第40話 ここに在った世界

 ーー遠退く。

今までに何度か死にかけた事はあるけど、ここまで[死]が分かるのは初めてだ。

…いや、きっとあったんだろうな。なにせ俺は死ぬのがこれで二度目だ。覚えてないだけできっとある。

だとすれば……ああ、こんなのでも懐かしく思えてくる。

痛くない。苦しくない。辛くない。

安らかじゃない。幸せじゃない。怖くも無い。

なんて言うか、[無]だ。

無くなっていくような感じだ。すっきりと消えていくような感じだ。驚くほど淡白だ。

なんて言うんだろうな…。息を止めて、苦しくなるまでの時間のような。そんな静寂感と柄も言えない無敵感が全身にある。

だからなのかもな。何も感じられないのは。

心底大事な事があったはずで。何ものにも代えられない事があったはずで。絶対に果たさなければならない何かがあったはずで。

そう、はずなんだ。

全部、はずなんだ。

何も思い出せない。

それとも、何も思い出せないのは願いや決心や記憶から死んでいくからなんだろうか。

だとしたら走馬灯ってのはーー最後の、悪足搔きなのかもな。

けど、あぁ。

今の俺にはそれすらないみたいだ。

悪足掻きすら意味を成せないくらい、とことんなんだろうな。今俺に来てる、死ってのは。

だとしたら…滑稽、だな。

あれほど生きる意味になってた全部がすっかり思い出せない。

痛いだの辛いだの怖いだの、それでも立ち上がれたはずの何かを、なんにも思い出せない。

だとしたら、二度目の俺の命は…なんのためにあったんだろうな?

最期に自分を嗤うためにあったのか?だとしたら…一回目と同じで特に意味が無かったんだ。

なぁ…どう思う?〇〇〇。

『約束!!また破るの!!』

……音が聞こえるな。

聞き覚えのある、好きな音だ。

 『こんな風に護って貰っても嬉しいわけないでしょ!?』

よく分からないな。

聞こえてるんだけど、頭に入ってこない。なら音楽じゃない?本当にただの音か?

 『バカ!ふざけないでよ!息くらいしてって!!』

なんだ…?煩わしい?なんか、怒ってるみたいな喧しい音だ。

 『これじゃ、私が覚悟出来たからって……』

今度は小さい…?なんだそれ。壊れてるのか?なら機械か?

の、割りには嫌に生々しいな。

 『勝つんでしょ!?ねぇ!!』

かと思ったら今度は大きいって…。なんか、ただの音じゃないみたいだ。

けど、音楽じゃないんだろ?機械って感じでも無いし、なんだ?

 『私とだけじゃないでしょ!?みんなとの約束破るの!?』

だとしたら。

だとしたらこれは……。

 「リューン!!」

まるで、声……みたいじゃないか。

 「ァ…」

いや、そうだ。そうだよ。

そうなんだよ。

 「……!!今!!」

声だ、声じゃないか……!

シャルの、シャルの声だ。

何が『好きな音』だよ。

いや、違う、違うだろうが。何考えてんだよ。

この期に及んでまで勘違いしてるつもりか?

俺が『好き』なのはそんな目に見えないモノだけじゃないだろ。

俺が、俺が好きなのは…!

 「シ……ャ…ル……」

 「リューン!!!リューン!!!!」

そうだ、俺は、俺はシャルが好きなんだ…!

だから護りたかった。だから彼女の住む世界を平穏にしたかった!

それが最初だろうが…!!

じゃなきゃここまで命懸けられるわけないだろ!

じゃなきゃまだ生きたいって思うわけないだろ!

 「リューン!!分かる!?ねぇ!!」

 「泣、く…な。まだ……逝かねぇ……よ…」

 「う、そだ…。あんな状態から、息を吹き返すわけが……!」

逃げるな。引くな。やめるな。

まだあるんだろうが。シャルにまだ、平穏な世界を渡せてねぇ…!巫女にも奪った生涯を返せてねぇ……!

違うか!?違わねぇだろ!!

 「論理的には有り得ないと思うけどね。でも、それをするから人間なのよね。あの人だって、あり得ない方法で生き残ってたし」

 「そうね…。私達エルフが寿命なら、人は生命力に優れてるのよ。……と言っても、彼は異常だけどね」

だったらここまで来た意味を無意味にするな。

嗤うだ何だってウダウダ言って逃げてんじゃねぇ。

力を得たんだろ!?てっぺんじゃなくても、誰にも真似できない力があるんだろ!?

だったら……!

 「あり得ない。身体を戻したからと言って、こんな…こんな…!!」

だったら!!

