己を責めて終わりなんだ。もう、まともには戻れないんだろう。あいつは、多くを失い過ぎた』

バルデルの言おうとした事。それを最初から分かっていたコルリィカはそうなった理由だけを伝える。

会話が成立し切らない事に対する『何を言っているんですか』と、問いかけてしまいたくなる理由を。

 『四日間も眠れていないん…ですか……?』

 『ああ…。それもあんなのとの戦いの後からだからな。倒れていない方がおかしいんだ』

 『……予(み)えてませんでした』

 『誰も責めていないのに、な。自分で自分を赦せないんだ。……いや、赦してはいけないとすら思っているかもしれない』

魔王が倒されて以降、バルデルとヴァヴァルが予れた因果の観測はこの近くに出てくる両者の後ろ姿だけ。

その間に何があったのかーーつまりは真っ当に過ごせていたのかどうかまでは分からなかった。 

 『だから…悪いんだが、今日の所はここまでにしてやってほしいんだ』

 『そんな…。寧ろアタシの方こそ、ごめんなさい。何も知らないのにいきなり詰め寄ったりして……』

 『謝る必要は無い。彼だって、そう思っている』

コルリィカから嘆息にも似た吐息が出ると同時、沈黙が訪れる。

両者は同じ体勢のまま重苦しい時の流れを感じる。

瞳の動きも、呼吸も、どれもが普段より少しばかり重かった。

……やがて、リューンとヴァヴァルの消えた扉の方から音がする。

 『…そう言えばバルデル』

 『は、はい』

項垂れていた頭を上げ、努めて和らげた表情をバルデルに向けるコルリィカ。

沈黙を破るきっかけとなった音を逃すまいとした彼女は、これまでの流れで考えれば口にすべきか躊躇われる言葉を届ける。

 『君と話しているとな、姉のブラフの事を思い出すんだ。きっと言葉の端々が似ているんだろうな』

はたと。ブラフの時が止まる。

 『と言っても、直接話したわけじゃ無いんだ。声を少し聞いただけで…。……いや、済まない。言うべきでは無かったな』

見開かれるバルデルの目。

一瞬の硬直。

それらは己の発言が過ちだったが故に起きたと感じたコルリィカは即座に収束させる方向へと話を持っていく。

だが、当のブラフは喜んだかのように瞳を潤ませ、口元に手を当てた。

 『いえ…。いえ…!有難う、ございます』

 『……?そうか』

不可解な様子に小首を傾げるコルリィカ。

しかし、悲しませたわけでは無いのであれば問題は無いんだろうか?と自身を納得させた。

それから数分後。部屋に戻って来たヴァヴァルにリューンの事を尋ねたコルリィカは、『彼と同じ部屋で休む』と告げ、二人の前を後にする。

 『……ここでもまだ、眠れないか?リューン』

リューンの居る部屋の前で小さく、そう漏らしたコルリィカは扉を開ける。

中には、ベッドの上に宝玉を全て広げ、それらに一日の出来事を語り聞かせるように話をするリューンがいる。

 『……コルリィカか』

 『ああ』

 『またか、なんて思ったか?』

 『いいや?上手く話せているかとだけ、な』

 『…………止めないでくれて有難うな』

 『止めるものか。私とて、彼女達の声を耳にしたんだからな。懸けたくなる気持ちは同じだ』

部屋の扉を閉じ、リューンの隣に腰を下ろすコルリィカ。

両者はそのまま少しの間一日にあった出来事を語り始める。

宝玉達も共に行動していたのに。

魔王を抹消した日以来、続けても何の反応も示さないと言うのに。

……暫くして。

 『じゃあ、行くか。大丈夫か?』

 『侮るなよ?一昼夜の行軍なぞ、何度も経験している』

彼らはバルデル達に何も告げず、小屋を後にした。


                       ーーーー


 次に彼らが訪れたのは機生界だった。

