あいしてるよ、ずっと
木曜日御前
ずっと、いっしょだよ
第1話 偶像に愛を
今、僕は視界に映る光景に、心の底から安堵してしまった。
それは、吹きすさぶ夜の風をよりも、冷たい、安堵だった。
深夜一時。
五階のベランダ、柵からのぞき込んだマンション前の地面には、何か白いものが落ちていた。微かな街頭がその白いものを照らし、地面を染める液体を流しているのが見えた。
手に届きやすいピンク色のブランドリュックに、黒とピンクの髪。同じ色合いの服。
彼女の鞄に付いているネームキーホルダーには、「みるく」と記載されているだろう。
赤く染まりぐちゃぐちゃになっているはずなのに、その一つ一つはよく知っているものばかり。
この全てが
現実から逃げるように、ベランダから後ずさり、背中から転がるように自室の中へと入る。部屋の中は、酷く暗く、静寂を保っている。
そんな部屋の中で、ゆっくりと顔を上げる。自然と視線が向けられた先。そこには、大きなポスターに王子様の格好をした自分。銀色に染めたふわふわとした髪、王子と言われるだけの整った顔、きらきらとした笑顔。ポスターにいる彼の視線は、
しがない新人アイドルという小さな肩書きしか無いフリーター。
そして、今頭にこびりついて離れない、あの白い肉塊は、僕のファンである。
◇◇◇
アイドル。
偶像という意味も持つその職業は、この世界において、最も人間の愛で生きている職業だろう。
いや、ファンの愛で生かされている、のが正しいのかもしれない。
ステージの上で歌い踊り、ファンを愛し、ファンに愛された存在。
テレビでは音楽番組、ドラマ、バラエティにマルチに活躍し、常に引っ張りだこ。愛される役目として扱われ、このアイドルという肩書きに助けられる。
最強無敵。
誰よりも天高く飛び、輝きを放つ一番星。
そう思う人も多いだろう。
僕だって、テレビの前で見ていただけの時は、同じことを思っていた。
けれど、実際に天高く飛べるのは、選ばれたごく一部のアイドルだけ。例えるなら、砂の中で砂金を見つけるくらいの確率だろう。
ほとんどのアイドルを目指す人達は、地上に出ることすら叶わない。
外の光の届かないコンクリートの下。狭く汚いライブ会場に、夢のために、懐と人生をすり減らしながら、ステージに立つのだ。
今の僕は、様々なものをすり減らしている側だ。
ベランダの遥か下にある血溜まりを見たあの日も、僕はいつもと変わらず、汚い地下のステージでアイドルライブをしていた。
二百人ほどで埋まるような観客席。壊れかけた照明が照らす薄暗いステージの上で、僕を含む三人のアイドルは歌い踊る。
「今日は僕たち、プリンス☆トリガーのワンマンライブに来てくれてありがとうございます~! 最後まで楽しんでってください~!」
半分しか埋まっていないフロア、床のほとんどが見えており、自分たちの集客力のなさに悲しくなってくる。
プリンス☆トリガーという、ダサさが隠しきれない名前。明らかにやる気のない他のメンバー二人は、だるそうに名前を言って挨拶を終えるだけ。
僕は理想のアイドルを思い浮かべて、めいいっぱい元気にステージで、音楽に合わせて歌い踊る。なんだか安っぽい量産型の音楽でも、それは数少ない僕たちの曲だ。
「皆の王子様になりたい~キラキラ光る王子様~!」
何とも使い古されて、誰も使わないダサい歌詞を歌いながら、僕は客席を見渡す。
掛け声や、歓声をくれる熱心なファン。
ペンライトを握り棒立ちするファン。
近い距離なのに双眼鏡で推しだけを見るファン。
そして、僕たちを見ることも無く携帯をいじる人、友達と話す人。
普通ならば、心折れる光景だろう。
しかし、どんな人にも分け隔てなくて、笑顔を向ける。ハートを投げたり、手を振ったり、必死にアピールして、一人でも多くの人に僕のことを見てもらう。
「皆の王子様になりたい末っ子、花枝梨雨です!」
これが、
そして、そんな僕のガワを好きになってくれた大変有り難い人達の
ライブが終わって、お客と共に移動する先は会議室のような部屋。
いくつかパーティションで区切られた中、僕はブースに入ってきたファンと対峙する。
「リウくん、
差し出された手には、扇形広げられた緑色の券。紙には握手券と書かれている。派手な化粧に露出度高めの服、ブランド物に包まれた彼女は、いつも僕に迫ってくる。