 「だから、殺しに…行けるんだよ。不可能じゃあ…無かったんだからよ」

 「リューン!!」

 「立てる、わけが……無いんだ!!」

まだ、戦えんだろ……!!


                            ーーーー


 十数分前。

掌底とも言えない原始的な押し出しによって遥かな地面に叩きつけられたリューン。

衝突によって巻き起こった甚大な土と砂の館の中で最初に動いたのはシャルだ。

彼女も当然無傷では無かった。全身の至る骨が砕け、自他共の血に染まり、少なくとも立てる状態では無かった。

 「リュ……ン」

声すら辛うじてしか出せない彼女は、それでも真っ先に、背後にいるはずのリューンに視線を向けようと瞳を動かす。

だが、そこに在るのは最早人とは呼べない肉塊だった。

肉屋に並んでいるほど綺麗で無ければ、轢かれた動物の死骸ほど形も残っていない。

文字通り、肉の塊だった。

 「う…あぁ……ぁ…」

込み上げる涙を拭う術を失い、[それ]を抱き寄せる術も無いシャルは重力に抗う事無く赤く染まる悲しみを流す。

 「ふ…うぅぐぅぅ…ううう……!!」

涙声を上げる度に痛む全身にも構わず声の限り泣くシャル。

彼女の瞳に映るのはバラバラに潰れた中でも特に形を残しているリューンの身体だが、肩から先が視界に捉えられない。

しかし、少し視線を逸らせばそこには腕に似た何かがある。

腕から視線を逸らし、下を見れば脚に似た何かがある。

ならば、答えは一つしかない。

 「うううう!うううう……あぁぁ………!!!」

…一つしか、無かった。

 「リューン!!シャル!!聞こえるわよね!?」

 「フィル…オーヌ、さん……!」

彼女が涙を流し始めて少し。砂と土の儚い壁に影が映る。

影の背丈は低く、一般的な大きさだ。

 「見つけ……!……そんな」

涙声に導かれて辿り着いたフィルオーヌは惨状を前に絶句する。

上向きで横たわるシャルからでは絶対に確認できない、血液の量に。

 「私は……また、何も……!!」

フィルオーヌの胸の内から怒りが沸き上がる。己に対する苛立ちに膝を付き、地を殴りつけたい衝動に駆られる。

しかしそんな暇はない。フィルオーヌは自分の感情を瞳を強く瞑る事で必死に抑え込み、治す余地のあるシャルへと駆け寄って跪く。

 「まずは…貴女を治すわ。彼は……」

 「治して…。リューンを、先に…間に合わなく……」

堪え、聞こえないふりをし、フィルオーヌはシャルに回復魔法を施す。

彼女が施す魔法は上級上位に当たる[新緑なる風]。

特に骨や臓器に対して高い治癒力を発揮し、大抵の大怪我であれば治す事が可能な魔法だ。

これでも回復の見込みがない場合に超級回復魔法・生魔隷属を用いるしかなく、危険性を無視して生き物が生き物に対して行える最上級の回復魔法だ。

 「フィルオーヌ、さん……。どう、して……」

見る見るうちに傷が癒えていくシャルは痛みが消えていく中でそう問いかける。

だが、フィルオーヌに返答に適した答えは思い付けず、言葉を発せないままに治療を続けた。

やがて完治すると、シャルは弾かれたように身を起こした。

 「リューン……!」

そうして彼女が真っ先に見ようとしたのはかつてはリューンだった者の肉塊。

より明確に目に出来たそれ。やはり、生物としての在り方としては有り得ず、嫌が応にもフィルオーヌの行為の全てを理解してしまえた。

 「……ごめんなさい。ここまでになってしまっては、私の使える回復魔法では……もう……」

 「い、生き返らせる魔法でも…!?」

 「バベリュに行った超級魔法の事ね。でもあれはね…」

そう言ってフィルオーヌは説明を行った。

あの魔法はあくまでも[生き返らせられる]だけの魔法であると。