コルリィカの知る世界とは一線を画す未来都市。

初めてここに足を踏み入れた時のリューン達同様強い吐き気やふらつきを覚えた彼女を背におぶりながら進むリューン。

向った先はライト・ライト・ライトの二人、ソーフィアとキリィが住む超々高層ビル。

時間は深夜だったため、機生体が住んでいるのだろう建物の電気は消えて居るところがそれなりにあったが、3Lの住んでいる部屋はまだ電気が点いている。

 『…本当に色んなところを旅してきたんだな』

 『まぁな。不思議なもんだ。あれだけ急いでた旅なのに、こうも簡単に歩けるなんてさ』

 『新鮮味が薄れただけさ。私には濃密な旅だ』

言葉を交わし、両者は超々高層ビルへと入り二人の住む部屋へと向かっていく。

落ち着き、背から降りたコルリィカと共にエレベーターに向う道中、すれ違う機生体達は彼らに興味どころか視線も向けない。

皆、己のすべき事にだけリソースが割かれているんだろう。

 『……なんと、プロデューサーか?』

何階まで行ったのか確認するのも嫌になってくるほどの階層を昇り、開かれた扉の先に居る一人。

それは、ステージ衣装とはまるで違うラフな服装で丸々と膨らんだビニール袋を手から提げているソーフィアだ。

ビニール袋から覗くのは円筒状のカラフルな何か。恐らくはシリンダーオイルを買い溜めしてきたんだろう。

 『いや、今日はリューンとして来た。こっちはコルリィカだ』

名を呼ばれ、軽い会釈を行うコルリィカと、今までに見た覚えの無いリューンの様子に僅かに眉を顰めるソーフィア。

三者は一瞬の間見合うと、おもむろに歩き出したソーフィアの『まずは部屋に行こう』という言葉で動き出した。

 『少し待っていろ。キリィを起こしてくる』

彼女達の住む部屋に入ると共にソーフィアは中央にある四人掛けのテーブルに彼らを案内する、

 『あいつ、寝るようになったのか?』

 『リューンが居なくなってからな。真似てるんだ』

 『……俺の?』

 『寂しいんだろうさ。人工知能がそうさせているのか、人間に対して真似るように設定されていたのかまでは分からないがな』

テーブルの上にビニール袋を置きつつ、そのままの脚で奥へと向かうソーフィア。

彼女の向かった先にあるのはかつてリューンが作詞のために使っていた書斎のような部屋だけで、中にベッドは無い。

 『…はは、そういう事か。キリィらしい』

 『……どういう?』

 『机に突っ伏して寝てるんだ。よく寝落ちしてたからな』

コルリィカの問いに対し、はにかむような微笑みを返したリューン。

彼の、そんな表情を久しぶりに見た彼女は一瞬言葉を失い、けれどつられるようにして目尻を落とす。

 『そうなのか。好かれているんだな』

 『どうだかな』

瞼を閉じながら両肩をすくめたリューンの正面に現れる二つの影。

片方はソーフィアで、もう片方はキリィ。

二人はゆっくり現れると静かなままテーブルへと近寄り、リューン達に座るよう促す。

 『……アイドルの方は上手くいってるか?』

腰を下ろして少し。微かな沈黙を破るように口を開くリューン。

当たり障りの無い彼の問い掛けは染み入るようにして空間に消え、鼓膜に残る言葉の余韻が消える頃にキリィが答える。

 『まぁ~ぼちぼちですねぇ~。活動が二機なったっていうのは直ぐにアプデ流したから問題は無かったんですけど、なーんでか以前ほどの人気は無いって感じです』

 『そうか。…ごめんな』

 『…………別に。ファズが抜けて出たエラーを改善できなかったのは私達の問題ですし?元プロデューサーが謝る必要は無いんじゃないかな?』

 『そうか…。……そうかもな。悪い』

伏し目がちに話しを聞くばかりのソーフィアとは違い、リューンの目を見て話し続けるキリィ。