「ふふっ、僕はファン皆の恋人だからね、アヤネさんの恋人でもあるよ」
「もう! でも、好き! また、回ってくるね!」
彼女の恋人になろう攻撃を躱し、スタッフに押し出された彼女。あの手に持った枚数分ぐるぐる回るのはいつものことだ。握手券は基本的十五秒ほどのため、ベルトコンベアのようにファンたちが入ってきては出されるのを繰り返す。
「リウくん、仕事頑張ってきたよ! よしよしして!」
「勿論、美咲さんのためならなんなりと」
僕を本当に最初から応援してくれているファン。甘えてくる彼女の頭をぽんぽんと撫でる。
「ありがとう、握手券一枚しか当たらなかったけど、元気出てきたよ。じゃあね」
スタッフから押し出される前に、彼女はさらりと出て行く。昔からスタッフに迷惑をかけないため、後ろのスタッフも彼女の時はお任せしているほどだ。
ただ、こんな優等生で可愛いファンなんてごく一部。
「リウくん、なんで、私以外の女に優しくするの!」
キンッとした声が辺りに響く。明らかなヤバさを感じたのだろう、外のざわつきも一瞬にして消えた。
「お、落ち着いて、みるくさん」
「握手券ごときで抽選ってなによ!?」
「そ、それは」
ピンク色の髪振り乱した彼女は、ブースに入るやいなや、今にも掴み掛かりそうな勢いで僕に詰め寄る。
「チェキ券もサイン券もムービー券もないし!」
「お客様。それ以上、暴れたら追い出しますよ」
「触んな! 一枚しか当たらないし! くそ運営!」
押し出そうとしたスタッフを振り払い、みるくは怒り狂う。彼女の着ている白くてふわふわな服に似合わない、般若の形相で暴れ続ける。どうにかして彼女を宥めようと言葉をかけながら、握手をしようと手を伸ばす。
「ATM扱いすんのもいい加減にしろ!」
パンッ。
なんともいい音が響き渡る。叩き落とされた手は、一瞬にして熱を持つ。痛い、顔は少し歪むが、それでもどうにか笑顔を保つ。暴れるみるくは運営によって、外に追い出されるが、自分の手の赤みがそこで引くわけではない。
「リウくん、手、大丈夫?」
「大丈夫、心配させてごめんね」
どんなに痛くても、怖くても、逃げたくても、ファンがいる前では仮面を被る。
だって、目の前にいる人達の愛で、僕は生かされているから。少しでもいやな思いをさせてはいけない。
彼女たちが握る紙切れ、それは売れないアイドル崩れの僕たちが生きていられる一番の理由。
握手券などを含むあらゆる
規定金額以上買うと
まさに、愛をお金に換える行為である。
この特典券の内容に沿って、僕たちはファンたちへと愛を返す。
人間の同士の握手なんて、値段付けるようなものだが、そこに愛を介すことでまやかしにする。
しかし、愛を金に変えたとき、そこには少なからず歪みが生まれる。
先程の暴れていた彼女もまた、大きな歪みに飲まれただけだ。
握手に、いくらの価値があるのか。
彼女たちが身銭を切るほどなのか。
心の中で浮かぶ疑問に、僕は気付かないふりをして、次のファンを笑顔で迎え入れることしかできない。
それが、売れないアイドルの宿命なのだ。
しかし、「みるく」が死んだ理由が僕のせいならば。
僕が見た彼女の
◇◇◇
自宅前のマンションで「みるく」が、死体で発見されてから二日後。
「お疲れさまです」
疲れ切った顔の僕は、中目黒にある事務所のダンススタジオに来ていた。夕方になり、外は暗くなり始めていた。
ダンススタジオの中には、ガラス張りの前で一人の男が踊っていた。手足の指先、頭のてっぺんだけでは無く、髪の一本一本まで血が通っているかの如き動き。寸分の狂いも許さないリズム感であり、動きの一つ一つに厚みがある。
彼の視線だけでも、この曲のなんたるかを示す。
また、彼によく似合う綺麗に染められた黄緑髪は、照明に当たり、きらきらと輝いていた。
「何見蕩れてんだ、寝ぼすけ。おせぇぞ」
音に合わせてくるりと回り、僕の方を見た彼は、にやりと笑う。少しばかりがっしりと筋肉がつけられた体躯に、男前という言葉がよく似合う顔つき。
前に動物で例えるならという顔診断アプリをしたときに、僕は鹿顔という結果に対して、彼は
彼の名前は、
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