第36話 力を得るために
刀身の折れたガタガタの刃の刀がリューンへと風を裂いて飛来する。
一直線に投げられたそれは、目を疑う間もなく幾つもの幻影を作り、気付けば実態を持った十刀へと変わる。
「修練その一!まずは己を知れ!」
投げられた刀と共に飛ばされるテシィスの声。
彼女の両手には既に新たな折れて刃こぼれした一対の刀が握られている。
「担い手とは名ばかりの弱者だ!力は無く、他者の命で生かされている!」
叫び、特大の剣を引き抜くままに飛来する刀群は叩き落とされる。
極端に軽い音を散らして地に散らばる刀達。しかし、音から受ける印象は[偽物]からはかけ離れた手応えだ。
「違う!逃げるな!甘えるな!本質はどこにある!!」
次いで投げれた二刀の刀。
一刀が二十へ。飛来する間に増え、どんなカラクリがあるのか空中でそれぞれの速度が変化した。
「なんだそれ…!なんなんだよ!!」
飛来する刀に、否、テシィスの物言いに、リューンの激怒が飛ぶ。
表情は怒りに満ち、されど声は困惑。
故に、意思表示は揺らがない。
「俺は弱い!だから二名の巫女を既に死なせた!もっともっと強ければ!魔王なんざさっくりぶちのめせる力があれば!こんな事にはならなかった!!」
「それを逃げだと言っているんだ!!」
「何を!!」
特大の剣で前方を力任せに何度も振り払い、飛来する刀を叩き落とす。
総数四十刀。内三十六刀を払い落し、残り四刀が頬や足元を掠めて薄皮を服を裂く。
「見てみなよ!私の不意打ち技を二度も凌いだ!そんな相手片手の指が埋まるほどもいないのにだ!そんな戦者のどこが弱い!」
「だから弱いんだ!強ければ擦り傷すら受けない!完全に払い除けられる!かすり傷なんて以ての外だ!そんな事も出来ない奴が自分の力だけで魔王を消せるわけないだろ!!」
「それが甘えなんだ!」
言い合いの最中、忽然としてテシィスが消える。
代わりにリューンが理解し、目にしたのは、囲うようにして四方向から迫る刀。
……そして、背後より気配を放ったテシィス。
「これだって君なら凌ぐだろう!?」
「この……!!」
四方向の刀と、背後に突然現れたテシィス。
その内の二つを捨て、リューンは残り三つの、命を引き裂こうとする殺意を叩いた。
ーー天牢堅守…!
身を翻しながら展開されたのは一点守衛の防御強化魔法。
左腹部に出現した天牢堅守を文字通り盾のようにして一刀を防ぐ算段だが効果範囲は狭く、身体の位置調整は寸分の狂いも許されない。
ーー二か所はくれてやる……!だが!
「間に合えよ…!!」
言いながら、リューンは左手へと柄から放るようにして特大の剣を握り変え、右側から飛来するもう一刀を刀身の腹で受けようと次の動きを見据えて構えた。
過ぎた時は刹那。思考を思考として認識する間もない瞬。
反射と表現しても差し支えないその全ては、だからこそ成果をもたらす。
「…やっぱりだ」
同時に、刃が弾かれて折れる音が鳴る。
半拍よりも短く遅れて、えずきの残ったテシィスの驚嘆の声が上がった。
「思った通り、君の才覚は……モノが違う」
特大の剣の柄の底で腹部を突かれたテシィスは三歩、突痛に狼狽え振り上げていた折れた刀を落としながら後退する。
だが、彼女は笑っている。目を細め、痛みに表情が吞まれながらも尚。
彼女の目に映る先ーー。それは両腕に一刀ずつが刺さった、特大の剣を握るリューンの姿だ。
「防げない量だと分かるや否や即座に捨て、致命傷だけを確実に防ぐ。そんなの、分かっていてもそうできる事じゃない。普通は躊躇って手遅れになる。しかも、今使ったのは一点特化の防御魔法……。外せば腹部を突き抉っていただろうに。恐ろしいね。その思い切りの良さ」
