第20話 絶望

 それからアイファは、傷だらけのまま、お腹を減らし、へろへろになって。

 それでも、貰った葉だけは大事に守り、家に戻った。

 空はもうすっかり暗い。今日は雲に覆われて星も見えず、夜闇が辺りを包んでいる。


「アイファ!」


 ぱたぱたと翼を羽ばたかせ地上へ降りてゆくと、家の前ではオディオが待っていた。


「オディオ!」

「どこに行ってたんだ! 心配したんだぞ」

「ごめんなさい」

「謝ってほしいわけじゃないんだ。一人で大丈夫だったのか?」

「だいじょぶ!」

「でも、怪我してるじゃないか。一体何が……」

「オディオ、オディオ! あのね、これ」


 アイファが、夜闇の中でも淡い輝きを放つ葉を差し出す。


「これは?」

「これね、万能治療薬の材料なんだって」

「治療薬……?」

「うん! これでお薬を作れば、オディオの火傷、治るよ」

「…………」

「あのね、アイファはオディオに火傷があっても、オディオはかっこいいと思う。でもオディオはいつも、火傷、隠してるでしょ」


 フードの下の両目で、オディオはアイファを見つめる。


「もうオディオは、ずっとそれ着てなくていいんだよ。これからはいろんな服着れるよ。泉で一緒に水浴びもできるよ。アイファはね、海って場所にも行ってみたいな。オディオと一緒に泳ぎたい。それからね、今日行った場所も、お花がいっぱいでとっても綺麗だったの。いつか、オディオと一緒に行きたいな」


 アイファの目は、夜の星よりも、きらきらと輝いている。

 未来への、希望に満ちた目だ。

 ――けれど、そんなアイファを見るオディオは。

 彼女と同じ輝く瞳を、していなかった。


「そのために……そんな、傷だらけになって……?」

「ん。でもねでもね、オディオ。アイファ、頑張れたの。オディオのこと考えたから、頑張れた」


 アイファは、自分の冒険を誇らしく語るように――オディオに頭を撫でて、褒めてほしいというように。どこまでも明るく話す。


「アイファね、この葉っぱの、精霊さんと会ったの」

「え……精霊に?」

「うん! 精霊さん、アイファに攻撃してきた。アイファ、最初は怖かったの。でも、オディオのこと考えたら……逃げたくないって、精霊さんと向き合いたいって思ったの。

 身体中のね、魔力を集めて、塊にしたんだよ。でも、それを精霊さんにぶつけなかった。それで、戦いたくなんてないんだよって、精霊さんにわかってもらえたの!」

「そうか……アイファは、一人で頑張れたんだな」

「一人じゃないよ、オディオのこと考えたから頑張れたんだよ!」

「……それでも、精霊とわかり合えたのは、アイファの力だよ。……アイファは……本当は、弱くなんて、ないもんな……」

「ぜんぶぜんぶ、オディオのおかげだよ。アイファはどうしても、オディオにこれを渡したかったの!」


 二人の手の間で、夜に架かる虹のように、七色の葉が輝く。


「これからはオディオ、顔を出して歩ける。……でもオディオはかっこいいから、他のみんながオディオのこと大好きになっちゃわないか、ちょっと心配。あのねあのね、みんながオディオのこと好きでもね、それでもね」


 アイファはちょっぴり恥ずかしがりながら、とっておきの秘密を告げるように、こそっとオディオの耳に囁きかける。


「アイファが一番、オディオのこと、大好き」


 顔にも身体にも、たくさん傷がついているのに。アイファは青空の中の太陽みたいに、オディオの心の奥底まで照らすように、にこにこと笑っている。


「これからも、ずっとずっと、ずーっと一緒にいてね!」

「……アイファ……」


 名前を呼ぶ声は、かすかに震えていた。

 オディオはアイファの小さな身体を、そっと包み込む。


「みゃ?」


 アイファの耳が、不思議そうにぴょこっと動く。


「オディオ、どうしたの? 泣いてるの?」

「アイファ。あのな……大事な話を、しないといけないんだ」

「……大事な話?」


 オディオの声は、まるで何か悲しいことを語るみたいで。

 アイファは思わず、ぺたんと耳を伏せてしまいたくなった。



「俺……この先、アイファと一緒に、いられない」



 ――それはアイファにとって、ついさっきまでよく晴れていたのに、急に雨と雷が落ちてきたような、そんな衝撃だった。


「オディオは前、ずっと一緒にいてくれるってゆった!」

「……うん、そうだな。約束、したのに」

「そんなのやだ、アイファは、オディオがいないと生きていけないの!」


 オディオはアイファをぎゅっと抱きしめた後、それがいけないことであるかのように、そっと身体を離す。


「ごめんな、アイファ」


 身体の内側から、希望の灯が消えてゆく。絶望の波がアイファの心に押し寄せる。

 そしてアイファの頭に、オディオが背を見送った、あの人間の女性のことが過った。


「……やっぱり、人間のほうがよくなったんだ」


 アイファは、魔者だから。だからもう、いらなくなったんだ。

 いつもそうだ。いつも、いつも、いつも。

 魔者だという理由で、皆がアイファを嫌悪し、拒絶する。

 それでもオディオだけは違うと思っていたのに、やっぱり、こうなるんだ。

 アイファの大きな瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれる。


「わあああん!」

「アイファ……」

「オディオの嘘つき!」


 アイファは翼をひろげ、暗い夜空へと飛び立つ。

 オディオとずっと一緒にいたい気持ちは本物なのに、今はとにかく、逃げ出してしまいたかった。オディオが地上から何か言っていたみたいだけど、聞きたくなかった。これ以上オディオの口から「一緒にいられない」という言葉を聞いたら、心が張り裂けてしまいそうだったから。

 アイファは行き場もなく、ただひたすらに翼を動かした。

 精霊の領域からここまで帰ってくるので、既に体力は限界だったのに。それでも、何も考えたくなくて、嫌な思考を消し去るように飛び続ける。

 飛んで、飛んで、飛んで。やがて疲れ果て、森の中の、木の枝の上に座り込む。

空気の冷たさを感じふるりと震えていたら、いつの間にか雪が降り出していたことに気付く。


 寒い。真っ暗で怖い。

 独りは、寂しい。

 オディオのいる家に帰りたい――

 だけど、帰ってどうなるというのだろう。

 帰ってまた「もう一緒にいられない」と言われるのは、とても怖い。


 ――アイファはもう、どこへも行けない。


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