キリィの表情に浮かぶのは以前と同様の快活さを伺える明るさだが、口調は逆。

快活な声色こそあるものの、彼女の性格から見ても相手に向けるような口調では無い。

あくまでも機械的な制限を掛けた上での表情・声色であり、意志の主張を素直に出した場合の感情は口調の方なのだろう。

それをリューンは一言目で感じ取っている。

嫌味にすら抑えておけないほどの怒りを。

 『…それで、お前の方はどうだったんだ?魔王とやらは何とかなったのか?』

唐突に口を閉じたキリィと入れ代わるようにして、今度はソーフィアがリューンに話しかける。

同時、聞き手に徹していたコルリィカの肩が僅かに揺れる。

 『……そちらの方も共に戦ったんだな?』

 『ああ。あのクズを消し切る為の最後の一手をくれたのがコルリィカだ』

 『そうか。なら、倒せはしたんだな』

 『フィルオーヌも、シャルも、……ファズも、犠牲にしてな。俺が弱かったせいで』

その言葉に。

ソーフィアの眉根がヒクつき、キリィが両手でテーブルを叩きながら立ち上がった。

 『…そんなんでばいばいしたんですか?』

静かに。緩やかに上がるように。

キリィの言葉が一言毎に熱を帯びた。

 『……どうだったろうな。何も言ってやれなかった気がするよ』

 『…!!』

やっぱり人のようだと。リューンは感じながら答える。

 『謝れるなら謝りたいよ。…怒られそうだけどな』

本心を答える。

嘘偽りなく、真っ正直に。

だからこそキリィは声を荒げ、ソーフィアは立ち上がる。

 『この…っ!腑抜け!!玉無し!!!』

 『そうと分かっていながら胸の内に後悔を抱えるとは何事だリューン。我々は機械ではあるが、人を模して造られている!侮辱を知らぬはずが無いと分からんのか!!』

 『分かってるよ。だからだ。腑抜けた事を言えばあいつから叱りに来てくれるんじゃないかって思っちまうんだ』

座したまま、声を荒げる二人にリューンは淡々と答える。

彼のその姿がより一層彼女達を刺激し、激高を引き出す。

 『一層腑抜けでは無いか!我々の思考回路を焼き、アイドル界に革新をもたらしたお前はどこに行った!!』

 『あの日、あの子を送り出した事を私達が後悔してないって思ってるんです!?そんなわけないでしょ!!せめて着いて行けばよかったって思わなかった日は無かったんです!だから、あんな…プロデューサーを真似た歌詞を書いて…!二人が帰って来た時にいつでも再結成できるようになんて…!!』

 『返す言葉もねぇ』

 『こ……ッ!』

 『お前はッ!!!』

裏腿で椅子を押し飛ばしたキリィが、つま先に椅子の脚が当たろうと関係なく蹴り飛ばして歩き出したソーフィアが、共にリューンの傍へと足音を立てて近寄る。

 『『なんでそんな顔のままなんだ(です)!!!!』』

二人の手がリューンの襟首に伸びる。

掴み、持ち上げる。それらは同時に行われ、正しくシンクロしていた。

 『後悔があったんだろう!?ならばそのように振舞え!抑えて何になる!』

 『それとも嘘を吐いているんですか!?だったらどうして本気で欺こうとしてくれないんです!』

 『『どうして一緒に泣いてくれないんだ(ですか)!!』』

 『俺が知りたいくらいだよ』

両脚が浮くほど胸倉を持ち上げられたまま、リューンはそう言う。

何処を見ているのか。或いは何を見ているのか。

確かに彼女らに向けられている視線は、だが、まるで何も見えていないかのように、焦点がどこにも合っていない。

 『いつだってそこに在るんだ。耳にはもう聞こえてこないのに、空の中から落ちる姿がいつも見えるんだ。その度に同じ気持ちになる。なのにもう涙が出てこない。感じるモノはいつだって同じなのに。俺を好きだと言ってくれたのに』

