第34話 再会

「オディオ!」


 扉を開くと、彼は目を見開いた。


「……アイファ……」


 言いたいこと、言うべき言葉はいくらでもあったはずなのに。

 あらゆる感情が入り混じって、言葉にならない。

 お互い何も言えなくて、しばらく見つめ合ったままで。

 やがてやっと口を開いたのは、オディオだった。

 彼は優しく、少しだけ泣いてしまいそうな顔で笑って。

 アイファの大好きな声で、語りかける。


「どうしたんだ、こんなところに。……来るの、大変だっただろ?」

「……うん。大変だった。でも、頑張った。オディオに、会いたかったから」 

「……俺も。会いたかったよ、アイファ」


 ――会いたかった。その言葉でとうとう、アイファの目から、我慢していたはずの涙が零れた。


「わ、どうしたんだ、アイファ。やっぱり、怖かったか」

「ち、がう」


 目からぽろぽろと涙を流しながら、アイファは告げる。


「オディオに、会いたかったって言ってもらえて、よかった。会いたくないって言われたら、どうしようって思った」

「馬鹿だな。そんなこと、言うわけないよ」


 オディオはそう言って、ごく自然に、アイファの涙を拭おうと手を伸ばしてしまった。

 けれどその涙に触れる前に、ぴたりと手を止める。


 ――これからはもう、いつだって傍にいて、涙を拭ってやることはできないのだから。


 アイファはもう、自分で涙を拭かなくてはならないのだ。


「オディオ……」


 扉を開けた瞬間は、会えた喜びで気にしていなかったけれど。

 アイファはあらためてオディオを見つめ、不思議そうに小首を傾げる。


「オディオは、たくさん見た目が変わるね」

「ああ」


 今のオディオは、十八歳の姿をしている。

 対するアイファは、五十年前から、ずっと変わらぬ姿のままだ。


「……俺は、人間だからな」

「みゃ? よくワカラナイけど、アイファは、どんなオディオも好き」


 そう言ったあと、アイファははっと、言わなければならない言葉を思い出したように頭を下げた。


「あのね、オディオ。ごめんなさい」

「ん? 何を謝ってるんだ?」

「アイファ、オディオの話、ちゃんと聞かないで、飛んでっちゃったから」


 塔の外にいた頃の、最後のやりとりを思い出し、アイファはぺたんと耳を垂らす。


「……はは、そうだな。おいてかないで、って言ったのはアイファなのに。アイファが俺を置いて行っちゃうなんてさ」

「ご、ごめんなさい」

「いいんだよ」


 オディオはそっと、アイファを抱きしめる。

 ひさしぶりに抱きしめられたら、アイファはなんだかすごく、ドキドキした。


「オディオ、あのね。アイファは、オディオが大好き。これからも、ずっと、オディオといたいの。……だから、こんなところに独りでいないで、一緒におうちに帰ろう?」

「……そうだな、そうできたらよかったな。でも俺は、ここから出られないんだ」

「出られない?」

「ここは、そういう場所なんだよ。与命の塔は、特別な場所なんだ」

「……どうして、オディオがここにいるの? ……アイファがオディオをおいてったから、こんなことになった?」

「違うよ」


 自分のせいなのだろうか、と眉を下げるアイファに、オディオは優しく言い聞かせる。


「アイファ。俺もアイファと一緒にいたいよ。でも、ずっとは無理なんだ。ここに来る前からもう、無理だったんだよ。

 けどそれは、アイファのことが嫌いだからじゃないんだ。今度は、ちゃんと聞いてくれるか?」

「うん」

「アイファには、ちょっと難しいかもしれないけど。アイファがわかるようになるまで、何度でも説明するから。最後まで全部、聞いてくれ。最後まで聞いて、アイファがそれで逃げたかったら、逃げていいから」

「アイファ、逃げない」


 ぎゅっと、アイファはオディオの手を握る。

 二人の手の大きさは、全然違う。

 だけど二人の手には、いつだって同じ色の指輪がある。

 お互いの命を映して輝く、緋色の指輪が。


「俺は人間で、アイファは魔者。そうだよな」

「うん」

「生き物は皆、成長する速度や生きる速度が、違うんだ。アイファの姿はずっと変わらないけど、俺はアイファと一緒にいた五十年間の間で、背が伸びたり、髪の色が変わったり、いろんな変化があっただろう?

