凡《なみ》の継承者《アウグストゥス》
ゆずりは
プロローグ
第1話
例えば、の話だけれど。
脱衣所に男物のパンツ・・・まあ、トランクスあたりが落ちていたとしよう。
基本、見向きもしないし、何なら多少の嫌悪感すら抱くのが普通ってものだ。
単純に汚い。さっきまでおっさんか誰かが履いていたまだ生温い股間保護シールドなんて、見るに堪えない。
しかしどうだろう。そこに『JK(本物)』みたいなネームタグが付いていたら、たとえトランクスであっても軽く二度見くらいはしてしまうものだ。
結局物の先入観ってやつは、時に物体そのものの役割を超えてでも受け取り手に新たな選択肢を与えていくものなのだ。
つまり”そんな目的じゃない”ものが”そういう風に見える”みたいな。
妖艶な相貌をしたマダムが流し目がちに「ウインナー食べたい」って言ったらどっちの意味か分からなくなるみたいな。いや別に何がどうとかってわけじゃないけれども。
でもまあ、そんなところ。人間として生きてきて、こんな事人生に数多とは言わずとも、二三度は経験があるはずなんだ。
「であるからして、クローズとオープンを見間違えた・・・なんて些末な事は置いとかないか」
「黙れよ変態」
妹の着替え中に下半身をやや露出させながら鼻歌交じりに脱衣所に入る事くらい人生に二三度・・・いや無いか。
* * / * *
現在18歳高校三年生の秋。と言っても、木枯らしが耳を赤くさせるくらいには冷え切った頃。
将来どうするかの見積りや道程はそろそろ定まっててもおかしくない年齢で時期。
大学に行くことは決まった。
そんな程度の浅はかな将来がようやっと今しがた決まった所だった。
小学から一緒だった山本ってやつは弁護士になりたくて東京の大学に行って司法試験とやらの勉強をするらしい。
幼馴染の飯田は看護学校に行って看護師の資格を取るって言ってたっけ。
平々凡々と生きてきた俺はどうやら、努力ってものを知らないらしい。
背は178と割と高めで運動はそこそこ。勉強も往々にして平凡。顔も悪くないから別段悩みもしないが驕るほどの物でもない。
彼女は過去に二人。経験は一回。
バイトは飲食で2年。
そんな程度の、”面白くない”人間が
唯一面白味を挙げるなら山城城って書く名前くらいなものだ。あだ名は当然の様に『やましろしろ』だった。城が二つでジョーズとかほざいてた女もいたがそいつは5回殺しといた。
寒空の下、夕焼けが薄ぼんやりと街並みに溶けていくのを横目に、右手でマフラーをくいっと引っ張った。
ふう、と白い息一つ。そうして右手をポケットに戻す。
こんな事ならもっと厚手のコートを着てこれば良かったと後悔しながら坂を下った。
「・・・あ」
坂を丁度下った所、友達二人とコンビニから出てくる妹とばったり遭遇。
こっちに気付いた妹は軽く驚いた表情を少しと、それからなんでいんだよと言いたげに睨みを効かせる。
故意じゃないんだから仕方無いだろうて。
僅かな沈黙が続き、妹は観念した様に眉をハの字にして溜息を
「ごめん、お兄ちゃんと帰るから。先帰ってて。じゃあね、また明日」
右手でちっちゃく手を振って、友達が見えなくなった頃。
「・・・何の用?」
呆れたような口ぶりで妹。
こちらに近付く足運びのまま帰路に就く。
「なにも無いが」
「はあ。うざ」
言いながら左手に持ってたレジ袋から肉まんとココアを取り出す妹。
よほど食べたかったのか、俺に見せた顔は嘘の様にご満悦である。
にしても肉まんとココアの食べ合わせの悪そうなこと。
「一口くれたりとか」
「はあ・・・。ん」
「さんきゅー」
上出来。このタケノコのコリコリとした食感がたまらない。
「ちょっと。大きい」
ムスッとしながら四分の一が消滅した肉まんを受け取った妹は、眉を
「痛っ。ええ・・・」
そして軽く肘を出して体をぶつけてくるのだ。
「昨日の分のお返し」
「すみませんでした」
なんだ、肉まんの事じゃ無かったのか。
「ちゃんとクローズにしてたのに。ただ覗きたかっただけなんじゃないの?」
「あー、うん。そう」
「変態」
「俺はお前を女として見てます」
「まじキモい!死ね!」
・・・冗談じゃん。
親の方針もあってか、しっかり『お兄ちゃん』と呼んでくれるのだけれど、妹からしたらそれも苦痛の様だ。かといって名前でも呼びたくないようだけれど。どうしろと?