そこに治癒などの本質的な意味での回復は含まれていないのだと。

つまりは……バラバラに潰れている以上、生き返らせたところで即時絶命に至り、意味は無い、と。

 「そんな……!」

 「それに、言わなかったかしら。アレはあくまでも一時的な蘇生。対象によって生き返っていられる時間は変わるけれど、何年もは無理なの。だから…」

 「生き返っても、直ぐに死んじゃう…の?」

 「……ええ。場合によってはね」

次いで明かされた事実にシャルは瞳の色を失う。

 「じゃあ、また死ぬために…生き返らせるの……?こんな目に遭ってるのに、また……?」

彼女はそのままへたり込むと、力無く、項垂れた。

 「どこだ!どこにいる!!」

 「リューン!シャル―!!後フィルオーヌも!いるんでしょーー!?」

 「……彼女達を、連れて来るわね」

何処からか聞こえてくるファズ、コルリィカの声に唯一反応したフィルオーヌは一言だけ残しシャルの傍を離れる。

ほんの少しの後、二名と合流したフィルオーヌはシャルの元へと戻った。

そこではまだ何事にも反応できないままでいるシャルが地面を見つめたままへたり込み、地面でも、何事も変わらずに肉塊が転がったままだ。

 「そ、そんな……」

 「……嘘つき」

リューンの惨状を見るや否や足元が覚束なくなったコルリィカと、寧ろ足取りが強くなるファズ。

彼女達はフィルオーヌを置いてシャルの隣、肉塊の傍まで行くと、膝を付いた。

 「当然だ…。あんな攻撃を受ければ生き物など容易く壊れる。まして、我々でさえ耐えられないのだ。人間が五体満足でなど……」

 「知らないわよそんなの。私とした約束があるの。あるのよ?なのに終わるわけないでしょ」

血の沁み込んだ泥の上、潰れた肉が散らばる場所で、彼女達は成す術無く言葉を垂れる。

それらはどれもシャルの耳には入らない。

今の彼女の中には何も無い。

記憶も、今見えるモノも、これより先に起こる事も。

思考そのものが無くなっている、時間そのものが止まっている。

 ーーああああ。

彼が死ぬのであれば、自分も同様でありたい。でなければ自分に意味は無い。

[もしかしたら]を抱えたまま、終ぞ言葉に出来なかった自分はいらない。

価値を、失ったのだから。

 「……せめて、その身だけでも」

シャルの傍でそう独り言ちるコルリィカ。

彼女はそれ以上何も言わず、ただ両手を最も大きな肉塊に向けてかざした。

 「[欠落][創造][熔解][回帰]四循の理を尊び、満たし、有らざるを逆巻く。其に、形有る幸福を」

ーーすると、肉塊を覆うようにして彼女の手から光が降りた。

 「……移動した?」

ファズの声色に混じる困惑。

彼女が目にしたのは、リューンの身体を構成していたはずの肉や血が染み切った血泥を残して消えていく光景だ。

だがそれは無くなったのでは無く[動いた]と理解できる現象。

最も大きな肉塊だったリューンの上半身が徐々に形を取り戻していっているがために、ファズは『移動した』と思考を結論付けた。

 「その魔法は……超級魔法の【再来】……?」

 「…ああ。このままではあまりにあんまりだろう?だからせめて遺骸だけでもと思ってな」

フィルオーヌに言い当てられて頷いたコルリィカは少しずつ身体が復元されていくリューンを前に瞳を潤ませる。

 「【再来】は、原形を失うほどの損傷をした生物の肉体を、せめて、との想いで元の状態に戻す魔法だ。性質上錬金魔法に近く、詠唱が似ている」

 「……けれど、似て非なるモノ。完璧に戻すというのは本来の錬金魔法からはかけ離れた行為」

 「ああ…。[創る]と[戻す]は結果が同様であったとしてもまるで違う。始点を作るか始点に戻すかだ。故に、[戻す]事を本質とする再来は回復魔法に類され、確かに回復力を有してはいる……だが」