 人間は、魔者やエルフより、ずっとずっと早く成長するから。

 ……魔者やエルフよりずっとずっと早く、死んでしまうんだ」


「……死……」


「俺達もこれまで一緒に、魔獣を倒したり、食べるために、魚や鳥を殺したり、してきただろう?」


 アイファは、こっくりと頷く。


「死、アイファにもわかる。アイファだって、オディオと初めて会ったとき、死んじゃいそうだった。でもそれは、高いところから落ちたから。魔獣や、魚や鳥が死ぬのは、オディオの剣や、アイファの魔法で、痛いようにするから」

「そうだ。でもな、ラーフェシュトの人間は、剣や魔法で攻撃されなくても、六十年くらいで死んでしまうんだよ」

「……オディオ、もう六十年過ぎてる!」

「ああ。俺は普通の人間より長生きだけど、それでも、もうあまり時間が残されていなかった。本当はきっと、もう何年かしたら死ぬはずだったんだ」

「やだ……オディオ、死んだら、や! そんなの、アイファも死んじゃう」


 想像しただけで、アイファは泣きそうになる。


「……アイファはきっと、そう言うんだろうなと思っていた。それで、どうしていいのかわからなかった中で、俺はこの塔の真実を知ってしまった。

 与命の塔に入れば、自由を失う代わりに、生きていられる。だから、塔に入ろうと決めた。……俺は、アイファを遺して死にたくなかったんだ。アイファのために……」


 そこでオディオは、首を傾げる。


「……では、ないのかなあ」

「みゃ!?」

「だって、本来は。誰だって、何か不幸がなければ、先に親を亡くすものだ」

「……? オディオはアイファの親じゃない」

「悲しいなあ、親みたいなもんだろ」

「……悲しい? 親みたいなもん、なの?」


 実際、二人に血の繋がりはない。

 オディオはもう、アイファのことを、妹か娘のように思っているけれど。

 アイファにとってオディオはずっと、大好きな男の子だった。

 大好きではあるけれど、父親とは、違う。


「アイファは、俺のことなんて忘れて生きていくのが、本当は正解だったんだと思う。『アイファを悲しませたくないから』なんて、ただの俺のエゴだ」

「よくワカラナイけど……アイファは、『えご』でも、オディオが生きててくれて、嬉しい」

「……そっか」


 アイファがここに来てくれるまで、オディオは気が遠くなるほどの孤独で、何度も心が折れそうになった。

 この真っ白な、窓もない部屋の中。夜の訪れや朝の光を感じることもなく、誰かの声や温もりを感じることもなく、本当に、たった一人で。

 けれど、それでも。


「俺も……またアイファと会えて、嬉しいよ」


 口にした言葉は、偽りのない本心だった。


「アイファも嬉しい……けど、オディオはもうここから、出られない」

「ああ。……今が終わったら、次にアイファに会えるのは、一年後になるな」

「いちねんご」

「ああ。一年後だ」

「明日も、明後日も会えない」

「明後日も、その次も、ずっと会えないよ」


 アイファの耳が、ぺたんと垂れる。


「アイファが、ずっとここにいちゃ、いけない?」

「いけないな。この塔は、そんな甘いものじゃないから。塔のルールを破れば、きっと生きてはいられない」


 塔の階段を上るときは後ろを振り返ってはいけない、というように。

 この塔にかけられた魔法は、呪いのように内部の生物の行動を制限する。


「でも、俺はここにいる。ここでちゃんと、生きてるから」


 オディオはアイファの、ぺたんと垂れた耳をそっと撫で、声を注ぐ。


「だから、お願いだ、アイファ。アイファも、俺に会えなくても、ちゃんと生きていってくれ。……俺はもう、アイファに辛いことや悲しいことがあっても、ずっと傍にいてやることはできない。でも、ずっと、いつだってここから、アイファのことを想っているから」


 掌も、声も、眼差しも。オディオの全てが、アイファの幸せを切に願っている。

 それを受け止め、アイファはオディオの目を見つめ返した。


「オディオが生きててくれるの、嬉しい。……でも、オディオはここで、ずっと独りぼっち……」


 アイファはもう、自分のことよりも、オディオのことを気遣っていた。

 アイファも辛いけれど、それでも、アイファは塔の外で自由でいられる。

 オディオはアイファよりも、ずっと寂しいんじゃないか、と。


「……ねえ、オディオ」

「なんだ?」

「アイファが大きくなれないから、こんなことになった?」

「それも違うよ。……俺は人間で、アイファは魔者だった。それだけのことだ」


 誰が悪かったわけでもない。

 ただ、二人は種族が違った。

 どれだけ、想い合っていても。


「一年後、ここへ来てくれなくたっていいんだ。別の楽しいことや、大切な相手を見つけて、俺のことを忘れるなら、それでいい。……ていうかきっと、そっちのほうがいいんだ。

 アイファが幸せに、生きていてくれたら、それでいいんだよ。

 俺が、傍にいられなくても」


 オディオはほんの少し、嘘をついた。


 本当は、傍にいてやりたかった。

 誰より傍で、見守ってやりたかった。ずっと手を引いてやりたかった。

 けれどもう、この手を離さなければならない。

 アイファのことを、愛しているから。


「アイファ、ずっとここに来る。来年も、その次の年も、その次の年も、ぜったい、来るから」

「ありがとな。……でも、アイファの気が向いたら、たまに遊びに来てくれたら、それでいいんだよ。無理しなくていいからな」

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