魔王と花束

夏紀

第1話

 人間と魔族が、ともに平和に暮らせるようになるかもしれない。


 その理想が、明日の調印式によってついに実現する。

 魔王城の広間では現在、人間と魔族が入り混じった式前夜の懇親会こんしんかいが開かれていた。


 広間のダンスパーティはにぎやかに盛況を見せている。

 弦楽が鳴り響き、紫紺しこんの肌をした魔族と丸腰の人間が、手を取りながら歌い踊り、酒を酌み交わす。

 永らく望まれつつも決して実現しえないと諦められていた「平和」。それがほんの小規模ではあるものの、今この場ではたしかに実現していた。

 ふと広間の一角で声が上がった。


「そうだ、その赤ちゃんを殺せばいいんだよ!」


 ―――視線が集まった。

 発言した男は、気にとめる様子もなく続けた。


「問題はこうだったね? 家のなかには恐ろしい殺人鬼が潜んでいる。自分はひ弱な一般人で、他にも同じような人間がたくさんいる。決して見つかるわけにはいかない。けれど自分たちは、今にも泣き出しそうな赤ん坊を抱えている、と」

「え、ええ」


 出題者はどこか困惑したように応じた。

 男はやはり気にするそぶりも見せない。


「だったらもう、その赤ちゃんは殺すべきだよ。泣き声が出ないように……ギュッ、と喉首を絞め殺すのさ! それなら殺人鬼には見つからずに済む。結果、もっとも多くの人間が助かる。だろう?」

「それは、その……」


 答えあぐねる出題者と、周囲の人々の困惑。

 酒宴の席である。

 戸惑いを孕んだ雰囲気のなか、誰かが言った。


「ですが、それはあまりに……むごくありませんか」


 勇者ゼクス・フラメル。

 輝かしい青の鎧を身につけ、勇者たるを認める《選定の剣》を携えた男。明るく爽やかな面貌めんぼうで、妙に人を惹きつける雰囲気がある。

 赤ん坊を殺すべきだ、と主張したのは彼だった。


「たしかに惨いかもしれないけれど……考えてみてごらんよ。もし赤ちゃんに泣き声をあげられたら、そのときはどうなってしまう?」

「殺人鬼に……見つかってしまいますね」


「だろう? そうしたらみんなが殺人鬼に気づかれて、赤ちゃんもろとも全員が殺されてしまうんだぜ。それじゃ元も子もないじゃないか! だったら赤ちゃん一人を殺すほうがずっとマシだ。そう思わないかい」

「いえ、たしかにそれはそうなのですが……」


「―――僕が思うに、この問題には答えなどないんだと思いますよ。勇者ゼクス」

「魔王さま!」


 会話に割って入った人物がいた。

 今代における魔族を統べる王、魔王オルドである。


 細身の体躯にすっと通った鼻筋。柔らかな眼差し。

 漂う気配は、魔王と呼ばれるにはあまりに似つかわしくないほど穏やか。

 魔王というより、学徒や研究者、と呼ぶほうがしっくりくるような雰囲気を持っている。


 しかし魔王としての実力は、印象とはまったく異なる。

 99代を重ねる歴代魔王のなかでも最強と断言され、〈千の魔法を収めし者〉〈魔を創る魔の神〉〈星をかたらう者〉など、数々の異名でおそれられている。


「いかに殺人鬼がいるとはいえ、まだ未来ある幼子おさなごを手にかけるなど、決してできることはありません。決して答えの出ない難題ジレンマについて考えること、それ自体がこの問題の狙いなのかと――違いますか?」


 おお、と唸る声があがった。


「さすがです魔王さま。その通りでございます! まさに明日の人間と魔族の平和を結ぶにふさわしい回答かと……!!」

「そんな持ち上げないでくれ。たいした話じゃない」

「いやそんなことはない。――さすがだよ魔王。君の言うとおりだ!」


 勇者ゼクスは笑みを浮かべて拍手し、魔王を褒め讃えた。


「もちろん赤ちゃんを殺すなんてありえない! ……実はね、ちょっと君を試してみたのさ。魔王である君が、もし俺の答えに同調しようものなら、今この場で斬り捨ててやるつもりだった」