「世辞はどうでも言い。何が甘えなんだ。教えてくれよ」
「ふふ、そうだね。確かにお世辞だ。今の君には、目的の答え以外は全て子をあやす喃語(なんご)に等しい」
止めど無く込み上げてくる吐き気を堪えつつ構えを取るテシィスは再び姿を消す。
「君の甘え。それは弱さを言い訳に協力を拒んでいる事だ」
姿なきままテシィスは答える。
リューンが持つと言う弱さの理由。そしてその根幹を。
「怖いだろうね、失うのは。恐ろしいだろうね、失ってからの世界は。何より、耐えられないだろうね。それらを受け容れるしかない己の所業が。既に分かっていた事だからこそ、出来ていなければならない覚悟が、未だに無い事実に」
「……ああ、怖いね。堪らなく怖い」
彼我の距離が、立ち会う先が、初めと同じ位置に姿を現したテシィスの顔に笑みは無く、痛みも伺えない。
彼女はただ言葉を投げ掛ける。まるで何事も無かったかのように。
「うん、素直でいい。ならもう少し素直になろうか」
「……おちょくってるんじゃないならさっさと教えてくれ。俺には分からないんだ。何も」
「…なお素直でよろしい。修練その二、[他者を頼る]は今ので完了だ。後はそれが今後もできるかだけど、今は信じよう」
特大の剣の切っ先を自然体で地に落とし、テシィスを真っ直ぐに見つめるリューン。
彼の瞳に余裕は一切なく、感じ取れるのは切望だけだ。
「……君は、それらを言い訳に力を拒んでいる。事ここに至ってまで、なお、独りで勝とうと藻掻いてる。酷く浅はかで滑稽で甘ったれだ。君に命を託してくれた彼女達は、その想いは、一体どこにある?」
「………………はっ。すっかり頭ん中覗かれてるな。ずるい奴だ、等級で名称が変わらないからって嘘吐きやがって」
テシィスの言葉から全てを理解したリューンは怒るでもなく笑みを浮かべて悪態を吐く。
彼女の行った列挙閲覧。それは彼女の説明とは違い、脳内の任意の記憶領域を覗けるという上級の中でも上位に位置するモノ。
これが如何なる状況でも扱えれば超級と言えたが、彼女はあくまで落ち着いた状況でしか行えない。
「まぁね。私のは警戒心を抱かれたら覗けなくなる程度の魔法だ。お陰でシャル達のは承知してくれていた得意な戦い方とかしか覗けなかったよ」
「それだって任意のを覗けるんだろ?充分上級じゃねぇか」
特大の剣を背に負い、首から下げている小さな巾着二つを手に取るリューン。
彼は巾着の上を広げ、掌の上に宝玉を乗せる。
「知ってるんだろ?こうなっちまうんだぜ。ほんの一瞬前まで話してた相手が、俺に好意を寄せてくれてた相手が、次の瞬間にはこうだ。……何が何でも避けようとするのは、そんなにおかしい事か?俺が全部背負って、他の奴らが同じ苦痛を味合わないようにしたいと思うのは、そんなにも甘えてるのか?担い手ってのは、それをすべきなんじゃないのか?……教えてくれよ」
宝玉を見つめ、より下へと視線が堕ち、緩やかに上げられた瞳がテシィスを見つめる。
『何もできなかった』と。『後悔にすら答えが無い』と。
それでも、テシィスは言い放つ。
感情を殺し、合理性だけで応えた。
「…………ああ。君一人の答えだからね。それに縋るのは、確実な答えがあるのに変えられないのは、間違いなく甘えだ。何よりも彼女達は協力するためにそうなった。違うかい?」
「…はは、そうか。確かにな。…………そうだろうな」
眼鏡を上げ、俯いたリューンを見つめるテシィスは更に続ける。
リューンが『教えてくれ』と言った事。その全てを。