 「そう…ね」

会話を交わしていた両者はそこで口を噤んだ。

何故なら、理解しているからだ。

再来がもたらすのは単なる肉体の修復だけでは無い事を。

その修復が、強力過ぎる回復力故に起こせるのであり、あくまでも[元]に[戻す]である事を。

それはつまり、死の直前の心臓が動いていた最期の瞬間まで戻す事を意味するのだと知っていた。

 ーーだが…。

 ーーけれど……なのよね。

それでも両者が嬉々としなかったのは単純な理由だった。

一度明確に肉体から抜けてしまった命は、再び同じ命として戻る事は無いと。

魂と呼ばれる、命と心が繋がった状態には戻せないのだと。

他の物では例えようの無い、生物としての絶対条件が満たせないのであれば、生きていると呼べるような状態に戻したところで治しようが無いのだと。

それを無理に行えばバベリュのように不完全な状態による蘇生になってしまい、遅くない時で再び死をーーそれもあらゆる手段を施しても覆せない完全な死を迎えると。

 「禁呪にあったわよね。蘇生って」

 「ある。が、使い方を知る者はいないし、要求される代償がどれほどなのかも見当が付かない。命一つに付き命一つならばまだ分の良い方だ」

ファズの問いに静かに答えたコルリィカは修復が完全に終わったリューンに視線を向ける。

再来を終えた彼女の両手は小刻みに震え、全身に力が入っていないようだった。

 「無理をしたらダメよ。その魔法は…」

 「言うな。……言わなくて、いい」

全身を大きく揺らしながら力なく立ち上がるコルリィカに制され、フィルオーヌは口を閉じる。

コルリィカの使用した再来は使用者の生命力と魔力を急激に消費し、数日全身に力が入らなくなる代償がある。

本来なら座っているのもやっとの状態にもかかわらずも彼女が立ち上がれたのは、遺骸であってもみっともない自分の姿を見せたくなかったからだ。

 「……リューン。リューン……」

 コルリィカが動いた事に何とか気が付いたシャルは緩慢な動きで頭を上げる。

そうして目に出来たリューンの傷一つない遺骸を見ると顔を明るくし、直ぐに、何もかもを吐き出しそうな表情に変わって泣き出した。

 「……酷な事を…確認、するわね……。ほんの少しだったとしても、生き返らせたい?」

 「……辛い目に、遭って欲しくない」

 「…そうよね」

問いかけ、答え、言葉を失う両者。

もう砂の館は消え去った。

視界が良好になって確認できた周囲には突き刺さっている特大の剣だけがあった。

主を失くし、地に突き刺さるだけの鉄屑が。

ーーやがて静寂が現れる。

魔王の姿はもう無い。恐らくは後方で戦闘が始まっているんだろう。

だが、ここにいる全員の耳にそんな音は聞こえない。

目の前にある、仲間の骸に全てを奪われている。

 「本当に綺麗に直したじゃない。まるで……」

独り言ちるように言葉を漏らしたファズ。

彼女は死を理解した上で、望みも無いと分かっているのにリューンの生体反応を探った。

無論、あるわけは無かった。

再来によって再び動き出す鼓動は極々小さく、そこから息を吹き返すほどの強さに戻る事など無い。

それを生体反応を探りだした瞬間に理解したファズは眉間に眉根を少しだけ寄せつつ、探知を終える。

ーー瞬間だ。

 「……………生きてる?」

その一言で、シャルの全身は何かに撃たれたかのように強く反応を示した。

 「ファズ。君が言っているのは恐らく…」

 「消えていくだけの蝋燭だった時の話なんかしてないわよ。残った蝋に火がへばりついて台座を燃やそうとしてるって言ってんの」

 「……何?」

 「それは、どういう……?」

不可解な例えを持ち出され思考が止まるコルリィカとフィルオーヌ。

両名は知らずに顔を見合わせると、再来に対する互いの理解を視線で確認してからファズに目をやった。

 「分かるわけないでしょそんなの。コルリィカ?再来を使って生き返った実例は?」

 「あ……あるわけが無いだろう。これまでに三度使ったが全て極々微弱な心の臓の動きしか起きず、何をしても直ぐに息を引き取った」

問われ、思考し、直ぐに答えを出すとコルリィカは口調荒く答える。

彼女自身、これまでに極々微弱な鼓動に対して可能性を見出した事が無いわけでは無い。

だが、あらゆる回復魔法を施そうが、古来から伝わる薬学に頼ろうが息を吹き返す事は無かった。

だから死んでいるのだと諦めていた。

 「そ…。うん、そうよね。私がさっきまで確認できてたのもそうだった。あそこから生き返るなんてありえない。だからあんた達も私もそんな事言わないし、言うつもりも無かった」