感情は…確かに込められていた。

僅かであろうが、何であろうが、確かに[悲しい]という感情が言葉の端々から感じられた。

けれど声に起伏は無かった。

故にこそ。リューンの心を知った時、二人は[哀れ]だと感じてしまった。

 『…もう、いい』

 『もう…いいです。失礼しました』

同時に、ソーフィアとキリィの手が離れる。

重力に引かれるまま床へと脚が付き、尻もちをついたリューンはそのまま立てた両膝に両腕を乗せる。

だらりと力の抜けた両腕の先は項垂れていく頭と同様力無く、丸まった背から感じるのは虚無感。

 『……ごめんな。一緒に泣いてやれなくて。せめて…俺の分まで頼むよ』

ぱたりと広がるようにして倒れる両膝。

安座に似た股内に、滑る様にして内腿に乗った腕に乗せられる体重は重く、より背が丸まる。

 『……で、これからはどうするんです』

膝を揃えて屈み、項垂れたままのリューンと視線を合わせようとするキリィ。

言葉から感じられるのは嘘偽りの無い疑問。

 『…異世界を回って元に戻す方法を探す。涙でも弔ってやれないなら責任を取るしかない』

 『……見込みは?』

 『………分からない』

視線を真下に落としたままのリューンの言葉を受け、キリィはソーフィアと視線を交わせる。

 『次にここに来るのはいつだ』

 『分からない。最初は剣魔界で調べるつもりだけど、そこで終わらなければ妖精界、次は火氷界で、その後にここだ』

 『…何年、何十年って話なんだね』

 『死んでも見つけるからな』

 『……そうか』

言い終え、キリィとソーフィアに視線を向けるリューン。

その瞳は確かに哀れさに満ちていた。

けれど同時に、覚悟も見て取れた。

少なくとも、徹底的に折れているわけでは無いと感じ取れるくらいには、未だ火が宿っている。

 『分かりました』

立ち上がり、リューンの手を取ったキリィは彼を強引に引き上げる。

 『悲しみがプロデューサーのエネルギーになっているんでしたら、今はもう何も言いません』

引っ張られるまま立ち上がったリューンはキリィの目を見る。

口調にも、語調にも、声色にも、不可解な点は何も無い。

当然、その瞳にも欺きは映っていない。

 『だから、必ず今口にした約束を護ってください。そして、プロデューサーも絶対に死なないでください』

視線がソーフィアに向けられる。

それを合図と受け取った彼女は、キリィの隣に立つため一歩前に出た。

 『どれだけかかろうと構わない。次にここに来た時に顔を見せに来なくたって構わない。だが、全てが終わったら。何もかもを終えたのなら、再び我々をプロデュースしてくれ』

 『私達に、もう一度一番星に手が届くと思わせてください。…ううん。今度こそ、誰の手も届かないくらいの遥かな高みに連れて行ってください』

 『お前が私達を導いたあの日が今も記憶領域に焼け付いて消えないんだ。満足という感情を覚えて以来、辛いんだ』

 『『だから』』

ソーフィアの手が伸びる。

手の甲にキリィの手が乗せられる。

 『『誰も欠けないで、また、光の待つ暗闇の中で』』

二人の視線がリューンに向けられる。

友人として、アイドルという職業のプロとして、ファズを掴んで離さないという真っ直ぐな視線が向けられる。

その視線は今のリューンには苦しくなるくらいに眩く、同時に、心動かされるくらいに違えたくない約束だった。

 『………有難う』

二人の手の上にリューンの手が重ねられる。

…と、同時。キリィはおもむろに、行く末を見届けているコルリィカにいたずらな微笑みを向ける。

 『…ちなみに、クアッドで活動してもいいですよ?』

 『…わ、私を見てるのか……?』