彼が既に理解していると分かった上で、濁す事無く真っ直ぐに。
「君は逃げて、逃げた理由に甘えて、勝てる見込みを自ら敬遠させている。他の誰でもない、巫女達のためになるはずなのにだ。それを甘えと呼ばず何と言うんだい?担い手のリューン?」
彼の掌で輝きを放つ二つの宝玉ーーブラフとユイーム。
彼女達を見つめたまま、リューンは力無く笑い、表情を緩やかに陰らせる。
「それでも……変えるわけにはいかないんだ。俺はこいつらの想いを蔑ろにするつもりは無い。だけど、最後の最期まで諦めたくないんだ。俺の行為そのものがブラフやユイーム、他の巫女達の想いを無為にすると分かっていても、犠牲の上に成り立つ勝利に頼りたくない。だから変えられない。……矛盾してるだろ?」
力強いとは言い難い声色だった。
けれど、揺らぐ事も無いと、テシィスは確かに受け取る。
「…そうだね。とても矛盾している。でも、理解できないわけじゃ無い。だから胸が痛む。君はきっと死を受け入れる瞬間も己の力だけで成そうと努めると分かるから。そんな相手に、より正しい答えを受け容れろと言うのは酷だ」
「ああ、きっとそうだろうな。それのどこが蔑ろにしてないって言うんだろうな。笑っちまうよ。テメェのバカさ加減に」
「…だから修練その三だ。[己を貫け]」
「………は?」
唐突に告げられた三つ目の修練にリューンは思考を詰まらせる。
テシィスは彼の声色から困惑を読み取り、続けた。
「曲げられないんだろう?諦め切れないんだろう?それならそれでいい。夢幻廻廊は己の全てを世界に塗り重ね、求める結果が得られるまで戦うための魔法。意志が強ければ、決意が固ければ、それだけ強力な力を発揮するんだ」
テシィスの言葉と同時、全ての地面から幾刀もの刃こぼれした刀が湧き出てくる。
それらは瞬く間に大地を覆い尽くし、手を伸ばせば、一歩でも踏み出せば、一刀には触れられるほどに蔓延した。
「……私の夢幻廻廊[栄光の終幕]はね、私の故郷の大地が元になってるんだ」
俯きながら見回すようにするテシィス。
大きくズレ落ちる眼鏡を指先で支える彼女の眼鏡の透鏡には、幾多もの刀が映っている。
「…戦場、だったのか?」
「そうだね。それも数百年。時には平和な土地があったみたいだけど、戦の無かった瞬間は無かった。当然だね。平和を続けるために隣国に刀を掲げたんだから。死の上の平和さ」
「………それが、どうして己を貫く事に繋がるんだ?」
「簡単。命を繋ぐのは命だけだとみんなに伝えたかったからさ。生かすために殺し、生きるために殺す。とどのつまり、戦なんてのはそんなもの。大義が曖昧でも[命]が懸かれば全てが正当さ。それは蟲覇人でも野生の生き物でも同じ事。……きっと、君達人やエルフ、機生体もだろう?生きるというのは、他の生きるの上に在るんだ」
リューンを見、遥か遠方でジッと行方を見守っていたシャル達にも視線が向けられる。
「ま、ありきたりな結論だけどね。でもそれを理解できている蟲覇人はとても少ない。真に実感できるのは絶対的な死と相対し、生き延びる事ができた時だけだ。戦を知らなければきっと永遠に変らないんだろうね」
目を細めて笑い、リューンへと視線が戻される。
対する彼の表情は先ほどまでのテシィスに近い。
「…どこもきっと同じだ。そして俺もまだ実感できてないんだろうな。だから死にぞこなうような戦い方を繰り返してる」
「だったら話が早い。それでも死んでいないのなら意志の強さは折り紙付きだ」
「どうだろうな。絶対的な死を教えてくれた相手が好意的だったお陰だ」