コルリィカの返答に己の推察を重ね合わせて結論付けるファズ。

やはり、死は確定している。幾ら動いていようと燃え尽きる寸前で命を継ぐ手段が無いのであれば死しているのと同じだ。疑う余地など無い。

 「なの…に?」

そう。なのに、だ。

ファズの含みのある言い方にシャルは瞳の色を輝かせる。

きっと、恐らく、多分、絶対に言ってくれるだろう言葉に希望を抱いて。

 「……なのに、まだこいつの心臓は止まってない」

 「「「!!!」」」

 「長くてもニ、三秒で完全に停止するようにしか見えなかったのに、まだ止まってない」

ファズの言葉を皮切りにシャル達はリューンに飛び寄る。

その胸に手を当て、耳を当て、確かに心の臓が動いていると確認する。

 「う、嘘だ。有り得ない。こんな事、何故!!」

 「なんだっていいわ!それより生魔隷属を行うわよ!!」

 「私の全部使って!!!」

気が遠くなるような困惑に襲われるコルリィカを無視し、フィルオーヌは魔法発動の準備に取り掛かる。そのための力になると、ファズは己の胸に強く手を当てる。

 「バカ言わないで。私にだってその権利はあるわ」

両名が矢継早に決定を行う中、ファズはシャルの肩に手を置いた。

 「機械だからって無理なわけじゃ無いわよね?フィルオーヌ」

問われ、視線を向けたフィルオーヌは思考を深くする。

ほんの少しの静寂の後。フィルオーヌはファズの目を見た。

 「……ええ、やってみるわ。魔力は命から生まれ出るモノ。なら、貴女なら問題無いわ。成して見せる」

 「それ以外答えないんだから考えないでよ。でしょ、コルリィカ」

言葉はきつくとも柔らかな笑みを浮かべたファズはフィルオーヌから困惑したままのコルリィカに向ける。

すると彼女は虚を突かれたように目を見開くと、直ぐに顔に真剣さを戻して頷いた。

 「当然だ。彼を救うぞ」

 「ならみんなで彼の身体に触れて。どこでもいいわ」

全員からの決意を受け止め、フィルオーヌは生魔隷属を発動する。

彼女の魔法に僅かに遅れて手を置くシャル達。途端、彼女達は全身から魔力が抜けるのを感じる。

 「今回は四名分。命を救うのにだって充分足りるわ」

そう言い、フィルオーヌもリューンの肩に手を当てる。

彼女の行動に驚いたシャルは視線を向けると、フィルオーヌは柔らかく微笑む。

 ーー試さないと分からないでしょう?術者が使っちゃいけないかどうかなんて、ね。

フィルオーヌの考えを視線から読み取ったシャルはキュッと唇を締めて頷く。

『術者が魔力を譲渡すると半端な状態で終わってしまうかもしれない。そうしたら生き返れず、二度と使えなくなるわ』

以前、フィルオーヌが生魔隷属を行った時、シャルは彼女にこう言われていた。

それはかつて妖精界で行った際に別の術者からフィルオーヌが聞いた事実だ。そのため彼女は全ての事例で必ず他者に魔力を求め、自身は魔法を使うだけだった。

結果として起こる、譲渡者の心身の負担を知っていながら。

しかし、特例中の特例と言える今回も同じ事をしたとすれば。

 ーー魔力が足りなければ残るのは後悔と一切の望みが絶たれた遺体だけ。そんなの、悔やんでも悔み切れないわ。

足りるのなら問題は無い。多すぎるなら好都合。成し得なかったとしても、出せ得る全てを用いての失敗であれば納得もできる。

故に、試さないなどと言う結論は存在しなかった。

 「さ、本格的になるわよ。気を強く持ちなさい!」

フィルオーヌの激励と同時、全員の全身から急激に魔力が失われていく。

呼吸一つ、瞬き一つ、唾液の溜飲一つで意識が飛びかねない遥かな脱力感。

少しでも気を抜けばリューンの身体から手が離れてしまいそうになる。

それを必死に堪え、身体が倒れてしまいそうになるのをどうにか踏ん張り、彼女達は魔力の譲渡を続けた。

やがて。

彼女達の意識が本当に朦朧とし始める。機械であるはずのファズですらもだ。

それは魔力を七割以上失ったからであり、既に、日常生活に支障をきたす状態だった。

だとしても彼女達は頬の内を噛み締めて耐え、記憶を鼓舞として耐え、目覚めた時に拳を入れるために耐え、失わないために耐えた。

 ーーこれでも……!

