第27話 この世界の真実
それからも、アイファは見つからず、自分から家に戻ってくることもなかった。
オディオはずっと、眠れない夜を過ごした。
アイファが泣いていないか考えると気が気ではなくて、少し休もうとベッドに入っても、やはり心配で家の外に飛び出すことも何度となくあった。
唯一、心を支えてくれたのは――五十年前からずっと指にある、指輪だ。
指輪の光は消えることなく、ずっと鮮やかな緋色のまま。
アイファはここにいない。どこにいるかもわからない。
それでも、アイファは生きている。
それだけが、オディオを生かしてくれる希望だった。
心は晴れないけれど、今日はフィーユと約束した日だ。
アイファのことは心配だが、約束を破るわけにはいかない。
オディオは待ち合わせの場へと訪れていた。
「オディオさん、お待たせしました」
やがてやって来たフィーユを目にし、オディオはあらためて不思議な気持ちになる。娘だとわかっていても、姉に瓜二つすぎて。
まだ戸惑いを抱えているオディオの前に、フィーユはとあるものを差し出した。
「これが、母からオディオさんへの手紙です」
もうずっと前に死んだのだと諦めていた、家族からの手紙。
生きている間に再会することは叶わなかったけれど、姉の魂の残滓を目の前にしたように、心が震える。
「人への手紙の中身を見るのは忍びなくて、私も内容は知らないのですが……。母は亡くなる前までずっと、オディオさんと再会できなかったことを、悔やんでいたので。せめてこれだけでも、渡せてよかった……」
オディオはその手紙を受け取り、中の便箋を開く。
白い便箋には、確かに見覚えのある姉の筆跡で、文字が綴られていた。
『愛しい弟、オディオへ。
私には、あなたが今どこでどうしているのか、生きているのかさえ、わかりません。
けれど、あなたは心が強く、勇敢で、優しい子だったから。きっと生きているはずだという一縷の望みと――何より、生きていてほしいという願いを込めて、この手紙を遺します。
……まず、何から話せばいいのでしょうね。きっとオディオは私を、死んだと思っていたのでしょう。だけど、私は生きていました。
あなたは思い出したくもないかもしれませんが、私達がいた、あの研究所。あそこに、研究者の他にもう一人、『助手』と名乗る男がいたでしょう。
彼が、私を攫ってくれたのです。
助手は、王都の大学で魔法の勉強をしていたことから研究者に見込まれ、大金で雇われていた男でした。
彼は研究者の目的に賛同し、最初は非道な実験も仕方ないものと考えていたそうです。
何かを得るためには、何かを犠牲にする必要がある。自分達の目的を達成するためなら、私達から恨まれることは仕方がないと――
助手は幼い頃に親から暴力を受けていて、そのとき心を壊してしまっていたのです。
けれど、彼は言いました。毎日、酷い実験にあっても弟や妹を守ろうとする私を見て、もしかして、人間も捨てたものではないのかもしれないと――そう、思ったそうです。
いつしか彼は、私を助けたいと思ってくれたのだと。
そののち、私は研究者の魔法実験の副作用として、記憶を失ってしまいました。オディオ、あなたのことが誰なのかも、わからなくなるほどに。
助手はそんな私を見て、耐えかねたそうです。
彼は研究者の目を盗んで、私を連れ、研究所から逃げ出しました』
オディオはそこまで読んで、あの研究者のことを思い出す。
研究者は姉のことを「処分」したと言っていた。思えば同じタイミングで、助手もいなくなっていた。
そのときはもうオディオの精神が擦り減っていて、姉のことはともかく、助手のことまで気にする余裕はなかったが。
おそらく研究者は、姉と助手に「逃げられた」と言うことが屈辱だったのではないか。
あるいはオディオに、「ここから逃げることができるんだ」と思わせたくなかったのかもしれない。
だからあえて「処分」という言い方をしたのだ。
オディオを絶望で支配し、反抗心を起こさないために。
『研究所から逃れられた私は、助手によって、異国の病院に入院させられました。
けれど私は記憶を失ったままで。自分が誰かもよくわからず、毎日ベッドの上でぼんやりと天井を眺めていました。
恐ろしい実験に怯えずにすむ、平穏な日々の中。たっぷりの休養によって、私は少しずつ心と身体に健康を取り戻していきました。
私は、毎日お見舞いに来てくれた助手に、恋をしてしまいました。
けれど彼は戸惑い、「私は君が好きだが、君の想いを受け入れるわけにはいかない」と、私を拒みました。「君が記憶を失う前、私は君が酷いことをされているのを、見殺しにしてきた。君が忘れているだけで、私は君に愛されていい男ではない」と。
私は、記憶を取り戻したいと思いました。彼の言う通り、私は自分の過去を何も覚えておらず、自分がどういう経緯で病院にいるのかすら、わからなかったから。
だけど彼は、思い出さないほうがいいと言いました。
君はあまりに恐ろしい目に遭い続けてきた、記憶を取り戻せば心を壊してしまうかもしれない、と。
悩みました。心が壊れるほど恐ろしいことを思い出すなんて、怖いに決まっています。
けれど思い出せなければ、私は永遠に、自分が何者なのか知ることができません。
そもそも記憶を取り戻す方法もわからず――結局、助手である彼は私に資金を援助し、一人で暮らせるように住む場所や生きていく上での知識を授けたあと、私に別れを告げました。……それから、彼とは二度と会うことはありませんでした。
月日を重ね、私は生まれ育った村からごく遠い国で機織りの仕事をしながら、その国で出会った男性と恋に落ちました。
彼と夫婦になり、娘が生まれ、過去を思い出せないままでも、幸せに生きていました。
けれどある日――私が、魔獣に襲われてひどい怪我を負ってしまったときのことです。
夫が私を案じて、行商人から、どんな怪我でも治るという貴重な治療薬を買い、飲ませてくれました。
その薬が、かつて実験で魔法薬を毎日浴びるほど飲まされていた私の身体と、なんらかの反応を起こしたのでしょうか。
――そのときのことを、どう言葉で表していいのか、わかりません。
ずっと頭を覆っていた分厚い霧が、さあっと晴れたように。そしてその晴れた頭に、冷たい液体を滝のごとく注ぎ込まれるように――
忘れていたはずの記憶が、戻ってきたのです。
いいえ。記憶だけではありません。
忘れていたことどころか、「知らなかったこと」「本来知るはずのないこと」まで、私の頭に流れ込んできました。
……それは世界の真実。
簡単には信じられないでしょう。何を言っているんだ、と笑われてしまうかもしれません。
しかし、研究者の実験は、全てこのためにあったのだと。私は確信しました。
私は悩み、苦しみ、戸惑いました。
あんなに恐ろしい実験の日々を思い出しただけでも辛いのに、その上、この世界の秘密まで背負わされて。
たまらず嘔吐し、滂沱し、何日も眠れぬ夜を過ごしました。
いっそ、ずっと忘れていたほうが楽だったと。もう一度記憶を消してしまいたいとすら、思いました。
だけど、私は。
記憶を取り戻したおかげで、あなたのことを、思い出せました。
とても大切な、私の家族、オディオ。
あなたは今も、どこかで生きていると信じて。私はこれを伝えます。
なぜ、私達があんな目に遭わなければならなかったのか。
この世界の真実とは、何なのか』
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