 『四人組、と言う事だ。活動の幅が広がり、新たなファン層も獲得できるやもしれぬ、中々野心的な発想だな』

言葉の意味…と言うよりも、会話の流れからして見守るべきだと感じていたところに向けられたせいで思考を白くしてしまったコルリィカに補足として説明を行うソーフィア。

意味は分からず、かと言ってこのまま断るのも無粋だとも考えたコルリィカは思考を落ち着かせるための沈黙の後に立ち上がるとリューンの手の甲の上に己の手を重ねた。

 『なんだか分からないが私で力になれる事なら全霊を注ごう。目標もはっきりしているようだしな』

 『……まぁ、キャラ被りしてそうでして無いしイケるか』

緩やかに弛緩していく緊張に逆らう事無く考えを口にしたリューン。

そうして三人と一匹は後の生の約束を交わす。

護るべき約束を果たすためにと。

 『…じゃあ、俺達はもう行くよ。ここで探し始めたら、また顔を出す』

 『その時は拠点として遠慮無くこの部屋を使ってくれ。腰を据えられるところがあった方が捗るだろうしな』

 『それまでに倉庫にしてる部屋を片付けておきますから、コルリィカちゃんも遠慮なく、ね』

 『そ、そうか。ありがとう』

重ねた手、交わった視線。

数秒ではあったが満ち足りた一瞬から現実に戻るため、切り出したリューンは手を離れさせる。

彼を始まりとしてばらけていく二人と一匹の手。

そこに在ったはずの目に見える約束は消え、残影となって胸の内に入り込む。

 『…じゃあな。アイドル、頑張れよ』

 『言われるまでも無い』

 『コルリィカちゃんのためにもファンは増やしておきますから。寧ろ必要とされなくなって無いと良いですね』

 『ふふ、何であれ楽しみだな』

言葉と踵を返し、リューンとコルリィカは二人を残して部屋を出て行く。

彼らの背が扉で別たれるまで見送り続ける二人。

やがて、完全に両者が消えるとソーフィアがキリィに顔も視線も向けずに尋ねた。

 『あいつは…護ってくれるだろうか。私達の約束を』

 『最大限の努力はすると思うな。でも、一番の目的が達成できるためだったら……うん』

 『……お前もそう思うか』

言葉のみを交えて目線を伏せ、俯き。拳を握って。

……約束のために物置部屋の掃除を始めた。


                       ーーーー


 彼らは獣人界に歩を進め、封獣の入り江に居た。 

彼らを迎えるのは変わらずに美しい海と砂。そして、耳に心地良いさざ波と鼓膜を癒す海風。

何もかもが芸術的と言える。未だ終われない旅を続けるリューンでさえ、許されるのであれば余生はここで過ごしたいと思うほどだ。

 『……素晴らしいな。何度か海を見た事はあるが、これほど見事な景色は初めてだ』

洞窟の暗がりを背に立つコルリィカは辺りを見回しながら満ち足りた感情を溢す。

その隣にいるリューンも同じ心持だった。

 『……いつか、みんなでここに住みたいな。コル』

 『……!ああ、心からそう思うよ』

爽やかに薙いで行く風のように。リューンから独り言が漏れ出る。

屈託の無い本心だったんだろう。

地平線の先を見据えるリューンの面持ちは何処か柔らかく。何より、少しばかりの安寧が滲んでいた。

 『……そのためにも必ず見つけよう、コルリィカ』

 『ああ』

暗がりに振り返ったリューンとコルリィカは何も見えない洞窟へと入っていく。

進み、当然のように起こらない[驚天動地の大迷惑]。

もしもコルリィカが性転換した場合、どんな美形になるのかと頭を過ったリューンは僅かに口の端を上げる。

暗闇故、隣を歩くコルリィカに見られる事は無かった。だが、それでも少しだけ空気が変ったような雰囲気を彼女は感じていた。