魔法を施すフィルオーヌの胸の内に湧く認めたくない予感。

死者を蘇らせるなどと言う大それた行いがどれほどの事なのか。

死が如何程に不可逆で、絶対であるのかが、魔力を注げば注ぐほどに明瞭化してしまっていた。

それはフィルオーヌだけの理解では無かった。

ファズも、コルリィカも、命を注ぎ込んでも構わないと思う一方で、不可能なのだろうという考えが過っている。

だとすればこの行いにどれだけの意味があるのか。無理を通そうとせず、今直ぐにでも魔王との戦いに参戦した方が良いのではないか。

そんな思考ばかりが巡るようになっていた。

……シャルの声を聞くまでは。

 「こんな風に護って貰っても嬉しいわけないでしょ!?」

彼女は、諦めてなどいなかった。

そんな考えなど毛頭ないかのようだった。

 「バカ!ふざけないでよ!!息くらいしてって!!」

なりふりなど構わないというような、普段の彼女らしくも無い荒い口調。

それはきっと可能性を少しでも高めるために行った彼女なりの気つけの言葉だったんだろう。

そしてその気つけはファズ、フィルオーヌ、コルリィカらにも届いた。

 「ああそうだ!また私を覗きに来るんだろう!?そんなままじゃ千年あっても無理だぞ!」

 「私を最期までプロデュースするって話はどこ行ったのよ!ここでくたばってみなさい!許さないわよ!」

 「キャムルに返事をしに行くんでしょう!?なら戻って来なさい!あの子はまだそっちにはいかないわ!!」

まるで対話をしているかのように。

一対一で強要しているかのように。

彼女達はリューンに呼びかける。

生者が耳にすれば睡眠などしていられないほどに大きな声だ。もう少し距離が近ければ鼓膜は容易に破れてしまうだろう。

 「だから!」

一際大きくシャルの叫びが上がる。

顔を近付け、涙を顔に溢しながらリューンを見つめるシャルがいる。

 「だから……」

だが、それでも。彼の瞼はピクリとも動かなかった。

 「…やはり……無理、なの…か……」

擦れた声でそう口にしたのはコルリィカだった。

確かに、彼女のそれは諦めだった。

一度目ではない。二度目の諦め。意味するのは本当の諦めだ。

 「……リューン」

名を呼ぶフィルオーヌの声が微かに漏れる。

未だ生魔隷属を行ってはいるもの、最早注ぎ込める魔力は少ない。彼女達全員の魔力はほぼ全て使っている。

 「………心臓は動いてるんだから起きなさいよ。ボンクラ」

持ち得る機能全てを用いてリューンの状態を確認しているファズはまだ可能性を捨て切れてはいない様子ではあった。

それでも声色は落ち、諦めに傾いている。

 「これじゃ、私が覚悟出来たからって……」

そのどの声も耳に入らずに漏らすシャル。

彼女が、彼女だけがまだ諦めに抗っていた。

確証も裏付けも無い希望を胸に、気つけの言葉を吐いていた。

否。そうしなければ正気を保てなかった。

ここで全員が諦めてしまえば彼の命は本当に失われてしまう。

死を迎えているからだけではない。誰もが死を理解してしまえば、それは生きていようとも死足り得る。

ならば重要なのは事実ではない。事実を真実として受け止めるか否かだ。抗い続ければ如何なる事実も真実足り得ない。

本来ならば唾棄すべき思考だ。間違っても願ってはいけない行為だ。だが今の彼女にはそんな悪意ある結論に縋るしかなかった。

故に、彼女は自分だけになったとしても諦めはしないだろう。

身を挺してまで護ってくれた愛しい相手を殺したく無かったから。

 ーーなんで…。どうすればいいの……?なんて言えば……。

尚も動かないリューンの胸の上に頭を押し付けるようにして伏し、目覚めを促す言葉を探すシャル。

考えて、考えて、考えて。フィルオーヌの呼びかけが耳に届かないほどに考えて。

そうしてやっと気が付いたのは、目覚めたとしても許したくない行い。

死の発端とも言える行為を再び求めなければならない言葉。

 ーー約束……。

 「勝つんでしょ!?ねぇ!!」

魔王とのーー全ての元凶との決着だった。

それこそが恐らく、彼を目覚めさせるために最も必要な言葉。

……そして。

 「私とだけじゃないでしょ!?みんなとの約束破るの!?」

決着の果てにある、彼が求めて止まない願いの結末へと導く言葉だ。

 「リューン!!」

顔を押し付け、そうすればきっと胸の奥にある心臓に届くと信じて、彼女は叫んだ。

声が届く事でその鼓動が少しでも強くなるのならと叫んだ。

もう、言葉に出来ない想いを乗せて。

 「ァ…」

それは、声として聞こえたわけでは無い。

或いは風の音がもたらした聞き違いかもしれない。

 「……!!今!!」

それでも確かに、彼の胸は震えた。

 「……シャル。今、もしかして」

ファズの声が止まったように聞こえる。

リューンの状態の確認を続けていた彼女だけが、恐らく、確信を持てている。