「それでも、だよ。知っているのと知らないのとでは雲泥の差だ。答えは出てる」
刃こぼれした刀を、足元から一刀引き抜きテシィスが構える。
呼応し、背負い直していた特大の剣に手を伸ばすリューン。
「……だったらだ。だったら俺が、俺をこのまま貫けば夢幻廻廊を習得できるんだな……?矛盾を貫けば、いいんだな?」
「うん。それこそが己だと自信をもって言えるのならね」
「そうか。……簡単で安心したよ」
「よろしい。では修練その4。最後だ。[命を賭せ]。これからは殺すつもりで行く」
瞬きの間にテシィスの握る刀が輝きを取り戻す。
折れた刀身は身を伸ばし、砂利道のようになっていた刃は舗装されていく。
やがて完結した鋭利煌めく白刃は反射光ですら刃を思わせ、光の触れた箇所が切れるのではと錯覚するほどに殺傷能力を取り戻している。
「…分かった」
特大の剣を引き抜き、切っ先を大地に刺したリューンは巾着それぞれに宝玉をしまい入れ首に掛け直す。
巾着を胸元に入れ、特大の剣を中段に構えた彼は、面構えと態度を変えた。
望む事実を教えてくれ、その上で尚変わる必要がないと言葉にしてくれた師に対して。
「手合わせ、願います。先生」
「承った」
そうして両手持ちで構えていたリューンは、テシィスの返事を受けてから一瞬の沈黙の後。
地に刺さる刃こぼれした一刀を、砂煙と共に蹴り折った。
ーーーー
二時間。
リューンとテシィスの切り結びは続いた。
剣戟は迸り、鉄粉は輝く。
地に刺さる刃こぼれした刀はテシィスが握れば煌めきを取り戻しリューンを襲った。
その度にリューンは特大の剣で受け、或いは魔法で凌ぎ、追撃に転じようと試み続けた。
しかし、戦いの流れは常にテシィスにあった。
理由は分かり切っている。ここが彼女の夢幻廻廊の中だからだ。
貫く意思を具現化した世界で、作り手に敵うはずなどありはしない。
勝つためには修得するしかない。彼女と同じく、夢幻廻廊を。
その上で塗り重ねるしかない。己の貫くべき世界(意志)を。
だからこそ、胸の中で暴れ続けるもどかしさに舌が鳴った。
ーー何が足りない。どうすれば成せる。俺はどうすればいい…!
軌道の読めない両刀を何とか受け続けながらリューンは思考する。
夢幻廻廊とは何なのかを。恐らくはそれが分からない限りは修得できるはずが無いと。
ーー世界を塗り重ねるってなんだ…!?上から被せる?まるっきり覆す?なんなんだ!!
剣戟の中で幾度と無く繰り返されてきた自問。
だがその度に鍔ぜる音にかき消され、火花に塗り潰され、思考が纏まらない。
「どうしたんだい!?君一人だけに教えていられる時間はもう無いよ!!」
「分かってる!少し黙っててくれ!!!」
疲労に苦悶を浮かべながらも檄を飛ばすテシィス。
意図を理解した上で苛立ちを隠せないリューン。
そんなやり取りが二時間の間に十は見受けられている。
ーーいい加減見つけねぇと。こんなままじゃあいつらに申し訳が立たねぇ……!折角、折角俺に全部を担わせてくれたあいつらに……!!
巫女との記憶をーーブラフとユイームとの別れを思い返しながら、奥歯が砕けんばかりに彼は食いしばる。
ーーあいつらは何を願った。あいつらは世界を何だと言ってくれた…!!そうだろ!?そこに俺は居たんだろうが…!
蘇るのは今わの際の言葉。『私にとっての世界はリューンだった』という、言葉。
ーー考えろ。あいつらは俺に世界を見出したんだ。その俺が、自分の貫くべき意志を、世界を……!!!
思考が巡り。
はたと、気が付く。
ーー……だったら俺は、俺は……俺の世界をどうしたい…?