「なるほど、そうだったのですか。……ですが少々、たわむれが過ぎるのでは? 勇者ゼクス」

「いやすまない、確かにちょっと度が過ぎたかもしれないな」


 ふたりが笑うと、あたりにどこかほっと息をつくような気配が漂った。

 勇者さまも人が悪い、いや魔王さまを信じてのことよ。高潔な魔王さまが赤子を殺すなどありえない! と、そんな声が口々にあがる。


「オルドお兄さま! 何をお話されているのですか!?」


 歓談から抜け出した一人の少女が、魔王オルドに抱きついてきた。

 飛びかかるような勢いを抱きとめ、そのままくるりと一回転。オルドは少女に親愛の笑みを向ける。


「たいしたことのない話だよ、ミア」

「まあ! そうやって私をのけものになさるんですか! お兄さまなんて嫌いです! むむむ~っ!」


 嫌いなどと言いながらミアと呼ばれた少女は、オルドに甘えるように胸に顔を埋めた。仲睦まじいその様子に、周囲から笑みがこぼれる。


 彼女の名はミア・エルトレン・ハインツフェルト。

 人間族最大の国家であるエルトレン王国の王女である。ここ魔王城を訪れたのは、人魔和平協定の調印を行う使者としてだった。


 人間であるミア姫と魔王オルドのあいだに、血の繋がりはない。


 だがミア姫と魔王オルドは、さる事情から長く幼少期をともに過ごしてきた間柄だった。ミアにとっては王位絡みでなにかと気の抜けない『兄たち』などよりも、よほどオルドのほうが信頼できる『お兄ちゃん』だった。


 それはもちろん魔王オルドにとっても同様だった。

 オルドにとってミア姫は家族そのものだ。たとえ血がつながらなくとも、本当の妹としてミアのことを愛している。


 明日の人魔和平についても、ミアは大きな貢献をしていた。


 魔族であるオルド、人間であるミアが、ともに互いを思いやって生きてきた事実が、大衆を説得するための大きな材料となったのだ。彼女がいなければ、人間と魔族が手を取り合うなど今も夢物語でしかなかっただろう。

 彼女はまさしく、人間と魔族の平和を象徴している存在なのだった。


「ミア様、そろそろお時間が……」

「まあ、もう? 来たばかりなのに……仕方ありませんわね。みなさま、それでは明日またお会いしましょうね!」

「ミア。今日はゆっくり寝るんだよ」


「お兄さまこそ! 明日は私の花園からとびっきりのお花を用意しましたから、楽しみになさっていてくださいね?」

「うん。楽しみにしているよ」

「えへへ、それじゃあ!」


 そういって明るく手を振りながら、ミア姫は去っていく。

 その姿を、オルドの周囲は微笑ましく見守っている。


「ミア姫がいらっしゃると場が賑わうね」

「ええ」


 勇者ゼクスの言葉に、魔王オルドは応じる。


「魔王。俺もそろそろこの辺で抜けさせてもらうよ。明日の和平調印はよろしく頼む」

「こちらこそよろしくお願いします。勇者ゼクス」


 勇者と魔王が、握手を交わした。

 ――古くから勇者と魔王は、争いあうものだとされていた。


 勇者は平和のために魔王と戦い、そして魔王は世界を支配するため勇者を殺す――

 そう思われていた二人がこうして握手を交わす、かつてない光景。


 平和を望む魔王など言語道断だと魔族からそしられてきた日々、恐怖をもって畏れられる人間からの偏見――それにも負けず、魔王オルドはここまで決して折れずに、平和のために邁進まいしんしてきた。