以降、リューンはコルリィカにユイームの受けた仕打ちや洞窟に初めて立ち入った時の話しをしながら進んだ。

極簡潔に。それでいて抜けの無いように。

やがて、洞窟の最奥に辿り着く。

以前に来た時に比べて驚くほど短い時間での到達だ。

ユイームを連れて出て来た時は時間の感覚などまるでなかったリューンにしてみれば衝撃的と言える速さだ。

 『………ユイームはこんなところに住んでいたのか』

 『前は魔法で何倍も道のりが長かったんだ』

 『それほど外界と心の距離があったんだな。…酷く苦しい話だ』

ユイームの話を知ったコルリィカは苦い顔で足元を見下ろす。

今更思い遣っても何を言う事も出来ない。そも、姿を見ていない以上なんと言えばいいのかも分からない。

けれど、もしも会えて、話す機会があったのなら。

 ーー……友になろうとくらいは、言ってやれたはずなのにな。

そう思わずにはいられなかった。

 『……コルリィカ』

 『誰かいるのか』

立ち止まっていたコルリィカに対し、少し先に進んでいたリューンは行き止まりに続く道を見据えながら足を止める。

明かりが漏れている。

何か、松明のような明かりが僅かな熱と共に奥から漏れ出ている。

 『誰が……』

警戒する彼の下へコルリィカは足音を消して小走りに近づくと、リューンの見た明かりを確認し、警戒心を高めていく。

 『…知ってる感覚だ』

 『リューン?』

不意に呟いたリューンをコルリィカは見遣る。

…時だ。

 『無為の奇獣の生死を確認しに来てみれば、お前に会えるとはな。妙な話だ』

聞き覚えのある声がした。

 『…ギンか』

 『ああ。今日は仕事だがな』

返事を受け、リューンは明かりに身を晒す。洞窟の最奥の壁に向いて立っているのは確かにギンだ。

黒装束に身を包み、腰に短刀を二本携えている彼は振り返る。

言葉通り、どうやら仕事を……それも人目に付きたくないのだろう仕事を受けもっているらしい。

 『久しいな。どこぞでくたばっているかとも思ったが、丈夫なままじゃ無いか』

 『そうでもねぇよ』

[敵対心は無い]とだけ分かる口調で話しかけて来たギンに対し、言葉通りの意味を込めるリューン。

両者は少しの間見合う。

その空気の重さに、傍に居るコルリィカは息の詰まるのを感じる。

……やがて、ギンが口を開いた。

 『…使ったのか』

怒りとも呆れともとれる声色だった。

 『ああ。お前の忠告通りだったよ』

答え、リューンは右腕を持ち上げて袖を捲り上げる。

現れるのは筋肉質な腕と、肘より上の皮膚をびっしりと埋め尽くす火傷痕や傷痕。

まだらに残された本来の皮膚と、それを覆うようにして治り切った傷痕が大小を問わず走り回っている。

 『りゅ、リューン!これは……!!』

 『そういや言って無かったな。…代償って言えばちょっとはカッコが付くと良いな』

リューンの肘より上を見るのは初めてだったコルリィカは驚愕の声を上げて駆け寄る。

触れて分かる皮膚の異常性。硬さや肌触りが生き物のそれとは程遠く、少なくとも、真っ当な人間とは言い難い。

弾力を感じるざらざらとした厚紙……言い換えるのならそんなところだろう。

 『どういうわけか両方とも肘から先は無事だったんだ。多分、あいつらの魔力に強く触れられたから治癒が足りたんだろうな』

 『なら、身体は…いや、足は……』

事も無げに答えるリューンと絶望に浸った悲鳴を言葉にするコルリィカ。

両者の感情の乖離は大きく、何も知らないギンにすらリューンの異変が見て取れている。

 『リューン。それと、コルリィカ、か?どうもお前らは相当な戦いに身を投じたみたいだな』