それは、問いと呼ぶには余りに抽象的だった。
酷く未熟で、曖昧だった。
だが。
ーー世界は、塗り重ねられた。
刃こぼれした刀が蔓延する他者の世界ではない。
彼の世界がーー何らかの文明が幾つも入り乱れた、灼け上がる森が具現し塗り重なっていく。
数多の刀が灼け、彼女の世界だったはずの大地は最早世界とは言えぬほどに狭まっていた。
ーー…………そうか。意外に簡単だったんだな。
周囲の異変に気が付いたテシィスが距離を取る。
それまで散々に鳴り続けた剣戟は停止し、代わりに沈黙が訪れた。
その中で、リューンの手には特大の剣の二倍はあろうかという超大の剣へと続く柄が握られていた。
「……はは、これが答えか。成る程な、単純なお陰で分かりやすい。バカでかい、実体を得た魔力の剣。それを存分に振るえる場所が俺の夢幻廻廊だ」
彼が辿り着いたのは求めて止まなかった[力]が得られる世界。
求めていた力を、手に出来る世界。
手に入れるために得てきた犠牲に、勝利を届けられるはずの世界。
それが彼の得た、夢幻廻廊(こたえ)だった。
「見つけられたようで何よりだ。……使っている武器を強化するだけだと中級と見做されるんだけど、君の度胸と才があれば関係ない。きっとやれるよ」
「事ここに至ってすら中級までしか扱えないのか。筋金入りだな。…けど、いい。やれる幅が広がれば、殺し方も増える。それで充分だ」
『中級』という言葉にリューンの顔が自嘲気味に歪む。
けれど、不思議と彼は嫌では無かった。
寧ろしっくりと来るような、そんな心持で受け入れる事が出来ている。
「…うん。[焼け爛れた呻き]。そんなところかな」
「……ああ、充分だ。やってやるさ」
超大の剣が肩に担がれる。
ブオンと、風を纏って描かれた軌跡は武骨で。
されど。
「…少しだけ、手が届いたな」
鮮やかでもあった。
ーーーー
リューンが夢幻廻廊を修得してからおよそ三十分。
修練の間を抜けた先に在る一匹ーー一人部屋に、傷の処置を受けるリューンと、処置を行うコルリィカが居る。
二人用のベッドに腰かける両名は、傷の処置を行う中で言葉を交わしていた。
「……生傷ばかりだな、お前は」
「戦うのが下手なんだろうな。…足掻いてばかりだ」
「ふっ。悪くない冗談だ」
コルリィカは夥しい数の傷を目の当たりにして思わず指先でなぞる。
柔らかく、強く押せばはちきれてしまいそうな薄桃色の傷達は薄皮を張り詰めて懸命に形を保とうと押し返す。
それをコルリィカは少しだけおかしそうに笑みを食むと、一時中断していた傷の治療に戻った。
「済まない。超級の回復魔法はあるんだが、あまり使いたくなくてな。それ以外だと下級に毛が生えた程度なんだ」
「気にすんな。どうせ時間はあるんだ」
「それもそうだったか。あと八時間と半分。充分に休み、癒そう。尽力する」
「ありがとう、コルリィカ」
微弱な回復魔法を……それこそリューンの使える回復魔法よりも効果の薄い魔法を使い、患部の治癒を行うコルリィカ。
テシィスの指示で彼女が回復を行う事になった時、休息を意図したにしても何故自分よりも等級が低い回復魔法しか使えないコルリィカを選んだのか理解できていなかったリューンだが、いざ頼んでみるとその理由がよく分かった。
確かに効力は弱い。しかし、患部に伝わる温もりが大きく違う。
非常に柔らかく、効力以上の効果を感じる事が出来るのだ。
フィルオーヌの時に感じる暖かさを[博愛]と言うのであれば、コルリィカから感じる温かさは[慈愛]と言えた。
ーー自分でやると作業だからな。こっちの方が良い。
「…どうした。傷口が気になるのか?」
「いや、なんでもないよ。助かる」
「…?そうか。おかしな奴だな」
一瞬、真実を伝えようか迷ったリューンは直ぐに考えを改め言葉を濁す。
ーー流石に気持ち悪いな。温もりがある、なんて感じ方を伝えるのは。
彼の反応に不可思議さを感じたコルリィカは少しの疑問は抱きつつも特に問う事はせずに治療を続けた。
その間も彼らの会話は続いた。治療中の会話のためとりとめのない内容ばかりではあった。
それでも得られるものは互いにあった。
コルリィカは娯楽と呼ばれる文化を、リューンは蟲人魔王界で最も好まれている物について知る事ができ、それぞれの世界に関する情報交換を行う事が出来た。