 去っていく勇者の背中と、今も広間で手を取りながら歌い踊る魔族と人間たちの姿を見つめながら、魔王はどこか感慨深げに酒の入った盃を傾ける。


「明日の調印式が楽しみだな」


 翌日、勇者ゼクスはミア姫を殺害した。



   ◇



 ことが起こったのは調印式のさなかだった。

 それは勇者によって、周到に計画された悲劇だった。


 調印式は魔王城の玉座の間で執り行われれる予定だった。

 魔王としての正装に着替え、玉座には座らず待っていたオルドは、予定の時刻が近づいても人間側の使者たちが一向に現れないことをいぶかしがった。


「誰か。使者たちをお呼びしろ」


 魔王の命によって、魔族数名が出向いたが、帰ってこない。

 いよいよ予定の刻限も過ぎ、どうしたものかと考えていたところへ、ようやく人間たちが現れた。

 勇者ゼクス・フラメルと、刃をあてられ身動きの取れないミア姫を連れて。

 勇者は手にしていたものを放り投げた。使者たちの首だった。ごろりと音を立てて、彼を迎えに行ったものたちの末路が転がる。


「貴様――!」

「動くな、魔王オルド」


 勇者がミア姫の首元に、《選定の剣》を添えていた。

 神々しく光る白刃は、ミア姫の皮膚を浅く裂いていた。つう――、と血が流れる。


 ミアの手元には花束が握られていた。

 今日の式典にふさわしかったはずの、美しい、真っ白な花束。


「お、お兄さま……」

「ゆっくりと手をあげてこちらに来い。少しでも変な動きをしたら、即座にミア姫を殺す」

「待て勇者。僕は」


 勇者がミアの右小指を折った。

 ミアのすさまじい悲鳴が、玉座の間に響き渡った。


「殺すと言ったはずだ」

「……――――」


 本気だ。こいつは。

 本気でこいつは、ミアを殺すつもりだ。


 苦悩の面持ちで、オルドは両手をあげる。

 するとすぐさま勇者は拘束魔法を唱えた。幾重にも折り重ねられた魔法陣がオルドを包み込む。それは史上最強と畏れられた魔王でさえ、わずかにも動くことが許されない、極めて強力な拘束魔法だった。

 動かせない上に、動こうとするだけでも強烈な痛みが全身を襲う。


「勇者……こんなことが許されるとでも思っているのか!」

「許されるって、誰に?」

「貴様以外の使者たちにだ! いずれ彼らがここに来れば貴様は――!!」

「殺した」


 ヒトの形をしたソレは、まるで面倒な雑用でもこなしたかのように言った。


「そいつらは昨晩のうちに、全員殺したよ。隠密魔法を使って一人も残さずにね。確認してみるか? 宿泊した客室のベッドで、みーんなあの世行きさ。ったく本当に忙しかったよ……おかげで眠いったらない」

「な、あっ……」


 今のオルドに真偽を確かめるすべはないが――嘘ではなかった。

 今回の調印式に参加した人間の使者は、総勢一〇九名。いま魔王城の客室には、喉と心臓を一突きされた、罪もない百以上の死体がある。

 それらはすべて勇者ゼクスが手にかけた。


 ゼクスは眠たげにあくびをひとつ。

 魔王をねめつける。


「ああ、殺したのはもちろん魔族もだぜ。和平に肯定的な魔族はぜんぶ。ここにいるのは全員、お前を裏切ったやつだよ」


 オルドは驚き、玉座の間に居合わせる魔族たちを見回す。

 皆が一様にオルドから目を逸らした。――彼らはみな、本心では人間との平和に反対していたのだ。


「なぜ……なぜ、こんなことを……」

「なぜ? ったくそんなこともわかんねえのか。歴代最強の魔王さまとやらも、実は大したことなかったんだな……人間と魔族の平和だなんてまったく下らない――やっぱ殺すか、お前」