 『まぁな。つっても、ゴミをゴミ箱に戻しただけだ。……あんまりにも色んなものを失っただけだ』

 『…それに比べれば身体の傷痕などは重要では無い、か。お前らしい答えだ』

ギンはどこか嬉しそうに小さく笑う。

 『それでこそ俺に勝った戦士だ』

そうして歩き出したギンはリューンの横を通り過ぎようと歩を進めた。

 『用事は終わったのか?』

 『ああ。無為の……いや、巫女の生死を確認して来いという命令だからな。お前らに遭ったと伝えれば納得するだろう』

 『……そうかい』

横を通り過ぎ、脚を止めて答えたギンに、僅かな苛立ちをもって返答したリューンはコルリィカと共に最奥へと向かう。

 『……言っておくが、何も無かったぞ』

 『いるさ。ここに追い詰められた【ユイーム】達がな』

僅かに松明の明りが届く最奥で、壁に手を触れながらリューンは屈む。

まるで墓参りのような礼儀と悲哀に満ちた背を、しかし、ギンもコルリィカも見ては分からなかった。

 『………信仰か。ならば…』

けれど。意味の無い行動こそが胸奥の真だと理解したギンは、一部で興っているとされる[宗教]と断ずる。

それがリューンの神経を逆撫でするとも知らずに。

 『下らねぇ事言うんじゃねぇ』

 『何?』

 『いるかどうかも知らねぇ神に祈る馬鹿野郎に見えるか?見て触れられる手前を慰めに来ただけだ』

僅かに首を垂れ、瞳を閉じながらリューンは立ち上がって吐き捨てる。

信仰では無いのならば何か。こうまで否定するのなら相応の答えがあるのだろうとギンは考えを一瞬の内に巡らせる。

…が、導き出した答えはやはり[信仰]。つまり違えていたのは帰結の表現だと。

 『そうか。失礼した』

 ーー歪んでいるな。いや、歪んでしまったと言うべきか。

そしてその歪みは恐らく、戦いの末に起きてしまったのだろうと。

 ーー仲間を全て失い、別の者を連れているのならばさもありなん、か。

 『ならば、礼を失した詫びとして教えてやろう。何故、俺がお前の身に起きた事象を知っていたのかをな』

踵を返し、身体ごとリューン達に向けたギン。

彼の提案を聞いたリューンは僅かに想う。

もしかしたら、宝玉から戻す手掛かりがあるかもしれないのでは、と。

 『教えてくれ』

同じ考えに至ったらしいコルリィカと目線で頷き合ったリューンはギンに意識を向ける。

それを良しとした彼は言葉通り、話し出した。

 『かつて。遥か遥か昔だ。当代のケン族の長は一頭のバケモノを護るために里の者全員と敵対したと言われている。手練ればかりと聞く当時の里の者全員と一人が戦ったところで勝ち目など無い。そんな事は百も承知だった長は禁忌に触れ、絶大な力を得てバケモノを護ったとされる。その命を代償にな』

言葉を挟まず、リューンとコルリィカはただ視線と意識だけを向ける。

禁呪の中に答えがあるかもしれないと。

 『命を失った後、長の心根を真に理解した里の者達はバケモノを殺す事はせずに幽閉だけで済ませたんだ。以降、我々ケン族は末代に至るまで、ただ一人の主のために身を賭す事を良しとし、そのように在り続けている……と言った話だ。端的に言って伝承だな』

手短に語り終えるギンと、話を聞き終えて顔を見合わせるリューンとコルリィカ。

両者は、宝玉から元に戻す手段の手掛かりこそ掴めなかったものの目を見合わせる。

 『……お前、それ』

 『里に産まれた者なら誰でも知っている話だ。だが、何をどこでどれだけ調べても長の触れたという禁忌は分からなかった。その姿は炎のようであったとも、武器であったとも、闇だったとも言われ、定かでは無いんだが、一つだけはっきりしているのは、使えば[死ぬ]という事だ』