そしてその二つはどうやら同等と呼べる物もあるらしく、三十分ほどかけて行われた治療の後にリューンはコルリィカからそれを受け取った。
「モクモックン、と呼ばれる物でな。基本的に城から配給されるんだが、一般的にも流通しているんだ。種類は文字通り千差万別。最早全てを把握できている者はいないだろう」
人差し指程度の長さを持つ正方形の小さな箱が彼女の胸元から取り出される。
モクモックンと言われたそれを見て、リューンはなんとなく思い出しかけていた探求界の物と結び付ける事が出来たが、表情に少しだけ苦さが浮かんでしまった。
「ああ。多分煙草だな、それ。だとしたら俺はダメだな。吸えない」
「たばこ…?お前の世界にも似た物があったのか?」
「同じ物かは分からないけどな。似てるのがあった。で、吸うのに年齢制限があるんだ。だから俺はダメだ。まだ達してない」
好意的に進んでいた話を切るような発言に少しばつの悪い表情でコルリィカの差し出してくれた手を断ろうとするリューン。
しかしコルリィカは、まるで小動物を見るような笑みを浮かべてリューンの手を取って広げ、乗せた。
「それはお前の世界の話だろう?私達の世界にはモクモックンに年齢制限など無い。なにせ味の付いた煙が出るだけの物だからな。子をあやす時にも使う、全年齢対象品だ」
微かに意地の悪さが含まれた笑みを浮かべ、リューンの目を覗き込むようにするコルリィカ。
彼の断る理由を知り、子供っぽさがあるのだなと知ってしまった彼女なりの遊び心が招いた笑みだ。
それを見たリューンはムッとした気持ちを抱きつつも表には出さず、少し考えた風な間を取った。
「…なら、いいかもな。俺の世界じゃ卒倒する奴が出て来そうな話だけど」
言いながら『我ながら子供っぽい物言いだな』と、胸の内で笑うリューン。
彼の本心をなんとなく察せてしまったコルリィカは更に笑みを深めると、乗せたモクモックンの容器を握らせる。
「巣に入っては巣に従え。居る世界が逆なら進めんさ。……隠れては吸うかも知れないけどな」
「ははっ、随分破天荒な姫様だ」
「笑うな。父にもよく言われた」
ここまで進められれば最早断れないと判断したリューンは浮かべた笑みのまま長方形の箱を開ける。
中から出て来たのは想像していた物とは少し違う色をした棒状の物。
桜色のモクモックンは摘まめばどことなく柔らかく、なんとなく両端を見るとやはり煙草のような形をしている。
「私の好みは桃の味だな。指先に魔力を集めて先端に触れると煙が出るようになる。後は咥えて吸い、口から離してもうひと吹いすればいいだけだ」
言われるがまま行い、一息吸い込む。
口腔に広がるのは確かに桃の味。それも甘さが強い味だ。食後に吸うのにも適しているかもしれないとリューンは直感的に思う。
「どうだ?甘くていいだろう。…戦場ではこればかりが楽しみでな。どうしても吸い過ぎてしまうんだ」
自嘲を浮かべながら自分用のを取り出したコルリィカ。
彼女の準備を横目に、言われた通りモクモックンを離してリューンは吸い込む。
すると、本来なら入ってこないはずの異物に驚愕した喉が、反射的に咳を爆裂させた。
「うえっ!?えっほ、えっっほ!!」
「ははっ!本当に初めてだったんだな!済まない済まない、言うべきだった…!子向きのも持ってれば良かったか!」
「お、お前…!何笑ってんだ!吸え!お前も吸って咽込んでしまえ!!」
「アホ、そんな事なるわけないだろうっ」
笑いながら加え、指先を当てて吸い込むコルリィカ。
手慣れた一連の動作はどことなく美しく、確かに咽るような雰囲気は無かった。
……が。
「んっ!?け、けっほ、げほ!?」
笑いながら吸い込んでしまったからだろう。彼女もそれなりに咽た。
「あっははは!そりゃそんな状態で吸ったら咽るに決まってんだろ!バカめ!」
「う、うるさい!そんな時だってあるんだ!初心者が!」
「当たり前だろ!この世界の物なんだぞ!」
彼らの言い合いは言い換えるまでも無く子供染みていた。
互いに口にしながらその子供っぽさを理解しているほどだ。傍から見ればもっと酷いのだろう。
…けれど、死線の日は近い。
そう思えば、この瞬間も悪いモノではないと彼らは思い、少しの間童心のままに笑い合っていた。
