第11話 ミックスジュースの作り方
数日後の夕方、鈴音はカウンターのシンクに缶詰があるのを見つけてマスターに尋ねた。
「マスター、どうしたのですか缶詰なんか用意して。うちはフレッシュフルーツを使うのが売りじゃなかったのですか」
鈴音はカウンターに並んだ桃の缶詰とパインの缶詰を見て怪訝に思ったのだが、マスターは得意そうに説明を始める。
「ミックチュジューチュを作ろうと思ったのです」
「かんでるやないですか」
鈴音は無意識のうちにマスターにつっこみを入れていた。
「すいません」
マスターが気弱に謝って二人の間に沈黙が流れた。
鈴音は沈黙に耐えられなくなって口を開く。
「マスター、何かネタを持っているなら突っ込まれて引っ込んだらダメです。私の突っ込みは軽いジャブみたいなものですから、そこで「ミックチュジューチュっていうたらミックチュジューチュやねん」みたいな感じで返して話を引っ張ってから能書きを垂れるんですよ」
結局、鈴音はマスターに小言じみたことを言ってしまう。
「そうなんですね。すいませんでした」
マスターは鈴音に謝ると生真面目に言う。
「ミックチュジューチュっていうたらミックチュジューチュやねん」
なにもそこから始めなくてもと、鈴音はため息をついた。
バーテンダー兼経営者なのに、関西ノリの会話に不慣れなマスターに軽いめまいを感じたが、とりあえず彼の話に付き合うことにした。
「何か特別なレシピがあるのですか」
「ミックチュジューチュというのは、カフェとか喫茶店で古くから作られているミックスジュースのレシピのことなのですよ。鈴音さんも幼少のみぎりに古くから営業しているレストランとかで飲んだことがあると思いますよ」
鈴音の頭にクリームイエローのちょっと濃厚なジュースのイメージが浮かんだ。
「そう言えば、何となく思い浮かぶ気がします」
「缶詰の他に、バナナとオレンジそれにアイスクリームを加えてジューサーにかけるのです。今日は広田さんの奥さんが、ご主人のためにサプライズの誕生パーティーを開く日です。お子さんも来るからミックスジュースも用意しておこうと思ったのです」
マスターは、それ以外にもフライドチキンやサンドイッチ、そしてナポリタンパスタと子供受けしそうな軽食メニューを準備している。
「そうだ、鈴音さんは四条河原町のレッドサーティーンアイスクリームにアイスクリームを取りに行ってくれませんか。尚子さんと相談してホールケーキスタイルのアイスクリームをオーダーしていたのです」
「それっていいですね。パーティーでごちそうも食べるとスポンジケーキがちょっと重く感じることもありますもんね」
「鈴音さんなら別腹ですとか言って食べられますよ」
鈴音は少なからずむっとしたが、経営者たるマスターの顔を立てて黙っていることにした。
話を変えようと店内を見回した鈴音は、カウンター内の壁に武器のようなものが立てかけられていることに気が付く。
丈夫そうな気の柄の先端には半円形に弧を描いた金属が取り付けられており、槍のような雰囲気を醸し出している
「それは何ですか」
鈴音が尋ねると、マスターは嬉しそうに説明を始めた。
「これは「さすまた」と言って、武器を持って暴れる人を取り押さえる時に使うものなのです」
「武器を持った人って、どういうシチュエーションで使うつもりなのですか」
鈴音が疑問をそのまま言葉にすると、マスターは生真面目に答える。
「最近物騒なので、強盗が来ても鈴音さんを守って戦えるように購入したのです」
大仰なマスターの言葉を聞いて、鈴音はクスっと笑ってしまったのだが、マスターはそれを目に留めたようで微妙に不機嫌な表情に変わる。
「私はアイスクリームを受け取ってきますね」
鈴音は笑顔で誤魔化しつつ、お使いに出ることにした。
姉小路通りから四条通りまでは少し距離がある。
