口づけの理由
オスカー・マンスフィールドとシャルロッテ・ケイヒルの結婚が契約による期限付きのものである事を知る者は少ない。
公爵邸でその秘密を打ち明けられているのは、執事長と侍女長、そしてオスカーの最側近のレナートの3人だけだ。
契約結婚で、しかも期限付き。それでも女嫌いのオスカーが結婚を決断した事に、彼らは驚いた。
けれど、リベット第二王女がうるさく騒いでいるのは知っていたから、シャルロッテの提案に乗る事にした
そして、実際にシャルロッテに会って、好感を持った。
破格の条件を揃えるほどにオスカーが大好きであるにも関わらず、女を前面に出して迫るような事はせず。
話し合いで顔を合わせるだけで、嬉しそうに頬を赤らめて。
ベタベタ触れてくる事もなく、躓いたフリをして抱きついてくる事もない。
―――契約結婚を打診して来るとか、思い切った行動をする割には、ものすごく純情な令嬢ではないか。
それが、3人の共通の認識だった。
―――アラマキフィリスじゃなかったら、このままずっと旦那さまの妻でいてほしいのに。
シャルロッテがマンスフィールド邸に突撃してから、まだふた月かそこら。
なのに、そんな風に思ってしまうくらいには、3人ともシャルロッテの事が大好きになっていた。
『子どもを無事に産めるまで生きていられるか分からないから、子作りはしない』
シャルロッテがそう言って白い結婚を申し出たと聞いたレナートは、目頭が熱くなるのを感じた。自分のことのように悲しくて切なくなった。
実際、侍女長のダリアは号泣していた。
女性絡みでは嫌な経験ばかりしてきたオスカーにとって、その申し出は有り難かっただろう、レナートはそう思ったのだが、オスカーの表情は複雑で、それがまたレナートには意外だった。
その後、オスカーは次々と指示を出した。
2週間先の結婚式、神殿との予定の調整、招待状の手配、国王への謁見の申し入れ、それから―――妻となるシャルロッテの部屋の準備。
シャルロッテには、当主夫妻の部屋中央にある寝室を挟んだ片側、夫人用の部屋が当てがわれる。
オスカーは侍女長に、シャルロッテの好みを考慮して整えるよう念を押した。
更に、ここにいる3人はともかく、契約結婚の事情を知らない他の使用人たちに白い結婚を気取られないようにとオスカーは厳命した。
王家などを警戒してと言っているが、シャルロッテが使用人たちに侮られないかをオスカーが心配しているのは明らかだった。
更にオスカーは、掃除メイドたちから話が漏れる可能性を危惧し、初夜の偽装工作をすると言い出した。明け方にシーツの上に血を数滴垂らすのだとか。
「それなら、何も事情を知らない使用人たちから、シャルロッテ嬢が軽んじられる事もないだろう」
そう言った
―――いや、たとえそれ以上の気持ちを抱かれたとしても、シャルロッテさまは1年も経たず亡くなってしまうお方だ。
同情だけだとオスカーが思っているまま、契約関係が終わった方がいいのかもしれない。
などと思っていたら、結婚式当日にちょっとした事件が起きた。
王家が煩いだろうからと、敢えて前日に結婚式について知らせたにも関わらず、どんな我が儘を言ったのか、リベット王女が祭場に現れたのだ。
使用人として控える場所から観察する限り、リベットは最前列で大人しく座っているが、口元は微かに動いている。
そして、主人の表情を見る限り、ブチ切れ寸前だ。きっとリベットは小声で何か言ってきているのだろう。
―――まあでも、小声で文句を言うだけなら、聞き流せば・・・
と、レナートが思った時。
誓いの口づけの前に、オスカーがシャルロッテの耳元で何かを囁いた。
それからオスカーは花嫁に向き直るとヴェールを上げ、顔を近づける。それは予定していた額よりもっと下方で。
―――嘘だろう?
信じられない思いでその光景を見守っていると、期待に頬を赤らめたシャルロッテがぎゅっと目を閉じ、顔を心持ち上にあげるのが見えた。
オスカーは、それに一瞬、怯んだようにぴたりと動きを止め。
鼻先が触れ合うくらいの近距離で、新郎新婦は固まること少し。
―――やはり、フリだけか。
それなら、もう少し顔を近づけないと、周囲を上手く騙せない・・・
レナートがそう思った時、オスカーが何かに驚いたように目を見張り、それからふっと小さく吹き出した。
そう、笑ったのだ。
あのオスカーが、女性を前にして。
笑ったと言っても、ほんの少し口角が上がっただけ。だが普段のオスカーはにこりともしないから、それだけで破壊力は抜群だった。
だが、心底驚いたのはその後だった。
―――ちゅっ
なんと、オスカーは本当にシャルロッテの唇に口づけた。
リベット王女は大声を上げた。周囲もどよめく。
オスカー自身、自分がしたことに驚いたようだった。少しの間、ぽかんとしていたから。
その日の夜、レナートは誓いの口づけの件についてオスカー本人に聞いてみた。
レナートが予想した通り、リベット王女の呪いのような文句に嫌気がさし、急遽、額への口づけを唇へと変更したそうだ。もちろんフリで―――寸前で止めるつもりで。
「では何故、本当に口づけを?」
「・・・」
暫しの無言の後、オスカーは溜め息と共に口を開いた。
「目を閉じて、顔を赤くして待ってるシャルロッテ嬢を見たら体が動かなくなった。暫くそのままでいたら、シャルロッテ嬢が悲しそうに眉を下げたのが見えて、それが何だか・・・」
「何だか?」
「・・・小さな子みたいで可愛いなと」
「なるほど、可愛いと」
「そうしたら口づけてた。自分でも驚いた」
「旦那さま、それは・・・」
「ん?」
「・・・いえ、何でもありません」
本来ならば喜ばしいことである筈の主人の感情の変化を、レナートは指摘しない事にした。
だって、シャルロッテはもう1年も経たずに亡くなってしまうから。
アラマキフィリスが治るなど、あり得ないから。
―――奇跡が起きたらいいのに。
そうレナートが願った日。
その同じ日に、シャルロッテが特効薬を手に入れた事をレナートは知らない。
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