 「……魔力の流れが、変わったの………?」

彼に魔法を掛けているフィルオーヌだけが、ファズの困惑を受け止められる。

 「空気が、変わった……?何が……」

一匹だけ取り残されているコルリィカですら、異変に気が付いた。

であれば。己の感じた息吹は間違いではないと自信が持てた。

 「シ……ャ…ル……」

だからこそ、次の声は聞き間違いなどではないと断言出来た。

 「リューン!!!リューン!!!!」

ほんの僅かに聞こえた命を頼りにシャルは声の限り叫ぶ。

 「リューン!!分かる!?ねぇ!!」

自分が泣いている事にも気が付かずに叫ぶ。

幾つも幾つも大粒の涙を溢し、手繰り寄せた願いが何処かへと行ってしまわないように。

これを逃せば、二度と無いのだと直感できているからこそ必死になって。

 「泣、く…な。まだ……逝かねぇ……よ…」

途切れ途切れではあるがより明確に。先ほどよりも鮮明に。

リューンの声が聞こえた。

語り掛ける声が聞こえた。

彼女を慮っている、遺骸だったはずの者の声が、誰よりも信じていたシャルの耳に届いた。

 「う、そだ…。あんな状態から、息を吹き返すわけが……!」

生き返る事を願ってはいた。けれど同時に不可能だとも考えるしかなかったコルリィカが困惑のままに漏らす。

相反するはずの二つの思考を同時に、それも強く感じてしまえているからこその言葉だった。

そんな彼女の考えが分かるファズとフィルオーヌは言及はせず、不可能が可能に成り得るために必要な、小さな理由を答えた。

 「論理的には有り得ないと思うけどね。でも、それをするから人間なのよね。あの人だって、あり得ない方法で生き残ってたし」

 「そうね…。私達エルフが寿命なら、人は生命力に優れてるのよ。……と言っても、彼は異常だけどね」

言いながら笑みがこぼれてしまったのが分かる。

彼が生き返った事に対する喜びだけで無く、彼のデタラメな生命力そのものに何処か呆れた笑みがあったのも事実だ。

 「あり得ない。身体を戻したからと言って、こんな…こんな…!!」

その上で。リューンはコルリィカ達の予想を超えて行った。

 「だから、殺しに…行けるんだよ。不可能じゃあ…無かったんだからよ」

 「リューン!!」

目元を赤く泣き腫らしながら最大限の幸福に顔を歪めるシャルの頭に手を置き、少しずつずらすようにして彼女を胸元から離すリューン。

そうして彼は酷く重い身体を無理矢理に引き上げ、両の脚で踏ん張った。

 「立てる、わけが……無いんだ!!」

 「死んで、ねぇんだ。立つ事くらい、なんでも、ねぇよ」

引きずるようにして一歩脚を出し、更に出し、歩行とは言い難い移動を行うリューンが向った先は己の頼りとする物。

戦場に於いて最も身近にあると言っても過言ではない、特大の剣の下だ。

 「ま、待てリューン!そんなままで戦えるわけが…!」

 「けど、やらなきゃなんないんだろ。だから俺達はここに来たんだ」

突き刺さったままだった特大の剣の柄を握り、よろける身体に喝を入れながら引き抜き、肩に担ぐ。

しかし、その一連の動作はあまりに脆く、あまりに脆弱に見えた。

特大の剣を担ぐ事どころか、そこまで歩けた事が不可解に思えるほどに。

 「…リューン」

そんな彼の動きを目にし、喜びに溺れていたシャルの感情は落ち着いていく。

生き返っただけでは何も解決しない。このまま戦いに赴かせれば結果は同じ。寧ろ二度目は無いのだから正真正銘の死を迎えてしまう。

だとすれば、今の彼が取り戻した命はーー。

 ーーまた、苦しむために得た事になる……。

 「……ダメ」

そう、彼女は呟いた。

だが、全員の目は彼女に向いていた。

 「何が…ダメ、なんだ?」

リューンに問われ、シャルは虚を突かれる。

フィルオーヌやファズ、コルリィカを見てもリューン同様に驚いた顔をしていた。

 「だ、ダメだよ、リューン。それじゃあ一緒になっちゃう」

全員の驚きを前に何とか気を取り直して言葉を続けたシャルは気が付いていなかった。

呟いたと思ったはずの言葉が、はっきりと明瞭に、それも最大限大きな声で悲鳴のように発せられていたと。

 「けど、誰かがやんなきゃならない。それは他の誰かじゃなくて、俺なんだ。だから…」

 「だから、またやられに行くの?同じ目に合いに行くの?」

リューンの言葉を遮り、立ち上がった彼女は彼の元まで歩みを進める。

その視線は、強い口調とは裏腹に何処か涙を帯びている。

 「私は嫌だよ、そんな。絶対に嫌。またリューンを失うなんて絶対に嫌」

 「けど、やるしかないだろ。ここで行かなきゃ、向こうが壊しに来るんだ」

 「分かってるよそんなの。だから……」

完全に歩み寄り、少しでも手を伸ばせば近づく距離まで近づいたシャル。