中学の頃から髪を伸ばしていて、腰まである長い髪が特徴の妹だったが、去年の今頃になぜか突然ショートヘアにしだした。好きだった男にでも振られたんだろうな。南無三。
それも今では鎖骨下胸上くらいまで伸ばしてるようだけど。
「こっちみんな変態」
このちょっと釣った目も特徴だ。俺からすれば十分整った顔立ちをしてると思うが、どうやら妹はこの目にコンプレックスを持ってるらしい。
「そう言えば今日、母さん達は?」
「ママは19時から打ち合わせ。お父さんは知らない」
「あー。じゃあこのままスーパー寄っていくか」
「うん」
うちの家庭は少々小難しい。
母親は地域のアナウンサーをしていて、朝早く家を出たと思えば夜中に帰ってきたり。テレビで顔を見るから、まあ、ちゃんと仕事はしてるんだと思う。
父に関してはもう4か月は見てない。どこをほっつき歩いてるのかは知らんけど、毎月たんまりお金を振り込んでるあたり、まあ、ちゃんと仕事はしてるんだと思う。
どこで稼いだ金かは知らないけれど。
つまり家の事は兄妹で全部してる事になる。
そして、かなり裕福な方でもある。
ただ、親とほぼ会ってない。
「今日は何食おうかな」
「んー、ハンバーグ?」
「・・・お前が作れよ?」
「やだ。お兄ちゃんが作って」
「俺にひき肉を触らせたら麻婆豆腐になるぞ」
「なんでそんなに好きなのかが分からない」
「ハンバーグと麻婆豆腐の具材なんてタマネギかネギかの違いだからなあ」
「調味料も調理工程も何もかも違うから」
とか言う下らない会話をしつつ、スーパーに入って行った。
「ただいま~」
帰宅。
当然誰もいないから家の中は真っ暗。今しがた点けた玄関の灯りのみが唯一の光源だ。
レジ袋をカシャカシャ言わせながらリビングに入って荷物を置き、洗面所で横並びに手を洗う。
妹の背は低い。
こうして横並びになると顕著にそう感じる。
詳しい身長は死んでも言いたくないんだとか。見た感じ、150にも達してない。
「見下すな殺すぞ」
・・・血の気の多い妹なんです。
「爪、なんか塗ったのか?」
「違う。磨いたの」
「ふうん」
* *
「じゃあ、具材は切っとくから。テーブル片づけといて」
「うん」
言いながら腕を
タマネギはまず半分に切ってから、繊維と垂直になるように包丁を入れる。端の数センチはまな板と並行に包丁を入れる。そうしてから繊維と同じ向きで切ると、誰でも簡単に木端微塵に出来る。母親からの受け売りである。
そのほか、しいたけ、にんじんもみじん切りにして、豆腐を握りつぶした。
「はい」
「ん」
妹から牛乳と卵を受け取って、パン粉と一緒にタマネギ以外をボウルにぶち込む。
タマネギが飴色になるまで炒めて、冷えるまで少し放置する。冷えたらボウルにぶち込む。
チルド室からキンキンに冷えたひき肉を取り出して、塩を振ってボウルの具材と混ぜ合わせる。そのほか、白コショウ、クミン、ナツメグなどもぶちまける。
ひき肉に粘り気が出てきたら、空気を抜きつつ形を整えて、ラップをして冷蔵庫に10分放置する。
そしてこれから焼くのだけれど、この先の工程は妹に任せよう。
「美里、あとは任せた」
「うん。野菜室に2Lのコーラ入ってるから」
「おう」
焼く時はハンバーグの中心を少しへこませてあげると均等に火が通りやすい。
しっかり火が通ったかの確認は、竹串を刺した時に出てきた肉汁が透明かどうかで判断できる。肉汁が赤みがかっていたらまだ焼けていないから注意。
妹はわざわざエプロンを付けて、髪を打点高めに結っている。よほど制服を汚したくないようだ。
「あ、付け合わせ作るの忘れてた」
「いいよ。私が適当に作っとくから。お味噌汁いる?」
「いる」
「食い気味に答えないで」
言いながらフライパンにごま油をぶちまけて火をつけた。
「・・・お兄ちゃん」
「何?」
「豆腐取って」
「あー・・・」
味噌汁に使うのだろう豆腐が、冷蔵庫の一番上にあって、どうやら届かないらしい。
「お前背低いのやめろよ」
「がち死ねよ」
「ちょ、包丁は置こうよ」
「ついでにしめじも取って」
「・・・はい」
「いただきます」
「ます」
「・・・うん、うまい。どう?」
「美味しい」
「だろ」
「味噌汁も飲んで」
「・・・めっちゃうまい。嫁に来ないか?」
「ばっかじゃないの」
「まあね」
辛辣な口調とは裏腹に、声は跳ねている。これでも嬉しがっているらしい。
「うーん、なんもやってないな。なんか撮ってるの観るか?」
「昨日のは?」
「あーあれな。あれみるか」
ザッピングもよしなに、昨日録画したバラエティをいれた。
「置いといて。一緒に洗うから。お兄ちゃんは風呂沸かしてきて」
「おう。ありがとう」
食後。
小さい頃に見たファミレスの400gの大俵ハンバーグは絶望的な量に思えてたはずなのに、今こうして同じ量を食ってもまだお腹に余裕がある。成長って恐ろしい。
成長を実感する触媒がハンバーグなんて我ながら可愛らしい。とか思いつつ保温を押した。
ぼけーっとテレビを見てるのもなかなかいいもんだ。頭を空っぽにして思うままに笑うだけ。素敵じゃないか。
・・・まあなんだ、幸せじゃないか。
「な、美里」
「は?」
* * / * *
少し、寂しいと思うことがある。
いや、そんな真剣に考えたりしてる訳じゃないけれど。
妹と二人で、長らく過ごしてきた。
普通ならきっと、親に料理を作ってもらって、洗濯してもらって、面倒をみてもらうんだと思う。
別に責めたい訳じゃない。
妹ともうまくやってる。
ただ、少しだけ。・・・なんかこう、分からないんだけど、ふとそう思ってしまう。
父親とキャッチボールとかするんだろうか。
母親と女同士買い物に行ったりするんだろうか。
本当に、考えても仕方のない事だ。
「おはよ、美里」
「ん、おはよ」
だから、二人なのが当たり前だと思ってた。
「それ、私が食べたくて買ったパンなんだけど」
「・・・まじ?」
当たり前の様に、それを享受していた。
「悪かったって、帰りにまた買ってやるから」
「いいよもう。鍵かけて」
その日は、見る限りの晴天だった。
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