まだ気づいていない
胃がもたれたオスカーは、その日夕方以降は執務だけをして食事を抜き、胃薬を飲んで就寝した。
翌朝、側近のレナートがベッドから起き上がった主人の顔を心配そうに覗き込む。
「調子はどうです? まだ胃がもたれる感じはありますか?」
「いや・・・だいぶいいようだ。朝食はいつも通り用意するように言ってくれ。一緒に取ると、彼女とも約束しているしな」
レナートの手により身支度を整えられながら、オスカーは「そういえば」と口を開いた。
「昨夜のシャルロッテの様子についてダリアから報告はあったか?」
「はい。旦那さまとのお出かけがよほど楽しかったみたいですよ。とても嬉しそうにしておられたとか」
「そうか」
憂いが少しでも晴れたならよかったと考えながら、オスカーは相槌を打った。
実は、契約結婚の実情を知る数少ない使用人である侍従長ダリアから、何度か気になる報告を受けていたのだ。
昨日、予定をやりくりしてシャルロッテとの時間を取ったのもその為だ。
このひと月、オスカーは実に多忙だった。
急に決まった結婚、及びそれにまつわる諸々の手続きを通常の予定に無理やり入れ込んだ為、マンスフィールド公爵としての本来の執務が暫し滞ってしまったせいだ。
結果、結婚式の翌日から執務、執務、執務の毎日が続いた。
朝食は一緒に取るという約束はなんとか守ったものの、それ以外でシャルロッテの為に時間を取る事は難しかった。
新婚早々放置に近い形になってしまったが、朝に会うシャルロッテはそんなオスカーに対して不満を口にする事も顔に出す事もなかったのだが―――
最初にダリアから報告があったのは、結婚して2週間ほど経った頃。
『手元を眺めては溜め息を吐かれる様子をよく見かけます』
『ぼんやりされる事が多くなりました』
これが、ダリアや他の使用人たちの目の前でシャルロッテが取った行動なら、オスカーは警戒、あるいは無視しただろう。
長年、未婚既婚を問わず数多の女性にしつこく付き纏われた経験のあるオスカーは、他人の同情や憐れみを買うやり方で男性の関心を引く女性が多い事を知っている。
だから、最初に報告を聞いた時、一瞬『彼女もそのタイプか』と思いかけた。
だがダリアの説明をよく聞けば、扉の隙間からちらっと見えたとか、掃除などの指示をしていて窓越しに見かけたとか、『見せる』為の演技とは違うように感じた。
そして、ダリアが言った『手袋を眺めて』という言葉。
そこから連想したのは、シャルロッテの病アラマキフィリス。
つまり、シャルロッテは自身の病関連で何か悩んでいるという事だ。
アラマキフィリスでオスカーがしてやれる事はない。あれはただ刻一刻と死が迫るのを待つしかない病気だ。
いくらシャルロッテが前向きな性格をしているといえど、落ち込んでも仕方のない状況で―――
と、そこまで考えて。
―――いや、待て。
オスカーは気がついた。
ひとつ、自分でも出来る事がある。
いや、自分だからこそ出来る事が。
残り1年を切った余命のうち、その半年を共に過ごしたいと思う程に好きだと言う
―――若い女性なら、店に連れて行ってドレスや宝石を買ってやると喜ぶだろうか? いや、それとも花を・・・
『・・・半日でいい。シャルロッテと過ごす時間を作ろうと思うのだが』
気がつけば、レナートにそう相談していた。
結果、だいぶ無理をして溜まった執務を処理し終えて作った半日の休日。
それでシャルロッテが望んだのは、何を強請る訳でもない商店街の散策とカフェでのお茶。
けれど、じきに気づいた。
オスカーの縁談よけの役目を果たそうとして、2人の姿をなるべく人目につかせようとしている事に。
―――まあ、それで少々調子に乗って、うっかりケーキを全種類頼んでしまったのは失敗だったが。
シャルロッテが喜んでくれたのなら、それでいい。少しでも憂いが晴れたのなら。
ダイニングへと向かいながら、オスカーはそんな事を考え、席に座る。そして妻を待つ。
もう少ししたら、扉が開いてシャルロッテが顔を出すだろう。そうしたら朝の挨拶を交わすのだ。
結婚してそろそろひと月。
オスカーは、思っていたよりシャルロッテがいる生活を楽しんでいる自分に、まだ気づいていない。
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