彼女は、リューンの目を見つめると、それまで帯びていた涙を一度瞼を瞑る事で完全に隠し、代わりに満面の笑みを見せた。

 「だから、一緒に戦お?私達みんなで」

 「……シャル?お前、何言って……」

嫌な直感が、確かにリューンを襲った。

『私達みんなで』

その言葉の裏にあるのは、当然コルリィカを含む仲間の事のはずだ。

だが、そうだとしたら何かが腑に落ちない。

もっと多数のーーいや、別の何か達を指すかのような。そんな納得のできなさをリューンは感じた。

なら他に『私達』に含まれるのは何があるか。

それを考え、至った時。

リューンの目は大きく見開かれ、呼吸が止まりかけた。

 「ま、待てよ。ダメだ。それこそダメだ!!絶対にやめろ!そんなのあっていいわけがない!!だって俺は、俺は……!!」

 「……もう、遅いよ…?」

激しく取り乱し、特大の剣を落としてまで弾かれたようにシャルの両肩を掴むリューン。

けれど、彼女の言葉通り、もう手遅れだった。

その現象を共に目にしたファズとフィルオーヌは、初めてであっても直感できたコルリィカは、彼女の言葉の意味を見る事で理解できていたのだ。

最早、止める術はない。

 「結構前からね、そうなのかな~なんて、思ってたりはしたんだ。だって、他に居ないんだもん」

 「ち、ちがッ…!それはたまたまだろ!?そもそもいないんだろ!?そんな奴が!」

 「うん、そこだけが不思議だった。なんでかなって。でもね、不思議具合で言ったらリューンだってそうでしょ?」

 「お、俺が…何だって……」

 「だってリューン、私達の世界の人じゃないんでしょ?」

 「!!!!!」

落ち着き払い、語られた言葉を必死に否定していたリューンに襲い掛かる最大の謎。

[異世界転生者]であるという何事よりも理解できない事実。

それを引き合いに出された時、リューンの固めていた理屈は音を立てて瓦解した。

 「なのに、この世界に居て、この世界のために戦ってる。だったら、この世界で生まれてこの世界で生きてきた私が[そう]だったとしても変じゃないって言うか、たまたまそうなっちゃっただけなのかも、って言うか」

 「い、良いんだよ、俺が何処の世界の生まれかなんて。だって、違うだろ?」

砕けた瓦礫を拾い集めて積み直しては崩れ、それでも取り繕うためにまた積んでは崩れる。

何の頼りにもならなくなってしまった[筋が通らない]という理屈だけを武器に、リューンは最期の一言に手をかける。

言葉にしてしまえば、受け入れるしかなくなると分かっているのに。

 「だって、巫女は、血の繋がりがあるはずだろ……!!!」

言葉にしながらどこか腑に落ちたように納得してしまう自分がいる。

だとしても、最後の砦である血の繋がりだけを武器にしてリューンは拒もうとする。

シャルの身体の半分が消えかけている事から目を逸らしながら言い訳を続ける。

 「でも、例外が無いわけじゃ無かったでしょ?フィルオーヌさんだって、ファズちゃんだって」

 「!!」

けれど、砦と言い換えていただけの言い訳もあっけなく崩れた。

思い返せば、例外だらけの巫女という事実に容赦なく崩される。

 「だからね、私はこう思ったんだ。『魔王の下に辿り着くだけの意志の強さがある人間が、人間の巫女に成る資格がある』んだって」

 「な…!!けど、それじゃあ『連綿と続く』って事の説明が…」

 「つかなくは無いよ?何も血の繋がりだけが意志の強さを示すわけじゃ無い。血の繋がりが無くても、その人を心から尊敬できてるなら自分で意志を継げるし、次の血の繋がらない誰かにも伝えられる。……ほらね?おかしくは無いでしょ?」

既に棒切れ以下になった理屈を用いての言は何の役にも立たなかった。

筋が通っているかどうか。理屈の上ではどちらが上か。

そんなモノも既に取って代わられていた。

 「だからね、後は宝玉化の条件だけだった」

リューンは、彼女の答えに納得してしまったから。

 「でも、それは簡単だったよ?私も、リューンが全部だったから」

だから、その後に続いた言葉は、驚くほどすんなりと受け入れられてしまった。

 「だから、ね?私達みんなで戦お?巫女が全員揃ったんだもん。何にだって勝てるよ」

両肩を掴んだままだったリューンの手を優しく離し、互いの手を一つ所に合わせて握り締め、シャルは笑う。

 「大好きだよ、リューン。私の見ていた世界は、いつからか貴方だけでした」

涙も無く、憂いも無く、恐怖も無く。

シャルは、笑みのまま泡沫に消えた。

残されたのは白銀を示す宝玉だけだ。

 「                                    」

声無き叫びが、彼にとっての世界を失った世界に轟いた。





to be next story.

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