一緒にお茶を飲まないか



 契約結婚をして35日目。



 シャルロッテは、次兄イグナートから渡されたアラマキフィリスの特効薬を、全て飲み終えていた。



 効果は、と聞かれれば、まだ実感していないというのが正直なところだ。


 ただ、爪の色の変化はここ2週間ほど変化していないような気がする。


 薬を飲み始めた頃にはうっすらと水色になっていた左手中指の爪は、それ以上青味を増す事なくずっと薄い水色のままだ。


 気のせいかもしれないし、願望がそう思わせているのかもしれない。


 けれど気がつけば、いつの間にかじっと手元を見つめる癖がついてしまった。


 見つめて結果が変わる訳もなく、余計に考え込んでは溜め息を吐くだけなのに、気づけば視線が手元に向いてしまうのだ。


 その様子をたまたまダリアを含む使用人たちが見かけて、心配した彼女たちからオスカーに報告が行って、密かにオスカーが心配しているなどという事を、もちろんシャルロッテは知らないのだけれど。




 

 さて、シャルロッテはイグナートから服用後の経過について聞いていた。



 まず、薬の服用期間の後半になると爪の変色が止まる。それは薬が効き始めた証拠。


 薬をひと月飲み終えてから少し経つと、徐々に爪が元の色に戻っていく。

 病気が進行する時と逆の現象が起こるのだ。順番も逆で左手から右手の親指にかけてゆっくりと色が戻っていく。



 だからもし。



 もし薬が効いたなら―――



 あともう少ししたら、シャルロッテの指の爪は一本ずつ色が戻っていく筈で。



 でも、それが本当に自分の身に起きるのか不安でまだ信じきれなくて、毎日毎日、気がつけば白い手袋をはめた自分の手をじっと見つめてしまう。



 だって、もし水色のまま変色が止まっているのが気のせいだったら。


 次の日の朝に起きてみて爪が青くなっていたら。



 アラマキフィリスに罹ったと初めて聞いた時と同じ、いやそれ以上の衝撃を受けてしまいそうで怖いのだ。




 ―――薬が見つかった事をオスカーさまには黙ったままにして、後は死んだフリをするつもりでいるくせに、本当に死ぬのは怖いだなんて。



 シャルロッテは、手袋の白を見つめながら、きゅっと眉根を寄せる。



 ―――でも、一度希望を持ってしまったら、薬が効かなかった時の事が怖くて不安で仕方がない。




 あの時ちゃんと死を覚悟したつもりでいたのに情けない―――




 悪い方に思考が向かい始めたその時、シャルロッテがいる部屋の扉をノックする音がした。



「・・・? はい?」



 侍女のアニーはちょうど部屋を出ていてここにおらず、シャルロッテひとりだけ。



 俯いていた顔を上げ、怪訝そうにシャルロッテが返事をすれば、静かに扉が開き、顔を出したのはアニーとダリアと・・・



「オスカーさま・・・?」


「一緒にお茶を飲まないか」



 ティーセットなどを乗せたワゴンを押しているのはアニー。一緒に入って来たダリアは、てきぱきとテーブルの準備をし始めた。



 オスカーは優雅な動きでシャルロッテの向かい側に座ると、ちらりとワゴンに視線を向けた。



「うちの使用人にケーキを買いに行かせたんだ」



 オスカーの視線の先を辿れば、ティーセットの奥、皿の上に置かれたケーキが目に入った。


 フルーツがたっぷりのった色鮮やかなケーキに、あ、とシャルロッテの口から声が溢れた。



 ―――オスカーさまと一緒に食べた街のカフェのケーキ・・・?



 見た目も綺麗で、味も爽やかな甘さで、シャルロッテがひと口食べで美味しいと騒いだケーキが、ワゴンの上にのっていた。



「君は特にこれを気に入っていただろう。ホールで買ったから、好きなだけ食べるといい」



 オスカーのその言葉に合わせるように、シャルロッテの前にケーキをのせた皿が置かれた。もちろん最初からホールではなく、一切れサイズに切り分けたものである。



「嬉しいです。ありがとうございます、オスカーさま!」



 ケーキの威力かオスカーの魅力か、はたまたその両方か、悶々としていた気分は一瞬で吹き飛び、シャルロッテは満面の笑みを浮かべた。



 そんなシャルロッテに、オスカーもまた安心したように微笑を浮かべ、ティーカップに手を伸ばした。



 食事は(特に朝食は)これまで何回も一緒に取っているけれど、屋敷で一緒にお茶をするのはこれが初めてだ。



 オスカーの気遣いに感謝しつつ、シャルロッテはいそいそとケーキを食べ始め―――




「・・・あら?」



 ある事に気づいた。



「どうした? 味が変か?」


「いえ、そうではなく・・・オスカーさまは召し上がらないのですか?」


「・・・え?」



 そうなのだ。


 ケーキはホールで用意されているのに、食べているのはシャルロッテだけ。

 オスカーの前には、ティーカップしかない。


 これは問題だ。シャルロッテは知っている、オスカーはシャルロッテとケーキを半分こして食べるくらい甘いものが好きなのに。



 だがオスカーは、彼にもケーキを出すよう指示をしようとしたシャルロッテを、慌てて制止した。



「お、俺は今日はいい。腹がいっぱいなんだ」



 そう言ったオスカーは、ただお茶だけを飲んで、ケーキを堪能するシャルロッテを静かに見守っていた。


 そしてなんと、そのまま夕食もシャルロッテと一緒に食事をしたのだ。




 ―――そんな事があった4日後。


 いい事は立て続けに起きるものなのか。


 シャルロッテの左手の中指の爪からは薄水色はほぼ消え、淡い、本当に淡いピンク色へと変わっていた。








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