鈴音は往きは木屋町通りを歩き、レッドサーティーンアイスクリームでホールケーキタイプのアイスクリームを受け取ってから河原町通りを歩いて帰ることにした。
発泡スチロールのケースには多めにドライアイスを入れてもらう。
広田さんの到着がいつになるかわからないからだ。
広田さんには吉良さんからそれとなく連絡して「スモーク」を訪れるように仕向けるようだ。
広田さんは自分が不倫をしていたので同情の余地はないと言って良い。しかし、鈴音は不倫相手の朱美さんと別れる決断をして打ちひしがれていた広田さんを思い出し、彼が奥さんと仲治りできればいいなと思う。
「スモーク」に戻ってみると丁度、尚子さんとお子さん二人がお店の前に到着したところだった。
「いらっしゃいませ。どうぞお店の中に入ってください。階段が急だから気を付けてくださいね」
尚子さんに手をひかれた子供二人を気遣うと、尚子さんは軽く会釈した。
小学校入学前、いわゆる年長組くらいの女の子と3歳くらいの男の子がちょっと怖そうな顔で鈴音を見上げている。
鈴音がしゃがみ込んでこんにちはと声をかけると、女の子がこんにちはと挨拶を返す。
男の子は尚子さんの手を握ってスカートにくっついている。
「今日は無理を言ってすいませんね」
「いいえ、お気になさらずに」
尚子さんは男の子を抱えて階段を降り始め、女の子には「階段に気をつけなさい」と声をかける。
鈴音は女の子の手を引いて階段を降りることにした。
手を握ると女の子ははにかんだような笑顔を鈴音に向ける。
小さな手の暖かくてやわらかい感触を感じて、子供ってかわいいなあと鈴音は思う。
店内に入ると、鈴音は3人を予約席に案内し、マスターはさっそくサンドイッチの類を並べ始めた。
「あ、食べ物は主人が来てからでいいですから」
尚子さんは、慌てたようにマスターに声をかけた。
「わかりました」
マスターは料理を並べていた手を止めて、言われた通りに回収を始めた。
その後、別のお客さんが来たので、マスターと鈴音はそちらの対応に追われていたが、広田さん母子はじっとテーブルで待っている。
鈴音は小さい子達がお行儀よくして偉いなあと感心する反面、ちょっと可哀想な気がする。
子供たちに何か出してあげたいが、尚子さんは固い表情で座ったままだ。
「マスター、広田さんの奥さん何だか顔色悪くないですか」
「そうですよ。旦那にサプライズパーティーを仕掛けているにしては、なんか雰囲気暗いですよね」
鈴音とマスターがひそひそ話をしているときに、入り口のドアベルが鳴り、広田さんご本人が現れた。
鈴音の目の隅で尚子さんがハンドバッグを手にして立ち上がったのが見えた。
マスターは何故か護身用のさすまたに手を伸ばして広田家の様子を窺っている。
広田さんは今日も一人で、何気なくカウンター席に向かおうとして、尚子さんと子供たちの姿を認めて凝固した。
「尚子、どうしたんだこんなところで」
尚子さんが口を開こうとしたときに、子供たちが声をそろえて言った。
「お父さんお誕生日おめでとう」
「誕生日?僕のためにわざわざこんな席を準備してくれたのか」
広田さんの顔に嬉しそうな表情が広がっていった。
尚子さんは何か言いかけていた口を閉じると黙ってうなずいて椅子に座る。
その後は子供2人を中心に和やかな団欒が始まった。
多少子供の声が大きくても雰囲気を察した他のお客さん達は笑顔こそ浮かべるが、文句を言う人はいない。
広田さん一家は小さな子供もいるのでそう長居するわけでもなく、夫妻がカクテルを飲む間には子供たちが「ミックスジュス」を飲み、最後にアイスクリームのバースデイケーキを食べて、和やかに帰っていった。
「広田さんこれで奥さんと仲直りできたらいいですね」
鈴音はうまく事が運んだと素直に喜んでいたが、その横でマスターはぼそっとつぶやいた。
「そうなればいいんですけどね」
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