やがて、モクモックンが互いに終わった頃。
「なぁ、コルリィカ。これ、どこで買えるんだ?」
「何だ?気に入ったのか。なら残りをやろう。ここに二本ある」
未だ笑みが表情に残る中で尋ねられた内容にコルリィカは素直に答え、同様に胸元から二本取り出してリューンへと差し出す。
「悪い、ありがとう。後で何かお礼するよ」
「良いんだ、気にするな。こんなやり取りは誰もが良くやるし、私は戦姫だぞ?直ぐに貰えるさ」
「そうか…。ありがとうな」
リューンは受け取るとポケットにしまい入れる。
そして、貰った理由を答えた。
「シャルにも教えてやりたいんだ。あいつ、果物なんてずっと食べれてないからな」
ふっ、と柔らかな笑みを浮かべるリューン。
それをコルリィカは目の当たりにし、……少しだけ胸の奥に刺すような痛みを感じると、努めて笑みを浮かべた。
「そうなのか。なら、終わり次第一緒に吸うと良い。きっと喜ぶだろう。本物にも負けないぞ?」
「ああ。お前のお陰だコルリィカ。ありがとな」
「…気にするな。私達は既に友だ」
「…だな。あいつらもきっとそう思ってるはずだ。ありがとう」
嬉しそうに笑い、リューンは立ち上がると、部屋の隅に立てかけていた特大の剣へと足を運ぶ。
「…行くのか?」
「ああ。確か今はフィルオーヌだったっけか?きっと結構大変な目に遭ってるだろうからな。ちょっと見てやろうと思って」
特大の剣を手にして背負ったリューンは扉の方へと歩きながら答える。
言い方こそ悪戯な雰囲気漂うモノだったが声色は寧ろ逆。心配を含んでいる。
「そうか。なら……先に行っていてくれ。私はここを少し片付けてから行く」
リューンの言葉から本心を聞き取れたコルリィカは『共に行こう』と言いかけ、しかし言葉を変える。
「分かった。向こうで待ってるよ」
「……ああ」
彼女の返答の妙な違和感に気が付きつつも尋ねなかったリューンは扉を開けながらコルリィカを一瞥する。
それを彼女は笑みをもって送り出すと、扉が閉まるまでの間表情を崩さなかった。
…陰りが見えたのは、扉の締まる音の余韻が消えた頃だ。
「『シャルに』、『あいつらも』か。…卑しいな。確かにあいつに惚れる瞬間など無かったはずなのに」
自分以外誰もいなくなってしまった部屋の中、ベッドに背を預けて天井を見上げるコルリィカ。
明かりの眩しさに思わず右腕で両目に影を作りながら、彼女はリューンと出会った瞬間を思い返している。
「私は、お前が喜んでくれるならと渡したつもりだったんだがな。…友という言葉も」
着替えを覗かれるという、本来なら拒絶や嫌悪を覚えるはずの行為によって交わされた出逢い。
無論、その瞬間から暫くは彼女も例に漏れずにいた。
だが蓋を開けてみればどうだろうか。
結果的に覗きを行い、冗談で再犯を口にしながらも彼の心は常に真っ直ぐだった。
常人とはかけ離れた経験が彼に難解な部分を与えてしまっているところは確かにある。だが寧ろその後天的な歪みが興味を呼び、それでも尚本質を失わずにいられる事が、コルリィカの中で評価を好意的にしてしまっていた。
本来ならば咎め、正し、歪みを何とかしなければならないはずなのに、それを良しとしてでも隣にいる事を選びたがっていた。
「恨めしいよ、全く。良い事など無い体質だよ。苦しい事ばかりだ」
どれほど異常さを心で理解していようとも好意が先行してきてしまう。
如何に正しきを知っていても拒まれるのが恐ろしく言葉を濁してしまうと容易に想像できてしまう。
好意を寄せてしまったのであれば寧ろ避けねばならぬはずなのに、他の、恐らくは彼に好意を寄せてくれている誰かに、任せようと考えてしまう。
そして、その結末が……と。
「本当に卑しい。反吐が出る。それで向けられるのは好意では無いだろうが」
影を作っていた腕を両瞼の上に下ろし、呼吸音だけが室内に漂う。
幾度、呼吸を繰り返した頃だろうか。
腕を額へとずらし、薄く開いた瞳でコルリィカは天井を見上げる。
「……女になど、産まれなければ良かった。何度そう思えばいいんだ、私は」
そう言いながらも、明確になってしまった己の好意が見せる空想に彼女は暫し浸った。
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