リューンの衝撃に補足するように話を足したギン。

彼はきっと、死闘祭の時にリューンの身体から漏れ出た黒い炎を里の伝承と重ねたのだろう。

 『まさか伝承が…いや、そもそも他の世界にあるとは思いもしなかった……』

 『…そうか。思った通り君も異世界の住人か』

 『ああ…。私は蟲人魔王界から来たんだが、そこの学者連中が[禁呪]というモノを研究していてな。…平たく言うと、実現していない魔法も実はあったんじゃないか?という考えから発展したモノだ』

 『そのうちの一つに似ている、という話か。ただの昔話が役立ったようで良かった』

驚きを隠せずにいるコルリィカに素っ気の無い返答をしたギン。

彼は驚愕の渦中に居るリューン達にそれ以上何かを言う素振りも見せず背を向ける。

 『お、おい、もう行くのかよ』

 『仕事は終わったからな。これ以上は無用だ』

 『待てよ、もう少し話を聞かせ……!』

答え、歩き出すギン。

その歩みを止めようとリューンは手を伸ばす。

 『聞きたければ後日里に来い。年寄り連中が嫌になるほど話してくれるだろうさ』

しかし、立ち止まる事無く言い捨てたギンはそのまま出口へと消えてしまった。

残されるリューンとコルリィカ。

彼らは少しの間言葉を失って立ち尽くしていると、ゆっくりと顔を見合わせる。

 『…なんにせよ、手がかりだ』

 『ああ。私の世界以外にも禁呪があるのなら、何か糸口が見つかるかもしれない!』

喜びと興奮に満ちた衝動だった。

で、あれば。と。

彼らも足早に洞窟を後にした。

もう一つのすべき事を行うために。


                    ーーーー


 森を出た先。草原の丘。僅かな雲と蒼い空。

吹き抜ける風は心地良く、リューンとコルリィカの外蓑を靡かせる。

 『……ただいま、戻りました。ルーミィさん』

次元道を抜け、剣魔界へと踏み入った両者はサリアンス王への報告よりも先にここに訪れた。

シャルの母親の眠る墓に。

 『ごめんなさい。本当はもっと早く来るべきだったのに、顔を見せる勇気が出ませんでした』

右膝を、左膝を。地に付け、頭の覆いを脱ぎながらリューンは正座で墓前に座る。

硬く握られた両手は腿の付け根に押し当てられ、顔は真下を向いている。

十数秒の時が風と共に流れる。

爽やかで落ち着く風が途切れては吹き、吹いては途切れる。

やがて。

 『………貴女への誓いを、護れませんでした』

震えた声が、リューンの喉奥から漏れ出た。

 『それでもいい、と言ってくれた貴女の信頼を裏切ってしまいました』

ぽつり。

 『何よりも違えたくなかった貴女との誓いを砕いてしまいました』

ぽつりと。

懺悔が吐き出される。

旅立ちから今日までの出来事がつっかえながら絞り出されていく。

その中で好意を抱いた事。好意を抱いてもらえた事。故に、想い合っていた事。

そしてそれは、身勝手ながらも自分は死してなお変わらないという事。

それら全てを陽が傾くまで言葉にし続けた。

 『……ですから』

リューンの頭は最早地に付いている。

前髪にはまばらに泥が付き、隣では腰を下ろしたコルリィカが彼の肩に手を添えている。

 『ですから。どうか自分を罰してください。無様にも、事を成してしまったこんなにも愚かな自分を、いつかあなたの手で罰してください』

 『……リューン』

 『もう、約束も誓いも致しません。そんな事を口に出来る身の上では無いのですから。ですが、見つけ出します。見つけ出して、貴女の娘を、シャルを、もう一度……もう一度……!!』

それ以上、言葉は出てこなかった。

ただ、風の音だけが夕日に照らされ、彼らを薙ぎ続けた。



to be next story. 

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