「やめてください!」


 叫んだのは今も囚われたままのミアだった。


「お、お兄さまを殺さないでください! お願いですから……!」

「…………」


 勇者が、ミアを冷たく見下ろす。

 正義の名を冠するにはまるでそぐわない、あまりに冷酷な眼差しにミアはびくりと震える。


「そんなに殺して欲しくないのか」

「は、はい……っ」


 怯えきった表情で、懸命にミアが言うと、

 ―――にたり、と勇者が笑った。


「いいだろう。ならばミア姫、俺と勝負だ!」

「しょ、勝負……?」

「ああ、勝負だとも! 君が持つその白くてきれいな花束――それを落としたら君の負け。魔王は殺す。もし落とさなかったら君の勝ち。魔王は殺さない。そういう勝負さ」

「え、え……」

「それじゃあスタート!」


 勇者がミアの指を折った。

 悲痛な叫びがこだまする。オルドが絶叫する。


「やめろッ! やめろオォォォーーッ!!」

「ははは。いい反応だなあ。うい、う~~い、さらにもう一本! アヒャヒャヒャッ!!」


 ミアの泣き叫ぶ声が、玉座の間にこだまする。

 涙をこぼし、激痛に喘ぎながらも、花束を放さないようミアは必死に抗っている。

 そんな反応を愉しむように勇者は、ミアの手指を一本ずつ折っていった。それはまるで子どもが昆虫の手足をもぐような無邪気さだった。

 ミアの指は全て、本来曲がるはずのない方向にひしゃげた。


「ぉ……に、すぁ……っ」

「ミア……ミア、もういい。お願いだ勇者、もうやめてくれ!!」

「これはこれは! 見事だよミア姫! これほどの責め苦を受けてもなお花束を落とさないとは恐れ入った。よもや君にここまでの胆力があろうとは。――僕の負けだよ。約束どおり、魔王は殺さない」

「よ、よか……った……」


 ミアの表情にかすかな安堵が浮かんだ、その瞬間。

 勇者ゼクスの剣が、ミアの胸を刺し貫いた。


「そのかわりに君を殺すとしよう」


 ミアの瞳が急速に色を失っていく。勇者の狂ったような笑い声が響く。

 胸元と口から血が溢れ、花束がこぼれ落ちる。真っ白な花弁が、ミアの鮮血で紅く染まっていく―――


「ァ――――――――――」


 それが臨界点だった。

 超えてはならぬ一線。それを踏み越えた瞬間、オルドのすべてが爆発した。

 怒り狂った獣。憎悪に駆られた憤怒の悪魔。


 憎しみの叫び。殺戮の咆哮。

 オルドは、激しく藻掻もがき、藻掻き、藻掻き、藻掻いた。強烈な抵抗と圧力で、オルドの全身から血が噴き出す。それでもなお藻掻き、藻掻き続け――


 ついに凄まじい魔力の奔流が、勇者の拘束魔法を粉砕した。


 オルドの左脚と右腕が引きちぎれる。血が盛大に噴き出す。それも構わずオルドは、憎悪と怒りのまま勇者に襲いかかった。

 食い殺そうと、噛み殺そうと、一切の躊躇なく。


 だがその殺意は、果たされなかった。


 二重に展開されていた拘束魔法が、一瞬のうちにふたたびオルドの全身に絡みついた。文字通りに鎖に繋がれた獣となって、オルドは再び身動き一つ取れない状態となって、地べたに叩き伏せられた。


 勇者ゼクスは瞠目どうもくし、安堵したように薄く息を吐く。


「……神位クラスの拘束魔法だぞ。信じられん。よもや純粋な魔力のみで打ち破るとは……。訂正しよう。さすがは歴代最強の魔王だ」

「殺してやる! 殺してやる殺してやる殺してやるッ!! よくもミアをッ! 勇者ゼクス! 貴様はアァッ!! お前は僕が、絶対に!! 絶対に殺してやるッッッ!!」


「ハハッ! 無理無理。諦めなよ魔王。だ。そうだろ?」

「呪ってやる! 貴様のような外道……死んでも僕は、貴様を呪ってやるぞッッ!!」

「プッ――魔王、おまえ本当に馬鹿だな」


 勇者ゼクスは魔王をせせらわらい、準備を進めた。


 命を命に変換し、新たに届けるための蒼い光――そして呪い。

 神々の言語を織り込まれた複雑高度な魔法陣が、魔王オルドのもとに収斂しゅうれんしていく。


 それ即ち、神造の転生魔法。

 あらゆる生命を変換し、未来へ吹き飛ばす強制の術式。


「呪われるのはお前のほうなんだよ」

「ゼェェクスウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!」


 絶叫とともに魔王オルドが光に飲み込まれていく。

 白く薄れていく視界のなか、オルドが最後に見た光景は――虚ろな瞳で倒れ伏す最愛の妹と、彼女が死してなお手放そうとしなかった花束。


 真っ白な花弁は、彼女の血に濡れて紅の色彩を帯びている。

 妹が大切にしていた花園から選ばれた、純白のポインセチア。


 ――お兄さま、ポインセチアの花言葉はご存知ですか?

 ――いつかきっと、この花に包まれた場所で、魔族と、私たちが手を取り合う……その瞬間こそ、ふさわしい花言葉です。

 ――『祝福』。素敵でしょう?


 かつて聞いた妹の言葉は、記憶とともにそこで途切れた。


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